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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2008年 10月号

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はじめに

 現在の世界でイスラームを理解することが、い かほど重要であるかについては論をまたない。全 国の先生方がそれぞれイスラーム史について研究 と授業実践を重ねておられるなかで、このような 拙い報告を提案するのはためらわれるのである が、「反面教師」的な役割を果たすつもりで、論 を進めていきたい。 

 イスラームそのものの説明から始まり、ムハン マド時代からアッバース朝までは、いわば単線な ので、教えるほうも生徒の側もやりやすい。しか し、各地にイスラーム王朝が分立し始めると、地 理的知識の不足もあり、とたんに生徒はわからな くなるようである。これをいかに理解させるか、 教える側もやりにくい箇所である。一つの試みと して、提示したい。

地方政権の自立

 まず、イスラームのいわば本体部分ともいえる 西アジアを中心とし、北アフリカ〜イベリア半島 にかけての地域を見ていく。

 「最新世界史図説タペストリー 六訂版」p.16 〜 17の8〜9世紀の地図を用い、この時期のイス ラーム王朝としては、アッバース朝とイベリア半 島の後ウマイヤ朝だけであるのを確認する。また、 タラス河畔の戦いにもふれ、アッバース朝と唐帝 国が同時代であること、その領域が接触すること をやはり地図で確認するとともに、ムスリム商人 が多数中国に来航し、長安は国際都市であったこ とを思い出させる。さらには、ついでながら最近 のニュースとからめて吐蕃の隆盛にもふれたい。

 次に、タペストリー p.112を用いて、イスラー ム王朝の分立を説明していく。

 まず9世紀にサーマーン朝、10世紀にブワイフ 朝など中央アジアからイラン・イラクにかけてイ ラン系の王朝が、そして北アフリカにファーティ マ朝が勢力を拡大する様子を、興亡年表で確認す る。とくにブワイフ朝とファーティマ朝について は、シーア派王朝であることを説明して、p.18 〜 タペストリー授業実践例

イスラーム世界の拡大

東京都立三田高等学校教諭

タペストリー p.16 〜 17

イベリア半島 マグリブ エジプト シリア トルコ イラク イラン 中央アジア(トルキスタン) アフガニスタン インド

ウマイヤ朝 都:ダマスクス

アッバース朝 都:バグダード

750 756

789 800

後 ウ マ イ ヤ 朝

ア グ ラ ブ 朝

サ ー マ ー ン 朝

カ ラ

ハ ン 朝

926 909 869 ザンジュの乱(∼83)(南イラク)

969

ハールーン=アッラシードの時代, イスラーム文化最盛期

サッファール朝

875 820

867

都:コルドバ

1031 1056

1096∼99 第1回十字軍 アズハル 学院設立 ムラービト朝

都:マラケシュ 1077 ガーナ王国を 滅ぼす

1130 ムワッヒド朝

1232 1269 サラディン (位1169∼93)

アイユーブ朝

山岳遊牧民 クルド人 1250

都:ブハラ トルコ系

奴隷を 供給 932

シーア派 バグダード占領

大アミールの称号

イクター制

962

ガズナ朝 都:ガズナ マフムード (位998∼1030)

インドに遠征→最盛期

「シャーナーメ」

999 1038

1055 トゥグリル=ベク(位1038∼63)   バグダードへ入城

セルジュ  ーク朝

1071マンジケルトの戦い 1157 1132 1132

1211

系小王朝

1148ころ

ホラズム朝

(フワーリズム)

1231 1215

1186 1206

ゴール朝

1194

ナ ス ル 朝

︵ グ ラ ナ ダ 王 国 ︶

マ リ ー ン 朝

ザ イ ヤ ー ン 朝

ハ フ ス 朝

マムルーク朝

都:カイロ 1299 1258

イル=ハン国

都:タブリーズ フラグ=ハン 1330 オスマン=ベイ 建国

1227ころ

チャガタイ=ハン国

1330ころ東西分裂 10世紀 中ころ ターヒル朝

アラブ系 イラン,アフガン系 トルコ系

ベルベル系 その他

赤字はシーア派の王朝

1038

スルタン制

セルジューク

デリー= スルタン朝

奴隷王朝∼ トゥグルク朝 ( )

イ ド リ ー ス 朝

ファーティマ朝 ファーティマ朝

都:カイロ

イスマーイール派,国教に

イフ朝 ブワ

コルドバの 大モスク (メスキータ)

アブド=アッラ フマーン3世 (位912∼61)

全盛期

『ルバイヤート』

サーマーン朝のマムルークが 建てた王朝

バイバルス (位1260∼77)

ニザーミーヤ学院(ニザ ーム=アルムルク開設)

注)P.115「興亡年表 ②」も同一凡例

カ ラ = キ タ イ 西 遼

せ い

り ょ う

p.110

700-

800-

900-

1000-

1100-

1200-

1300-

イスラーム王朝興亡年表①

(2)

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19に戻る。ここでアッバース朝の領土の縮小、 サーマーン朝をはじめとするイスラーム王朝が分 立した様子を実感させる。

 そのうえで、スンナ派とシーア派の宗派の分裂 や違いについてはすでに学習しているので、ここ ではファーティマ朝が、成立当初からアッバース 朝に非常な対抗心を持っていたこと(初めからカ リフを自称)とともに、現代における両派の対立 についてもふれたい。現在でもムスリムの比率は 9対1と圧倒的にスンナ派が多いこと、少数派で あるシーア派が多数を占める国家がイランとイラ クであり、ことにイラクは、イラク戦争前、フセ イン政権下では抑圧されていたシーア派が、現在 中枢部をおさえ、それによって今度はスンナ派が 不満を募らせていることが、イラクの不安定状況 の一因であることを説明して、現代とのつながり を持たせる(北京オリンピックで、女子陸上に出 場したイラク選手が、スンナ派でありながらシー ア派のコーチについたことが画期的であり、かつ そのために脅しにもあっていると報道されていた ことを付け加えてもよい)。

 ここで、p.19右上の「世界各地域のおもな事件」 の年表を見させ、そのなかの西・中央アジアの欄 の最初に「トルコ人の移住・トルコ系軍事奴隷普 及」の記述に注目させる。

 唐と関わった突厥・ウイグルから説き起こし、 ウイグルが9世紀に崩壊した後、トルコ人が中央 アジアに進出、さらにイスラームを受容したこと を説明する。その後再度、p.112の興亡年表で、

トルコ系イスラーム王朝を見ていく。とくにセル ジューク朝については、スルタンの称号について 説明するとともに、十字軍との関わりについて、 ヨーロッパで学習することを予告して軽くふれて おく。また、先ほどのトルコ系軍事奴隷の記述か ら、遊牧民族の軍事能力の高さ、マムルークにつ いても、p.112冒頭のマムルーク騎士の図を見な がら説明する。そして、この興亡年表の中央、ピ ンクの部分に注目させ、これがアッバース朝であ ることを述べて、p.20 〜 21の地図(11世紀ころ の世界)を見る。興亡年表ではかろうじて残って いたアッバース朝も、結局セルジューク朝の庇護 下に生き延びているに過ぎないことを、この地図 で確認させる。そして、イスラーム圏全体で、こ の時期にいったいいくつの王朝があるのかを数え させる。

 セルジューク朝以外では、ガズナ朝、ゴール朝 にもふれ、イスラーム圏が10世紀にはアフガニス タンにまで拡大していることを述べて、p.20 〜 23の地図で確認させる。

世界各地域のおもな事件

東 ア ジ ア

南 ・ 東 南 ア ジ ア

西 ・ 中 央 ア ジ ア

ヨ ー ロ ッ パ

日本 平 安 時 代

ビ ザ ン ツ 帝 国

ア ッ バ ー ス 朝 地 方 分 立

五代十国 宋(北宋)

907 朱 全 忠 、 唐 を 滅 ぼ す

北 部 ヴ ェ ト ナ ム が 中 国 よ   り 独 立

1009 ヴ ェ ト ナ ム で 李 朝 ︵ 大 越 国 ︶   成 立

946 ブ ワ イ フ 朝 、 バ グ ダ ー   ド 入 城

969 フ ァ ー テ ィ マ 朝 、 カ イ   ロ 建 設 875

サ ー マ ー ン 朝 成 立 875 黄 巣 の 乱 ︵ ∼ 84 ︶ 840 ウ イ グ ル 帝 国 崩 壊

911 ノ ル マ ン デ ィ ー 公 国 成 立 882 キ エ フ 公 国 成 立

962 神 聖 ロ ー マ 帝 国 成 立

989 キ エ フ 公 国 、 ギ リ シ ア   正 教 に 改 宗 968 マ ク デ ブ ル ク 大 司 教   座 設 置 843

ヴ ェ ル ダ ン 条 約 870 メ ル セ ン 条 約

○ マ ジ ャ ー ル 人 の 侵 入 ○ ノ ル マ ン 人 の 侵 入 激 化

9世紀 10 世 紀 11

○ 都 城 ア ン コ ー ル 着 工 ○ イ ン ド 小 国 分 裂 状 態 続 く

○ ト ル コ 系 ム ス リ ム 政 権     の 出 現  

ト ル コ 人 の 移 住 ○ ト ル コ 系 軍 事 奴 隷 普 及

○ 地 方 政 権 つ ぎ つ ぎ と 自     立 ○

960 宋 の 建 国

○ 文 治 的 官 僚 国 家 形 成 936 キ タ イ ︵   契 丹 ︶ に 燕 雲   十 六 州 割 譲

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モンゴルの征服とその後 

 ここではp.112の王朝興亡年表から始める(前 ページ参照)。この興亡年表の最下段のイル=ハン 国、チャガタイ=ハン国を見て、アッバース朝の ピンクがここで途切れていることに注意させる。 1258年イスラームにはまったく縁も関心もなかっ たモンゴル勢力によって、アッバース朝のカリフ が殺されてアッバース朝は滅びたことを説明す る。

 さらに興亡年表でイル=ハン国の隣、マムルー ク朝についてもふれ、マムルークとは何だったか 復習したうえで遡り、北アフリカで、シーア派の ファーティマ朝を倒しスンナ派を復活させたのが アイユーブ朝であること、このアイユーブ朝のマ ムルークが建てた王朝がマムルーク朝であるこ と、マムルーク朝がモンゴル軍を撃退したことを 説明する。

 次に、興亡年表を用いてマムルーク朝から左方 のナスル朝、右方のデリー=スルタン朝に注目さ せる。ナスル朝は、この列がイベリア半島である こと、ナスル朝がイベリア半島最後のイスラーム 王朝であることを述べてから、今度はデリー=ス ルタン朝について、ガズナ・ゴール朝はあくまで アフガニスタンの王朝がインドまで勢力を伸ばし たにすぎないが、デリー=スルタン朝はインド自 前のイスラーム王朝であることを指摘する。  ここでp.28 〜 29の15世紀の世界地図を開かせ る。この地図で今ふれてきたマムルーク朝、ナス

ル朝、デリー=スルタン朝を確認、さらに東南ア ジアも注目させる。そしてマラッカ王国がこの地 域初めてのイスラーム王朝であることを説明した ところで、現在の世界でムスリム人口の最も多い 国はどこか質問する。生徒はたいてい、西アジア の国々(サウジアラビア、イラン、イラクなど) を答えるので、正しくはインドネシアであること、 それ以外にもマレーシアやフィリピン南部等、島 嶼部東南アジアはイスラームが広がっていること を説明する。ただしこれらの王朝については、後 の章で詳しく学ぶので、そのことを述べて、紹介 程度にとどめる。

まとめ

 最後にp.16からp.21まで、再度順に全図を見て いくことで、イスラーム世界の王朝分立の状況と 時代ごとの変化に気づかせる。

 大事なことは、750年から756年まではイスラー ム王朝といえばアッバース朝のみであったもの が、後ウマイヤ朝以降多くの王朝ができていき、 イスラーム世界は一見すると分裂しただけのよう な印象を持ちかねないのであるが、イスラーム政 権の存在する地域は確実に拡大していることに気 づかせることである。

 イスラーム政権・イスラーム国家の拡大とは、 とりもなおさず、ムスリムの増大を意味する。東

南アジアでもふれたように、現代では、“イスラー

ムといえば西アジアや砂漠”ではなく、アジア・ アフリカの広範な地域に広まり、定着しているこ と、さらにキリスト教世界のヨーロッパにおいて さえ、現在移民としてムスリムが増えているこ と、日本も例外ではなく、イスラーム圏から労働 力として来日するムスリムが多く、しかも彼らと 結婚することで、日本人のムスリムも増加してい ることなどを説明し、生徒の注意を喚起したとこ ろで、最後に東京モスク(東京ジャーミー)など、 日本にあるモスクの写真を紹介して締めくくりと する。生徒にとっては、多くの王朝名が出てくる うえに、様々な地域に及ぶので、わかりづらいと ころであるが、タペストリーの地図と王朝の興亡

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年表を用いて説明することで、カバーできるので はないだろうか。

おわりに

 私は、イスラーム世界の授業に入った冒頭で、 イスラームについて学ぶことの意義を語る。イス ラームの存在感が、現在の世界で非常に大きいも のであり、これからの時代を生きる生徒にとって イスラームのもつ重要性がはかりしれないことは もちろんだが、私が伝えたいのはそれだけではな い。

 現在の日本においてイスラームはまだなじみが 少ないといってよい状況だと思われる。そのうえ に偏った報道等によって、多くの日本人は歪んだ、 誤ったイスラーム・イメージを植えつけられてし まっているのではないだろうか。

 しかし、まとめでも述べたように、これからの 日本は、否応なく多民族社会になるだろう。それ はムスリムだけではない。インド人のヒンドゥー 教徒も増えているだろうし、他の様々な宗教(※ 1)や言語や習慣や思考方法を持つ人々が、今以 上に(もしかすると爆発的に)増加することは明 らかだと思われる。そのときに、日本の人々は、 多民族社会・多文化社会を生きられるのだろうか。 日本ではいまだに「国際理解」=「英会話ができ

ること」と捉えられていないだろうか。英会話が できるというだけで、相手についての何の知識も なければ、交渉も話し合いも、共に生きることも 困難であろう(※2)。

 そうならないためには、様々な人々とのコミュ ニケーションが非常に重要になってくる。そして コミュニケーションのためには、前提として相手 を理解すること(異文化理解)、相手の文化を尊 重することが必要である。何も知らず、偏見に満 ちての対応と、相手の文化を理解したうえでの対 応と、それぞれがどのような結果を導くかは、簡 単にわかることである。であるがゆえに、生徒に は多文化社会を生きていくうえで必要な知識を身 につけてもらいたい。その知識の一つとして世界 の歴史も知っておかなくてはいけないのだという ことを、理解してもらいたいのである。

 その場合に、身近な東アジア世界や、なじみの あるヨーロッパ・アメリカ世界ではなく、イスラー ム世界の学習が、もっともよい例になるのではな いかと思う。生徒にそれを気づかせることができ るかどうか、われわれもまた試されている。

(※1)参考文献「となりの神さま」 裵昭 扶桑社 2007 (※2)参考文献「ニッポンには対話がない」

参照

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