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興農倡和会について

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(1)興農侶和会について. 松田吉郎 はじめに.  1920∼39年にかけて、日本は植民地台湾において小作慣行改善事業を行った。こ れは1918年に日本内地で起こった米騒動、米不足解消に起因した台湾における日本向 け輸出米=蓬莱米の開発、導入、また、製糖会社による甘蕨自作地増加作の進行、一方、 農民組合による小作争議の拡大という状況下、台湾総督府が旧来の小作慣行を改善し、農 業近代化を推進したものであった。(D  小作慣行改善の推進母体は業二会とか興農侶和会と呼ばれる組織であった。一般的には 業平会と呼ばれるの普通であったが、台湾中部地域では興農比和会という名称が使われて いた。.  小作慣行改善事業については戦前に宮川次郎氏が農民運動と関連して概括的な検討を加 え、茂野信一氏が農業調査の観点から述べ、川野重任氏も米穀経済論の分析の中で若干触 れている(2)。しかし、小作慣行改善事業の総合的分析という点ではいつれの研究も十分に 尽くされているとは言いがたい。また、本稿でとりあげる興信侶和会について検討はなさ れていない。.  筆者は前半の小作慣行改善事業分析を受けて(3)、本稿では台湾中部地域の興農侶和会の. 小作慣行改善事業を具体的に分析することによって、同事業の本質及び小作慣行改善事業 に占める意義を検討しようとするものである。. 1 台中州の小作慣行 (1)『台湾二於ケル小作問題二関スル資料』(台湾総督府殖産局、昭和5年〈1930>. 3月)3頁「最近各州二二戸数、自小作別農家戸数及其割合(昭和3年〈1928>末現 在)」によると、. 州庁別. 総戸数. 農家戸数 自作 自作兼. 小作. 計. 同割合 自作 自作兼. ャ作. 総戸数二対 小作. ャ作. Xル農家戸 矧ы. 台中州. 161,962. 91,779. 24%. 27%. 49%. 57%. S島計. V81,581 P18,280 P24,521 P62,682 S05,483. Q9%. R1%. S0%. T2%. 21,725. 24,924. 45,132. とあり、台中州の小作割合が全島内でも高いことがわかる。. また、同書14頁「最近各州庁田畑別耕地面積(昭和3年末現在)」には、 田 州庁別 畑 両期作 計 二期作 台中州. @%. 93,644.70 i57.2). 合計. 第1期作. 第2期作. 126.30. 4,351.80. 98,122.80. 65,539.43. 163,662.23. @(2.7). @(60.0). @(40.0). @(100.0). i0.1). 一19一.

(2) 全劉29襯116115・511:l1. 93,451.31. 403,862.01.  (112).  (48.6). 427. P11劉83}謂31. とあり、台中州は全島中、田の両期作が多い、即ち、稲の二期作地域であることがわかる。 そして、同書16頁「最近各州庁自作地及小作地面積割合」によると、. 州庁別. 畑. 田. 自作. 小作. 台中州. 29.47%. 70.53%. S島計. R3.82%. U6.18%. 合計 小作. 自作. 小作. 54.30%. 45.70%. 38.10%. 61.90%. T3.46%. S6.54%. S3.74%. T6.26%. 自作. とあり、台中州は田における小作の割合も高かった。.  以上のように水田尚早作田が多く、しかも小作の占める割合が高いのが台中州の特徴で あった。. (2)次に『各州小作慣行調査』(台湾総督府殖産局農務課、大正15年〈1926>) 「台中州小作慣行調査」により台中州における小作慣行を分析しよう。  ①「耕地貸借ノ多少及難易」について、「耕地ノ貸借ハ頗ル多ク、現今電界ケル耕作ノ 状況ヲ見ルニ自作単二、小作農八ノ割合ナリ。而シテ以前ハ耕地豊富ナリシカバ、從ツテ 小作興野ノ如キモ極メテ少ナク、小作農者ハ各自自己ノ欲スル土地ヲ容易西岸ツ安心シテ 数十年乃至万代ノ間永綾シテ耕作二工事スルヲ得タリ。然ルニー度、當市二帝國製糖株式 薄舞ノ創立ヲ見、周年二莫大ナル耕地ヲ特薦園トシテ占有セラル・二業リ、俄二耕地ノ不 足ヲ來タシ、薙二小作競孚ナルモノ起り、績キテ最近数年來諸農産物債額暴騰ノ結果、益 々競市猛烈トナリ、爲ニー峰越來ノ耕地ヲ手放サンカ、將準準ビ自己ノ希望スル耕地ヲ得 ル日華ル困難ノ状態トナレリ」(同書147頁、台中市)と述べられているように、帝国. 製糖会社が明治43年(1910)に創立して以来、水田の甘薦園田を進めたために、特 に小作人にとって耕地の不足を来たした(4)。そして、「大正七年〈1918>頃米債ノ暴 騰二伴ヒ膜耕ノ轄換漸次頻繁トナリ、大正八年期〈1919>ハ其ノ絶頂二達シ同期年期 〈1920>ヨリ次第二緩慢照復シタリ」(同書148頁、豊原郡)と言われるように、 いわゆるシベリア出兵時の米価高騰の影響を受けて(5)、「膜耕」(小作)競争が行われた。.  また「製糖會社ノ膜平等ニテ地主ハ勢小作料ノ増額ヲ強請」(同書151頁、彰化郡) するようになった。.  ちなみに帝国製糖会社は「毫中靡下の水田を基礎」とし、「大正元年〈1912>には. 9甲、翌2年には88甲の實施を見、翌3年には一躍1011甲に上り、…・現在〈昭和 2年=1927>・…其の原料採取画域内耕地面積4萬8126甲」(6)に達し、前述の昭 和3年段階の台中州の耕地面積の約29.4%を占めていた。これ以外にも台南・台中を根 拠地とした明治製糖会社が既に明治39年〈1906>に創立し、昭和2年〈1927> 段階で原料採取区域内耕地6万5095甲を保有しており(7)、製糖会社がかなりの比率で 台中州の耕地を占有していたことがわかる。  ②「小作契約法」「小作期間、解約及契約縫績法」について、小作契約は「大多数ハロ. 頭契約ニシテ、…・謹書契約法学以前遊里ド之ヲ見ザリシモ、整理製糖會社ノ膜耕契約ヲ. 一20一.

(3) 開始セシ以來、比較的有識階級ノ業主二於テ採用セラレツ・アリ」(同書154頁、台中 市)と言われる。また小作期間の「長短ハ業主ノ都合二依ルモノト」されたが、「製糖會. 社ノ膜耕期間ハニ箇年乃至六箇年」(同書156頁、大屯郡)となっており、そして「近 時製糖會社ノ大撲耕開始セラレ、尚…・米債騰貴ノ關昇等二依リ、往事ノ美風ハ漸次破壊 セラレ、小作者ハ其ノ土地ノ干隈期間二割シ、不安ノ念常二去ラズ、膜耕料ノ増徴ト土地 引上ノ命令ハ共二小作者二封スルー大脅威」(同書160頁、豊原郡)となったと述べら れている。.  後述する興言侶和会による書式契約締結、小作期間を最短6力年とする政策はまさしく 製糖会社の都合よりでてきたものであり、そして小作農にとって突如起こる土地引上不安 を一定緩和するためのものであった。  ③「小作料ノ種類、数量」「地主ト小作人トノ収益分配率」。.  小作料種類の基本は「水田ハ籾、畑ハ專ラ金納」(同書176頁、大呼郡)で定額租で あったが、数量は台中市などの都市部は比較的高く、郡部は低い傾向にあった(同書17 5∼191頁)。しかし、時間的、経済的要因により変遷があり、「現今一甲當リ最少五 十石(官半斗)、最高九十五石、普通田ニテ平均六十石乃至六十五石ナリ、・…現在(1 926年段階)ノ小作料ハニ十鯨年前、即チ清政時代二比較シテ十四五石乃至二十石ノ差 ニシテ、明治三十四五年頃〈1901・02>、地租額増税ノ際少シク騰貴シ、後帝國製 糖妻事創立ト同時二甘薦骨二莫大ナル耕地ヲ奪ハル・二至リテ更二騰貴シ、績イテ最近数 年間暴慢テ今日ノ如キ異常ノ騰貴額ヲ示スニ至レリ」(同書175頁、台中市)と言われ るように、製糖会社の創立が一つの契機となって小作料が増額していた。.  また野壷租については、地主と小作人の収益分配率は様々であるが、比較的多い例は 「業主ハ六割乃至六割五分、小作人四割乃至三割五分内外、但シ畑二於ケル分配率ハ平等」 (同書227頁、台中市)というものであった。しかし「帝國製糖会社創立以來、一般農 民ノ耕作二從事スベキ耕地面積著シク縮少セラレタル結果、蛇管最近数年間二於ケル農産 物県民ノ暴騰ニヨリ小作競孚益々激烈トナリテ、漸次現今ノ如ク業主ノミ有利ニシテ小作. 者側益々不利ナル状態」(同書228頁、台中市)となっていた。  ④「小作保謹金」については、定頭金・磧地金などがあり、地域によって徴収の仕方は 様々であった。しかし、「小作保五金ハ数十年ノ昔ヨリアリ。以前ハ…淀頭金ト稻シ、 …・ ャ作人ヨリ業主へ提供セシノミナリシモ、今ヨリ十鯨年前、帝國製糖株式會社ノ創立 以來、定頭金以外二更ニー冬型二三十圓ヨリ百二三十圓(普通四五十圓)ノ磧地金額ハ小 作人ノ信用程度ト小作地利益ノ多少二依リ一様ナラズ。信用程度ノ低キ者ト小作利益ノ多 キ土地程高額ニシテ、之二反シ小作者ノ信用程度高キ者及小作利益ノ少ナキ土地程少額ナ リ」(同書195・6頁、台中市)と言われるように、定頭金だけであった地域において 製糖会社が創立してからは磧地金まで徴収するものまであり、しかも会社にとって都合の よい小作入の「信用程度」や土地収益をその額の基準にしていた。  ⑤「小作料減免」について、従来、暴風雨や不可抗力の天災地変等による減収・無収穫 の場合、小作料定額の全部又は一部が減免され、「十数年前既済減免ノ場合ハ殆ド全ク無. 一21一.

(4) 條件ナリシモ、帝國製糖株式会社創立シテ、水田ノ撲耕薦作ヲナスニ至リテヨリ、昔日ノ 厚意次第二薄ラギ、減免ハ條件付トナリ、一時的ノ減免即チ前期作納入ヲ次期作収穫迄、. 軍二期間ヲ猶豫スルニ過ギザルニ至レリ」(同書200頁、台中市)と言われる。  ⑥「合意二依ラザル中途解約ノ場合二上ケル損害賠償方法」について、「一般二行ハル 方法トシテハ、小作人二於テ解約ヲ履行シタル時ハ、業主ハ保謹金ヲ没収ス。又業主二於 テ蕾暦八月十五日以後解約ヲ臨行スル場合ハ小作人四号二整地及種子肥料等ノ準備ヲナス. ヲ以テ此準備二封スル損害ヲ業主二於テ相當賠償ヲナス」(同書217頁、大勢郡)とさ れていたが、「製糖會社ノ土地膜耕開始輯録往々種々ノ紛糾ヲ見ル革嚢レリ」(同書21 7頁、豊原郡)と言われる。例えば台中州の慣行では小作契約は旧暦8月15日以前、第 一期作収穫電訓二期作播種前に行うというのが慣例であった。ところが「會社ノ撲耕契約 ハ十二月一日頃迄二行ヒ、其ノ決定ト共二甘薦ノ植付二平手スルモノ甚ダ多ク、且ツ契約 ハ業主ト會社トノ間曲於テ決定セラレ、佃人皆全ク其ノ事情ヲ知ラズ。翌年モ素ヨリ自分 ノ小作シ得ルモノト信ジ耕起セルモノ、緑肥ヲ播種セルモノ、又ハ煙草ヲ植付ケタルモノ 等アル時二當リ、突然會社ハ業主トノ契約ヲ盾二土地ヲ奪取シ、業主佃人間二於ケル小作 契約ナキヲ以テ損失二封シテモ何等ノ賠償ヲナサズ」(同書217・18頁、豊原郡)と いう状態であった。製糖会社の進出が台中州農民の小作慣行を破壊したことが理解できよ う。.  以上のような調査結果に基づき、総督府は「口頭契約ヲ謹書契約二改善ノ必要」、「契 約條件ノ公定」、小作「期間ノ延長」、「地主會ヲ組織シ地方農事改善ノ率先機關タラシ ムルコト」、「製糖會社ト業主トノ間ノ契約ノ時期ヲ成ルベク蕾幅下ノ薔八月十五EI迄二. 完結」することなど(同書248∼66頁)を勧告している。  製糖会社の創立及び本内地における米穀需給状況が台中州に大きく影響し、旧来の小作 慣行が破壊され、小作争議頻発の要因となっていた。これに対応して出された総督府の勧 告が興農母型会の結成の基本要因となったと言えよう。 2 興農桑和会の成立経過  『興農卸和会成立経過当事其事:業報告』(昭和5年中1930>6月、台中州)に興農侶 和会成立経過が述べられている。.  同史料の凡例に「興農養和會ノ主旨立立沿革二就イテハ昭和四〈1929>年六月三十日 ヨリ七月四日二亘リテ設立サレタル北斗、豊原、大恩、大幸郡ノ興農侶気象ノ設立病難式 二於ケル知事訓示二詳細二説明サレタ」と言われている。知事の訓示を見てみよう。  同書「一臣下侶和事ノ主旨立立沿革 (北斗、豊原、大雨、大胆四郡ノ興且且和會獲會 式二於ケル知事訓示)」によると、台湾総督府による小作慣行改善事業は大正11年〈1 922>に台南州区営郡にはじまり、業佃会を結成し、地主小作人の協調融和をはかり、 書式契約締結により小作関係の安定に尽力した。昭和2年度〈1927>より州または農 会に対し補助金を交付し、台中州においても大正14年頃1925>より産業調査におい て施行した農政に関する調査を行い、管下の小作慣行を調査したことを述べてから、以下 のように興農侶和会結成の経過を述べている。. 一22一.

(5)   惟フニ州下二於ケル今日ノ小作事情二於キマシテ最モ重大ナル訣陪ノーツハ小作關係   ノ不安定ナル二二存スルノデアリマス。 と、小作関係の不安定を第一にとりあげている。その不安定の要因とは、   現在ノ州下二二ケルー般的慣行タルロ頭ニシテ、而カモ短期ナル小作關係ノ二二改ム   可キモノナル所以二二庭二二スルノデアリマス。 とあるように、口頭契約が小作関係の不安定の根本要因として、その改善、即ち書式契約 の締結が第一であるとしている。この点は全島的に行われた小作慣行改善事業と全く同一 の趣旨上にあったと言ってよい(8}。そして、.   地主ト小作人ノ協調融和、相互扶助二依ッテ、一ニハ農ヲ興シ、以テ農業ノ纒濟的獲   達ヲ圖リ、ニニハ農ノ侶和ヲ期シテ農業者ノ精神的平和ヲ圖ル趣旨ノモトニ、二二興   農侶隅隅ノ設立ヲ計書シ、 とあるように、地主・小作人間の協調融和・相互扶助機関として設置したことを記してい る。それは農業経済の発展と農業者の精神的平和の育成のためであった。農業経済の発展 については前述のように甘簾業の発展、内地の米需要に連動に呼応した蓬莱米の導入であ り、また農業者の精神的平和とは、同書「巻頭言」にあるように、地主・小作人間の「蝸 牛角上ノ雪」即ち、小作争議の防止及び業佃両者の融和にあった。これは、農民組合成立 後の農民運動の激化と密接な関係のあったことは、既に明らかになっており(g)、しかも知. 事の訓示が行われた昭和4年〈1929>は全島にわたり大干害が起こった年で、小作争 議再燃の恐れがあり、その対策上からも三農増勢会の成立が急がれていた。同書の知事訓 示によると、.   今回不幸ニシテ殆ンド全島的二亘リ、近年稀ナル大旱魅ガアリ、タメニ州下農作物ノ   蒙ル被害ハ頗ル甚大ニシテ地方農民ハ地主モ小作者モ共二不安焦燥ノ念二二ラレ、一   見平静ナル如キ農村ニモ小作二二ノ惹起サル可キ客観的條件が多分二包蔵サレルニ至   リ、從テ紛雫二二シテ適切ナル豫防封策ヲ講ズルコトノ刻下ノ急務ナルヲ痛感スルニ   至ッタ。.  そして、台中州管内において既に同4年1月に成立した芸林郡と七化郡の上農黒和会は 「活動ヲ今一層促ス」とともに、「旱害程度立立小作事情ヨリ致シマシテ緊急其必要有リト. 認メラル・大忌、大忌、北斗、豊原ノ四郡二胡團罷ヲ設置スルコトニシ」、「今回新設セ ル四型ノ興農侶和會二於キマシテハ既設二郡ノ該團髄二於ケルト多少其ノ活動ノ方法ヲ異 ニシ、先ヅ差當リ本年度中ハ此二型ノ積極的事業タル小作慣行ノ改善ト云フコトヨリモ、 二二其ノ消極的事業閉門スル小作紛孚ノ豫防調停二主力ヲ注グ」(10)ことになった。.  このようにして、北斗郡興二言和会が同年6月に、豊原二二農侶和会が同年7月に、大 工凹型農侶和会が同年7月、大二二興農侶和会も同年7月に成立した(1ユ)。その後、昭和. 6年〈1931>1月に台中市に、同年4月半守勢、南町、新高、能高、竹山五郡に、更 に昭和8年〈1933>12月に彰化市に各々丁丁侶和会が設立され、二二2市11郡す べてに設立されたq2)。.  昭和8年末では会員数45、918名、契約面積31、364甲、小作地総面積に対す. 一23一.

(6) る割合33.59%(13)、昭和11年〈1936>12月では会員数56、723名、書式 契約締結面積50、107.91甲(14)、昭和13年〈1938>では会員数63、562 名、契約面積55、784.34甲、昭和14年〈1939>では会員数61、794名、 契約面積57、155.07甲(15)という記録が残っている。会員数は昭和8年〈1933> と14年〈1939>を比較すると約34.5%の増加、同時期契約面積は約82.2%の 増加となっている。ただ、昭和14年前後の小作地総面積の統計を発見し得ていないので 契約面積の小作地総面積に対する割合が不明なのが残念であるが、大凡、小作地総面積の 50%以上は書式契約が締結されたものと考えられよう。 3 興農学和会の組織  興農侶和会は員林・彰化・北斗・豊原・大野・大二一郡におかれ、各郡の下には各々街 庄支部がおかれていた。  各発会式は郡では公会堂、公学校、郡会議室等で行われ、また各街庄支部では廟、公学 校、庄役場、信用組合、保甲事務所、芭蕉検査所、公会堂、劇場、郡会議室、青年会館等 で開催された(16)。.  以下、特に郡興農侶和会の規約を検討して、組織内容を分析しよう。『興農三和会成立 経過例解事業報告』8∼12頁、「二戸農侶和会規約」によると、  名称は□発孔興農学和会とし(第1条、□□は空白部分を指す、以下同じ)、「墓中州 □□郡管内二於ケル農耕ヲ目的トスル土地ノ地主(質権者ヲ含ム以下同断)、自作者、自 作芳野作者及ヒ小作者ニシテ本會ノ趣旨二賛成シタル者ヲ以テ組織」(第2条)した。本 会の目的は「會員相互ノ協力二依リ小作關係ヲ改善シ、以テ農業ノ獲達蛇農村ノ平和ヲ圖 ル」(第4条)ことであり、その目的を達成するために、「一 小作慣行ノ改善、二 小 作契約其他農事二二スル紛孚ノ調停、三 會員ノ親善融和ヲ圖ルニ必要ナル事業、四 事 業遂行上必要ナル調査研究、五 其他本會ノ目的ヲ達成スルニ必要ナル事業」(第5条) を行う。.  本会の役員は「會長一名、副勢門一名、評議員若干名、幹事若干名、顧問若干名、役員 ハ名讐職」(第8条)とされた。「弓長ハ郡守(市サ)ヲ推戴」(第9条)し、「三塁長 ハ郡庶務課長(市助役)二委嘱」(同条)し、「評議員ハ各回弓長ヲ以テ之二三ツ、…・ 農事調停ノ執行二當リテハ調停委員ト爲ル」(同条)、「幹事惜物勧業主任(市勧業係長)、 本四主事ヲ以テ之二充ツ、・・一三務ヲ掌理」(同条)し、「顧問ハ學識経瞼アル者二委囑」 (同条)した。その他、職員として有給の「主事一名」と無給の「囑託若干名」を置いて. いた(第10条)。.  昭和15年〈1940>の調査によると、郡市興野侶和会及び各工具支部数合計70の 会長のうち日本人が52名(74.3%)、台湾入18名(25.7%)であった(17)。  以上より、興農侶和会の役員は郡・里庄の首長、幹部職員を中心に構成され、総督府の 直接の指示系統下にあったことが明きらかであろう。.  本会の会議は「総代會」(第12条)が置かれ、「會長、副會長、評議員及総代ヲ以テ. 一24一.

(7) 組織」(第13条)し、「総代ハ各街庄(市)毎二地主、自作者及ヒ小作者(自作兼小作 者ニシテ自作面積大ナルモノハ之ヲ自作者ト看倣シ、小作面積大ナルモノハ之ヲ小作者ト 看倣ス以下同断)中ヨリ各同数ヲ互選ス。但當分ノ内山長之ヲ選任ス。総代ハ名轡職」 (第14条)とし、「総代ノ任期ハニ箇年」(同条)とされた。「総代會」で諮問すべき 事項は「一 収支鼠算、二 事業執行ノ方法、三 規約農耕地賃貸借書式契約規程豪農事 調停規程ノ翌翌、四 其他重要ト認ムル事項。前年度決算及ヒ事業成績」 (第16条)で あった。.  会計および庶務については、「會計年度ハ毎年四月一日二始マリ翌年三月三十一日二終」. (第20条)り、「本會ノ経費ハ補助金野寄附金ヲ以テ充當」 (第21条)し、本会に備 える帳簿は「一 役職員総代調停委員名簿、二 小作記帳、三 経費支出簿、現金出納簿、 物品出納簿及ヒ其他會計二必要ナル帳簿、四 総代會議事録、五 調停二等スル記録、六.  日誌」(第22条)であった。 4 三農侶和会の活動  興農曽和会の活動は書式契約締結、小作紛争調停、愛佃施設の設置、「小作慣行改善映 画」などによる宣伝活動が主であったq8)。. (1)書式契約締結  同じく『興農肝和会設立経過立立野事業報告』13∼14頁「農耕地賃貸借書式契約規定」 によると、.   第一條 農耕地賃貸借契約ヲ爲サムトスル者ハ少クトモ左記ノ事項ヲ掲ケタル書式二    依ルコトヲ要ス。二二長ノ承認ヲ受ケタル者ハ書式契約二依ラサルコトヲ得。    一 賃貸借ノ表示及ヒ賃貸借二野幣シテ賃借人ノ使用収益スヘキモノ    ニ 借賃ノ額(二分ノ場合ハ率)納期、分納、割合種類品質納入ノ場所減免換算方.     法(代金納ノ場合)及ヒ借賃ヲ攣更シ得サル期間    三 契約期間 四 契約ノ攣更 五 契約ノ解除 六 契約ノ更新 七 土地及ヒ    附帯物二半スル公租公課 八 土地改良費及ヒ其他ノ必要費拉有益費ノ負推臨分及.    ヒ償還九七二二ノ負高湿分(作分ノ場合)十損害ノ賠償十一契約當事者、    保謹人工立三人 十二 契約□三年□□月三二日   第二條 凶年ニシテ収穫減収シタルトキハ借賃ヲ減額シ其ノ著シキトキハ之ヲ免除ス    ヘシ   第三條 :賃貸借最短期間ハ之ヲ六箇年トス.   永年作物ニアリテハ左ノ通り之ヲ定ム     果樹  何年  茶樹  何年   何々  何年    誓事者双方協議ノ上、契約期間ヲ短縮セムトスルトキハ貫長ノ承認ヲ経ルコトヲ要    ス.   第四條 契約期間中ト雛モ左ノ場合ハ協議ノ上、支部長ノ承認ヲ経テ借賃ノ増減ヲ爲    スコトヲ得. 一25一.

(8)                          〈ぐ    一 地目攣i換灌瀧又ハ排水ノ設備、防風林ノ設置、旧地土地改良ヲ行ヒ爲メニ著シ     ク収穫ヲ増加シタルトキ、但其ノ費用力賃借人ノ負携ナル場合ハ此ノ限りニアラ     ス    ニ 賃借人ノ故意又ハ過失二子ラスシテ土地荒駿シタルトキ    三 土地二封スル公租公課著シク増減シタルトキ   第五條 契約期間滞了六箇月前迄二賃貸人ヨリ何等ノ通告ナキトキハ同一條件ヲ以テ    契約ヲ更新シタルモノト看徹ス   第六條 契約浅聞中所有罐ノ六町、質権及ヒ抵物権ノ設定若クハ響町又門門借地公共    ノ用口供セラレ爲メニ賃借人二損害ヲ與ヘタルトキハ賃貸人ハ賃借人口封シ賠償ヲ    爲スモノトス。但賠償額ハ双方協議ノ上之ヲ決定ス   第七條左ノ場合二於テハ賃貸人ハ賃借人二封シ本契約ヲ解除シ、且損害ヲ賠償セシ    ムルコトヲ得    一 賃貸人ノ同意ヲ得スシテ地形ヲ二更シタルトキ    ニ 賃借人力故意又ハ過失二丁リ著シク土地ヲ荒胆セシメタルトキ    三 賃貸人ノ同意ヲ得スシテ轄貸シタルトキ    四 正當ノ理由ナクシテ借賃ノ支佛ヲ渥延シタルトキ   第八條 當事者一方ノ都合口角リ契約期間中二解約シ爲メニ地方二封シ損害ヲ與ヘタ    ル場合ハ其損害ヲ賠償スルモノトス。但正當ノ事由二一リ六箇月前二解約豫告ヲ爲    シタル場合ハ此限リニアラス とあり、書式契約の規定が八条にわたって定められている。書式契約の基本的記入事項、 凶作時の免除規定、賃貸借の最短年限(6力年)、更新規定、契約期間中における借賃 (小作料)の増減規定、賃貸人(地主)の賃借入(小作人)に対する賠償規定、賃借人 (小作人)の賃貸人(地主)に対する賠償規定、解約手続き規定である。  これらの諸規定は従来の小作慣行上で起こった小作争議で生じた問題点を考慮して作ら れた規定であることは間違いなかろう。  この書式契約規定にもとづき、「土地賃貸借契約書(田ノ部)」、「同(畑ノ部)」の 様式が同書15∼19頁に収録されている。これらの特徴点を述べたい。  土地賃貸借契約書(田ノ部)を見ると、「賃貸人□□ロヲ甲トシ、賃借人□□ロヲ乙」 として、納入する米穀が「在来種籾(官斗□石□斗□升)又ハ蓬莱種籾(官甲骨石叩斗□ 升)」(第2条)に分類され、官斗を基準にしている(1g)。籾は「乾燥精選シタルモノ」 で、「納期ハ毎年二回トシ、第一回ハ借賃ノロ割ヲ、□月□日迄二、第二回ハ借賃ノロ割 ヲロ月下日迄二納入ス」(第2条)とされ、従来からの慣習である早稲と晩稲を各々徴収 することになっている。借賃期間は最短6力年であるが、「三箇年間之ヲ二更セサルモノ」 (第3条)とされ、最低3丁年を保証した。「凶年ニテ収穫減少シタルトキハ双方協議ノ 上借賃ヲ減額シ、其著シキトキハ之ヲ免除」(第4条)された。契約期間中の「借賃ノ増 減」は「一、…・土地改良ヲ行ヒ、門内著シク収穫が増加シタルトキ、但其ノ費用力乙ノ 負捲ナル場合ハ此限リニアラス。二、乙ノ故意又ハ過失二三ラスシテ土地荒屡シタルトキ。. 一26一.

(9) 三、土地二封スル公租公課著シク増減シタルトキ」(第5条)に行われた。  土地に付随した諸負担について、「公租公課ハ甲ノ負捲」であるが、「水利組合費中、 組合費ハロ、特別組合費ハロノ負推」(第6条)として、協議により甲か乙が負担する。 また「田寮及ヒ訓路ノ修繕ハロノ負携トス。但小破修繕ハロノ高詠」 (第8条)とし、両 者のいずれが負担するか、協議で決められていた。  賃貸人の賃借人に対する賠償は「所有権ノ移轄、質権及抵當権ノ設定若クハ移心、又ハ. 賃借地公共ノ用二供セラレ」(第7条)、賃借人に損害を与えた時に行われた。賃借入の 賃貸人に対する賠償については賃借人が賃貸人の同意を得ずして「地形ヲ攣更」したり、 「故意又ハ過失二因リ著シク土地ヲ荒妙」させたり、「轄貸」したり、「借賃ノ支軸ヲ逞. 延」(第10条)した時に行われた。  この書式契約は「興農十和會□□街庄島部長ヲ以テ立善人」(第14条)とし、「紛孚 ノ生シタルトキハ国譲侶和會ノ裁決ヲ受クル」(第12条)ものとされた。  次に土地賃貸契約書(畑ノ部)は同書(田ノ部)の基本規定を踏襲しているが、「借賃 バー箇年二付、金離圓」とし、金納を原則とし、納入期日も「毎年一回」(第2条)とし ている点だけが異なる。  「農耕地賃貸借書式契約規定」、「土地賃貸借契約書(田ノ部)」、「同(畑ノ部)」. の三種の規定を検討すると、最短6力碁契約により、小作人の耕作権を保証し、地主・小 作人間の起こりそうな問題点を契約文書に契約規定して未然に紛争を根絶する。そして、 紛争は印矩侶和会が調停仲裁することを地主・小作人両者に了解させていた。  次に、書式契約の進行にもとづき、興農侶和会が行った小作紛争調停を考えよう。 (2)小作紛争調停  同書12∼13頁、「郡遺墨侶和会農事調停規程」によると、「小作契約其他農事二關 スル紛孚二關シテハ本規程二依リ調停ヲ行フ」(第1条)、「掛継及ヒ支部二調停委員會 ヲ置ク」(第2条)、「調停委員會ハ本會ニアリテハ會長、副會長及調停委員、支部ニア リテハ支部長及調停委員ヲ以テ組織」し、「本會調停委員ハ幹事、評議員及ヒ會長ノ指命 シタル者トシ、支部調停委員ハ支部幹事、支部評議員及支部長ノ指命シタル者」(第3条) とした。「題意畜生ノ場合ハ支部二於テ之ヲ調停シ、支部二於ケル調停調ハサルトキ、又 ハ會長二於テ調停困難ナリト認メタルトキニ限リ、本書二於テ行フ」(第5条)とし、軽 微な紛争事件に関しては「會長自白部長若ク警急留主部長ノ指命シタル者之力調停ヲナス コト」(第6条)ができた。  秘境侶和会による小作紛争調停について『小作事業並農事団体事業成績概況(昭和13. ・14年度)』(台中州、昭和15年〈1940>7月)「4 小作紛争ノ原因別年度別 調停件数」を見ると、昭和5年から14年〈1930∼39>まで合計1、780件の紛 争が記載され、そのうち件数の多いものからあげると、小作料の滞納357件(20.0%)、. 中途契約解除328件(18.4%)、その他248件(13。9%)、小作地返還201 件(11.3%)、小作料の値上げ171件(9.6%)、小作料の一時的減額101件 (5.7%)となっており、その他を除く件数1、158件は全体の65.工%を占めてい. 一27一.

(10) る。.  即ち、小作料問題と小作権問題が大半を占めていることがわかる。.  さて、これらの調停の具体例は『興秘経和会二依ル農事紛争調停事例』(台中州、昭和. 7年〈1932>3月)に20件の調停事例が収録されている。この史料には純粋に小作 紛争に関するものが13件、地主問の紛争に関するものが5件、その他が2件収録されて いる。小作紛争関係事例のなかで比較的多く目につくのは、やはり小作料問題と小作権問 題である。その代表的な例を検討しよう。同書28∼30頁「十四、小作料値上請求事件」 によると、.   一、關陣地  (一)所在地 員林郡披心庄、(二)地目、面積 畑一権九分四厘二毛   二、關係者  (一)申請人 員林郡披心庄大溝尾 甲(地主)・乙(地主).         (二)被申請人 同        丙(小作者)   三、申請支部 披三三支部、四、實際調停支部 同 五、調停主任者 支部専務職員、.   六、受付年月日 昭和六年(1931)二月十日、七、成立年月日 同三月九日   八、概要    (一)申請人申立:前記ノ土地ハ從耳玉心庄、丁戊己ノ所有ナリシ慮、昨年申請人    二十テ買受ケタルモノナルガ、該土地ハ薔地主ノトキヨリ築盛請人二小作経螢セシ    メアリシ盧、今回申請人ハ小作料甲當標題斗六十石二値上要求セルニ値上二歩ゼズ。    (二)経過:双方呼出シ調停交渉セルニ、被申請人ハ從來ノ儘ノ小作料ナレバ小作    糧績スルモ、値上ゲスルニ於テハ寧ロ返地スベシ、但シ地上物全部ノ賠償ヲ要求ス    ト申立テタリ。   九、調停結果    (一)地上物全部賠償スルコト。(二)被申請人平賠償金ヲ受取ルト同時二土地ヲ    申請人二引渡スコト。(三)地上物賠償額評定方ヲ申請人、被申請人ヨリ出シタル    各一名ノ代表者ト支部ノ協議決定ニー任シ、右評定額嵩高シテハ双方異議ナキモノ    トス。(四)申請人ハ賠償評定額ヲ其ノ決定後二週間以外二馬身請人二昨夜フコト。   十、賠償評定額 金三百六圓二十鏡也。     内i澤.     一、芭蕉   三五〇本 一本二期キ 五十五鏡  一九二、五〇     二、蜜柑    六九本 一本二付キ 九十五鑓   六五、六四.     三、竹全部                   四八、〇六  この史料は地主甲・乙二名が丁・戊・己三思所有の土地を買い、元の小作人丙に小作料 の値上げを通告したところ、諒解せず、興農侶和会披心庄支部によって調停された文書で ある。結局、支部職員と地主、小作人双方から依頼人一名を出し、地上物である芭蕉(バ ナナ)、蜜柑、竹の賠償評価額を決定し、地主が小作人に賠償金を納付し、小作人が当該 土地から引き上げることで和解した。  地主による土地引き上げ請求は、新地主になったとき、小作料値上げのときに行われた り、また小作料滞納に対抗する措置及び新小作人と書式契約締結して従来の小作人を追い. 一28一.

(11) 出す措置として行われたりした(20)。小作人にとっては、三農侶和会が推進する書式契約、. 小作紛争調停は最短6箇年の小作権が保証され、土地引き上げの際に地上物の賠償・耕作 代金を確保できるという利点もあったが、小作料値上げ等の強制に使われ、不利益な面も 多かった。基本的には地主側の安定的地代徴収の確保、小作紛争の未然解決に重点がおか れた政策と考えられよう。. (3)二藍施設  興二百和会による小作人愛護政策である二恩施設について検討しよう。愛佃施設は興農 侶和会・業佃会が推進し、会所属の地主が契約下の小作人のために行う愛護施設である(2. 1)。昭和9年(1934)の統計によると台中州全体で巨篇施設件数は89、実施した地. 主数は100名、所属小作人数は4、169名、同小作地面積は7、166甲で、当時の 小作地総面積約93、373甲中の7.7%であった(22)。当時、全島的には0.5%程度 の普及率であったから比較的進んでいたといえよう(23)。.  『小作改善事業概要』(台中州、昭和12年置1937>3月)7∼10頁「七、二業 施設種類別件数」によると、昭和12年になると総件数524件となり、同9年の5倍強 と件数が増加していたが、件数の多いものから例をあげると、小作人慰安会64件(12.. 2%)、堆肥舎建設61件(11.6%)、農繁期託児所経営36件(6.9%)、農具購 入補助30件(5.7%)、改良豚舎建;設補助27件(5.2%)、小作米品評会27件 (5.2%)、農業資金融通27件(5.2%)、農事視察補助22件(4.2%)、業佃懇 談会20件(3.8%)等であった。このような状況は全島的な統計とほぼ同じであった (24)o.  二二施設の実施主体は地主であるが、それは個人によるものと共同によるものに分かれ ていた。個人によるものとは例えば、台湾同化会の結成、台湾議会設置運動など民族運動 で著名な林献堂(霧雲庄霧峰、大安会社社長)などがあげられている(25)。それによると、. 関係小作地は378甲、小作人数160人で、愛佃施設としては①堆肥舎建設奨励及品評 会(1棟に付き5円補助)、②改良苗代奨励(年2回品評会開催)、③採種田経営(二人 に無償配布)、④農事実行小組合経営、⑤優良小作人表彰(年1回実施)、⑥改良農具購 入補助(深耕翠1台に付き5円補助)、⑦愛国農園経営(愛国髭麻円〈園?〉地主より無 償提供)、⑧共同耕作園経営(地主より土地無償提供)、⑨先進地方農事視察補助(遠人 1名に付き1円補助)、⑩国語講習所経営(訴人家族不詳者に付き実施、経費地主負担)、 ⑪共同集会所経営(経営一切地主負担)、⑫共同水路設置経営であった(26)。  林献堂の愛佃施設の状況は他の地主とほぼ同じ一般的傾向をもつだけでなく、よりきめ 細かな内容の施設であることがわかる。特に①②③⑥を見ると、大正末期よりの蓬莱米栽 培普及政策と関連をもっていることがわかる。『産米ノ改良増殖』(台湾総督府殖産局、. 昭和5年〈1930>11月)18頁、「(ロ)深耕並二施肥」には、「在來米二比シ肥 料ノ効果顯著ナリ、即チ在來米ハ土地品薄ナル場合二於テモ、相當ノ収量ヲ學ゲ得ト錐モ、 蓬莱米晶晶クノ如キ土地二於テハ生育甚ダ不良ニシテ収量前者二及バズ、之二反シ肥沃ナ ル土地二於テハ、温気米ハ却ッテ董桿ノ徒長ヲ來スモ、蓬莱米ハ生育極メテ良好ニシテ、. 一29一.

(12) 収量亦大ナリ」と言われ、蓬莱米栽培には深耕翠の使用、施肥加増が必要であり、林献堂 は愛佃施設の中でその点を重視したものと考えられる。そして、①⑤から小作人に優秀な 蓬莱米などの作物生産の競争を行わせていた。  愛佃施設の実施主体が共同のものは彰化郡秀水母愛佃共目明(地主一隅潤、外26名)、. 大和拓殖株式会社(社長魁偉甫)など4例あげられている。その施設内容の基本は個人の 場合と同じであるが、株式会社や数人の地主が共同する形態の特徴から託児所、保育園を もっているものが多い(27)。.  以上から、平町施設とは地主による小作人愛護の施設であるが、本質は小作人に蓬莱米 ・甘薦生産を奨励・推進するための施策であったことが明きらかであろう。 (4)小作慣行改善映画  小作慣行改善事業において、各地で事業を推進するために小作慣行改善映画が上映され 台湾農民に見せられてきた。当時の映画フィルムの所在は定かでないが、そのシナリオの. 一部が台湾農友会『小作慣行改善映画説明集』(昭和4年〈1929>8月、本島小作問 題研究資料第4輯)に載っている。同書には、興農婦和会に関するものとして「黎明の村」 という作品が収録されている。同書凡例によると、「〈黎明の村〉は墓中州に於て、昭和. 4年(1929)一月小作慣行改善事業開始以來使用しつ》あるものにして、同罪員林郡 興農侶和幣主事高橋直志氏の作なり」と書かれている。以下、その概要を紹介しよう。  主題は台中州員靖国興農侶和会の小作改善事業についてであり、主な登場人物は「開明」 地主の票 正・票勇父子、小作人陳路・聞事父娘、「不平」地主の張 頭(製糖会社の原料委員)、 「不平」小作人張慧・張呆兄弟、庄長、山本技師であった。.  話のあらすじを追うと、ある日、員林郡中和庄で「業佃問題識三会」が開かれ、山本技. 師が「農村の繁栄」という演題で講演するこになった。村民40∼50名が集まり、その 中に浅才・票勇父子、小作人陳路・阿美父娘もいた。講演の内容は小作慣行を改善し、興 農侶和会を設立し、農業技術の改善、耕地面積の拡大等を地主・小作人協調のもとで行な おうという提案と、「闘争」(小作争議)は農業、農村を根本的に破壊するものであるか ら、止めようというものであった。講演の結論として、次のような言葉で締め括られた。.   地主、小作者の恒久的な共存共榮、所謂興農侶和!此の標語こそ今日諸君農業者の生   命と爲す帯きものである。  講演会後、村で期せずして二つの会合が開かれた。一つは「不平」地主の張 頭等の会 合で、山本技師の講演でいう業佃事業は地主にとって不利益である。何故なら地主にとっ. ては小作人との契約を従来の口頭契約でなくて、書式契約にし、最低6ヵ年の耕作権を保 証すると、「怠け小作人共は…・小作料を滞納する。」「収穫が増しても六箇年間小作料 の引上げが出来ない、自分の土地を自由に出来ない。」というものである。  もう一つの会合は「不平」小作人張憩の弟地平等の会合であった。書式契約にすると、 「欲張り地主共が一寸でも小作料を滞納すると土地の引上げと判る。最後には之を楯に法 律沙汰と來らあ、こんな見透いた悪計にはか》る奴があるか」という。そして、最後に彼. 一3Q一.

(13) (張呆)は△△組合の「食ふてあまったら」主義を力説するのであった。 以上のように説明を加える。この△△組合とは台湾共産党が指導する農民組合を指してい. ることは言うまでもなく、張呆は農民組合の会員としてキャスティングされているのであ った。.  翌日、「開明」地主藥正の家では息子の票勇と話し合いがなされ、息子の票勇が今後、 父にかわって小作地をすべて管理し、小作慣行改善=業佃協調事業を行なうことを決めた。  此段はまず土地の整理簿を作り、「二手頭家」(地主一小作人間に介在する中間管理人) 制度を廃止し、所有地の小作料の適否を調査した。そして、後日、小作人懇親会を開いた のである。察勇は山本技師の講演の主旨を受け継ぎ、小作人達に書式契約を行うこと、期 間は六箇年とすること、小作料は従前のままにすると述べた。大半の小作人は漸く、耕作 権が確立されたと喜んだが、「不平」小作人の張慧等は「俺達は嫌だ、艘の好い理窟で隔 されるものか、前の通りで澤山だ、書式契約が何か、言登縁呼ばはりの材料にされてたまる ものか」と反対した。会場内にいた市長や派出所の巡査が懇々と諭しても無駄であった。.  懇親会後、察勇は小作人から寄せられる相談ごとや悩みを一つ一つ解決してやった。小 作人からの相談ごととは、例えば、旱賊で非常な減収の温め農業資金に困る事や、施肥期 であるが肥料を購入できない事や、納税期でも税金を納められない事などであったが、察 勇は「開明」地主よろしく、お金を立て替えてやるなどして解決していった。  一方、小作人陳路は老病によって貧しく、「強欲」「不平」地主張 頭からの借金があ り、元利あわせて三百圓になっていた。今日も張 頭が陳路の家に来て、金が返せないの なら娘の阿美を借金の抵当として連れ去ろうとして、もめていた。陳路の家を通りかかっ た票勇は借金を肩代わりして返済してやって、阿美が連れ去られることをくいとめた。そ して病弱の越路に医者を付けてやって治療をうけさせるのであった。一方、阿美を手に入 れたいという下心があった張 頭は票勇によって邪魔されたために、察勇に復讐を考える のであった。.  ある日、票勇は新聞の記事に内地古米(蓬莱米)の栽培が台中州農事試験場で成功した 記事が目に入った。さっそく農事試験場に赴いて、内地種米の栽培方法を教わり、種籾の 分譲も受けた。帰途を急ぐ途中、張 頭から金をもらった張慧等によって暴行を受け大怪 我をおってしまった。  自分の事が原因で傷を負わせてしまったと思った阿美は献身的に票勇を看病した。やが て、二入の問には恋が芽生えていく。票勇の傷がほぼ癒えてきたころ、派出所から察勇を 殴打した犯人張慧等が捕らえられたという知らせがとどいた。票勇は急いで派出所に赴い た。そこで、票勇は自分の傷は自転車から落ちてできものであって、張慧等とは何の関係 もないと言ったので、張慧等は放免された。張工等は票勇の恩に感じてこれまでの不明を 詫びた。.  その後は票勇の努力によって、田には蓬莱米が、畑には芭蕉(バナナ)が、山には鳳梨 (パイナップル)や李(すもも)が植えられた。村には信用組合、農業倉庫が設立され、 派出所、学校が新築されていった。. 一31一.

(14)  ある日、張 頭が磧地金欲しさに小作人の耕地を大正製糖会社(28)の農場に貸すことに なったために、小作人達が徒党を組んで会社の事務所(原料駐在所)を取り囲んだ。察勇. が駆け付け、会社と談判し、小作地の農場への貸与の取り消し、張 頭の原料委員解雇と なった。学校では張 頭の子は他の子等によって「悪魔が来た!!鬼が来た!!」と言われて いじめられた。そこで、張 頭は漸く自分の不明を反省して、察勇に謝罪した。最後に、. 察勇と阿美は張 頭の媒酌によって結婚することになり、この話はめでたし、めでたしで 終わる。.  この「黎明の村」で何を農民に訴えたかったかということについて検討してみると、興 農曽和会を中心とする地主一小作人の融和・協調、書式契約、6年満期契約推進による小 作慣行改善、蓬莱米の導入による農業生産向上である。また、野曝侶和酔興が非常に恐れ ていたのは、農民組合による小作争議、その矛先が製糖会社に及ぶことであった。このよ うなストーリーを着色するにあたって、善玉の察勇・阿美の恋愛物語りと、悪玉張 頭と のやりとりを入れて、感情をもりあげていったものであろう。台中州員林郡の農民にどれ だけ浸透したかについては、定かではないが(2g)、勧善懲悪的思想、因果応報思想、恋愛 物語りをかみあわせた情感に訴えた作品で、小作慣行改善・業佃協調事業の促進に一定貢 献したものと言えよう。  おわりに.  昭和4∼8年(1929∼33)に台中州において設置された興農侶和会は全島的に行 われていた小作慣行改善事業(別名業佃会事業)の一環であった。台中は島内でも水田両 三作の占める割合が高く、また小作の比率も大きかった。この地の小作慣行を破壊したの. は1900年代初期の明治、帝国製糖会社の創立による水田の甘簾化、大正7・8年(1 918・9)前後の日本内地の米不足から起こった台湾米の供出による米価高騰、及び蓬 莱米の導入が契機となり、いわゆる「米糖の相剋」現象がおこり(3ω、小作料の高騰、小 作権の不安定化、小作争議を来たした。総督府の政策は基本的には製糖会社の利益を守り、. また日本内地の米穀需給を安定するための安全弁として台中州の蓬莱米生産を発展させる ものであったが、一方、書式契約、最短6力年契約の推進により小作農民の小作権を一定 保証し、また愛佃施設による撫価i、小作慣行改善映画等の宣伝活動等により小作争議を未 然に防ごうとする政策でもあった。  川野氏が指摘するように「米糖の相剋」という米と砂糖の需給構造の内部矛盾、即ち製 糖会社と日本内地の米需要の対立・相関構造が特に、台車では顕著に現れており、手署侶 和会はこのような矛盾の緩和及び合理的な米糖生産発展のための推進母体であったと言え よう。. 註. (1)拙稿「日本植民地時代台湾における小作慣行改善事業について」(『兵庫教育大学.   研究紀要』第14巻第2分冊、1995年2月刊行予定)。. 一32一.

(15) (2)宮川次郎『台湾の農民運動』(拓殖通信社、1927年)。茂野信一「台湾に於け  る小作慣行事業」(『台湾時報』168号、1933年)。川野重任『台湾米穀経i済.  論』(有斐閣、1941年)。 (3)註(1)に同じ。. (4)『台湾糖業概観』(台湾総督府殖産局特産課、昭和2年〈1927>5月)、註  (2)前掲川野重任著書。 (5)『台湾省通誌』(台湾省文献委員会、1972年)巻4経済志、物価編より以下の  玄米価格表を作成した。. 武例一一盗継. 儲絢.       き集糸. 2ρ翼 ’8元 4‘1し. 1膿 1こ気一. 8帳 ε髭. 6π.        八        ハ. ノ\ノ. へ.   ’ ド\ノ.  、..        ’ 、. ●.  噺ノ◎\.        ロ    ロロリボ.       !. 、ボ・’. 八/\ノ. Ψ. や翼. 2翼. 贈嗣梱皿鵬串にs購弱∫ρ∫”蛎訂7健) 程電的  08   ε‘  1辱  馨「∼  3の  亀9  26  2調r  3』監. 詮 38 奪f韓. (6)註(4)前掲『台湾糖業概観』204∼8頁。. (7)註(6)と同書160∼64頁。 (8)註(1)に同じ。 (9)前掲、宮川次郎『台湾の農民運動』。. (10)『興農侶和会成立経過立立其事業報告』(昭和5年〈1930>6月、台中州)「一  興業侶和會ノ主旨立立沿革(北斗、豊原、大甲、大屯四郡ノ興農侶和會獲會式二於ケル.  知事訓示)」。 (11)註(10)と同書5頁、「郡興農侶和會獲會式學行年月日」。. (12)『鳥偏州二於ケル地主ノ愛鳥施設』(台中州、昭和9年〈1934>3月)1頁。 (13)註(12)に同じ。. (14)『小作改善事業概要』(台中州、昭和12年〈1937>3月)2、4頁。 (15)『小作事業並農事団体事業成績概況(昭和13・14年度)』(台中州、昭和15. 一33一.

(16)  年〈1940>7月)11・22頁。 (16)註(10)と同書5∼8頁、「郡興農侶和會襲會式學行年月日」、「興農侶和會街庄  支部三三二二行年月日」。 (17)註(15)と同書1∼5頁「1 三農二三二二街庄支部調」。 (18)興特認和会の他活動には農事調査があるが(『小作事業並農事団体事業成績概況.   (昭和13・ユ4年度)』)、紙数の関係から省略する。また、『農事実行小団体ノ.  現況ト指導奨励計画』(台湾総督府殖産局、昭和13年〈1938>3月)67頁に  よると、雲影下和会の下には部落ごとに農事実行小団体があり、「農事及農業経営ノ  改善立立二小作慣行改善、農家経済ノ向上充実、農村社会改善ノ実現」のための諸事業  が行われた。農事実行小団体の状況については別稿で検討したい。 (19)官斗については『台湾に於ける小作慣行 其の三  (台中州管内)』 (台湾総督府.  殖産局、昭和10年〈1935>)40∼42頁によると、「二二一石を官斗の五斗」   (台中市等)、あるいは「雲斗の六斗」(豊原郡等)、あるいは「官斗の六甲二升五.  合」(大甲郡)などとされ、また「門馬」一石は100∼110斤とされていた。 (20)前掲『興農堅雪会二二ル農事紛争調停事例』。 (21)『本島二於ケル地主ノ愛:佃施設状況』(本島小作問題研究資料第9輯、台湾二二会、.  昭和8年〈1933>8月)凡例。尚、台湾農友会とは (22)註(12)と同書1頁の記載より筆者が算出。. (23)註(21)と同書1∼2頁及び註(1)拙稿を参照されたい。 (24)註(£1)と同書2∼4頁「(2)愛野施設事項別」。. (25)許内野『日本統治下の台湾』(東京大学出版会、1972年)、若林正丈「大正デ  モクラシーと台湾議会設置請願運動」(春山明哲・若林正丈『日本植民地主義の政治.  的展開 1895−1934年一その統治体制と台湾の民族運動一』アジア政経学  会、1980年)等を参照されたい。 (26)註(15)と同書25∼33頁「十四 愛佃施設調(個人)(昭和14年末)」。 (27)註(15)と同書34頁「愛佃施設調(共同)(昭和14年度)」。 (28)「大正製糖会社」とは台中州にある「明治製糖会社」か「帝国製糖会社」指すもの.  と考えられる(『台湾二業概観』台湾総督府、昭和2年〈1927>5月、160.  ∼166、204∼210頁)。 (29)山辺健太郎編『現代史資料(21) 台湾 (1)』(みすず書房、1971年)   「農民運動」には農民組合側の史料を載せている。それによると「近来又活動写真隊.  を以て出でて大いに吹き立て農民を騙して活動写真を観せしむ。一度会場に入れば再  び会場外に出つるを得ず。走狗等は洩さず写真隊は黒暗地獄に変じて調印を強制して  其の朔旦会に加入せしむ。兄弟等よ、業陰型が若し果して真に農民の為に利益を謀る.  機関ならば何ぞ斯くの如きを須ひんや」(同書349頁)と言われている。 (30)註(2)前掲川野重任著書。. 一34一.

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