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民主主義の危機と評価民主政

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民主主義の危機と評価民主政

村 山   皓

はじめに 第一章 民主主義の危機と危機脱出の可能性     ─評価民主政の政治体系─ 第二章 民主主義の危機から再生への転換の具体的な制度デザイン     ─評価民主政の公共政策システム─ 第三章 民主主義の再生の基盤となる市民文化の洗練     ─評価民主政の自由志向、政策志向、公共志向─ おわりに─民主主義の危機への処方箋となる評価民主政─

はじめに

この小論は、グリーンピース(エンドウ豆:green pea)と絹さや(サヤエンドウ:podded pea)についてである。さらには、豆ご飯と筑前煮についても話してみようと思う。混沌とし て中身がわかりにくい抽象的なものを、目に見える物のアナロジーで説明してわかった気にな ることは多いが、そこでは一部のイメージが得られても混沌全体の想像にはつながりにくい。 逆に、見える物のアナロジーとして抽象的なモノを記述するなら、抽象的な混沌の意味を新た に発見できるかもしれない。現在の民主主義の混沌が何を意味するかを、グリーンピースの豆 ご飯と絹さやの筑前煮の違いを示すために考えてみよう。それは帰納よりも演繹の思考であ り、物によるモノの法則の証明ではなく、物からモノの可能性を推論しようとする。ここでの 推論に不可欠な発見は、参加の多数の集約へと向かう民主主義とともにあるべき抵抗の自由の 民主的秩序への視野であると考えている。 金科玉条の民主主義が混沌のなかで金字塔のように輝いている。市民革命での自由主義と民 主主義の相剋の歴史に触れるまでもなく、今日では、無制限な民主主義さえもがリバタリアン さえをも論破することなく押さえつけることができる状況なのかもしれない1)。自由民主主義 制度、社会共産主義制度、専制主義制度であっても、選挙さえあれば民主主義の金字塔は燦然 と輝いている。民主主義を取り巻く現代のその混沌は一体何を意味しているのか。意味が捉え られないことこそ混沌だと、その状況を放置したくない。そのためには、今日の混沌とした民

論 文

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主的な統合秩序の意味についての新たな視点を必要とする。グリーンピースを使った豆ご飯料 理と絹さやを使った筑前煮料理の違いを、抵抗する異議の自由を基盤とする評価民主政の秩序 と、支持や要求の参加の民主を基盤とする参加民主政の秩序との違いのアナロジーで表現でき るように、民主主義の混沌の意味を推論してみる。 豆ご飯料理のグリーンピースと筑前煮料理の絹さやは、それぞれの料理の中でどのような役 割を果たしているのだろうか。グリーンピースと絹さの違いは、民主主義の混沌のアナロジー での内実としての異議を唱える抵抗の自由の役割と、外皮としての参加で動員される民主の役 割の違いに注目するとわかりやすい。グリーンピースも絹さやもともにエンドウであるが、グ リーンピースはその実が、他方、絹さやはその皮が料理にとって重要である。それはあたかも 民主主義が内に秘めている実の意味と、外から見える民主主義の皮の意味の違いに似ている。 このアナロジーを使うには、民主主義の混沌の中身をそのような実と皮で捉えられるかを検討 しなければならない。 抵抗の中身が生きる民主的秩序と参加の外枠が必要な民主的秩序のいずれもが、民主主義の 意義と見なせるだろう。しかし現実は、人々が一般的に行う選挙のような慣習的参加の外枠さ え整えば、抗議やデモのような非慣習的参加の中身が制限されても、民主主義の金字塔は立ち 続けられる。普通選挙制度の広がりが、同時に、金字塔の空洞化の目隠しになっているがごと きである。確かに、絹さやの皮の緑の爽やかさは、筑前煮の人参、蒟蒻、牛蒡などの個性ある 具材が調和する料理としてその一体感を引き立たせる。それが個性的な味を外目の一体感でご まかしているに過ぎないなら、その筑前煮はまずいだろう。そこには、見た目の多数決原理だ けで民主的統合の秩序を図るまずさと同じものを見ることができる。同時に、うまく民主的統 合を図るには、全体の中での個を活かせる民主主義の抵抗を中身に含む統合の秩序が求めら れ、それがなければ民主的秩序の意義の喪失を招く。うまい豆ご飯料理は豆の実の味を生かせ なければ作れないのは、自由に異議を唱えられる抵抗を内包しなければ民主主義の秩序をうま く作れないのと似ている。 民主的とは「何なのか」についての思考を停止させ、民主的とは「どのようにすることか」 の外枠のみの普及が、中身の空洞化による民主主義の意義を喪失させるような見栄えだけのも のになるなら、民主的秩序はグリーンピースと絹さやのアナロジーとしてさえ使えない。食堂 のメニュー・ケースにある豆ご飯と筑前煮は、いずれもがただ鮮やかなだけではなく、エンド ウの実を味わうか皮を楽しむかの違いへの思いに至り、食欲の幅を広げるものになって欲し い。そこでは一元的ではない多元的な民主主義の意義への視野を持つ民主的な制度をデザイン することで、その基盤となる市民文化が醸成されるかを考える必要がある。そのために、第一 章での民主主義の危機の現状と危機脱出の可能性について、民主主義の空洞化の危機を指摘 し、参加民主政の危機への対応の新たな視点の導入として、人々の民主的な関与の原則と例外 を逆転し、参加よりも異議を唱える抵抗の自由を強調する評価民主政を提唱する。次の第二章 では、危機から再生への転換の意味と民主制度のデザインを公共政策システムの視点から議論 する。そこでは、危機脱出のための民主主義再生の処方箋として、異議を制度化する評価民主

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政の手法を具体的に提案する。さらに第三章の民主主義の再生の基盤となる洗練された市民文 化では、治者と被治者の自同性を欺瞞の物語に終わらせない公共政策システムの開放的な フィードバックの可能性を明らかにする。そこでは、多元的な関与の市民文化が、感情の個人 化と認識の多様化の現代における民主主義の空洞化を防ぐ土壌になりうることを示す。 それらの民主政によって例えられる豆料理が、「実の空洞化した皮の鮮やかさだけでは味の ものたらなさを感じるようになってきている」現状を指摘し、「皮だけではなく実の味わいを 取り戻せるか」を検討し、「実際に美味しそうと思われるにはどのようにすれば良いのか」の 考え方を提示する。そこでは、民主的秩序のあり方の違いを、豆ご飯と筑前煮のアナロジーに 使おうとして、エンドウの皮の鮮やかさだけではなく実の味わいを求めるために、抵抗する異 議の自由を民主主義の中身として強調する視野が今以上に必要なことに気づけたと結論づけ る。以下では、そのような民主主義の新たな視野を評価民主政と呼び、政治体系での評価民主 政、公共政策体系での評価民主政、公共政策システムのフィードバックでの評価民主政と議論 を進める。そして、危機にある民主主義の秩序の原理が参加民主政であり、危機脱出の新たな 原理が評価民主政であると主張し、そのような評価民主政の特徴を自由志向、政策志向、公共 志向で明らかにするとともに、再生に向けてのその評価民主政の処方を、行政の行動から始め られる可能性を指摘する。

第一章 民主主義の危機と危機脱出の可能性

─評価民主政の政治体系─

世界的な政治不信の蔓延が民主主義の危機との捉え方があり、そこでは政治のみではなく行 政への不信にもその危機の兆候を見ようとする2)。確かに民主的な選挙での投票率は低下傾向 にあり、民主的に選ばれた機関に比べて強制力を持つ行政機関がより信頼される傾向などは、 人々自らが治めているとの民主主義の物語が破綻に瀕しているとの証左になるかもしれな い3)。同時に、政府への不信を気にしすぎることはないとの意見もある。なぜなら、不信の兆 候は民主主義の健全さの表れとも言えるからである。しかし、人々の不信が政治や行政との遠 い距離感から起こっている疎外感やシニシズムであるなら、そこには民主的な政治システムの 空洞化や形骸化がありはしないか。その内実が薄くなる兆しを、今日の選挙民主主義の欺瞞が もたらしているとすれば、それを民主主義の危機と指摘でき、今のままの民主的参加の政治シ ステムが続くなら、政治体系の空洞化は民主的な政治システムの形骸化を加速し、システムの 機能不全が、民主的な社会秩序の崩壊を招く恐れがある。そのような民主主義の危機への見方 は、次のように表現できる。民が主であるとの民主制の名での動員、つまり、人々の意見の集 約による集中的な統一管理が、治者と被治者の自同性の民主主義において、入力の出力への変 換の空洞化とフィードバックによる民が主であることを担保する政治システムの形骸化を招 き、人々の政治行政への関与の距離を広げる民主主義の危機となっている。それは、治めてい る者が治められている自己と同一であるとの自同の意識の喪失の危機、例えば政治や行政およ

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びシステム自体への不信、あるいは政治的有効性感覚の欠如や政治的疎外感の蔓延へとつなが る。 そのような民主主義の危機に対して、山口定は、著書『市民社会論─歴史的遺産と新展開 ─』において、「新しい市民社会論」が「公共性」論と密接に関連して「民主主義」論のバー ジョン・アップに寄与することで対処できるとの自らの主張を明確に述べている4)。そこでは 「市民的公共性」が「公私二元論」に異議を唱えて「公と私を結びつけるもの」となって、「久 しく続いた『官』による『公共』の独占が揺らぐなかで、その独占に取って代わる」ことを期 待する。それは、公でも私でもないその中間に新たな公共圏の成立を求めているようにも見え る。山口は、今日の「市民参加」論の最も基本的な文献とされる篠原一『市民参加』で示唆さ れている政策論との関係に注目し、特に政策決定プロセスへの市民の参加に、新しい市民社会 の基盤となる市民参加の理論と可能性を見ようとする。さらに山口は、佐々木毅によって指摘 された「政治的意味空間の喪失」を取り上げ、新たな事態での民主主義の危機が政治参加論の 岐路に立っているとの認識を示す5) それに続けて、その危機の克服への問題提起として、ハドソンが民主主義論の整理のなかで 触れる参加型デモクラシー論を政治の世界に留めることなく企業勤めなどの日常生活における 「参加の拡大・強化」によって乗り越える構想と、村山が提起する「評価民主政」の構想が、 今日見られる新たな方向性であると言う6)。それらについて山口は次のように評している。「実 はこの二つの構想は、インプット中心かアウトプット中心か、という形で一見正反対の立場の ように見えるが、実は決定への参加といっても、重要なのは人々の日常生活に直接影響を及ぼ す領域での実効性のある参加を模索する点で隠された共通性をもっている。そして市民運動の 標語でいえば、『市民に近い政治を!』ということになるが、この領域に踏み込んだ展開をす るためには、これまでの政治学は、相当の脱皮を覚悟しなければならないのではないだろう か。『市民社会』論は、そうした脱皮のための当面の手掛かりを提供するはずである。」しかし ながら、私の評価民主政の構想のきっかけと動機については、このように捉えられるかもしれ ないが、評価民主政は、インプットの制度デザインの変更そのものを構想するところまでをも 目指している。 公共が必ずしも政治に限定されないとしても、民主主義は政治の問題であり、治める者と治 められる者の自同性は、人々と政治行政との関係の問題である。従って、日常生活での様々な 組織への関与に民主的参加を拡大するのは、民主主義の概念を希薄にしてその意義の喪失に拍 車をかける7)。せいぜい社会での市民的積極参加が民主的な土壌の形成に役立つとのソーシャ ル・キャピタルの議論に留まるべきである8)。民主主義の概念の拡散によって、政治的意味空 間の喪失を招いている参加民主主義の空洞化に拍車をかけるのではなく、むしろ、政治の問題 としての政治システムの形骸化の克服に向かうべきである。そのような方向を目指す評価民主 政は、多数支持を主眼とする参加民主主義の欺瞞に代わる民主主義の新たな内容を、フィード バックからつながる政治システムの入力について、異議による抵抗の自由を慣習的政治関与に 盛り込むことを構想する。そのような新たな政治システムをイーストンの政治システムの修正

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として示したのが、図 1 である9)。イーストンは入力に支持と要求をおいていたが、ここで は、支持・要求と区別できる異議・抵抗を入力に加えている。それは民主的な入力として参加 と評価の二種類があることを示し、参加は支持と要求の集約であり、評価は異議と抵抗の分散 と見る。集約と分散という性質の異なる二種類の入力が、システムの出力である政策・決定か らのフィードバックでつながっている。このようなフィードバックの公民関係の政治システム での民主主義は、慣習的政治関与の入力において、多数の集約による参加民主政と評価が分散 する評価民主政の両者となる。特に、異議と抵抗を民主的な入力として重視することが、民主 主義の空洞化の危機からの脱出のための政治体系での評価民主政への工夫となる。 参加民主政と評価民主政の違いは、人々と政治行政の関係において、参加を重視するか評価 を重視するかの違いである。それは参加を基盤とする民主的システムか評価を基盤とする民主 的システムかで対比でき、システムの入出力の変換体系とフィードバックが参加に基づいて機 能するか、評価の重視に基づく機能であるかの違いとなって現れる。つまり、参加こそが民主 主義であるとの考えがその空洞化の危機を招きシステムの機能低下につながっており、民主主 義の再生には、人々の政治行政への関与は、抵抗を前提として参加をも視野に加えることで、 民主的な政治システムの機能の回復を図る必要がある。民主主義にとっては人々の参加が最も 重要であり、参加こそが民主主義であるとの参加の喧伝がかえって人々と政治行政の距離を遠 ざける結果となっている。民主主義の形骸化からの脱出の処方箋は、参加をさらに求める方向 ではなく、自由に異議を唱えられる評価で人々と政治行政の距離を近づける方向にこそある。 人々と政治行政の関係は、参加のみでつながるのではなく、より広範な関与の仕方での距離の 近さも可能である。そのような人々の政治行政への関与のあり方による民主的な秩序の現在の 危機と、危機脱出の可能性を参加民主政と評価民主政の違いとして整理したのが表 1 である。 空洞化の危機にある民主主義が、支持の制度化と抗議の許容の不安定な秩序を基盤にしてい るのに対して、異議の制度化と順応の推奨による危機脱出の新たな民主主義の安定した秩序 は、制度的な発展と言えるだろう。なぜなら、空洞化の危機にある民主主義が関与者の動員に よる実質的な関与の縮小と非慣習的な反抗への圧力の不安定な秩序に向かうのに対して、危機 図 1 評価民主政の政治システム

異議・抵抗の分散(評価)

(入力)

(出力)

政治システム

(フィードバック)

支持・要求の集約(参加)

政策・決定

政治体系

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脱出の新たな民主主義は、慣習的な異議による関与の拡大の可能性とともに自発的な順応を奨 励する安定した秩序へと向かいうるからである。その背景には次のような考え方がある。どの ような政治的秩序がよいかは、何が正しいかわからないような一人の人の理性を超える側面を 持ち、また、集団の理性のような捉えがたいものでは示しえないと言えるだろう。そこでは、 批判によってコントロールされた暫定的な試行錯誤によって、政治的な秩序が形成されていく ような試みが必要である10)。それには専制でも多数民主政でもない、異議の制度化と順応の 推奨による評価民主政での個々人が秩序を形成しながら自由である市民状態が社会の統合の基 盤となる11) そのような理解からは、山口の中間的な公共圏は、自発的順応としての例外的な直接行動と 位置づけてこそ意味があり、それを民主化がより推進される理性的な計画と捉えるようなこと は、よほど注意しなければ自由の侵害につながる可能性がある。つまり、政策の形成や実施に おける公民協働が新たな公共空間と公共性のあり方と見て喧伝することは、人々の参加による 集約を目指して官僚行政の合理的な行動が、公共に関与する人々を限定していく反面、その他 多勢の人々を隷属的な動員の道へと招く秩序へとつながりかねない。そうならないために、異 議、了解、抵抗を基盤とする評価民主政こそが、民主主義の危機を克服する処方箋として求め られ、行政の公民協働の推進も、異議の制度化を原則とする公民関係の統合秩序における例外 として、自発的な志願による順応の公民関係の推奨と捉える必要がある。そのような評価民主 政は、表 1 の統合秩序の原理が示すように、参加民主政のこれまでの原則と例外の逆転を評価 民主政は意図するものであり、だからこそ、評価民主政での異議と順応の位置づけと境界を明 確にすることが重要である。 表 1 人々の政治行政への関与のあり方による民主的な秩序(自由志向の政治行政秩序) 危機の現状にある民主主義 危機脱出の新たな民主主義 慣習的関与 非慣習的関与 慣習的関与 非慣習的関与 関与の形態 原則(選挙) 例外(直接行動) 原則(選挙) 例外(直接行動) 関与の意義 支持(賛成) 反抗(反対) 異議(反対) 志願(賛成) 全体と個の関係 他律への動員 自発的抗議 他律への抵抗 自発的順応 統合秩序の原理 (民主政での原 則と例外) 参加民主政 (多数の支持の集約の原則と例外と しての自発的抗議の許容) 評価民主政 (自由な異議の分散の原則と例外と しての自発的順応の推奨) 政治行政の秩序 (人々と政治行 政の関係) 支持の制度化と抗議の許容 (合理的に設計された計画的秩序が 参加に人々を押し込める不合理) 異議の制度化と順応の推奨 (非合理な自然発生の自生的秩序が 評価へと人々を開放する合理) 統合の意義 (現状と未来) 参加で形成される動員の秩序 (参加の市民社会論の関与の計画) 秩序を形成しながら抵抗の自由 (自由の市民状態論の関与の自生)

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第二章 民主主義の危機から再生への転換の具体的な制度デザイン

─評価民主政の公共政策システム─

参加に主眼を置く現在の民主主義がもたらす危機から脱出するための評価民主政は、政治シ ステムの制度デザインだけでは不十分であり、公共政策のシステムでの具体的な制度デザイン が求められる。民主主義を政治に留まることなく政策へと広げる思考は、政策科学の提唱者で あるラスウェルが「政治学は政策科学であるべき」と言って以来のものである12)。市民社会 論にも、先に示したように政策決定プロセスへの市民の参加に新しい市民社会の基盤を求めよ うとするものや、政治は市民参加を通じての政府政策の組み立てとするような政策への志向を 新たな方向と見るものがある13)。しかし、それらはいずれもが参加を強調する参加民主政に 依拠し、そこには民主主義の空洞化と形骸化が内包されていることはこれまでに指摘した。し たがって、評価民主政の政策志向を捉えるための公共政策システムへの視野の拡大も、参加で はなく評価への具体的な制度デザインの転換がなければ、民主主義の危機からの再生へとはつ ながらない。公共政策システムも政治システムと同様に、入出力体系とフィードバックから成 る。公共政策体系は、入力の公共政策評価を出力の公共政策実施に変換するものであり、その 変換過程の一部に政策形成の政治システムが含まれており、それにフィードバックを加えた公 共政策システムを構想することができる14)。図 2 が、先の評価民主政の政治システムを内包 するそのような評価民主政の政策志向を示す公共政策システムである。 治者と被治者の自同性が参加の強調の空虚な物語だけでは不十分なとき、自同性を担保する 新たな民主主義の制度が必要となる。そこでは人々の政治行政への関与を空洞化しない充実化 が図られなければならない。今日では、市民の生活はますます代議制民主主義での政治にまか 図 2 政策志向の公共政策システム 公共政策の形成 公共政策の評価 公共政策の実施 公共政策システム 公共政策システムのフィードバック (公共政策体系) 政治システム 政治システムのフィードバック 支持・要求(参加) 異議・抵抗(評価) 政策・決定 (連結構造) (連結構造) (政治体系)

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せるにはあまりにも直接に公共政策の当事者となってきており、政策を思考する市民の関与が 緊急課題ではあるが、それを参加ではなく評価で乗り切る公共政策システムの制度デザインが 求められる。形骸化から活性化へとつなげる公共政策システムのフィードバックについては次 章で検討することにして、ここでは、公共政策の評価の入力を公共政策の出力に変換する公共 政策体系がどのような制度として具体的にデザインできるかを例示してみる。図 2 のように、 公共政策システムを政治システムをも包摂する外枠としてモデル化すること自体が、そこでの 入力として評価に注目することとあいまって、評価民主政の政策志向を表している。そのよう な公共政策システムと政治システムの入力あるいは出力のそれぞれでの連結を、制度としてど のようにデザインするかが公共政策体系の機能、ひいては政治体系の機能をも左右する。図 2 ではその入力でのつながりを、入力における公共政策の評価から支持・要求の参加および異 議・抵抗の評価への連結構造として示し、出力でのつながりを政治システムの出力である政 策・決定から公共政策システムの出力である公共政策の実施への連結構造として示している。 それらの連結の制度デザインの指針は、統合秩序のモデルを参加で形成される動員の参加民主 政の原理から、秩序を形成しながら抵抗の自由が組み込まれた評価民主政の原理への転換であ る。その転換の具体例を、参加民主政での連結構造と比較する評価民主政の連結構造の制度デ ザインで示したのが表 2 である。 表 2 政策志向の制度デザイン(参加の政治システムと評価の公共政策システム) 入力連結構造 (公共政策システム入力 から政治システム入力へ) 出力連結構造 (政治システム出力から 公共政策システム出力へ) 参加民主政 (参加の多数支 持集約型) 支持の制度化 (原則)参加の集約 代表者選出選挙、世論調 査 「どのような実施か」公 開責任(支持前提) 抵抗の許容 (例外)参加の分散 デモ・暴動、反対・扇動 の意見広告 広聴会開催の試み(意見 の表明機会の付与) 評価民主政 (評価の抵抗異 議分散型) 異議の制度化 (原則)評価の分散 リコール(「解挙」)、イ ニシアチブ(住民投票) 「何を実施するか」説明 責任(異議前提) 順応の奨励 (例外)評価の集約 レファレンダム(国民投 票)、投票の啓発 公民協働の推進(公共へ の関与志願の促進) 抵抗あるいは異議となる評価を重視する分散型の秩序の原理である評価民主政の公共政策体 系は、入力の連結構造において、異議の制度化による評価の分散の原則を、代表者選出選挙の 質的転換を図ることで実現できる。それは人を選ぶ選挙よりも、選挙は職を解くリコールが基 本であるとし、通常の選挙も解職の選挙、いわば「解挙」と象徴的に呼べばよい。そこでは、 政策争点についての候補者の意見を取り上げて、あるいは争点への意見を表明しないことを取 り上げてする落選運動などは選挙運動の常套手段となる。住民投票も日本の現行のものではな

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く、住民発案のイニシアチブが基本となり、レファレンダムの国民投票は、例外的な評価の集 約であり、例外的な信任として、賛成の表記を求める投票形式や投票率のしきい値をもうける などの工夫が検討される15)。出力の連結構造においても、異議の制度化による評価の分散を 原則とし、順応の奨励による評価の集約の例外を基本とする制度デザインを進める必要があ る。例えば、政策の決定を受けてその実施に向かう行政は、政策への人々の支持を前提として 「どのような実施か」を公開する責任以上に、異議を前提として「何を実施するか」を説明す る責任がある。つまり、議会で決まった政策であるからとの説明では不十分であるなら、行政 自らに合理性の挙証責任のある制度へと転換する必要がある。他方で、挙証の不備の恐れへの 例外的な補強として、政策事案への人々の関与の志願を促進する公民協働の推進を図ることが できるが、それはあくまで例外的な評価の集約としての人々の順応の奨励と捉えなければなら ない。これらの評価民主政の制度デザインの例示から、そこで自生的に形成される自由に重き を置く民主的な秩序、つまり、参加を基本に計画的に作られた秩序ではないものを想像できる だろう。そのような統合秩序を目指す評価民主政が、民主主義の危機からの再生の処方箋とし て、公共政策体系の入力および出力での連結構造を変革する具体例で示せたとしても、実際に それを実現することはそうたやすくない。特に、異議の制度化としての選挙や住民投票の改革 について、支配の当事者である議会自らが制度をデザインする役割を担って、分散的な評価に 依拠するような柔軟な統合秩序を志向することを、人々が直接に期待することは難しい。一 方、日々の生活に直接に関わる行政の政策実施への人々の関心はより強く、行政がそれに応え るべき立場にいることを期待できる。したがって、表 2 の評価民主政の出力連結構造での政治 システムから公共政策システムの重視へと具体策を変えることが、入力連結構造での制度化よ りも可能に思える。そのような評価民主政の行政において、評価の分散を原則としつつ評価の 集約をも例外として志向する具体例として、次のような評価民主政の行政を提案できる。事務 事業評価を住民に問う調査を毎年実施するような政策評価の制度を実践し、そこでの住民の異 議に対して「何を実施するか」の説明責任を果たすとともに、調査結果を踏まえて、公民協働 が役立つ事案についての住民の関与の志願を図る方策が考えられる16)。しかし、そのような 公民協働は、あくまで参加の動員であってはならず、そこでは異議と順応の位置づけと境界を 意識する必要がある。

第三章 民主主義の再生の基盤となる市民文化の洗練

─評価民主政の自由志向、政策志向、公共志向─

民主主義の危機から再生への転換の処方箋となる評価民主政は、評価の分散を原則とし評価 の集約を例外とする開放的な公共志向の制度としてデザインする必要がある。それは、人々に 参加を求める一元的な関与から人々の多様な評価による多元的な関与へと、社会を統合する公 共秩序の形成原理の転換である。先の表 2 で明らかにしたように、参加民主政が参加の集約を 原則とし、参加の分散を例外とするのに対して、評価民主政は原則と例外が逆転する。そのよ

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うな公共秩序の制度デザインの違いが制度の機能に影響する構造を、公共政策体系での制度の あり方と公共政策のフィードバックとなる政策文化で示したのが図 3 である。ここで政策文化 と呼ぶのは先の図 2 の政治システムのフィードバックである政治文化との違いを明示するため である。政治文化も政策文化もともにそれぞれのシステムでの人々の側での行動様式である。 政治文化は、政治についての人々の考え方、感じ方、行動の仕方であり、政策文化は政策につ いての人々の感じ方、考え方、行動の仕方である17)。そのような人々の行動様式の文化は様々 な視点で捉えられるが、図 3 では本稿の主題である民主主義での行動様式としての市民文化に 注目している。参加民主政の制度デザインは、参加という一元的な市民の関与の行動様式を通 して参加民主政の制度の機能へとつながる18)。参加ではなく多様な評価が意味を持つ多元的 な関与を中核とする市民文化でなければ、参加の集約で動員される市民が自由の享受を放棄す る洗練されない行動様式に堕する。参加民主政の制度デザインが洗練されない市民文化に支え られて制度の機能につながるとき、それに応じた機能の良さは実現されるだろうが、その機能 は人々と政治行政の距離、いわば公共距離が遠いものとなる。そのような参加の動員を経由す るフィードバックが、その遠さゆえに形骸化を招き民主主義の危機となる。その再生には洗練 図 3 公共秩序の制度デザインと市民文化の関係 公共秩序の制度デザイン (参加民主政OR 評価民主政) 制度機能の公共距離 (フィードバックの遠さ近さ) 市民文化 一元的関与の市民の行動様式 OR 多元的関与の市民の行動様式 洗練された文化 洗練されていない文化 出力からのフィードバック 入力へのフィードバック

政策文化のフィードバック

公共政策体系

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された市民文化が必要なことを図 3 は示している。そのような洗練は、計画された関与より自 生的な関与を基礎とし、関与の方法よりも関与の内容に注目し、積極的な関与よりも開放的な 関与を重視する人々の行動様式として特徴づけられる。 民主とは社会の統合的な秩序形成に人々の関与があることであり、民主制度とは人々と政治 行政の関係を基盤とする統合秩序の仕組みと考えている。民主制度デザインとはその仕組みを デザインすることである。政治意識における感情の個人化と認識の多様化が進む現代におい て、参加を民主主義の一元的な価値規範としがちな参加民主政は、人々の意識での違和感を生 む可能性が高い19)。個人化と多様化の下での統合秩序は、今日の市民社会の理論での参加で 形成される動員の秩序ではなく、秩序を形成しながら抵抗の自由のある市民状態の理論でのも のがふさわしい。それには洗練された評価民主政の市民文化が民主主義の危機からの脱出に不 可欠であるが、図 3 からは、洗練された市民文化の形成には、一見、制度デザインから始めれ ばよい印象を受ける。しかし、制度デザインと市民文化の関係は実際には複雑であり、評価民 主政への制度デザインの着手を先行できるわけではない。どのような制度デザインの下で人々 が行動してきたかの、いわば社会的学習過程で文化が形成される反面、既存の文化が制度デザ インに反映するようなその原因と結果が循環する関係にある。民主主義の危機への処方箋であ る評価民主政の処方をどこから始めればよいかを知るためには、評価民主政での市民文化の位 置づけを公共政策サイクルの循環の視点からさらに詳細に検討する必要がある。それを示した のが図 4 である。この図が意図するのは、民が主であることは参加の動員ではなく、人々によ る自由な評価から始まるとの本稿の主張である。評価の対象は公共政策であり、直接には行政 が実施する政策や施策や事業への評価である。議会が主な主体となって行う公共政策形成は、 政策の決定とそれに伴う公共の選択がその機能であると考える。行政が主な主体となって行う 公共政策実施は、政策の処理と公共の管理がその機能である。人々が主体となって行う公共政 策の評価は、政策の了解とそこからの公共の創造がその機能となる20)。ここでは公共政策評 価を出発点として上位に置き、評価から形成と実施を経て評価に戻ってくるサイクルで示し た。何が公共的な価値かを提起する人々による公共の創造が、議会での公共の選択を経て行政 での公共の管理となるなら、民が主である民主主義への人々の意欲は鼓舞されるだろう。その ためには、人々が間近に見る公共政策実施がどのようであるかから始まり、それが公共政策評 価での市民文化の洗練度の基盤となり、さらに公共政策形成に影響する公共政策サイクルのス パイラルとなって、評価民主政の統合秩序となることが望まれる。 政策サイクルの全ての主体での循環が評価民主政へと向かうことで民主主義の危機からの再 生となるが、まずは、先の表 1 で示したように、人々が秩序を形成しながら抵抗の自由を享受 できる市民状態の関与での自生的秩序が望まれ、それに寄与できる公共政策実施での行政の行 動が求められる。そこでの政策の処理と公共の管理には、先の表 2 のように、評価の分散のた めの異議の制度化を原則とし、評価の集約のための順応の推奨を例外とする政策志向の制度デ ザインが必要である。具体的には、実施への人々の異議を前提として「何を実施するか」の説 明責任を果たすことを主眼としつつ、公共への人々の関与の志願を促進する公民協働の推進を

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も視野におく行政の公共政策実施である。そのような評価民主政の行政は、支持を前提として 「どのような実施か」の公開責任を原則とし、意見の表明機会を付与する主旨での広聴会開催 の試みを例外とするような参加民主政とは異なる。それによって、行政の政策実施における制 度デザインが、参加重視の一元的な関与の行動様式の洗練されない市民文化に人々を押し込め ることから開放し、評価を通じての多元的な関与の行動様式の市民文化を醸成する。それが 様々な人々が関与できる評価を通じての開放的な公共性のある洗練された市民文化である。現 代はそのように行政に注目する時代であり、政治の民主性から行政の公共性へと重点を移しつ つあるとの見方には異論もあろうが、統合秩序の変動が市民文化で起こることで、制度デザイ ンも変化しうるとの見方が必要である。好き嫌いの感情的な信頼が代議制への関与としての参 加を通じて、治者と被治者の自同性を担保する政治の時代が終わって、システムへの感情的な 信頼を基盤に政策への認知的な関与の評価が、民主主義の内実となる行政評価の時代になって きていると思う21)。民が主であるとの民主主義が、システムの位置づけの中で「どのように」 関与できるかの参加民主主義の動員の秩序にすぎないなら、人々が新たなものを生み出す力と はなりにくい。これに対して、「何に」関与するかの抵抗の自由の秩序を重視する評価民主政 こそが、民が主となって新たな公共を生み出す可能性を秘めている。多くの人々へと開放され たそのような公共志向の市民文化であることに、将来に向かっての評価民主政への時代の要請 があると言える。この見方から、図 4 の公共政策サイクルにおける自由での機能、政策での機 図 4 評価民主政の公共政策サイクルの統合秩序(自由志向、政策志向、公共志向) 公共での機能(下段

(主体が議会の政治過程) (主体が行政の行政行動) (主体が人々の政策文化) 了解 処理 管理 選択 決定 創造 公共政策形成 公共政策実施 政策での機能(中段) 公共政策評価 多様 自律 柔軟 自由での機能(上段

{多元的な多様性のある統合秩序}

{自生的な自律性のある統合秩序}

{分散的な柔軟性のある統合秩序}

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能、公共での機能に沿って、評価民主政の自由志向、政策志向、公共志向を整理して、評価民 主政の実現へのプロセスを示したのが表 3 である。 表 3 評価民主政への試みによる洗練された市民文化の生成と効果のプロセス 試み / 生成 / 効 果 評価民主政の実現のプロセス 統合秩序の含意 自由志向 評価民主政の実 現への行政の行 動の試み 人々の自由な関与を促進する行政の自律 (実施の環境や状況に応じて人々の異議・抵 抗を考慮する自律的な行政の行動) 政治体系の空洞 化から再生(充 実化)するため に入出力体系の 原理を集約から 分散へと逆転さ す自由に基づく 人々の自生的な 関与の統合秩序 評価民主政での 人々の市民文化 の生成 多様な人々の自由による自生的行動様式 (多様な人々が自由でありながら秩序を形成 する自生的な市民状態の市民文化) 評価民主政での 議会の制度デザ インへの効果 議会による人々の自由享受の柔軟な制度 (人々の異議・抵抗を制度化する柔軟な政治 システムの制度デザイン) 政策志向 評価民主政の実 現への行政の行 動の試み 行政の実施内容を考慮する政策の処理 (人々の異議を前提に「何を実施するか」の 政策内容の説明責任を果たせる処理) 公共政策システ ムの空洞化・形 骸化からの再生 のために異議の 自由の制度化の 下での政策への 了解が基盤とな る人々と行政の 時代の統合秩序 評価民主政での 人々の市民文化 の生成 評価を基本とする政策関与の行動様式 (人々の政策への異議を踏まえた人々の了解 に基づく政策関与の市民文化) 評価民主政での 議会の制度デザ インへの効果 政策評価を重視する議会による制度構築 (異議を民主的な決定に組み込む「解挙」や 「イニシアチブ」のような制度デザイン) 公共志向 評価民主政の実 現への行政の行 動の試み 人々の行政への距離の「身近さ」の推進 (人々の行政への関与の積極性ではなく関与 の開放性に重きをおく公共の管理) 政治システムの フィードバック の形骸化から再 生(活性化)へ の開放的な公共 政策のフィード バックでの人々 が公共を創造で きる統合秩序 評価民主政での 人々の市民文化 の生成 新たなシステムへの創造的な行動様式 (多くの人々の自由な評価を通じて何が公共 かを創造できる多元的な市民文化) 評価民主政での 議会の制度デザ インへの効果 議会による開放的な制度の導入 (参加に消極的な評価の関与者をも視野に置 く公を共にする制度デザインの選択) そこでは、評価民主政の実現への試みは、行政の行動から始め、それが人々の洗練された自 由志向、政策志向、公共志向の市民文化の生成に寄与して、そのような市民文化が議会の意図 する制度デザインに変化をもたらす効果を期待している。行政が主体となる行政行動、人々が 主体となる政策文化、議会が主体となる政治過程は図 4 のように循環し、どの主体が評価民主

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政への歩みを加速させてもよいが、本稿では、行政がその契機を提供できると考える。評価民 主政の原理へと参加民主政の原理から決別することを、支配の制度をデザインする議会が、自 ら柔軟な集約の統合秩序を志向して、政治の民主主義で実現することはあまり期待できない。 そこに影響できるのは人々が多様に分散する評価を行うことである。その基盤となる市民文化 が自律的な行政の機能の中で醸成される可能性があると見ている。本来、政策実施を担う行政 は、その実施主体の官僚制行政が、専門集団として自らの合理性にしたがって行動し、そこに は民主的な参加の基盤は必要ではない。政策実施が直接に人々の生活に関わる今日、あらゆる 場面が政治に関わる時代を超えて、あらゆる場面が行政に左右される時代になっていると捉え られる。そこで政治が示した政策法令の体系に行政が中央から地方へと一貫して従う合理性だ けでは、行政の行動の正当性の説明責任を十分に果たせない状況になり、その正当性の根拠を 行政機関が担当する自らの施策体系の合理性に求める自律的な行動の可能性が生じてい る22)。表 3 の評価民主政の自由志向のように、実施の環境や状況に応じて人々の異議や抵抗 を考慮する自律的な行政の行動の試みが、多様な人々が自由でありながら秩序を形成する市民 状態の自生的秩序の市民文化を生成し、その効果が、議会による人々の異議や抵抗を制度化す る柔軟な政治システムの制度デザインへと至る。それは、行政の自律的な行動を契機として、 政治体系の空洞化から充実化への再生のために入出力体系の原理を集約から分散へと逆転させ て、自由志向での評価民主政に向かう可能性である。 そのような施策体系に基づく合理性は、形成された政策を処理し公共を管理してきた行政に とって、一見、荷が重く、ともすれば公民協働などを参加で進める誘惑に駆られる。しかし、 行政までもが参加民主政に走るなら、身近に生活する人々の行政への距離はかえって遠のき、 空洞化と形骸化による行政への不信がますます深まることになる。首長公選制では、なおさら に行政を民主主義の危機に直結さす可能性をはらんでいる。だからこそ、まずは官僚制行政の 行動において、人々の異議を前提とする説明責任による行政の充実化を図る必要がある。表 3 の政策志向の評価民主政はそのことを示している。人々の異議を前提に「何を実施するか」の 政策内容の説明責任を果たせるように、行政が政策を処理しようとする試みが、人々が政策へ の異議を踏まえた了解に基づき政策に関与する市民文化を生成する。そのような市民文化が、 異議を民主的な決定に組み込む先の表 2 の「解挙」や「イニシアチブ」のような制度デザイン を、議会が考慮する効果をもたらす。つまり、評価民主政の政策志向がもたらすのは、公共政 策システムの空洞化や形骸化からの再生のために、異議の自由の制度化の下での政策への了解 が基盤となる人々と行政の時代の統合秩序である。そのような時代の公共政策システムでの 人々からのフィードバックの活性化を、どのように図れるかは評価民主政にとって重要であ る。代議制選挙のような人々の形式的な関与による参加の動員に流れやすい議会への関係より も、人々の生活に直接関係する身近な行政の行動が、人々と政治行政との関係、いわば公を共 にする公共性に関わる。表 3 の公共志向の評価民主政はそのことを示している。人々の行政へ の関与の積極性ではなく、関与の開放性に重きをおく公共の管理を目指す行政の試みが、人々 の政策への異議を踏まえた人々の了解に基づく政策関与の市民文化の生成につながる。それ

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が、参加には消極的でも評価する関与者をも視野に置く公を共にする開放的な制度デザイン を、議会が選択することに効果をもたらす。そのような評価民主政の公共志向がもたらすの は、政治システムのフィードバックの形骸化からの活性化による、再生への開放的な公共政策 のフィードバックでの人々が公共を創造できる統合秩序である。その土壌となるのが、公を共 にする公共の創造を時代の変化に即応しながら続けられる公共政策サイクルにおける、一元的 な参加ではない多元的な評価による関与の洗練された市民文化である。

おわりに─民主主義の危機への処方箋となる評価民主政─

まず、現在の民主主義の危機がどこにあるかを示した。政治行政への不信が危機の原因との 見方もできるが、危機の本当の原因は参加民主政そのものにあると思う。多数の支持の集約を 原理とする参加民主政が人々の参加で形成される動員の秩序になっていることが、参加を強調 すればするほど政治システムの入出力体系の変換機能を空洞化し、そこでのフィードバックが 人々から遠いものとなり、その機能を形骸化するところにある。そのような危機からの脱出の ために、人々が秩序を形成しながら抵抗の自由を享受できる評価民主政の原理による市民文化 の形成と新たな制度デザインによって、空洞化と形骸化からの再生となる公共政策システムを 構想できることを主張した。つまり、参加民主政での参加による「近さ」の強調の制度化がか えって人々と政治行政の距離を「遠ざける」のに代わって、評価民主政での異議の「遠さ」を 考慮する制度化がかえってその距離を「近づける」可能性を指摘した。そのような民主主義の 危機からの再生の処方箋を、評価民主政が自由志向の民主的な政治体系であること、評価民主 政が政策志向の民主的な公共政策体系であること、評価民主政が公共志向の民主的なフィード バックであることで示すとともに、どこからその処方を始めて、再生のスパイラルを実現でき る可能性があるかも示した。 参加の動員を図る参加民主政のシステムの空洞化と形骸化による民主主義の危機のスパイラ ルは、一部の参加者の政治行政への関与となり、その他大勢の人々までの開放的な関与となる 公共性を持ちえない。そのスパイラルが、集団よりも個人に重きをおく現代の個人化のなか で、政治参加を取り巻く人々の感情による政治の時代から、政策評価の認識が重要な行政の時 代への変化にもかかわらず継続している。そこでは参加民主政に決別し、評価民主政に至るた めに、支持の動員ではなく自由な異議に基づく分散的な自由志向の政治秩序による人々の自生 的な関与が、統合の秩序の原理となる必要がある。また、民主的な関与の方法よりも、政策内 容に人々が関与できる政策志向の公共政策システムの制度デザインの構築が求められる。さら に、そのような秩序と制度の基盤となるのは、関与したりしなかったり、あるいは関与する人 としない人が共存する開放的な関与を支える公共志向の市民文化の醸成である23)。つまり、 秩序を形成しながらも自由でいられる市民状態の多元的な洗練された市民文化として、積極的 関与より開放的な関与の行動様式が人々の側に求められる。 本稿は、そのような民主主義の再生のための処方箋の内容だけではなく、処方の仕方をも評

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価民主政で示した。評価民主政の実現への試みは、行政の行動から始め、それが人々の洗練さ れた自由志向、政策志向、公共志向の市民文化の生成に寄与して、そのような市民文化が議会 の意図する制度デザインに変化をもたらす効果へと至るプロセスが可能である。そこでは、ま ずは官僚制行政の行動において、人々の異議を前提に「何を実施するか」の政策内容の説明責 任を果たせる行政の処理の試みが、人々の政策への異議を踏まえた了解に基づく多元的な関与 の市民文化を生成し、それが異議を民主的な決定に組み込む「解挙」や「イニシアチブ」のよ うな制度デザインを議会が考慮する効果をもたらす。そのような民主主義の危機からの再生の スパイラルには、政治的支配への参加よりも公共政策への評価にいかに加われるかが大切であ り、具体的には、行政評価が行政実施の点検から人々による事務事業評価へと一歩進んで、政 策内容の説明責任につなげることである。そのための提案は、事務事業評価を住民に問う調査 を毎年実施するような、住民の事業への異議、ひいては施策や政策への抵抗があるかもしれな いことを前提として、行政が「何を実施するか」を説明する責任を果たすとともに、その調査 結果を踏まえて公民協働が役立つ事案について、自発的な住民の関与を奨励して促進すること である。そのような行政の実践が、調査での評価に多くの住民が関わり、その開放的な関与は たとえ消極的なものであっても、多元的な関与の洗練された市民文化を醸成し、そこから評価 民主政の異議を基盤とする新たな制度化の実現へと向かう可能性が生まれる。それとは逆に、 もし政策内容の説明責任に関わる公民協働ではなく、政策実施の方法への市民の積極参加を促 す公民協働を行政が目指すなら、民主主義の危機を政治に留まらせず、行政のすみずみまで参 加民主主義の欺瞞を行きわたさせる危険があることを肝にめいじる必要があるだろう。 そのように、人々の民主的な関与の奨励については誤解を招きやすい現在の民主主義の混沌 に、参加民主政に代わる評価民主政の視点を新たに提供できるなら、同じ民主政の秩序でも、 違いのあることを明示できる。その違いを、民主主義をエンドウに見立てて、民主政をグリー ンピース料理と絹さや料理とするアナロジーに使える。絹さやの入った筑前煮と、グリーン ピースではなく同じく絹さやを使った豆ご飯が、メニュー・ケースに並んでいる食堂の客足が 遠のいているとしよう。食堂の経営者は、いずれの料理でも爽やかな絹さやの色合いが客寄せ になると信じており、食堂がガラガラになってきている理由がわからず、さらに色鮮やかなメ ニュー・ケースにし、それでもお客が入らないのを客のせいにする。食堂の料理を出す料理人 は経営者と違って、メニュー・ケースの前に立つお客の様子を常にうかがっているので、何か 違うと感じつつも、経営者の方針に従っていればそれでよしとしている。一方、お客もいつも この食堂のメニュー・ケースを見ても、自分が中に入らない訳が自分自身でもわからなくなっ てきている。メニュー・ケースが、見てくれだけに限るような客寄せで、そちらの料理ではな くこちらの料理が食べたいとのお客の異議と選択の自由を刺激してお客の好みを広げるよう な、今時の人が入店の意欲を持ち得ないことが客足の遠のく理由である。その事実を、経営者 や料理人だけではなく、お客となる人々にもわかるようにと、本稿では参加民主政による民主 主義の危機とその再生の処方箋としての評価民主政のアナロジーで示した。そこでは、評価民 主政がグリーンピースの豆ご飯料理で、参加民主政が絹さやの筑前煮料理で、見た目の爽やか

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な絹さやが参加で、評価がその味わいに特徴があるグリーンピースであるとして、同じエンド ウでも絹さやとグリーンピースの違いに注目すべきとする。また、経営者を議会に、料理人を 行政に、お客を人々に見立て、見てくれに頼って客足が遠のく先の食堂の悪循環のスパイラル を、参加民主政による議会と行政と人々の民主主義の危機のスパイラルに例えた。その危機か らの再生には、危機脱出のスパイラルの可能性を行政の試みに期待できるように、食堂に客を とりもどし店が潰れるのを防ぐには、料理人がメニュー・ケースに、絹さやの豆ご飯に代え て、グリーンピースの豆ご飯を陳列しようとすることが大切であることを示した。そのよう に、食堂のメニュー・ケースのエンドウ料理のためのアナロジーを考えることで、ひるがえっ て、民主主義の危機への処方箋として、これまでには気づかれなかった評価民主政の可能性 を、民主主義の混沌での新たな発見として指摘できたのが本稿の研究としての意義である。 1 )無制限な民主主義については、F・Aハイエク、渡部茂訳『法と立法と自由 III ─自由人の政治的秩 序』、春秋社、2008 年新版(1988 年)、14-19 頁。

2 )世界的な政治への不信の傾向については、Joseph S. Nye, Jr., Philip D. Zelikow and David C, King eds., Why People Don’t Trust Government, Harvard University Press, 1997, Introduction. 特に日本 の行政への不信については、Susan J. Pharr and Robert Putnam, Disaffected Democracies: What’s Troubling the Trilateral Countries?, Princeton University Press, 2000, Chapter 8.

3 )行政機関への信頼については、猪口孝『「国民」意識とグローバリズム─政治文化の国際比較』NTT 出版、2004 年、56-65 頁。 4 )山口定『市民社会論─歴史的遺産と新展開』有斐閣、2004 年、287 頁-289 頁。そこでは、ハバーマ スの市民の側からの回路を基礎に論じ、278 頁ではロールズの正義論の「公共」問題と通じていると示 唆している。 5 )同 118 頁-120 頁で、篠原一に加えて佐々木毅の『いま政治に何が可能か』中公新書、1990 年を挙げ ている。 6 )同 122 頁-124 頁からそれらを引用。 7 )政治参加と経営参加の関連の民主主義論については、C・ペイトマン、寄本勝美訳『参加と民主主義 理論』早稲田大学出版部、1981 年(1977 年)、153-154 頁。 8 )民主主義の互酬性での市民的積極参加のソーシャル・キャピタルについては、Robert D. Putnam, Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy, Princeton University Press, 1993, p.173. 9 )D・イーストン、岡村忠夫訳『政治分析の基礎』みすず書房、1968 年、115 頁。 10)ポパーの反証可能性の方法論とハイエクの方法論ないしは知識論との関係の解説については、渡辺幹 雄『ハイエクと現代リベラリズム─「アンチ合理主義リベラリズム」の諸相』春秋社、2006 年、73- 75 頁。参加よりも自由を重視し合理性への批判を基盤とする本稿は、ハイエクとポパーとオークショッ トに負うところが多い。同書の 3 章のオークショットとハイエクも参考になる。 11)M・オークショット、野田裕久訳『市民状態との何か』木鐸社、1993 年、121 頁で、個々人が秩序を 形成しながら自由である市民状態が解説されている。

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D. Lasswell, eds., The Policy Sciences, Stanford University Press, 1951。 13)松下圭一『政策思考と政治』東京大学出版会、1991 年、4-9 頁。 14)公共政策システムの構想全般についての詳細は、村山皓『政策システムの公共性と政策文化─公民関 係における民主性パラダイムから公共性パラダイムへの転換』有斐閣、2009 年。 15)住民投票の種類については、村山皓「住民投票」、村山皓・川口清史編著『政策科学の基礎とアプ ローチ』ミネルヴァ書房、2006 年(2004 年)、163-165 頁。 16)地方自治体の事務事業を住民が直接に評価する政策評価の試みを、京都府八幡市で数年にわたり実施 した経験がある。その詳細については、前掲、村山皓『政策システムの公共性と政策文化─公民関係に おける民主性パラダイムから公共性パラダイムへの転換』の第 3 章第 3 節。 17)このような政治的態度に近似の行動論での政治文化の定義に関しては、村山皓『日本の民主政の文化 的特徴』晃洋書房、2003 年、12-13 頁。

18)制度デザインと制度機能の関係の図 3 は、知を活動へと結びつける John Friedman, Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action, Princeton University Press, 1987, p.30。の公共プラニング のデザインを念頭に、機能への流れを市民文化が媒介するモデルとして示している。しかし、本稿は、 その市民文化が NPO などの参加を中核するものと見ないところがフリードマンとは違っている。 19)Stuart Oskamp, Attitudes and Opinions, Prentice-Hall, 1977 が態度の感情要因と認知要因を区別して

いる。政治意識における個人化と多様化については、脱物質的価値と関わって、R・イングルハート、 村山皓ほか訳『カルチャーシフトと政治変動』東洋経済新報社、1993 年で、身近な問題や争点志向が 指摘されて以来のものである。 20)図 4 は、村山皓「公共政策構造論への政策科学」、立命館大学政策科学会『政策科学』19 巻 3 号、 2012 年、9 頁。公共政策評価での人々の了解の詳細については、前掲、村山皓『政策システムの公共性 と政策文化─公民関係における民主性パラダイムから公共性パラダイムへの転換』306-308 頁。 21)善教将大『日本における政治的信頼と不信』木鐸社、2013 年、71-74 頁、234-239 頁は、感情的な 信頼が認知的な信頼に比べて安定的な政治意識であると実証しつつも、代議制の危機をもたらす可能性 があるのは感情的な信頼であり、そこでの評価への注目を指摘する。また、木村高宏「争点考慮と政治 的洗練─争点ビュッフェの問題─」、立命館大学政策科学会『政策科学』19 巻 3 号、2012 年、51-61 頁は、争点の考慮の多さからの認知的な不満の実証を政治システムの入出力にかかわって論じる。それ らは、政治的態度の分析からの評価への注目を示唆する。 22)松岡京美『行政の行動─政策変化に伴う地方行政の実施活動の政策科学研究』晃洋書房、2014 年、 207-211 頁は、両体系での行政行動の違いを指摘する。 23)市民文化が混合型であることは、G・アーモンド&S・ヴァーバ、石川一雄ほか訳『現代市民の政治 文化』勁草書房、1974 年、473 頁でも示されている。

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