アジ研ワールド・トレンド No.242(2015. 12)
52
新刊
紹介
■
岡部正義
■
中室牧子著
『「学力」の経済学』
ディスカヴァー・トゥエンティワン、二〇一五年
今年六月、
『「学
力
」
の
経
済
学
』
(以下「本書」
)と
『
幼
児
教
育
の
経
済
学』という二冊の
教育に関する図書
が相次いで発売さ
れた。刊行順に、
それぞれを今月号
と来月号でご紹介
したい。本書は、教育のなかでも「学
力
」
の「
経
済
学
」
を
取
り
扱
う。
章
構
成
は、
一
章
「
他
人
の〝
成
功
体
験
〟
は
わ
が
子
に
も
活
か
せ
る
の
か?」
、
二
章「
子
ど
もを〝ご褒美〟で釣ってはいけないの
か?」
、三章「
〝勉強〟は本当にそんな
に
大
切
な
の
か
?
」、
四
章
「〝
少
人
数
学
級
〟
には効果があるのか?」
、五章「
〝いい
先生〟とはどんな先生なのか?」と身
近な問題が並ぶ。
本書は(来月号紹介予定の『幼児教
育の経済学』も)直接的には途上国研
究書ではない。しかし、途上国におけ
る教育開発分野にも、本書が重視する
科 エ
ビ
デ
ン
ス
学的根拠
を求める考え方が急速に浸
透しつつあるように思われる(弊誌ニ
〇一四年一二月号〈№二三〇〉特集を
も
参
照
)。
そ
の
意
味
で
途
上
国
の
教
育
を
考えるうえでも有
益な知見に溢れて
いる。
本書のメッセー
ジ
の
ひ
と
つ
に、
「
科 エ
ビ
デ
ン
ス
学
的
根
拠
」
が
挙げられよう。中
室
氏(
以
下「
著
者
」)
は
厳
密
な
デ
ータと科学的な実
証手続きに基づく教育の議論の重要性
を強く説いている。一四ページで『教
育
は「
一
億
総
評
論
家
」』
と
い
み
じ
く
も
表現されているように、教育は、医療
や金融といった専門知識の参入障壁が
ある分野と異なり、老若男女を問わず
誰しもが『一家言ある』分野である。
し
か
し、
例
え
ば、
「
他
人
の
成
功
体
験
を
子どもに聞かせるのがよいか(一章)
」、
「
ご
褒
美
で
釣
っ
て
で
も
勉
強
さ
せ
た
ほ
う
が
い
い
か(
二
章
)」
、「
少
人
数
学
級
の
学
校に進学させたほうがいいか(四章)
」、
「
大
学
受
験
前
は
部
活
を
や
め
て
受
験
勉
強
に
多
く
を
費
や
す
べ
き
か(
三
章
)」
、「
教
員
の
質
と
は
何
か(
五
章
)」
と
い
っ
た
問
いに厳密に答えることは容易なことで
はない。しかも、すでに耳にしたこと
のある議論は、ひょっとしたら某人の
経験に因る栄えある
逸 アネクドート
話
なだけかもし
れ
な
い。
こ
の
点
で
著
者
は、
徹
底
的
に
科 エ
ビ
デ
ン
ス
学的根拠
に依拠して、そこから導き
出されてきた教育経済学の研究成果に
基づき、各章の問いに対する示唆や議
論を著述している。
それら詳細な内容については、実際
に本書を手にとって答えを読み進めて
いただきたい。本稿では紙幅の都合に
より、選択的に以下の三点に絞って本
書の特徴をご紹介したい。
第一に、なにより教育に悩みを抱え
る親、子本人、あるいは現役教員にと
って指南書たる点を挙げたい。例えば
「
勉
強
し
な
さ
い
」
と
つ
い
口
に
し
て
し
ま
う親の立場にある読者は第二章を、受
験を控えて部活動をやめようか悩んで
いる生徒あるいはそうさせようとして
いる親や教員の立場にある読者は「非
認知能力」の重要性を説く第三章を熟
読していただきたい。
また、
教員に将来
なりたい学生は、第五章で
科 エ
ビ
デ
ン
ス
学的根拠
を通じて教員免許や教員の質について
考える契機を得るだろう。
第二に、一般書のソフトさを維持し
つつ、専門書的なハードさが適度に織
り交ぜられた「橋渡し」的性格を特筆
したい。特に紹介者が感服したのは、
一八六ページ「参考文献」に登場する
九九個の脚注である。この脚注は教育
経済学
界 かい
隈 わい
の主要文献から最新の国際
ジャーナル論文までがリファー・紹介
されている。そのなかには途上国関連
の先行研究も少なくない。脚注だけを
みても、著者による「学力」に関する
教育経済学や実証経済学全体の先行研
究の精緻なレビューの恩恵を得ること
ができ、同時に本書執筆の堅固な礎が
窺える。末尾に小さく佇むからといっ
て、脚注部分は見過ごすのはもったい
ない専門学習ガイドでもある。
そして最後に、教育経済学の啓蒙や
本書自体の教育的特徴を挙げたい。教
育経済学は海外では確立した分野だが、
日本では他の応用経済学に比べると相
対的に扱いは少ない分野と思われる。
また、どちらかというと労働経済学や
公共経済学、行財政論のアプローチで、
教育の外部効率性を主たるテーマとし
て
い
た
感
も
あ
る。
そ
の
意
味
で
は、
「
学
力
」(
特
に
認
知
能
力
に
加
え
非
認
知
能
力)に焦点を当てて、教育の内部効率
性の問題を中心に据え、一貫性をもっ
て議論が展開されている。さらに、補
論「なぜ、教育に実験が必要か」も見
逃せない。補論単独でも実証研究の要
諦が詰まった論考となっている。脚注
や補論からも著者の執筆姿勢の徹底ぶ
りを感じさせられ、本論はもちろんの
こと、看過されがちな脚注や補論にま
で教育的配慮が及んでいる点も大きな
特長である。さまざまな立場にある読
者に手にとっていただきたい一冊であ
る。
(
お
か
べ
ま
さ
よ
し
/
ア
ジ
ア
経
済
研
究
所
出版企画編集課)