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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2005年 10月号

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Academic year: 2018

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− 18 − − 19 − 世界遺産のタージマハル これまでは、ベンガル 湾とマラッカ海峡沿いの海港都市にまつわる「内 聞伝」をもっぱら語ってきた。今回は話題をかえ てインドの内陸都市アーグラの名所、タージマハ ル廟である。

 壮麗な大理石造りの墓廟、その四方に建つミナ レット、中心に水路を配した大庭園、これらを囲 む巨壁…。ムガル帝国の第5代皇帝、シャー =ジャ ハーンが愛妃の死を悼んで建造させたといわれる タージマハル廟は、インドが誇る代表的な世界遺 産である。

 この世界遺産について、近年大きな問題が起 こっている。一つは環境の激変による大理石の劣 化である。とりわけ酸性雨や大気汚染の影響を受 けて、17世紀半ばの建築物が変質しているという。 タージマハルは誰のもの? もう一つは、所有権 をめぐっての係争である。05年7月の報道(7月 15日付、朝日新聞朝刊)では、インド中央政府と イスラーム宗教組織の間で、タージマハル廟の所 有権をめぐる法的な争いが起こっているという。 イスラーム法による寄進不動産を管理・運営する スンニー派のワクフ委員会が、タージマハル廟の 所有権を主張してウッタル・プラデシュ州高裁に 請願したことに端を発する。他方、シーア派のワ クフ委員会も「シーア派の建築家による建造」を 理由に所有権を主張している。因みに、この建築 家とは誰か。神谷武夫氏によれば「デリー城(ラー

ル・キラー)の設計にも参加したウスタド=アフ マド=ラホーリー」だという。この人物がシーア 派であったかどうかは不明である。両委員会の 主張に対して、インド中央政府考古局は、「古代 遺跡保護法によって1920年にインド政府の所有に なった」と反論している。最近、外国人観光客対 象に大幅値上げした入場料金からの莫大な収入も 絡んで、タージマハル廟の所有権をめぐる係争は 深刻化するかもしれない。

タージマハルのホウセンカ、咲く ほとんどの観 光客は、壮麗な白亜のドーム屋根をもつ墓廟に目 を奪われる。しかし、周辺の樹木や花に目を向け る人は少ない。中央の水路に沿って続く参道の東 側、基壇から見て左手、庭園の東端近くに実はホ ウセンカが植わっている。1997年10月、2度目の タージマハル見学の折に、私はホウセンカの種子 20粒ほどを集めてティッシュペーパーに包み、写 真フィルムの空ソケットに入れて持ち帰った。翌 年4月、その10数粒を三重県津市の宿舎の庭に植 えた。庭はかなり広く、しかも日当たりがよかっ たせいか、9月には見事1mばかりに成長した茎 にピンクの花を数輪咲かせた(写真)。ホウセン カは数あれど、タージマハルのホウセンカが日本 の津の庭に根づいた! 少々の感慨とあれこれ想 像がめぐった。

ホウセンカ、だれの爪をそめたやら 一体このホ ウセンカはいつごろ植えられたのだろう。白亜の 大理石、濃緑の芝や高樹、赤砂岩の南門にマッチ させるべくインド考古局が後に植えたのか。いや、 ひょっとしてシャー =ジャハーン帝が建造を命じ た頃には植わっていたのか。ホウセンカはネパー ルでは女性が体に色を染めるのに使うが、花では なく葉をつぶして赤褐色の模様をつける(『ネパー ル・インドの聖なる植物』T.C.マジュプリア著、 西岡直樹訳、八坂書房、1989)。だが、ムガル貴 族の女性たちが、このホウセンカの花をしぼって 爪を染めたかもしれない。実際、韓国や沖縄では、 若い女性が花をしぼってその汁を爪に染め付ける ツマベニの風習があった。沖縄の古歌「てんしゃ ごの花」に唄われる、娘がツマベニにする「てん しゃご」とは、ホウセンカのことである。インド・ 東南アジア原産の草花が、中国を経て鳳仙花とい う優雅な名を与えられ、やがて琉球や韓国を経て 日本の本島にも伝わってきたらしい。

南海寄帰内聞伝

タージマハルのホウセンカ

追手門学院大学教授 重松伸司

参照

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