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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2008年 10月号

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Academic year: 2018

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1.はじめに

 18世紀の末から19世紀のはじめにかけて大西洋 の両岸は革命の波に洗われ、壮大なドラマが展開 された。今回は、ドラマの舞台となった激流のフ ランス革命史に節目をつける目的で、ルイ16世、 ロベスピエール、ナポレオンを取り上げてみた。

2.ルイ16世(1754〜1793、位1774〜1792)

 1765年に父の死によってフランス王太子とな り、長年敵対してきたブルボン家とハプスブルク 家の間の和議を結ぶため、オーストリアのマリア= テレジアの末娘であるマリ=アントワネットと結 婚した。結婚後しばらくしてから二男二女をもう けたが、男の子は二人とも革命期に病死した。  1774年にフランス国王となったルイ16世は、直 後から慢性的な財政難を解決するために開明官僚 テュルゴーや銀行家ネッケルら有能な人材を財務 総監に起用し、積極的に財政赤字の削減に取り組 んだ。しかし、宮廷費削減に不満を持っていた妻 をはじめ、特権身分への課税問題をめぐって保守 派貴族・聖職者の強い抵抗にあうと、持ち前の優 柔不断さが顔をのぞかせて改革は失敗に終わっ た。結局、王や自らが貴族である側近たちは話し 合い以外の手段をとろうとはせず、三部会を開催 することになった。

この後も王は優柔不断さを発揮していくことに なる。まず、第三身分が自分たちの会議を国民議 会だと宣言すると、特権(第一・二)身分の代表 に国民議会への合流を指示する一方、民衆寄りの ネッケルを解任し、軍を集結させて第三身分の動 きに対抗しようとした。この動きに対して、パリ 市民がバスティーユ牢獄を襲撃すると、今度は特

権身分を見捨て、軍隊の撤収やネッケルの復職な ど国民議会の要求に不本意ながら応じてしまっ た。しかし、フランスの変革に熱心であったもの の、啓蒙専制的な改革路線レベルに思考が留まっ ていた王は、封建的特権の廃止や人権宣言に裁可 を与えず、再び地方の軍隊をヴェルサイユに呼び 寄せて国民議会の動きを封じ込めようとした。こ のことがパリ市民による「ヴェルサイユ行進」を 招き、王家一家はパリへ移り住むことになった。 パリに移った後も、何度かあった国外脱出のチャ ンスを逃したあげく、ヴァレンヌ逃亡事件を起こ して国民を失望させてしまった。

 このように、ルイ16世は狩猟と錠前づくりが趣 味で、妻にも頭が上がらない無能な王としてよく 描かれるが、実際は優柔不断イコール心優しいが ゆえに革命の波に翻弄されながら、革命を進展さ せる役を演じた悲劇の王であったと見ることもで きよう。

3.ロベスピエール(1758〜1794)

アラス大学卒業後に弁護士になり、30歳で三部 会の第三身分代表として政治の世界に入ったロベ スピエールは、ヴァレンヌ逃亡事件後に成立した 立法議会では、再選が禁止されていたために院外 に留まっていた。ルイ16世処刑後に召集された国 民公会は、1793年憲法を採択するが、平和到来ま で憲法の施行を停止して公会に全権力を集中する 革命体制をとることを宣言した。とくに、ジャコ バン派内の山岳派に属していたロベスピエールも 後にメンバーとなった公安委員会の権限は大きく なった。

 ロベスピエールは、富裕者の財産を制限し、か つ小所有者を増加させ、他方において万人に教育 と仕事または生活補助を保障するような社会づく 人物を使って学習をまとめる授業実践例〈世界史A〉

人物でまとめるフランス革命史

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り を め ざ し た。 し か

し、同時に民衆の革命 的情念がコントロール を失うことの危うさも 知って、民衆運動と連 携しつつこれを統御し ようとした。そのため に は 強 力 な 集 権 的 な

パワーが必要であり、恐怖政治が誕生することに なった。恐怖政治とは「徳と恐怖」を原理に持つ 戦時非常体制であり、徳とは公共の善への献身、 恐怖とはそれに反する者への懲罰をさしている。 また、グレゴリウス暦にかわる革命暦を制定して、 王権と教会の権威が密接不可分であったキリスト 教否定運動を活発化させた。

 しかし、当時の国民公会は鉄の団結を誇ってい たわけではなかった。もともと、山岳派には大同 団結のためにジロンド派残党や中間派議員との妥 協を重視する人々が多く、ロベスピエール派はご く少数に過ぎなかった。しかも山岳派は国民公会 内で半数に達せず、議員の半数は民衆運動を警戒 しながら沈黙して、時節到来を待つ中間消極派 だった。やがて、ロベスピエールは独善的な精神 主義に傾いて孤立を深めたため、同志とともに逮 捕され処刑された。

 潔癖高邁な革命家ロベスピエールの壮絶な人生 は、自殺に失敗して血だらけになった頭をギロチ ン台にさし出して幕を閉じた。その頃の顔を見る と、とても36歳には見えないほど疲れ切っていた ことがわかるが、彼の社会理念であった革命民主 主義は、その後もフランスの社会運動のなかで生 き続け、運動が高揚するたびに彼の名が口にされ た。マルクスも青年時代はパリで彼とジャコバン 独裁の業績を研究している。

4.ナポレオン(1769〜1821、位1804〜1814、1815)

 ロベスピエール派が倒されたテルミドールの反 動後に成立した総裁政府は、毎年実施する選挙の 度に左右に大きく揺れ、不安定な状態になった。 全国の治安・行政は著しく混乱し、役人の給料遅

配・不払いもおきて政府への信頼は低下の一途を たどった。しかも、戦争が依然として続く中、一 部の総裁政府派議員が政局安定を図り、台頭して きた軍部に頼って総裁政府を倒した(ブリュメー ル18日のクーデタ)。 そして、直後に成立した統 領政府において絶大な権限を持つ第一統領にナポ レオンが就任し、革命の終了を宣言した。  ナポレオンは、コルシカ島の旧家の次男に生ま れ、やがてパリの士官学校を卒業した。革命が始 まってもなかなか活躍する場がなく、テルミドー ルの反動のときにはロベスピエールの弟との関係 を疑われ、あわやギロチン台へ、といった危うい 場面にも遭遇した。しか

し、国民公会終了時にパ リで起こった王党派の 蜂起を鎮圧すると、次々 と外征で功績を挙げて、 またたくまに軍部の重 鎮となった。ナポレオン は、戦術と政治のたぐい まれな技術者であるとと もに異常な野心家であっ

た。このことは、彼が身近においた画家や書記が 残した多くの肖像画、戦場の絵画(図②)、名言、 回想録からも読み取れ、一介の軍人が短期間のう ちに皇帝までのぼりつめたのはこうしたメディア 活用術のおかげともいえよう。

 ナポレオン時代といわれる1800年から1815年ま での間に引き起こされた対外戦争は、フランス革 命の理念を全ヨーロッパに広げ、19世紀の多くの 革命とナショナリズム運動に大きな影響を与え た。また、この間にナポレオン法典が制定された が、この法典は、革命期の立法家たちの業績を集 大成した作品でもあった。この作品から、ナポレ オンがジャコバン派の行った土地改革を守って農 民の生活を安定させ、行政・司法・学制の整備に も力を注いだことが見て取れる。彼の残した最大 の業績は、フランス革命を終わらせるとともに、 革命の基本原則に強固な基盤を与えたことにつき ると思われる。

図② ナポレオン 「 最新世界史図説タペスト リー 六訂版 」p.174 図① ロベスピエール

「明解新世界史A 新訂版」p.93

ボナパルト ハンニバル

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【ルイ16世関係】

1756年 5月 ( ① )戦争始まる→1763年パリ講和会議 1774年 8月 テュルゴーの財政改革

1777年 2月 ネッケルの財政改革 1789年 5月 ( ② )を召集

6月 国民議会成立→球戯場(テニスコート)の誓い

7月 14日 ( ③ )牢獄襲撃、大恐怖(農民による貴族の館襲撃頻発) 8月 封建的特権の廃止宣言(封建地代の有償廃止)、人権宣言採択 10月 ( ④ )行進→国王一家をパリへ

1791年 6月 ( ⑤ )逃亡事件→国王一家逃亡失敗 9月 1791憲法制定→立法議会成立(10月)

1792年 3月 ( ⑥ )派内閣成立→対オーストリア宣戦布告(4月)=革命戦争の始まり 8月 テュイルリー宮殿襲撃→国王一家、タンプル塔に幽閉される=王権停止 9月 国民公会成立→共和政(第一共和政)宣言

1793年 1月 ルイ16世処刑→第1回対仏大同盟結成(2月)

【ロベスピエール関係】 

1793年 4月 ( ⑦ )委員会設置→7月にロベスピエール、委員となる

6月 ( ⑧ )派が( ⑥ )派を追放して権力を掌握→( ⑨ )政治の始まり 6月 1793年憲法制定(未施行)

7月 封建的特権の無償廃止(封建地代の無償廃止) 1794年 3〜4月 エベール派とダントン派が粛清される

7月 ( ⑩ )の反動→ロベスピエール派逮捕

【ナポレオン関係】

1795年 8月 1795年憲法制定→総裁政府成立(10月) 1796年 3月 イタリア遠征(〜97)

1798年 5月 エジプト遠征(〜1801)

1799年 11月 ( ⑪ )18日のクーデタ→統領政府が成立し、第一統領に就任(12月)

1804年 3月 ナポレオン( ⑫ )(フランス民法典)制定→皇帝即位(5月)、第一帝政始まる 1806年 11月 大陸封鎖令(ベルリン勅令)

1812年 6月 ロシア遠征→諸国民戦争(〜1813) 1814年 4月 エルバ島に流刑

1815年 3月 エルバ島を脱出→ワーテルローの戦い(6月)→セントヘレナ島に流刑(10月)  ルイ16世治下のフランスで、経済力を蓄えた商工業者や富農層が自由と市民的権利を求めて始まった 革命は、急進化するにつれて社会的混乱を増し、やがてロベスピエールのもとで恐怖政治に陥ったが、 ナポレオンの登場によって混乱はおさめられた。

5.ワークシート

ねらい  3人を通じて、革命の起きた原因、進展、 終結の流れをたどる

解 答 ①七年 ②三部会 ③バスティーユ ④ヴェルサイユ ⑤ヴァレンヌ ⑥ジロンド ⑦公安 ⑧山岳 ⑨恐怖 ⑩テルミドール ⑪ブリュメール ⑫法典

参考文献

・ 五十嵐武士/福井憲彦『世界の歴史21 アメリカとフ ランス革命』(中央公論社 1998)

・ J・M・ロバーツ『図説世界の歴史⑦ 革命の時代』 (創元社 2003)

・ 小井高志編訳『ロベスピエール』(平凡社 1979) ・ 両角良彦『反ナポレオン考』(朝日選書 1991) ・ マルク・ブゥロワゾォ『ロベスピエール』(白水社 

参照

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