− 18 − − 19 − ベンガル湾港市のアルメニアン居住地 黒海とカスピ 海の間に位置する小国のアルメニアが、インドや東南 アジア各地の海港都市(港市)の、しかも路地裏に「ア ルメニア・ストリート」として名を残しているのはな ぜだろうか。それが私の関心の始まりであった。アル メニア人の商業活動とその文化遺産をたずねて、2001 年から数度にわたってマラッカ海峡と南インド沿岸を 往来してきた。インドのマドラス(現チェンナイ)、 カルカッタ(現コルカタ)、その北郊のチンスラーと シャンデルナゴル、バングラデシュのダッカ(ダカ)、 ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)、マレ ー半島のペナン、マラッカ、シンガポール…。研究調 査の対象地は、さらに横浜、神戸、上海、香港などの 東アジア各地に及んでいる。調査の手がかりは、定住 地のアルメニア教会跡、「Armenian Street」の地名、 アルメニア人が創業・経営したホテル、アルメニア人 墓地・墓碑銘である。痕跡の断片をつなぎ合わせると、 近現代アジアにおける民族移動・民族離散(ディアス ポーラ)のライブヒストリー(今もなお持続している歴 史状況)とアジア近代ホテルの一エポック、そして、小 民族によるアジア商業史の特徴が浮かび上がってくる。 ホテル経営とアルメニア商人 ベンガル湾沿いの港市 をたどってゆくと思わぬことが分かる。各地に定住し 始めた当初から、アルメニア人はホテルの創業や経営 に積極的だったことである。カルカッタのグランドホ テル(現在のオベロイ・グランドホテルの前身)、ヤ ンゴンのストランド、ペナンのクラッグ(その後サナ トリウム、寄宿制学校に転身し、現在はペナン州政府 の保管下にある)とE&O(Eastern&Oriental)、シ ンガポールのラッフルズやグランド(転売)、それに 東アジアでは神戸のグランド(廃業)など大小さまざ まなホテルである(マドラスには今のところホテルの 所在が確かめられず、また、シンガポールでは転売な
どでホテル名が変わったり、所有がはっきりしないも のもある)。ホテルはいずれも19世紀末から20世紀初 頭までの半世紀間に建てられており、シンガポールや 神戸のグランドホテルのように転売されたり廃業した ものもある。しかし、なかにはオベロイ・グランド、 ストランド、E&O、ラッフルズなどのホテルのよう に名門「コロニアルスタイル」ホテルとして現在も名 を博しているものもある。経営者は、E&O、ラッフ ルズ、ストランド、クラッグを別にすれば、同じ家族 や一族の経営によるのではない。なぜかは分からない が、ホテル名に「グランド」が多いのである(ちなみ に、ストランドとは「船が乗り上げる」「綱を寄り合 わせる」という意味を持つ)。
アジア近代とアルメニア人経営のホテル 『ホテルと 日本近代』(富田昭次著、青弓社、2003年5月刊)は、 ホテルの経営を通じて日本近代史を概説している。近 代国家のひとつの象徴がホテルの建築様式とサーヴィ スの洋風化であったことがうかがわれる。その先端が 当時の居留地であり、明治初期から中期にかけて神戸・ 横浜の居留地にはモダンなホテルが次々と建てられた (「第1章 居留地文化の華」)。
実は、このことは文明開化期日本だけの特徴ではな く、東南アジアや南アジアにも当てはまる。周知のよ うに、ボンベイ(ムンバイ)の玄関先に威容を誇るタ ージマハルホテルは、インド財閥の総帥となったジャ ムセトジー・タータが英国などの西欧文化に対抗して、 インドで建設した洋式ホテルの第1号であり、最高の ホテルであった。E&Oやストランド、ラッフルズの ホテルも豪華客船による世界周遊の欧米人客(visitors と呼ばれ、touristsということばは1900年代初めには まだ定着していなかった)やラドヤード=キップリン グ、サマセット=モームなどの有名文人、それにマラ ヤのゴム農園主やタイ王族、ロシア皇族などの常宿客 (residentと呼ばれた)を顧客とした。「スエズ以東 のアジア最大の社交場」、それがホテルのうたい文句 で あ っ た(Rafles Hotel by Gretchen Liu, Landmark Books,1999)。インドや日本のホテルと違うのは、こ こではアルメニア人が経営の主であったことだ。とく に、上記の3つのホテルを創建したのは、アルメニア 人のサルキース4兄弟ティグラン、マーティン、アヴ ィエト、アルシャクである。蒸気船による新たな世界 航路、フォードの自動車とダンロップ社のゴムタイヤ、 その需要を満たしたマラヤのゴムプランテーション、 国際港市における洋風サロン文化の風潮…20世紀のこ うしたブームにうまく乗り、彼らは「アジアのホテル 王」の栄誉を獲得したが、やがて世界大恐慌の到来に よってホテル業からの撤退を余儀なくされた。
南海寄帰内聞伝
ベンガル湾のアルメニア商人たち
その1−アジア近代のホテル経営者
追手門学院大学教授