課題研究 P3 実験ゼミ
2.5 ∼ 2.6
加須屋春樹
2016 年 6 月 3 日
2.5 多重クーロン散乱
物質を通過する荷電粒子は、原子内電子との非弾性散乱するだけでなく、起こる確率はいくぶん低いものの、原子 核と繰り返し弾性クーロン散乱をする。これを多重クーロン散乱(Multiple Coulomb Scattering)と呼ぶ。スピンや 遮蔽の効果を無視すれば、個々の散乱はラザフォードの公式で記述される:
dσ dΩ= z
2 2z12re2
(mec/βp)2
4 sin4(θ/2) (1)
1/ sin4(θ/2)の依存性のため、大部分は小角度に散乱される。原子核が入射粒子に比べてはるかに重いときを考える
と原子核の反跳は無視でき、入射粒子はランダムなジグザグの経路を通る。しかし、小さな角度の散乱が積み重なる と元の方向からずれが生じる。一般的に物質中のクーロン散乱の取り扱いは次の3つの領域に分けられる。
• 一回散乱(Single Scattering)
複数回の散乱が起こる確率が十分小さい程ターゲットが薄い場合。ラザフォードの公式(1)でOK。
• 複数回散乱(Plural Scattering)
平均散乱回数N < 20の場合。取り扱いが難しい。
• 多重散乱(Multiple Scattering)
平均散乱回数N > 20でエネルギー損失が小さい場合。統計的に扱える。最もよくあるケースであり、この場 合を以下で扱う。
一般に多重散乱の厳密な計算は複雑であり、精度の異なるいくつかの公式が存在する。最もよく使われるのは Moliere(あるいはSnyderとScott)による小角度近似である。この公式は遅い電子(β < 0.05)や非常に重い元素中 の電子を除き、散乱角θ ≃ 30◦までのあらゆる粒子に適用できる。
Moliereによれば、多重散乱による粒子の極角角度分布は次で与えられる:
P (θ)dΩ = ηdη (
2 exp(−η2) +F1(η)
B +
F2(η) B2 + · · ·
)
(2) ここでη = θ/(θ1
√B),θ1= 0.3965(zQ/pB)√pδx/A。パラメータBは以下の方程式で定義される:
ln B − B + ln γ − 0.154 = 0 ((左辺) ≡ g(B)) (3) ここでγ = 8.831 × 103·qz
2ρδx
β2A∆, ∆ = 1.13 + 3.76 · ( Zz
137β )
(4) 与えられたγに対してBは数値的に求まる。関数Fk(η)は次の積分で定義される:
Fk(η) = 1 k!
∫
J0(ηy) exp( −y
2
4 ) [ y2
4 ln ( y2
4 )]k
y dy (5)
Z:標的原子の原子番号 A:標的原子の質量数 δx:標的の厚さ[cm] ρ:標的の密度[g/cm3] p:入射粒子の運動量[MeV/c] β = v/c:入射粒子の比速度 z:入射粒子の電荷(e単位)
Q =
{√Z(Z + 1) 電子と陽電子
Z その他の粒子 (6) q =
{(Z + 1)Z1/3 電子と陽電子
Z4/3 その他の粒子 (7)
図 1 は 15.7MeV の電子の金膜による散乱における g(x) のグラフ。膜の厚さがそれぞれ 18.66mg/cm3 と 37.28mg/cm3のときのB(g(x)のゼロ点)の値をニュートン法を用いて求め、図中に示す。
-5 -4 -3 -2 -1 0 1 2 3 4 5
0 2 4 6 8 10 12
18.66mg/cm2Au 37.28mg/cm2Au
B=7.32
B=6.51
図1: g(x)のグラフ
図2は(5)の積分を数値的に求めて描いたF1(η), F2(η)のグラフ。教科書のTable2.4 のデータも書き入れた。
-1 -0.5 0 0.5 1 1.5 2 2.5
0 1 2 3 4 5 6 7
η
F1(η) F2(η)
図2: F1(η)とF2(η)
2
0
0.01
0.02
0.03
0.04
0.05
0 1 2 3 4 5 6 7
Fr ac tio na l s ca tt er in g pe r sq ua re d eg re e
Scattering angle [degrees]
18.66 mg/cm
2Au
Gaussian
37.28 mg/cm
2Au
Gaussian
図3: 散乱角度分布
0.0000001
0.0000010
0.0000100
0.0001000
0.0010000
0.0100000
0.1000000
0 5 10 15 20 25 30
Fr ac tio na l s ca tt er in g pe r sq ua re d eg re e
Scattering angle [degrees]
18.66 mg/cm
2Au
Gaussian
Rutherford
37.28 mg/cm
2Au
Gaussian
Rutherford
図4: 散乱角度分布
3
2.5.1 多重散乱のガウス近似
確率の低い大角度散乱を無視すれば、多重散乱は10◦以下の小角度散乱だけを考えればよい。その場合、確率分布 はガウシアンで近似される:
P (θ)dΩ = 2θ
⟨θ2⟩exp ( −θ2
⟨θ2⟩ )
dθ (8)
⟨θ2⟩は散乱角の二乗平均を表し、その平方根√⟨θ2⟩はrms(Root Mean Square) scattering angleと呼ばれる。⟨θ2⟩ は本来∫ θ2P (θ)dΩで定義されるが、実際の分布で計算するとその長いすそのために発散してしまう。Moliereの式 (2)の第一項と比べると近似的に√⟨θ2⟩ ≈ θ1
√Bを得る。経験則によるよりよい近似は:
⟨θ2⟩ = 2 χ
2c
1 + F2 [ 1 + v
v ln(1 + v) − 1 ]
rad2 (9)
ここで
p:入射粒子の運動量[MeV/c] x:標的の厚み[g/cm2] z:入射粒子の電荷 Z:標的原子の原子番号 A:標的原子の質量数 α:微細構造定数
F :Moliere分布による補正(< 1)
v = 0.5 Ω
1 − F (10)
Ω = χ2c/χ2a (11)
χ2c = 0.157z( Z(Z + 1) A
) x
p2β2 (12)
χ2a= 2.007 × 10−5Z2/3 [
1 + 3.34( Zzα β
)2]
/p2 (13)
図5は電子がそれぞれx = 18.66mg/cm2, 37.28mg/cm2の金膜によって散乱されたときの入射エネルギーEに対
するrms scattering angleのグラフ。入射エネルギーが大きい程、また標的の厚みが小さい程、角度のばらつきは小
さいことが分かる。E=15.7MeVのときのそれぞれの厚みにおける⟨θ2⟩,√⟨θ2⟩,σ =√⟨θ2⟩/2の値を表1に示す。
0 2 4 6 8 10 12 14
5 10 15 20 25 30
RMS SCATTERING ANGLE [degrees]
E[MeV]
18.66mg/cm2 Au 37.28mg/cm2 Au
図5: 入射エネルギーEに対するrms scattering angle
表1: ⟨θ2⟩,√⟨θ2⟩,σの値
x[mg/cm2] ⟨θ2⟩[rad2] √⟨θ2⟩[◦] σ[◦]
18.66 0.0023 2.7 1.9
37.28 0.0051 4.1 2.9
入射粒子の軌道を含む平面に射影した散乱角θxを考え ると便利なことがある。その分布は
P (θx)dθx= 1
√2π⟨θ2x⟩exp ( −θ2x
2⟨θ2x⟩ )
dθx (14)
となる。ここで射影散乱角の二乗平均⟨θ2x⟩ = ⟨θ2⟩/2。
4
入射軸からのずれrは普通非常に小さいが、その分布は
P (r)dr = 6r
⟨θ2⟩t2exp ( −3r2
⟨θ2⟩t2 )
dr (15)
ここでt = x/Lrad:標的の放射長単位の厚さ であり、ずれの二乗平均⟨r2⟩ = ⟨θ2⟩t2/3となる。
2.5.2 低エネルギーの電子による後方散乱
電子は質量が小さいため、原子核との散乱で大きく方向を変えられやすい。ゆえ に電子は多重散乱によって進む方向が逆向きになり、後方に散乱することがある。こ の効果は、電子のエネルギーが小さい程、また標的の原子番号が大きい程、大きくな る。後方散乱は入射角度にも依存し、標的に対して斜めに入射すると垂直に入射する よりも後方散乱される割合は大きくなる。
入射粒子の数に対する後方散乱された粒子の数を後方散乱係数、あるいはアルベド (反射能)という。図は様々な物質における電子の後方散乱係数ηを表す。図より、金 に1MeV以下の電子が垂直に入射すると約半数は後方散乱されることがわかる。
2.6 Energy Straggling: エネルギー損失分布
ここまでは主に平均エネルギー損失について議論してきた。しかし個々の粒子のエネルギー損失量は、衝突回数や エネルギー移行の統計的なゆらぎのために、平均値のまわりにゆらいでいる。このEnergy Stragglingは、以前考え た「あるエネルギーで入射した粒子の飛程のゆらぎ(Range Straggling)」を視点を変えて見たものといえる。
エネルギー損失分布の計算は難しい問題であるが、一般的に吸収体が厚い場合と薄い場合の2つのケースで議論さ れる。
2.6.1 厚い吸収体 : The Gaussian Limit
中で衝突が多く起こる比較的厚い吸収体において、エネルギー損失分布はガウス分布で近似される。これは統計学 における「中心極限定理」から直ちに導かれる。
中心極限定理
✓ ✏
同一の確率分布に従うN個のランダム変数の和の分布は、N → ∞の極限で正規分布に近づく。
✒ ✑
ランダム変数を一回の衝突におけるエネルギー損失δEにとり、衝突の速度依存性を無視すれば、これは全て同じ
に近づく:
f (x, ∆) ∝ exp( −(∆ − ¯∆)
2
2σ2 )
(16) ここで
x:吸収体の厚さ
∆:吸収体中でのエネルギー損失
∆:¯ 平均エネルギー損失 σ:標準偏差
Bohrによれば、非相対論的な重い粒子に対するσは
σ02= 4πNare2(mec2)2ρZ
Ax = 0.1569ρZ
Ax [MeV] (17)
で与えられる。ここでNa:アボガドロ数、re, me:それぞれ古典電子半径,電子の質量。相対論的な場合は
σ2= 1 −
1 2β
2
1 − β2 σ
2
0 (18)
となる。
2.6.2 非常に厚い吸収体
上の議論は、エネルギー損失が入射エネルギーに対して小さく、粒子の速度変化が無視できる場合に成り立つもの であった。そのためエネルギー損失の大きな非常に厚い吸収体では成り立たない。このケースはTschalarやBichsel が扱っている。
2.6.3 薄い吸収体 : The Landau and Vavilov Theories
薄い吸収体やガスの場合、衝突回数Nが小さく中心極限定理は使えない。重い粒子の場合は一回の衝突における最 大エネルギー移行Wmaxは教科書(2.28)式で与えられるが、電子の場合は最初のエネルギーの半分を失いうる。さ らに電子の場合は制動放射によっても一度に多くのエネルギーを失いうる。一度に多くのエネルギーを失うことはま れであるが、その確率のためにエネルギー損失の分布は大きな損失の方向に裾が広がり、左右非対称な形をなす。ゆ えに薄い吸収体のエネルギー損失においては、最頻値(ピークの位置)̸=平均値となる(図参照)。
6
この分布の理論的な計算はLandau,Symon,Vavilovによって行われた。ただしそれぞれの適用範囲は異なり、平均 エネルギー損失と最大エネルギー移行の比である、次のパラメータκによって分けられる。
κ = ∆¯ Wmax
(19)
∆¯ はBethe-Blochの式から計算される。近似的に
∆ ≃ ξ = 2πN¯ are2mec2ρZ A
( z β
)2
x (20)
一般的に薄い吸収体はκ <= 10を指すが、図のようにκ > 1ですでにガウス分布に近づいている。
Landauの理論:κ ≤ 0.01
Landauは非常に薄い吸収体(κ ≤ 0.01)に対するエネルギー損失の分布を初めて計算した。3つの仮定: 1) Wmax→ ∞(実質的にκ → 0)
2) 個々の衝突でのエネルギー移行は十分大きく、小さなエネルギー移行は無視 3) 入射粒子は減速しない
以上の仮定により分布は次のように表される。
f (x, ∆) = φ(λ)/ξ (21)
ここで
φ(λ) = 1 π
∫ ∞
0 exp(−u ln u − uλ) sin πudu (22)
λ = 1
ξ[∆ − ξ(ln ξ − ln ε + 1 − C)] (23)
C = Euler′s Const = lim
n→∞
( n
∑
k=1
1 k− ln n
)
= 0.577 · · · (24)
ln ε = ln(1 − β
2)I2
2mc2β2 + β
2 (25)
εは仮定2)のもとで許される最小のエネルギー移行を表す。φ(λ)はパラメータλだけに依存する普遍的な関数で数 値的に計算される。この関数の解析から、エネルギー損失の最頻値∆mpは
∆mp= ξ[ln(ξ/ε) + 0.198 − δ] (26)
となる。ここで密度補正δを加えた。
Symonの理論とVavilovの理論:中くらいのκ
SymonとVavilovは、Landauの理論とガウス極限をつなぐ境界部分のκの範囲を扱った。SymonはLandauの 分布から出発し多くの巧みな近似を得たが、その結果は数式ではなく図で表されているので、今日のコンピュータで は使いにくい。
VavilovはLandauの理論の仮定1)を補正し、最大エネルギー移行を正しく評価して分布を計算した。仮定2)3) はそのまま。結果はいくぶん複雑だが、κ → 0の極限ではLandauの分布に、κ → ∞の極限でガウス分布になる。
下図はα粒子を何枚かの薄い銀の膜に入射したときのエネルギー分布[1]。銀膜の枚数を増やす毎に分布はガウス 型に近づいてゆく。
Vavilovによれば、ガウス極限では
σ2= ξ
2
κ 1 − β2
2 (27)
となる。これはBohrの式(18)で重い粒子の場合に相当する。
LandauとVavilovの分布の補正
LandauとVavilovの分布は様々な人の手により補正が計算されている。BlunckとLeisegangはLandauの仮定 2)を補正し、原子に束縛された電子の影響を取り入れた。
8
参考文献
[1] J.R.COMFORT, J.F.DECKER, E.T.LYNK, M.O.SCULLY, A.R.QUINTON. Energy Loss and Straggling of Alpha Particle in Metal Foils. PHYSICAL REVIEW.150,1 (1966)