[研究ノート]和語「恋人」の中国語での受容につ
いて
著者
清地 ゆき子
雑誌名
中国文化 : 研究と教育
巻
69
ページ
( 49) - ( 56)
発行年
2011- 06- 25
和 語 「 恋 人
J
の中国語での受容について
清 地 ゆ き 子
O
.
はじめに明治期に日本で訳出された近代訳語が、 2 0 世 紀 初 頭 に 中 間 諾 に 大 量 に 受 容 されたのは潟矢口のことで、その一部は《辞源) >
( 1915)
でも確認することがで■セjii j ェ
i中関認に定着するのが難しかったようである川。
これまで、五四時期における日中語葉交流の視点から、和製漢詩“ 失 恋" の中
i
諸諸での受容(2) や日中異形i
可義語「三角関係J “ 三角恋愛" の成立と 引についてまとめた。本稿では、和語であり、JI
つ、中国語にi
弓義的誘 議も手子在した言葉の考察として、「恋人j を取り上げた中間語の“ 恋人" は、現代中間話の規範とされる《現代漢語詔典> > ( 2005) に収録され、“ 恋愛中男女的一方" とある日) 。しかし、中留の古典に誌向義的
として H靖人" があり(6 )、さらに 2 0 世紀初頭には新語として“ 愛人" と いう言葉も拝在していた川。和語であり、しかも問義的諮繋が存在する中で、 「恋人J はどのような経緯で中国語に受容されたのであろうか。
「恋人j の中関認での受容過程を明らかにすることにより、五四時期 における日中
1
. 和語「恋人j について1
.
1
訳語としての「恋人Jることができると考える。
1983
は、「恋人J は江戸時代初期のF
好色五人女.! l( 686)
などには現 代 語 と ほ ぼ 同 様 の 意 味 で 用 い ら れ た が 、 江 戸 後 期 か ら 明 治 初 期 の 文 学 で は「色J
r a
男Jr
色女J i靖人( いいひと) J などが{ 吏窮されたと指摘する似合F
恋人J が再び、文学作品に登場するのはv 筆者の調査では、1879
年の「ロ ミオとジュリエツトJ の翻訳以降であった。( 用例の下線は筆者、以下同様)1
.)
( ロミオ) ハ( ベンブリヲ) ノ辞ヲ覚束ナク題、ヘドモ窓ムニ椙見ンコト ノ楽サニ我ヲ忘レテ( 後略)(f ( ロミオ) ト( ジユリヱット) ノ話J W蕎楽の友』第1号、 1879. 4. 10、p. 12)
2 ) 其蛮ムなるロザリンに遭ふの便宜もあり又其心に従はざるロザリンに増 す花のなきにしもあらねば( 後III
各
)
( r落花の夕暮( ロミオ、ジユリヱット) J i iサnAZセセセ 1885. 4.7)
恋愛が描かれた戯曲の翻訳に際し、相思相愛の男女を描写するには、
期の遊豊文学で遊女と客との関係に使用された「色J や i情人」などに代わり、 江 戸 前 期 の 文 学 や そ れ 以 前 に 使 用 さ れ た 「 恋 人j が好まれたのであろう( へ 翻訳にあたり用語の差異化が意観されたと推察する。
1
.
2r
恋人j の辞典収録「恋人」が訳語に採用されたことは辞典類の収録からも確認できる。
3)
( su
i to
r]
恋忠人コイヒト〈嬰人〉4
)
( m
i nnaar ]
恋人Hw j ャiQ}セ 1814)
Hiヲセセ 1833)
5)
( bem
i nde]
室
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ム( m
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窓 ム Hw セ 1855)6)
(
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ver]
愛スル人. 恋ム[ su
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r]
1
顔人. 恋ム (w Zセ 1862)7 )
[
l
o
ver]
蛮 ム( sw
eet h
eart ]
蛮 ム Hw iャヲ Aセ 1873)8 )
[ l o
ve
r]
愛スル人,友,愛人,情人,蛮ム Hw セ 1892)日本で初めて編纂された英和辞典 f諮厄手jI態語林大成』に坂録された「コイ
セ
w
和讃字議』などのi
菊学系辞典に「恋人j として収録される。幕末の『英和対訳袖珍辞書』では
l o
ver
の訳語として収録さ れ、明治期の英和辞典に引き継がれている。1
.
3
r
恋人」の汎用「恋人J は、 1 8 8 0年代後半には新開記事や小説、さらに 1 9 0 0年代に入ると 与謝野晶子らの短歌や新詩に多く使用された。
こvびと {ママ)
9 ) 但し車中には彼の怨みある過にし蛮ムが今ま婚婚後の旅行の首程にて 最も華やうに打扮ちいる新婦の予を取りて
( f違約の返報J iヲセ 1887. 10. 15、朝刊3商)
10) 珠運が笑し気に窓ムの往し跡に移るを満足せしが、閤りしは立像刻む稼 の大きな良木なく、 ( 幸田露伴 f麗流仏』吉岡番籍属、 1889、p. 84)
11) 蛮ムのやさしき胸に究りそひて笑みつつ逝きし君は幸あり
( 与謝野晶子 F小天地』金尾文淵堂書歳、 1900. 11: W与謝野晶子全集』
第1巻 歌 集1、講談社、 1981、p. 320)
12) 今 は 亡 き 姉 の 恋 人 の お と う と と な か よ く せ し を か な し と 思 ふ
( お)111原木 w- 擦の砂』東雲堂、 1910、p. 90)
「北村透谷が
f
J
獣 世 詩 家 と 女 性j で い っ た よ う な 新 時 代 の 「 恋 愛J を 鉄 幹 や 晶 子 た ち は 「 恋J と い う 認 を つ か っ て う た っ た( J ( ) ) J と 指 摘 さ れ る よ う に 、 晶 子 の 短 歌 に は 「 恋 J や 「 恋 人 J で 始 ま る 歌 が 多 い( 11)0 恋 愛 の 対 象 者 を 表 す 言 葉として、「恋人J が普及する一つの要因となったかもしれない。2
.
中 国 語 に お け る “ 恋 人 " の 受 容 翻 訳 、 新 詩 、 評 論中 国 語 で は 、 “ 恋 人 " は2 0世 紀 初 頭 ま で の 英 華 ・ 華 英 辞 典 類 や 《 辞 源 》
( 1915) には見られない。筆者の調査では、 1 9 1 9年のL S ( 魯、迅) 訳〈一個膏 年 的 夢 〉 第 二 幕 で 訳 語 に 当 て ら れ た の が 最 も 早 い 使 用 例 で あ っ た 。 こ れ は 武 者 小 路 実 篤 の 反 戦j戯曲『ある青年の夢』の翻訳である( 12)。
13) 乞 食 あ な た の 恋 人 は 戦 争 で 死 ん だ の で す ね 。 何 万 人 か 死 ん だ 内 の 一 人 になったのですね。
( 武者小路実鷺 fある青年の夢』第二幕、洛i場堂、 1917、p. 161)
部的室ム,死在戦争捜了罷。{ 故了死捧幾万人中的一個了罷。 ( LS 訳〈一個警年的夢〉第二幕《留民公報) ) 1919. 10. 2、第5抜) ここではち「乞食」が「女一J に! 句かつて発話した「恋人J を 、 魯 迅 は 原 本 どおり“ 恋人" と訳している制。
1 9 2 0年 代 に 入 る と “ 恋 人 " 培 、 日 本 の 評 論 の 翻 訳 に も 克 ら れ た 。 用 例1 4は
Y
.
D. が醗J rl
臼 村 の 「 近 代 の 恋 愛 観J を 抄 訳 し た も の で あ る04J0窓 ム の た め に は 身 を も 心 を も 捧 げ てJ措しまないと言ふ奉仕の心である。
( 野
JI
I
自村「近代の恋愛観J il東京朝日新鶴II 1921.10. 4)向性問的犠牲精神,往往為了益ム的関係,難赴湯路火,亦戸庁本辞。
(Y
. D
.
訳〈近代的恋愛観> (( 婦女雑誌》第8
巻第2号三 1922. 2、p. 10)jii ェ QYRR セ ( 改造社) とし
て出版されると、中国では任臼祷による抄訳《恋愛論) ) ( 上海学術研究会叢書 部、 1923) や裏工雪辱による完訳《近代的恋愛観) ) ( 縄明書岩、 1928) が 相 次 い で 出 版 さ れ た が 、 い ず れ も 原 本 に あ る 「 恋 人j は? 恋人" と訳されている。
1 9 2 0年代前半に、“ 恋人" が最も多く使用されたのは新詩の分野と言える。 現 代 詩 の 月 刊 誌 《 詩 》 や 湖 畔 社 の 詩 人 に よ る 恋 愛 詩 に 度 々 龍 馬 さ れ た 。
15) 有一後一一静寂約一夜,我RE! 向那弧燈点着的所窓去会我底蛮ム。 ( 維棋〈黒獅> < ( 詩》第 1 巻第3号、 1922. 5、p. 53)
H iセセ
り、恋人と会った)
16) 懸 崖 絶 壁 間 一 対 恋 ム , 道j護1'婁憐地哀11今。
( 託静之〈一対恋人> H\ iセ・[I ) 盟》日
E
東図書: 錦、 1922、p] ) . : 39-40) ( 断崖絶壁にいる… 組の恋人が、悲しみにくれて嘆く)17) 蓮蕊問題甘隠積的蕊ムI lllill ! 不 要 減 了 術 的 紗 燈 。 (ljHl 多〈寄懐実秋〉 1922. 11.25、《清華期刊) ) 260J 明文芸増干IJ第 1 期: < < 紅燭》泰東! 調書j語、 1923、 p. 185)
( ハスの花の中でぐっすり眠っている恋人よ。あなたの灯を消さないで ください)
QXI ゥイY イセ HQャiI
ム的地去i J 還是健在。( 椀寿( 爵作人)
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1
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<<展幸世話i J 刊) ) 192: 3.4.9、第 2版)( 私 に は 三 人 の 恋 人 が い た 。 彼 女 た ち は 知 ら な か っ た け れ ど り (I中III
各
)
私 の 心 の 奥 に 養 っ て お け ば 、 三 人 の 恋 人 の 彼 女 は や は り 健 在 で あ る ) 19) 没有一株楊柳不為李花市真剣玉,投有一水不為東! 鼠 i次鍛,没有一個室ム不
為窓ム悩着。
( 鴇雪! 峰〈拾首春的歌〉八《春的歌集) ) 1923. 12、] ) p. 5- 6: 上海欝感、 1983影印)
( スモモの花に狂わされない榔はない。東の風に吹かれて波立たない水 は な い 。 恋 人 に 悩 ま さ れ な い 人 は い な い )
用 例16の “ 一 対 恋 人n は 、 現 代 詩 の よ う に H恋 人 " が 相 思 相 愛 で あ る こ と を思わせる。 j王静之は1 9 1 9年から2 1年の閥、魯迅、! 習作人らに作詩の を受け、《慧的j琵 》 の く 序 〉 は 朱 自 湾 、 胡 適 ら が 執 筆 し た っ そ の 中 で 、 柄 通 は
ヲ jセ [
た婦人が、全く纏足をしてない女の子たちがあちこち飛び回っているのを見て、 賎 で 被 妬 し 、 心 で 嬉 し く 思 う の と 同 じ で あ る ( ! 勺 と 詑 静 之 の 詩 を 賞 賛 し た 。 周作人も《慧的嵐》の出版後、! 日派から「不道徳j だと批判を受けた際には、
f
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日道徳の中で不道徳とされたことこそ、恋愛詩における精神だ、( 16)J と法静之 の詩を擁護した。) 習作人自身も与謝野晶子や石川啄木などの詩を翻訳し問、 自 ら の 体 験 を 語 っ た 恋 愛 詳 の 中 に “ 恋 人 " を 使 用 し て い る ( 用 例18)。 摺 例 1 9の湖畔社の詩人・鴻雪絡も啄木の嫁歌を好み訳詩もしていた( l 針。〆中国の恋 愛 詩 に お い て も 、 恋 愛 の 対 象 者 を 表 す 言 葉 と し て “ 恋 人 " が 求 め ら れ た と 推 察 する。iセ eャセ
RPI ヲャゥセ ヲ AGサ
J惑 上 的 関 係 , 以 完 成 恋 愛 的 本 質 , 及 種 族 的 使 命 , 並 不 是 霊 肉 問11寺並起, 就l l 1↓霊
i
均一致。 ( Y.J). ( 自由恋愛与恋愛自 83続編一帯答照子女土一) < < 婦女雑誌》第9巻第2号、 1923. 2、p.46)
( 我々が主張する「霊肉… 致J は 既 に 霊 感 を 得 た 二 人 の 恋 人 が 、 再 び 結 ば れ て 肉 体 関 係 を 生 じ さ せ る こ と に よ っ て 、 恋 愛 の 本 質 及 び 援 族 の 使 命 を 完 成 さ せ る こ と で 、 霊 と ! 売 が 同 時 に 生 じ る こ と 霊 肉 一 致 と 呼 ぶ の ではない)
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l J 使潟カ欝門,脱離家庭,百社会j表皮是一様的凶悪,終不許{ 都fF'j一 対 親 愛 的 蛮 ム 挿 足 。 ( 小 立 〈 恋 愛 問 題 ) < < 中間青年>) 57期、 1924. 11、pp. 136- 137)( たとえ力の
i
浪 り に 頑 張 っ て 家 庭 か ら 脱 けI
I
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し で も 、 社 会 は ど こ に お い て も 同 じ よ う に 恐 ろ し く 、 結 局 、 あ な た た ち の よ う な 親 愛 な る 恋 人 が 足 を 踏 み い れ る こ と は 許 さ れ な い の だ7
用 例2 0では、 Y. D. が 読 者 の 「 自 由 恋 愛 」 と 「 恋 愛 の 自 由J の 棺 還 は 何 か と いう間いに答える中で、恋愛する二人を“ 恋ノぐ' と表している。
1921年 か ら 《 婦 女 雑 誌 》 の 編 集 長 を 務 め た 章 錫 環 が 「 私 は 恋 愛 を 用 い て 婦 女 の 問 題 を 解 決 す る 出 発 点 と し た い(19)J と 論 じ た よ う に 、 持 時 期 の 知 識 人 に と っ て 霊 肉 合 ー の 恋 愛 、 及 び 女 性 を 一 髄 の 「 人 」 と し て 認 め た よ に 成 り 立 つ 恋
必要立つ重要なことであったと思われる。
3.
“ 恋人" の汎用と定着 小 説 、 辞 典1 9 2 0年 代 後 半 に 入 る と “ 恋 人 " は 小 説 で も { 吏 用 さ れ る よ う に な る つ 張 資 平 は 日 本 に 留 学 中 の1 9 2 0年 か ら 多 〈 の 恋 愛 小 説 を 発 表 し た が 、 1 9 2 6年 の 翻 案 恋 愛 小 説 《 飛 紫 》 で “ 恋 人 " を 用 い た(20)令 ま た 、 日 本 と の 接 点 が 少 な い と 思 われる茅腐の{ 乍品にも“ 恋人" は度々使用された( 2。1)
2
2
)
梅若手; 是ノト美男子,在他的蛮ム的我的眼中既不是十美男子,在其他的女 性 眼 中 更 不 是 美 男 子 了 。 ( 張 資 平 《 飛 紫 》 創 造 社 出 版 部 、 1926、p. 14)( 梅 君 は 美 男 子 で は な い 。 彼 の 恋 人 で あ る 私 の 白 か ら 見 て も 美 男 子 で は な い の だ か ら 、 ほ か の 女 性 の 自 に は な お さ ら 美 男 子 に は 映 ら な か っ
た)
23)
r
主席鋭,要禁止密母式龍,I
司 王 女 士 恋 愛 . 為 仔 王 女 士 先 有 蛮 ム , 気 得 来襲尋死路. J (茅f雷〈幻滅) < < 小説月報》第四巻第9号、 1927. 9、p. 15)(i
委 員 長Aは 、 ミ ス タ ー 龍 と 王 女 士 の 恋 愛 を 禁 止 し な け れ ば な ら な い と っ た 。 そ れ は 、 王 女 士 に は も う 恋 人 が い た の で 、 ミスター龍が悔し く て 自 殺 し よ う と し た か ら で あ るJ )さ ら に 、 “ 恋 人 " は1 9 2 0 年 代 後 半 以 降 の 辞 典 に 収 録 さ れ る よ う に な る9
1 9 2 8 年 の 《 綜 合 英 漢 大 辞 典 》 に l ove の 訳 語 に 当 て ら れ 、 《 王 雲 五 大 辞 典 》 ( 1930) には、 H心 愛 的 人 " の 意 味 と し て 収 録 さ れ た 。 1 9 4 5 年の《国語辞典》 に は “ 相 恋 愛 之 人 柊 と 相 思 栂 愛 の 男 女 を 意 味 す る こ と が 明 記 さ れ る よ う に な る
4.
おわりに和 語 「 恋 人J は 、 明 治 初 期 に 西 洋 文 学 の 訳 語 に 当
τ
ら れ 、 さ ら に 、 与 謝 野 晶 子 ら の 恋 の 歌 に も 多 く 用 い ら れ る こ と に よ り 、 恋 愛 す る 二 人 、 相 思 相 愛 の 男 女 を 意 味 す る 言 葉 と し て 普 及 し た と 思 わ れ る 。そ の 意 味 を 含 ん だ “ 恋 人 " は 、 1 9 1 9 年 に 魯 迅 が 日 本 の 戯 曲 を 翻 訳 し た
i
様、 訳語に当てられ、 1 9 2 0 年 代 前 半 に は 湖 畔 社 の 詩 人 に よ る 恋 愛 詩 や 恋 愛 に 関 す る 評 論 に 多 く 使 用 さ れ た 。 さ ら に 、 1 9 2 0 年 代 後 半 に は 小 説 に 用 い ら れ る な ど 汎 用 さ れ た 。 中i
蛮 の 古 典 認 で あ る “ 情 人 " や 新 誌 で あ る “ 愛 人 " と い っ た 同 義 的 諮 養 が 存 在 し た に も か か わ ら ず 、 “ 恋 人 " が 受 容 さ れ た の は 、 恋 愛 の 描 写 及 び 恋 愛 と い う 概 念 の 普 及 の た め に 必 要 な 言 葉 の 一 つ で あ っ た か ら だ と 推 測 す る9後 に 、 同 義 的 語 義 “ 情 人 " “ 愛 人 " に は 意 味 の 派 生 が 生 じ 、 “ 恋 人 " と は 意 味 を 住 み 分 け る こ と に な る つ 男JI稿で論じたい。
j主
(1) 室1] 1993( 立、《辞諒》の正繍には 1801語、続編には37 語の日本語語教が収録された が、訓読みの和語の場合、或いは、すでに中圏諸に! 司義的語畿がある場合は定着し にくいと指摘している。和語の定着率は12. 59ら( 和語全数88 諾中 11 語) であった
( p. 9参照) 。
( 2) i恋愛用語「失恋j の成立と伝播の一考察J セ VW RPPY
( 3) i恋愛用語「三角関係J と‘ 三3角恋愛" の成立と定着-1 9 2 0 年代の日中語議交流の 読点から- J fj ' 日本語の研究』第6 巻第 2 号、 2010.4
0
( 4) fj '日本国語大辞典A ( 小学館、 2002) は、「恋人J の意味を「その人が恋しく患って いる相手。現代では特に、お
2
まいに恋しく思い合っている場合の相手をいう( 後略) J とし、初出例に F関窓撰歌合s (藤原信実女、 1251) を挙げている。
収録されている。また、 2010年 の 《 現 代 漢 詩 規 範 詞 典 第2)
坂
>
>
( 李行健主編、外語教 学l::j研 究 出 版 社 ・ 語 文 出 版 社 ) に は
"
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愛 的 男 女 或 其 中 的 一 方 " と 収 録 さ れ て いるつ
( 6 ) 張1993は、男女の恋の感情は、じ│督J ということばでj晃代未頃からおもに詩のなか
に 表 れ た と 指 摘 す る ( p. l 1参照)Q < < 漢語大詞典> >( i 英語大詞典出版社、 1986寸944)
には、“ 情人" の所謂恋人の意味の使用伊Jiとして、宋代の《楽府詩集》を挙げている。
( 7 ) “ 愛人" の「人な愛するj と い う 意 味 ・ 用 法 は 、 古 く は 《 論 議 》 に 見 え た が 、 所 諮
恋 人 の 意 味 と し てsweet hear tな ど の 訳 語 に 当 て ら れ た の は 、 日 本 の 英 和 辞 典 類 も 参
照 し て 編 纂 さ れ た1908年の《英華大辞典) ) ( 顔恵慶等編輯、} 寄務E)J翠: 館) 以降だと
! 器、われる。 1920年代の創作にも所謂恋人の意味としての使用が多く見られた。また、
静1993は “ 愛 人 " の 意 味 変 化 を 考 察 し 、 “ 愛 人 " の こ の 意 味 ・ 用 法 は 日 本 語 か ら の
{
昔j容だとしているの
( 8 ) 半沢1983は 紅 戸 後 期 の 文 学 に 「 恋 人j の 摺 例 が 見 当 た ら な い 理 由 と し て 、 江 戸 後
期 の 文 学 が 遊 郭 の 場 面 を 中 心 に 展 開 さ れ た こ と と 無 関 係 で は な い と 指 摘 す る ( p.43
参照
λ
( 9)
r
恋 人J は、その後の河島敬蔵訳『春措浮世之夢J l (耕文社、 1886) や 島 崎 藤 村 訳一関J (W女 学 雑 誌 』 第324号、 1892. 7)、 緑 堂 野 史 訳 「 わ か き ヱ ル テ ル が わ
づらひJ げしがらみ筆紙J l 1893. 12) などにも訳語として使用されている。
(10)
r
埼 木 津 英 「 明 治 の 訳 語 接 吻 、 停 車 場 、 手JI己J W短歌研究J l 1998. 4, p. 47o( 11) w定 本 年謝野晶子全集J l ( 全8巻、講談社、 1979寸981) には、「恋J
r
恋0 Jr
恋するj で始まる歌が1 2 0普余り、「恋人j で 始 ま る 歌 が3 0詰所収されている。
(12) ( - >f関青年約夢) (立、 1919年8月15日 か ら ま で の 《 爵 民 公 報 》 に 第 三 幕 の 途 中 ま で
が掲載されたが、 10月25日 《 国 民 公 報 》 の 発 禁 に よ り 中 断 し 、 全 訳 は 翌 年 の { 新 青
年) ) ( 第7巷・第2号、 1920. 1-第7脅第5号、 1920. 4 ) に連載された。
( 13) そ の 後 、 魯 迅 が 翻 訳 し た く 出 了 象 牙 之 塔 ) (1925) ( 原本: 厨)11自 村 f象 牙 の 塔 を
出てJl ( 福永欝路、 1920) ゃ く 現 代 篭 影 与 有 産 階 級 ) (1929) ( 原本: 岩崎超「現代
映画} と有産階級J F新 興 芸 術2 第l号、 1929: 11.1) で も 原 本 の 「 恋 人J は“ 恋人"
と訳されている。
( 14) Y. D.に つ い て 西 機1993 HーNXYZ XI HQXYVセQYXYI
HHiセII (1 :菱自大学出版社、 2009) にY .D.訳 〈 近 代 的 恋 愛 観 〉 が 所 収 さ れ て
おり、 Y. D.は陳望道だと思われる。
( 15) 胡適〈古丹序〉技静之《惑的鼠》
( 16) 周作人〈情詩) (< 農報部干JJ>) 1922. 10. 12令
( 55)
( 17) ) 詩作人〈雑訳日本詩三十首> < < 新青年: ) ) 第9巻 第4セ QYR Q X ) ) p,29- 400
( 18) 施 設 存 〈 序 〉 戴 望 辞 《 戴 望 静 訳 詩 集 》 誌
!
l
i
寄人民出版社、 1983: 秋吉久紀夫訳編『載望静詩集』土曜奨術社出版販売、 1996、]),227参照。
( 19) 章錫深く恋愛問題 1) 守討議>< < 婦女雑誌; ,) ) 第8巻 第9号、 1922. 9、) ) . 1220
( 20) < < 飛繋》の (J 芋 〉 に 、 池 田 小 菊 の 「 帰 るjァ
3
J
伊 東 京 朝 日 新 聞A 1925. 5. 1- 7. 29、 全90関 連 載 ) の 翻 案 で あ る と 記 さ れ て い る 。 尚 、 張 資 平 の1920年代前半の小説で、は、所
謂 恋 人 の 意 味 で は h愛 人 " が 使 用 さ れ 、 所 講 妾 の 意 味 で は “ 情 人 " で 表 す 傾 向 が 毘
られた。
( 21) < 動揺> ( ( ( 小説月報》第四巻第9号、 1928. 1)、《子夜) ) ( 1933)、<<n評蝕) ) ( 1941)。
参 考 文 献
1983 r恋 人 ・ 愛 人 ・ 情 人 ・ 色 」 佐 藤 喜 代 治 編 『 講 座
i
ヨ
9、! 明治書院劉 凡 夫1993 r中 露 語 辞 書 時 料 館 』 初 版 に 収 録 さ れ た 第
32号
西 援 偉1993 r 1920年 代 中 留 に お け る 恋 愛 観 の 受 容 と 日 本 一 F婦 女 雑 誌 』 を1: j : j 心に- J
『比較文学期究』第64号
f左藤亨1999 w盟 諸 語 畿 の 史 的 研 究 』 お う ふ う
沈 爵 威2008 w改 訂 新 版 近 代 自 中 語 教 交 流 史 』 笠 間 関 誌
吉子志田1993 r日 中 間 形 異 議j葉 字 の 研 究 .=.-...f 愛 人j の 意 味 変 化 を め ぐ っ て - J 1i ' 文献探
究
s
第37号張 競1993 セA
引 用 辞 典 ( 出 版 年111翼)
{}セ 1 8 1 4 /へ ン ド リ ッ ク ・ ゾ ー ア 繍 E道 訳 法 兜
セ 1833 H QYYX IO ij セ 1855 ( 早稲田大学出版
QYWT O ヲ セ 1 8 6 2 /柴 田 高 音 ・ 子 安 岐 『 英 和 学 議 問
音挿爵』臼就社、 1 8 7 3 /島 田 豊 f双解英和大辞典』共益高社護服、 1892
[ 中間〕黄土複・江鉄《綜合英漢大辞典》商務印書館、 1 9 2 8 /王裳五《王襲五大辞典》
商務印書館、 1 9 3 0 /教 育 部 留 語 推 進 委 員 会 中 間 大 辞 典 編 築 処 編 《 留 語 辞 典 》 商 務 印 書
館、 1937四1945
( 筑波大学大学院・科目等臆11孝生)