アジ研ワールド・トレンド No.237(2015. 7)
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カ
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ド
ミ
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ン
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人
気
インドネシアで最も国民に人気
の
あ
る
ス
ポ
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と
い
え
ば、
サ
ッ
カーである。街中の広場では、夕
方
に
な
る
と
大
人
か
ら
子
ど
も
ま
で
サッカーの試合に興じているし、
プロ・サッカーリーグも存在して
いる。新聞のスポーツ欄で最も扱
い
が
大
き
い
の
は
海
外
の
サ
ッ
カ
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ニ
ュ
ー
ス
だ
し、
テ
レ
ビ
で
は
欧
州
サッカーの試合が頻繁に中継され
ている。
サ
ッ
カ
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と
な
ら
ん
で
国
民
的
ス
ポーツとされているのが、バドミ
ントンである。簡易的なコートが
集落には必ずあり、子どもでも日
本の大人顔負けの鋭いスイングを
していたりする。オリンピックで
も、初めて正式競技に採用された
一九九二年のバルセロナ五輪以来、
必ず金メダルを獲得してきた(ロ
ンドン五輪では、残念ながら初の
メダルなしに終わった)
。
テニスやボクシングにも国際的
に活躍するインドネシア人がいる。
若者の間ではバスケットボールも
人気があるし、近年の健康ブーム
もあって都市中間層の間ではサイ
クリングやマラソンも盛んになっ
てきた。東南アジアの伝統的球技
であるセパタクロー(籐の球=現
在はプラスチックの球を蹴り合う
バレーボールのような競技)や、
マレー地域発祥の伝統武術である
プンチャック・シラット(空手に
似た拳法、武器術)の愛好者も多
い。
●
マ
イ
ナ
ー
ス
ポ
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ツ
と
し
て
の
野
球
ここで取り上げる野球は、イン
ドネシアではきわめてマイナーな
スポーツのひとつである。正確な
数字はないが、国内の競技人口は
少ないし、もちろんプロリーグも
存在しない。
インドネシアで野球がプレーさ
れるようになったのは、一九六五
年頃といわれている。日本に留学
していたインドネシア人学生が帰
国して野球を始めたという。しか
し、その後野球がこの国に広まる
ことはなく、むしろソフトボール
の方が盛んになった。
再
び
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
で
野
球
が
プ
レーされるようになったのは一九
九〇年代に入ってからのことであ
る。在留邦人社会で愛好されてい
た
野
球
が
徐
々
に
現
地
社
会
に
も
広
がっていき、学生や子どもたちを
中心に競技人口が増えていった。
一九九〇年代の後半には、代表
チームが国際大会にも参加するよ
うになり、二〇〇三年に札幌ドー
ムで開催されたアジア野球選手権
では、東南アジア諸国のなかで野
球の歴史が最も長いフィリピンを
破る金星をあげた。アジアの野球
インドネシア
野
球
と
ク
ー
ル
・
ジ
ャ
パ
ン
川村
晃一
❖特集❖
途上国・新興国のスポーツ
途上国の間で行われるアジアカッ
プ(アジア野球選手権の予選を兼
ねる)では、二〇〇九年に優勝し
た経験ももつ。
アジア野球連盟(BFA)が発
表している二〇一四年時点でのイ
ンドネシアのランキングは、加盟
二三カ国中、一一位である。ちな
みに、インドネシアよりも上位に
は、一〇位の香港から、アフガニ
スタン、タイ、スリランカ、パキ
スタン、そして五位のフィリピン
といった国が並んでいる。
●
な
ぜ
野
球
を
や
る
の
か
?
日本のように野球がメジャーな
スポーツである国であれば、子ど
もが野球を始めるきっかけはたく
さんある。親兄弟が野球をすでに
やっていたり、友達に誘われて野
球を始めたりするだろう。地上波
での中継が減ったとはいえ、シー
ズン中であればニュースで必ずプ
ロ野球の試合結果が報道される。
しかし、インドネシアではその
ようなきっかけはほとんどないに
等しい。メディアで野球が取り上
げられることはほぼゼロに近い。
周囲で野球をしている人をみつけ
るのも非常に難しい。実際、私が
インドネシアの一地方都市である
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アジ研ワールド・トレンド No.237(2015. 7)
ジョグジャカルタという街に暮ら
し始めた時、なんとかして地元の
人たちと野球をやりたいと同好の
士を探し回ったが、なかなかみつ
からずに苦労した経験がある。
このような状況で、インドネシ
アの若者がマイナーなスポーツで
ある野球を始めるきっかけとは何
だろうか。不思議に思った私は、
ようやくみつけた野球仲間にこの
質問をぶつけてみた。
●
日
本
の
ポ
ッ
プ
カ
ル
チ
ャ
ー
と
野
球
野球を始めた最も分かりやすい
理由は、父親の仕事の関係で子ど
もの頃にアメリカや日本に住んだ
ことがあり、その時に野球をして
いたというものである。海外在住
経験があることから分かるように、
彼らは富裕層やエリート層の子弟
たちである。人数は少ないが、本
場仕込みの技術を取得しているだ
けに、彼らのプレーのレベルは非
常に高く、チーム内でも投手や四
番打者など中心的な役割を果たし
ていることが多い。
野球を始めるきっかけとして次
にあげられるのが、テレビゲーム
であった。インドネシアの子ども
たちの間でもゲームの人気は高い。
いまはオンラインゲームが流行だ
が、私がジョグジャカルタにいた
一〇年ほど前は、まだ家庭用テレ
ビゲーム機が主に使われていた。
ゲーム機もゲームソフトもレンタ
ルできるので、それほど裕福では
ない中間層の家庭の子どもたちも
友達とゲームをしながら遊んでい
た。
ゲームソフトで人気が高かった
のは、オートレースや格闘技系の
ものだったが、日本の野球ゲーム
のソフトもレンタル屋で貸し出さ
れている(ただし、ほとんどが不
正コピーの海賊版である)
。「ファ
ミスタ」や「パワプロ」といった
日本でも人気のあるゲームソフト
を通じて野球を知り、ルールを学
んだという若者も多かった。
そして、私の友人のなかで最も
答えの多かった野球との接点が、
日本の漫画であった。インドネシ
アでは多くの日本漫画が現地語に
翻訳されて、子どもたちの間で愛
読
さ
れ
て
い
る。
『
キ
ャ
ン
デ
ィ・
キャンディ』や『ドラえもん』に
はじまり、
『名探偵コナン』
『クレ
ヨ
ン
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ゃ
ん
』『
ガ
ラ
ス
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仮
面
』『
ナ
ル
ト
』『
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ピ
ー
ス
』『
進
撃の巨人』など、人気の日本漫画
をあげればきりがない。
インドネシア人にはなじみのな
いはずの野球漫画も翻訳出版され
て
お
り、
『
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ッ
チ
』『
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2』
『
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ん
と
孫
六
』『
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ス
ト
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ニ
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』
な
ど
が本屋の店頭には並んでいる。し
かし、これらの直接的に野球を題
材にした漫画でなくても、ストー
リーのなかにはしばしば野球が登
場
す
る。
た
と
え
ば、
『
ド
ラ
え
も
ん
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で、
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太
が
頻
繁
に
ジャイアンやスネ夫に誘われて空
き地で野球をやっているように、
日本の漫画では野球がしばしば取
り上げられている。インドネシア
の子どもたちは、漫画のなかに登
場する未知のスポーツ、野球とは
どのようなものなのだろうかと興
味を抱き、野球への扉を叩くので
ある。
●
ア
ジ
ア
の
野
球
と
日
本
人
いわゆる「クール・ジャパン」
は、このように思わぬ形でインド
ネシアにおける野球の普及に貢献
している。しかし、この国の野球
と日本との関係を語る時に、忘れ
てはならない人がいる。インドネ
シア代表チームの監督を務める野
中寿人さんである。
彼は、野球強豪校を卒業しなが
ら学生時代に挫折し、いったん野
球を離れていた。偶然に関わるよ
うになったインドネシアで野球へ
の情熱を取り戻し、地方で若者の
指導と育成に取り組むと、その実
績が認められて二〇〇七年に代表
監督に任命された。二〇〇九年の
アジアカップ初優勝は、野中監督
の指導と在留邦人社会の支援に負
うところが大きい。二〇一四年か
らは二度目の代表監督に就任して
いる。野中氏は、チームの強化だ
けでなく、指導者の育成や底辺で
の普及活動など、インドネシアに
野球を根付かせようと奮闘してい
る。
実は、アジア途上国の多くで野
球の普及・発展を支えているのは、
こういった日本人である。野球場
も道具もお金もないという過酷な
状況で、邦人社会の支援を得なが
ら長年にわたって地道な活動を続
けている日本の野球人こそ、
「クー
ル・ジャパン」の代表である。
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