− 18 − − 19 − “I am the last Armenian.” 「私がシンガポール最後 のアルメニア人です」。初老の女性が車椅子で玄関口 に現れ、その第一声であった。
シンガポールのアルメニア人関係者に会うため、私 は滞在中の1週間、国立図書館と国立公文書館での資 料複写の合間を縫って、何度となくアルメニア教会を 訪ねた。だが、そのたびに使用人のマレー系女性から 「主人は昼寝中」「不在」と断わられ続けた。名刺を通 して訪問の主旨を伝え、よければホテルに連絡してほ しいと依頼した。ホテルからも数回電話を入れたが、 応答はなかった。帰国便の時間が迫り、ほとんどあき らめかけていた。最後のチャンスと決めて訪れた9月 9日ついに会うことができた。名前はすでに知人から 聞いていたが、シンガポールが昭南市と呼ばれていた 時期の生まれとは知らなかった。
極小コミュニティの人々 受け取った名刺の肩書きは、 President & Trustee, Armenian Association of Singapore。本人が「最後のアルメニア人」かどうか は確かでない。1823年にわずか16人が定住を始めたシ ンガポールのアルメニア人は、1921年・41年の100人 をピークに、2002年には30人にまで減少している。協 会の活動は停止しており、ここには名目上のオフィス があるだけとのことであった。だが極小コミュニティ ではあるがアルメニア人移民とシンガポールとの縁は 思いのほか深いのである。
シンガポール国花、Vanda Miss Joaquim 1893年、 シンガポールのタンジュン・パガ地区の庭園で、新種 のヴァンダ属ランが見つけられた。このランは、1899 年のフラワーショーで最高の品種として絶賛を浴び、 20世紀に入ってマラヤ、オランダ領インドネシア、ハ ワイ、フィリピンへと広まり、シンガポール原産の名 品種として定評を得た。
交配に成功したのはアグネス=ホアキウム Agnes
Joaquim。シンガポール生まれのアルメニア人女性で、 1820年代に定住した祖父 Isaiah Zechariah から数え て3代目である。彼女の名にちなんで新種ランはヴァ ンダ・ミス・ホアキウム Vanda Miss Joaquim と命 名され、その3か月後当人はがんで世を去った。 1981年4月、Agnes Joaquim は再生する。Vanda Miss Joaquim が正式にシンガポールの国花として公 認されたのである。このランについては、これまでに 「アグネスによる人工交配説」か「自然交配=アグネ ス発見説」かの論争があり、国花選考の過程でもこの ランが国花にふさわしいかといった批判も出ている (Respected Citizens, The History of Armenians in
Singapore and Malaysia ., by Nadia H. Wright, AMASSIA Publishing, 2003)。今日では、国花がアル メニア人女性の名前であることを知る人こそ少ないが、 シンガポール国民の象徴として愛着を持つ人が多いこ とは事実である。
記録の中のアルメニア・コミュニティ シンガポール 国立公文書館には「シンガポールのコミュニティ」と 題した貴重な資料が所蔵されている。この国を構成す る民族─華人、インド人、アルメニア人、ユーラシア(欧 米)人、ユダヤ人、プラナカン、ヴェトナム人など─ご とに、シンガポール在住の人々から行った聞き取りの 記録である。アルメニア人関係の記録は26時間に及ぶ 肉声のテープと500頁余の文字資料である。聞き取り の対象者は1908年、1912年、1928年生まれの男性3名 で、1人はシンガポール、2人はイラン生まれである。 聞き取りの記録から、生地も年代も経歴も異なる3 人のアルメニア人に共通の事実が浮かび上がってくる。 それは、故国アルメニアでの民族悲劇の記憶である。 古来、大国からの迫害を繰り返し受けてきたアルメニ アは、近代になってもオスマン帝国による1894∼96年、 1915年の大虐殺を受けた。民族抹殺と離散は直接的な 体験だけではなく、おそらくは繰り返し家族によって 言い伝えられてきたであろう伝承体験でもある。それ が彼らの口から繰り返し語りだされる。また、彼らは 10代から東南アジアの各地(ラングーンやジャワ島の 各港市)へ単身移住した。それは貿易実務や会計見習 いのためであった。またある者は教育を受けるために、 カルカッタのアルメニア人経営による無料の寄宿制学 校へ、そしてさらに英国の大学へとわたっている。離 散した小コミュニティとコミュニティを離れて広域の 移住を行ってきた個人を支えたものは何か。彼らが居 留・定留したマドラス、カルカッタ、チンスラー、ダ ッカ、ラングーン、ペナン、シンガポール、ジャカル タ…。これらの地には大小のアルメニア教会が建設さ れていることからうかがえよう。
南海寄帰内聞伝
ベンガル湾のアルメニア商人たち
その2−シンガポール“最後のアルメニア人”
追手門学院大学教授