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ウィルバーを読む前にdoc 最近の更新履歴 京都大学哲学研究会

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Academic year: 2018

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ウィルバーを読む前に

門林

◆ウィルバーの思想の根底には、次のような発想がある。

「どんな人間の考えも、100%間違っている、とは考えられない」

すなわち、いかなる思想・価値観・世界観であろうと、それが完全に間違いだとうこ とはあり得ず、必ず何らかの真実を“部分的に”含んでいるのだとされる。したがって、 仮に相手の意見が自分の意見と真っ向から対立していたとしても、相手の意見にも何 らかの真実が(1%であれ99%であれ)含まれているのであり、それゆえ必然的に、 自分の意見が“100%”正しいという考えも棄却せざるを得ない。

ところで、様々な哲学書・思想書・人文科学系の書籍を読むとき、「この人物がまさ に答えを握っている!彼の言ってることは全て正しい!」と思うことは全く無いか、あ るいは非常に稀であって、ほとんどの場合、「この部分はもっともな考えだけど、この 部分は言い過ぎだろう」「この点は非常に納得がいくのだけど、この点はかなり曲解さ れている」などと思うのではないだろうか。

つまり、そのような立場で本を読むとき、ある意味で我々は「どんな人間の考えも、 100%間違っている、とは考えられない」あるいは、それと表裏一体の主張であるが、

「どんな人間の考えも、100%正しい、とは考えられない」という前提を暗に立てて いるとも言えると思う。

◆そしてそれは、「他の理論家・思想家を引用・紹介している箇所をどう捉えるか」と いう点につながっていく。(これが最も述べたい点なのであるが)

特にウィルバーの場合、「あらゆる知を統合する」という性格上、膨大な数の学者・ 思想家・聖者が様々に引用・紹介・整理されるため、この点に注意を喚起しておくこ とは非常に重要であると思われる。

すなわち、「どんな理論家・思想家の考えも、100%正しい、とは考えられない」以 上、ここでの目的は、ある思想家の“正確な意図”を解明することではないのである。

「彼がその思想に意図していたもの」を“厳密に”解釈することは重視されない。 むしろ、過去の偉人たちの業績を“踏み台”(甚だ不遜な表現であるが)にして、古 今東西のあらゆる知を再解釈・再編集・再構築していこうとする試みなのである。つ まり、それらに含まれる最も重要な真実が表現されるような文脈を与えてやるのだ。 もちろん、事実無根であまりにも曲解した解釈は棄却されるべきであろう。しかしな がら、通俗的な解釈自体が曲解されているかもしれないのである。その意味で、「真の

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意図」と「曲解された解釈」は“厳密に”二分できるのだという発想の限界も、一度は 認識しておくべきであろう(なお、言うまでも無いが、その人物が思想に込めた意図、 あるいはその通俗的な解釈が、既にその人物がなしうる限りの最も重要な真実を表現 していると思われる場合、それをわざわざ再解釈したりはしない)。

◆要するに、ウィルバーのような“統合的な(インテグラルな)”志向性をもつ思想 家に対して、「これは○○の正確な解釈、本当の意図ではない!」という類の批判は、慎 重に行われなければならないということである。

例えば、ある思想家の思想というのが、7割はかなり不正確だが、残りの3割はかな り真実を衝いているとしよう。そして、この思想家の通俗的解釈が「7割」の部分に基 づいているとしよう。その場合、ウィルバーは、この7割の部分を軽視あるいは無視し て、残りの3割の部分のみに着目してこの思想家を称賛し始めるかもしれない。

これを聞いたとき、おそらく我々は、7割を無視したことに憤慨して、「これは○○ の正確な解釈、本当の意図ではない!」と述べるのではないだろうか。そう、確かに、あ る意味では“正しい”批判である。

しかし、もう一度述べると、ここでの目的は、「ある思想家の“正確な意図”を解明 すること」では全くないのである。そうではなく、あらゆる思想家・理論家・聖者が有 する叡知のなかの“最良の部分”を抽出し、それらがいかに結びつき得るかを見極め たいのである。

それゆえ、この場合には、「これは○○の正確な解釈、本当の意図ではない!」という 批判はあまり通用しないことになる。なぜなら、この場合、その思想家の“最良の部 分”というのが、通俗的な7割の部分ではなく、残りの3割の部分にあるとみなされた のだから。「正確な解釈」よりも、「最も重要な真実を表現できるような解釈」を行うわ けだ。

◆もちろん、本当に事実無根なことを言っているかもしれない。残りの3割の部分にも 書いていないことを言っているかもしれない。そこを確かめるには、各人が、引用され た著者の書籍を読むなどして逐一確認するしかない。

ウィルバーの著作は、どうしてもその“何でもかんでも引用する”という性格上、

「この本だけではこの思想の妥当性を判断できない」というところがある。「解釈学的 循環」(全体の理解は部分に依存し、部分の理解は全体に依存する)という解釈学の基 本問題があるが、そのような根源的な循環性もまた、ウィルバーを読む際には、常に意 識しておいたほうがよい点であると考える。

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ウィルバーの提示する「知についての立体地図」を深く理解するためには、個々の引 用元(哲学、心理学、宗教学、科学、人類学など)の知識が必要であるが、しかしそのよ うな個々の引用元の知識とは一体いかなるものなのかということが、彼の「知について の立体地図」によって、再照明されてくるのである。そしてその「再照明された知」が、 今度は地図のほうを再照明し始めるのであるが・・・。

◆最後に述べておくと、言うまでも無く、「どんな人間の考えも、100%正しい、とは 考えられない」という批判は、ウィルバーの考えそれ自身にも向けられねばならない。 しかしだからと言って、その自己矛盾性が自動的に彼の理論を無意味なものにしてし まうということはあまりに極端な意見だろう。

なぜなら、「どんな思想も100%正しいとは保証されない」という考えと、「どんな 思想も同じであり、結局その優劣はつけられない」という考えの間には、天と地ほどの 隔たりがあるからである。

つまり、我々は、1%正しい思想よりも、99%正しい思想のほうを選ぶということ である。

(参考)ウィルバーおよびインテグラル・アプローチについて知るためのサイト

インテグラル・ジャパン http://integraljapan.net/ 

インテグラルとは何か? http://integraljapan.net/about_integral.htm ケン・ウィルバーとは? http://integraljapan.net/about_kw.htm

専門用語・論文・各種資料等(多数あり) http://integraljapan.net/articles.htm

Ken Wilber Official Website(英語) http://www.kenwilber.com/home/landing/index.html 3

参照

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