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icho30 最近の更新履歴 和光学園アーカイブス

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Academic year: 2018

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(1)

1.11

体育館使いはじめの会

∼子どもたちによるテープカットで∼

体育館棟の足場とフェンスがはずされ、体育館の全体像が 現れました。内装工事もほぼ終わり、役所の検査を冬休みに 受けて、1月10日に学園への引渡しが行われることになり ました。3学期の始業式である1月11日から体育館の使用 が始まります。そこで、この日幼稚園と合同で「体育館使い はじめの会」を行うことになりました。校長先生や体育館を 作った人の話、児童会によるテープカットなどで、使い始め ることになります。

新体育館・プール・子どもの森充実寄付に

ご協力をお願いします

∼一口5000円から、事務室で受付∼

前号でもお願いしましたように、この体育館棟の諸設備(照 明・音響・張り出し舞台・山台・暗幕・子どもの森の整備等) には新たな財源が必要となります。そこで現在事務室窓口に て「体育館・プール棟教育環境設備充実寄付」の募集を行っ ています。3学期は、劇の会、うたの会、そして卒業式など 大事な行事が新しい体育館で行われます。ぜひご協力を引き 続きお願いします。

子どもの学習費調査第二回提出

文部科学省から依頼のあった「子どもの学習費調査」は、 第二回目の提出(7月∼11月分)の時期に来ました。ご協 力をお願いしているご家庭は、20日までにお願いします。

引越し作業も1月11日

∼ご協力をお願いします∼

1月11日の「使いはじめの会」の後、外部倉庫に預けて ある体育館物資の「引越し作業」を行います。時間は10時

∼12時です。別途お願いの文書を配布しますので、ぜひ多 くの方の参加をお待ちしています。

「子どもの森植樹の会」は1月16日

体育館完成と共に「子どもの森」作りが始まります。幼小 子どもの森委員会では、森と共に、小山と芝生の広場、とり でなどの遊具のレイアウトを考えています。またそれを元に

「食べられる実のなる木」「どんぐりのなる木」「虫が飛んで くる木」「木登りのできる木」などの苗木を発注しました。こ の木を子ども父母のみなさんと共に植えたいと思います。休 みの日なので、ぜひご家族で参加してください。

日時 1月16日(日)10時∼12時

和光中学校主催

野球・サッカー・バレーボール教室

※ 保険に加入する関係で(無料)事前申し込みです。10日ま でに担任まで申し込みください。

和光鶴川小学校太鼓サークル

鶴っ鼓座の発表会があります

∼荒馬やはねこも踊ります∼

和光鶴川小学校親和会太鼓サークル 鶴っ鼓座 が定期の 発表会を行います。プログラムに「今別荒馬」「寺崎はねこ踊 り」を踊ろうコーナーもありますので、ぜひご参加ください。

後期の児童会、図書委員会、保健委員会などの紹介がありました

和光小学校

学校通信

2010年度

2 0 1 0 年1 2 月6 日 NO.3 0

第二次外部入試があり ま し た。

http://www.wako.ed.jp/

(2)

銀杏

のなる木を見上げて

第33話

今この灯を受け継ぐものが

∼カメラマン、黒木 啓さんを悼んで∼

みなさんの中にはご存知ない方も多いと思いますが、和光 中学校の卒業アルバムを担当し、以前は和光小学校の卒業ア ルバムも担当してくれたカメラマンの黒木啓さんが12月1 日朝、お亡くなりになりました。黒木さんは民族歌舞団「わ らび座」の座員、普及部員から、その後フリーとなり、日本 リアリズム写真家集団に属しながら、民族舞踊と教育、そし て様々な民主的な活動を写真を通して紹介してきました。黒 木さんは月刊「わらび」編集部員時代に写真集「青春を見つ けに行く旅−わらび座修学旅行」(1985年、高文研)を出 版され、そこで和光中学校の学習旅行も紹介しています。私 が黒木さんに出会ったのは、岩手県にある衣川小学校大森分 校への「みかぐら」の現地取材の時(1983年頃)だった と思います。黒木さんは、大森分校主任の菅原恭正(スガワ ラヤスマサとみんなは表記します)先生の教育実践に惹かれ て、私たちと共に通い続けます。分校の子どもたちが和光小 学校に来たときも、ずっとはりついて写真を撮ってくれまし た。その後、和光小学校が卒業アルバムを依頼していた会社 に所属した関係で、数年間和光小の卒業アルバムを担当する ようになりました。黒木さんの写真は、子どもの生き生きし た表情と内面をよく表現していて、素敵なものでした。

体育館で大森分校の子どもたちの詩の朗誦を聞く

(写真 黒木 啓さん、1985年2月 和光小体育館にて、当時)

また黒木さんは、農民運動や生協運動にも深く関わりその 機関紙の写真も担当し、文化・芸術・教育・産業と幅広い分 野で民衆の運動の現実を、写真を通して紹介することをライ

フワークとしてきました。スガワラヤスマサ先生は1987 年に大森分校主任を最後に定年退職し、分校での実践をまと めた「天とぶ鳥が羽をのすよに∼鼓・舞・詩にいどむ子ども たち」(あゆみ出版)を出版しましたが、その中の写真はすべ て黒木さんのものです。ヤスマサ先生はその後も、黒木さん を親友として慕い、長く交流を続けてきました。

(この経過は「菅原恭正ブログ」に詳しく書かれています。 http://blog.livedoor.jp/yasumasasugawara/

ヤスマサ先生にとっては、平野先生に続いて黒木さんとい う大切な仲間を失ったことになりました。黒木さんは和光中 学の撮影のついでに、よく鶴川小学校に寄って、子どもたち の写真を撮り、無償でその作品を提供してくれていました。 私にとっても、和光大好き、子ども大好き、そして民舞大好 きな黒木さんの死はとても残念な思いなのです。

スガワラヤスマサ先生著「天とぶ鳥が羽をのすよに」の出版祝う会で

(写真 黒木 啓さん、右端は平野先生、左後方で手をあげているのは私、1990年)

『大森分校の灯よ』 1997年8月 黒木 啓 大森分校 そこで私ははじめて本当の学校を知った

大森分校 そこはひとの慈しみに満ちていた 学校の全てが 人間のやさしさを謳っていた

分校の子どもらの瞳の なんと爽やかに輝いていたことか 彼らひとりひとりの輪郭が なんと鮮立っていたことか 朝のはじめの詩の朗唱は 彼らの清らかな魂に

真実の人生の眼を育んでいた

みかぐらの躍動は ふるさとのぶ厚い誇りを呼んで 舞は終わらなかった

分校の教師と村びとが紡ぐ 根太い絆の輪の中で 子どもらはみんな主役だった

大森の山ふところに抱かれた小さな赤屋根の劇場で

この主役らと名演出陣とが創るドラマ「民主教育」にみる人は みな深いよろこびと確かな希望を胸に山を下った

そこは北方の教育の砦でもあった

砦が放つ明るい灯の光は 砦の守り手たちが

自らの胸うちをえぐりだし 燃やしつづけてきたたいまつだ いよいよ深まる教育の闇の中に 今この灯を受け継ぐものが ほら 北にも南にもみえる みえる

参照

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