若月祥子
*<ABSTRACT>
This paper aims to analyze the life story of a deaf Korean person by using the Trajectory Equifinality Approach (TEM) and explore if there exists the potential for contributing to the Deaf minority through Japanese education as a foreign language. TEM is a methodology from the perspective of cultural psychology for describing life within irreversible time in an individual’s life course and aims to describe the transaction between human and environment. Moreover, rather than focusing on the structure of the story, TEM focuses on the process. In this research, three semistructured interviews were held. The interviewee is a deaf Korean man in his twenties. His story was reconstituted by a time series and analyzed by TEM in four phases. The analysis by TEM showed that transferring to a school for the Deaf was a Bifurcation Point (BFP1) for acquiring KSL for L1, and attending an alternative school for the Deaf was a BFP2 for acquiring Korean for L2. By acquiring L1 and L2, he became motivated to learn and read books, and they became Obligatory Passage Points (OPP) which led to the Equifinality Point (EFP): he started studying Japanese. Furthermore, the free time gained by quitting his job and starting to teach KSL to deaf Japanese people has become two BFPs which leads to the second EFP: he continuously contacts people overseas. For deaf people, it is not easy to study a foreign language, but this analysis shows the potential to broaden their own world. The reason he could broaden his own world is that he could easily access a Japanese class in a church for the Deaf or a Japanese teacher. Thus, Japanese education can contribute by improving accessibility for minorities, such as Deaf people, by providing them with the opportunity to study Japanese.
Key words: Minority, TEM, life story, Deaf, accessibility
1. はじめに
筆者は、2000年に韓国人のろう者1)と出会い、それがきっかけで2003年からろうコミュニティ の一つであるろう教会に関わるようになった。そんな中で、ろう者から日本語を教えて欲しい、 韓国語を日本語に訳して欲しい、日本語で手紙やメールを書いて欲しい、という依頼を受ける ことが多くあった。歴史的な背景もあり2)、日韓両国の手話には似ているものも多く3)、また距
* 弘益大學校 助敎授
1) 「ろう者」「聾者」「ろうあ者」「聾唖者」などの言葉も使われるが、本稿では「ろう者」という語を用いる。「唖」は
「話せない」という意味があり、ろう者には手話という言語があるという立場から、最近では「ろうあ」や「聾唖」は以前か らある団体名以外ではあまり使われていない。なお、本稿では「耳が聞こえる人」を表すことばとして「聴者」という語を 用いる。「ろう者」の詳しい定義については「2. ろう者とは」を参照。
2) 日韓の手話が似ているのは、日本の統治時代である1913年に現在の国立ソウル聾学校の前身である済生院に盲唖部が設 置されたことが影響していると言われている。(田上ㆍ鄭1989:17)
3) 金承國(1987:38)は、「韓国と日本両国の間の手話の共通性は韓国と日本の手話語彙目録のいずれにも含まれている語彙
離的にも近いため、日本に知人がいるというろう者も多く目にしてきた。しかし、日本に関心 を持っても日本語の学習をするのは、ろう者にとってはそれほど易しいことではない。それは、 ろう者のための外国語教育機関がなく4)、勉強するには自分で本を読んで学習する独学が中心に ならざるを得ないからである。
外国語学習を独学でするのは、聴者にとっても容易なことではない。Umino(1999)は、日本人 大学生を対象にNHKの放送自習用教材に関してアンケートを取っているが、138人中91%が自習 用教材を利用したことがあり、38%が挫折したと述べている。これは、聴者を対象にしたもの であり、放送を聞きながら学習する教材についてのアンケートであるが、それでも3分の1以上 の学習者が挫折していることがわかる。聴覚に障害があるろう者にとっては、このような放送 自習教材も使用できず、外国語学習はさらに困難を伴うものであろう。そのため、日本や日本 語への関心を持ち学習を始めても持続できる人は少ない。
本稿では、聴覚障害者として生まれ、日本語に興味を持つようになり、独学で学び続けてい るHさんのストーリーを紹介する。聾学校での日本語の授業5)があったもののおもしろくなかっ たという彼が、独学で日本語学習を続けられた背景にはどのようなストーリーがあるのか、彼 にとって日本との関わりはどのような意味を持ったのかについて「複線径路等至性モデル(TEM)6)」
を用いて分析する。また、分析を通し、ろう者をはじめとするマイノリティに対し、日本語教 育が貢献できる可能性について示唆を得たい。なお、本研究は韓国人ろう者の日本語学習に関 わるライフストーリーを分析することに主眼を置くものであり、ろう者に対する具体的な日本 語教授法について研究するものではない。
2. ろう者の定義
本稿で対象にするHさんは、韓国人ろう者である。ここで本稿における「ろう者」という用語 について定義しておきたい。
聴覚に障害がある人を総称して聴覚障害者と呼ぶが、聴覚障害の程度や種類、聴覚障害に なった時期、周囲の言語環境などにより、同じ聴覚障害者でも言語習得には大きな差がある。 特に、先天性であったり言語習得期以前に聴覚障害者になったりした場合には、周囲の音が聞
の数の63.35%以上」になるとし、同じく日韓の手話の語彙を比較した田上ㆍ鄭(1989:16)も、「同形手話と類似手話で計 63.4%に達する」としている。
4) ろう者の団体や個人レベルで日本手話のクラスを開講している例はあるが、「ろう者を対象とした日本語の学習機関」は、 一時期ろう教会に開講された日本語教室を除き、管見では例を見ない。
5) Hさん在学中には日本語の授業があったが、2014年3月にHさんの卒業した聾学校を訪問したところ、日本語の授業は行わ れなくなったという。
6) 複線径路等至性モデルとは、「時間を捨象せず個人の変容を社会との関係で捉え記述しようとする文化心理学の方法論で ある」(安田他2012:1)。詳細については「3.2複線径路ㆍ等至性モデル(TEM)と複線径路等至性アプローチ(TEA)」を参 照。
こえないため、音声言語(日本語や韓国語)の自然習得は不可能である。親がろう者の場合は、手 話を第一言語(L1)として自然習得できるが、実際には聴覚障害者の90%は聴者の両親から生まれ るため7)、ほとんどの場合は聾学校などで聴覚口話法8)により声を出し、唇を読み取る教育を受けるとと もに、聾学校の先輩などの手話を見て、手話を習得していく。一方、聴覚障害者であっても中途失 聴の場合や老人性難聴の場合は、手話の習得が困難であり、彼らのL1は聴覚障害を生じる前に 習得していた音声言語となる。つまり、同じ聴覚障害者であってもすべての聴覚障害者が手話 を理解するわけではなく、いつ聴覚障害者になったかによって、使用言語が異なるのである。
木村ㆍ市田([1995]2000:8)は「ろう文化宣言」において、「ろう者とは、日本手話という、日本語と は異なる言語を話す、言語的少数者である」と定義している。本発表ではこれに従い「ろう者」を
「手話を第一言語とする人」と定義する。なお、『日本語教育事典』によると第一言語の意味として、
「①最初に習得された言語、つまり母語、②最初に接触した言語、そして③日常もっともよく使用する 言語」(p.682)の3つの定義が挙げられているが、本稿では第一言語を「日常もっともよく使用する言語」 の意味で用いる。ろう者の中には、最初に触れたのは音声言語であるが、いちばん自由に使用できる 言語が手話である、という例が多く見られ、ろう者の場合は「最初に接触したかどうか」が大きな影響 を与えないからである。
ろう者のL1である手話は世界共通ではなく日本では日本手話、韓国では韓国手話が使われており、 似ている語彙はあるものの別の言語である。「英語手話」というものはなく、アメリカにはアメリカ手話、 イギリスにはイギリス手話があり、音声言語と手話は対応していない。また、手話は音声言語とは異な る特徴を持っている。例えば、音声言語の特徴として「恣意性」や「線条性」が挙げられる。しかし、 手話の中には、見た目の形や実際の動作などが取り入れられた語彙があり、必ずしも「恣意性」があ るとは言えない。また、音声言語においては、人は同時に二つの音声を出すことはできないため順番 にことばを発することになるが、手話の場合は両手を使うなどして二つのことを同時に表すことができる9)。
さらに、音声言語とは語順も異なる10)。つまりろう者は、手話という全く異なる言語体系を持つ「言語 的マイノリティ」であると言える。
3. ライフストーリーと複線径路等至性アプローチ (TEA)
3.1 ライフストーリー桜井(2012:6)は、「ライフストーリーは、個人のライフ(人生、障害、生活、生き方)について
7) 市田(2003:22)、斉藤(2007:32)は約90%、米川(2002:48)は95%が聴者の両親から生まれる、としている。
8) 残存聴力を最大限に活用し、話者の口の開け方から話を理解する「読話」と、自ら声を出す「発話」から構成される教育 方法。(佐々木2012:xxv)
9) 例えば「傘をさして歩く」という文章の場合、手話では片手で「傘をさす」という手話、もう片方の手で「歩く」という手話 で同時に表すことができる。(佐々木他2014:47)
10) 例えば「(あなたは)どこへ行きますか」という日本語を手話で表すと、「行く+場所+何+あなた」の語順になる。
の口述(オーラル)の物語である。また、個人のライフに焦点をあわせてその人自身の経験をもと にした語りから、自己の生活世界そして社会や文化の諸相や変動を全体的(ホリスティック)に読 み解こうとする質的調査法の一つのことでもある。」と述べている。
質的研究については、量的研究の立場から「質的分析の結果は、対象以外の個人や集団には 適用できず、一般化できない」という批判があるとされる(本田他2014:230)が、「量的研究は、 一般性を最重視する。しかし、質的研究は、むしろ対象の個別性ㆍ具体性を重視する」(大谷 2008:342)ものである。桜井ㆍ小林(2005:28)も、「ライフストーリーやライフヒストリー研究の 領域で収集されてきたデータは、母集団の構成がわかりやすい社会的に支配的な人びとや集団 の経験に基づいたものというより、マイノリティや被差別者、逸脱者、被害者、さまざまなト ラブルを抱えた人たちなどであって、社会の中で従属的でマイナーな位置を占めている。その ため社会の表面に登場するのは、そのなかの一部の人びとに過ぎず、多くは支配的文化の周辺 に位置したり、カミングアウトできないまま隠されているために、もともとそうした母集団の リストがない」と述べている。
本研究が対象とするろう者もマイノリティであり、一般化するよりも個別性、具体性、多様 性を重視する方が妥当であると考え、質的研究法のひとつであるライフストーリー研究の手法 を用いる。
3.2 複線径路等至性モデル(TEM)と複線径路等至性アプローチ(TEA)
本稿では、ライフストーリーの分析に複線径路等至性モデル(TEM)を用いる。「ライフス トーリー研究には、語りの内容に注目するものと、語りの型に焦点を当てるものとがあり、 TEMは前者と関連する」(サトウ2009:138)ものであり、TEMは「等至性(equifinality)の概念を、 人の発達に関する文化的な事象の心理学的研究に組み込もうと考えたアメリカの文化心理学者 ヤーンㆍヴァルシナーの草案に基づく、質的データを分析ㆍ記述するための方法論」(安田他 2012:50)である。また、TEMから発展した総合的なアプローチが複線径路等至性アプローチ (Trajectory Equifinality Approach:TEA)であり、TEMのほか、歴史的構造化ご招待(Historically Structured Inviting: HSI)11)、発生の三層モデル12)(Three Layers Model of Genesis:TLMG)を統 合ㆍ統括した考え方である(安田他2015a:4)。
なお、ほかの質的研究法との違いとして安田他(2015a:9)は、GTA(グラウンデッドㆍセオリー ㆍアプローチ)とKJ法は「データから構造を導き出す手法」であるのに対し、TEAは、「時間を 捨象せずに人生の理解を可能にしようとする文化心理学の新しいアプローチ」であり、「構造
11)「研究者が興味をもった等至点的なイベントを実際に経験している実在の人をお招きして、その話を聞くという手続き」(安田 他2015a:5)のことであり、TEAにおけるサンプリングの方法である。
12)「文化的な記号を取り入れて変容するシステムとしての人間の動的なメカニズムをとらえる理論」であり、「アクティビティが発 生する個人活動レベル(第1層)、サインが発生する記号レベル(第2層)、ビリーフが発生する信念ㆍ価値レベル(第3層)という 異なる3つの層によって記述、理解していく」(安田他2015b:27)モデルのことであるが、本稿ではTEMを中心に分析を行 い、「発想の三層モデル」は用いない。
(ストラクチャー)ではなく、過程(プロセス)を理解しようとするアプローチ」であると述べてい る。
またTEAは人間を環境から孤立した閉鎖システムとしてではなく、環境と常に交流ㆍ相互作 用している開放システム13)として捉える(安田他2015a:1415)という特徴を持っている。
TEAの 重 要 な 要 素 で あ るTEM図 に は、い く つ か 独 特 の 概 念 が あ る。ま ず、「非可逆的時間(irreversible time)」 とは、「決して後戻りすることのない 時間の持続性を含意する時間概念」(安 田2012:52)であり、「→」で表す。「等 至点(Equifinality Point:EFP)」とは、
「個々人がそれぞれ多様な径路を辿っ ていたとしても、等しく到達するポイ ント」(荒川他2012:95)のことであり、 大学院入学を例としたTEM図(図2参照) では、「大学院に入学する」というF が等至点となる。また、径路の分かれ 道 と な る の が「分 岐 点(Bifurcation Point:BFP)」、ほとんどの人が経験 せざるを得ないポイントが「必須通過 点(Obligatory Passage Point:OPP)」で ある。例えば、図2では、「D=大学卒 業」が必須通過点となる。TEMでは等 至 点 の ほ か に、「両 極 化 し た 等 至 点 (Poralized EFP: PEFP)」、等至点後の 未来展望を表す新たな等至点(第二の等 至点、またはセカンドEFP)14)という概 念も用い、図2では、「大学院に入学し
13) サトウ(2009:40)は、閉鎖システムは「環境から孤立し環境と相互交渉しないシステムであり、熱力学などが扱うシステムはこう したものである。一方、システムがそのおかれた特殊な環境と交換を行うのが開放システムの特徴であり、すべての生物学 的、心理学的、社会的システムはこうしたものである」とし、「人間を解放システムであると考えるなら、心理学で伝統的に 好まれているランダムㆍサンプリングのような手法が使えない(中略)。ランダムㆍサンプリングは、人間を閉鎖システムとしてみ なしていなければ成立しにくい」と述べている。
14)「研究者はまず第一に、自分自身が興味を持った現象を等至点として位置付けることができる」が、それはあくまでも「研究 者にとって重要であるにすぎ」ない。「当事者の人生においては、等至点以降も時は降り積もり、さまざまな人生経験を積 むなかで新しい展望が生まれることになる。」「こうした、本人にとっての等至点をセカンドEFPと概念化することができ る。」(安田他2015b:811)
図1 TEM図の最小基本単位 (安田他2015a:14)
図2 大学院入学を例としたTEM図 (安田他2015b:6)
ない」(nonF)が両極化した等至点となり、大学院入学後の進路GがセカンドEFPとなる。そのほ か、「等至点から遠ざけようと働く力を社会的方向づけ(Social Direction: SD)、等至点へ至るよう に働く力を社会的助勢(Social Guidance: SG)」(安田他2015a:15)と呼ぶ。
TEMには、「1/4/9の法則」15)があり、「研究対象が1事例の場合は、個人の径路の深みを探るこ とができる数であり、4(±1)事例は経験の多様さを描くことのできる数であり、9(±2)事例は、径路の類型 を把握することができる数である」という(安田2015a:166)。
本稿では、Hさん1人のライフストーリーについてTEM図を用いて分析する。
4. 韓国人ろう者 H さんのライフストーリー
4.1 調査の方法本研究では、ろう者Hさん(20代男性)に対し、2014年3月23日と5月11日、および2015年5月3日 に韓国手話により半構造化インタビューを行った。インタビューの内容は、彼自身の生い立ち や言語環境と共に、日本語を勉強するようになったきっかけや、その後の日本や日本語とのか かわりについてである。1回目は手話通訳士(韓国手話と韓国語)を介してインタビューを行った が、2回目と3回目は筆者が直接、韓国手話によりインタビューを行った。
インタビューの時間は、1回目と2回目は約1時間半程度、3回目は1時間程度である。インタ ビューは承諾を得て録画し、それを日本語に文字化し文字化資料を日本語、韓国語、日本手 話、韓国手話のマルチリンガルである日本人聴覚障害者に確認、校正、一部翻訳を依頼した。 それをもとに等至点に至るまでのHさんの経験を時系列に並べて再構成し、まとめた。
4.2 TEMによる分析
本研究では、当初、「日本語学習を始める」を等至点(EFP)として設定してインタビューを開 始したが、Hさんが日本語の学習を始めたことのみならず、さらに日本語学習がその後のHさん の人生にどのようにかかわっているかを見ることの方が重要と考え、「海外の人と持続的に交流 を持つ」を第二の等至点(EFP2)として設定し、インタビューの内容を4期に分けて分析した。図3 は、Hさんのストーリー全体のTEM図である。TEM図では、実際に選択した経路を実線で、選 択しなかったがあり得た経路を点線で示している。また、等至点への歩みを後押しする力(社会 的助勢:SG)を上向きの矢印で、等至点に向かうのを阻害する力(社会的方向付け:SD)を下向き の矢印で表している。
表1にTEMの用語ならびに本研究における意味を示す。
15) 荒川他(2012:98)や安田他(2012:58)によると、「1/4/9の法則」は経験則である。
図3 HさんのライフストーリーTEM図
用 語 本発表における意味
初めに設定した等至点(EFP1) 日本語の学習を始める
第二の等至点(EFP2) 海外の人と交流を続ける
両極化した等至点 (PEFP) 海外の人との交流を続けない
分岐点(BFP) 海外との交流につながる契機となった出来事
BFP1:聾学校に転校する
BFP2:ろう者のためのフリースクールに通う BFP3:仕事を辞める
BFP4:Skypeで日本人に韓国手話の講義をする
必須通過点(OPP) 等至点に至るまでに経験せざるを得ないポイント
OPP1:韓国手話をL1として獲得 OPP2:韓国語をL2として獲得
社会的助勢(SG) 等至点への歩みを後押しする力
社会的方向付け(SD) 等至点に向かうのを阻害する力
表1 TEMの用語ならびに本研究における意味
以下、Hさんのライフストーリーを1期から4期に分けて言及する。なお、図4から図7は、図3 のそれぞれ第1期から第4期に分けて表したものである。
4.2.1 第1期:聴覚障害者として生まれ手話をL1として獲得する
Hさんは聴者の両親のもとに先天性の聴覚障害者として生まれた。両親と二人の妹は全員聴者 である(SD)。幼稚園と小学校1年間、口話学校に通ったが、意味が分からなくても口の形を見て 無理やり声を出す練習をさせられたり、ミスをすると叩かれたりしてとてもつらかったことを 覚えている。口話学校では手話での会話は禁止されていたし(SD)、手話についての指導もな かったので、手話という言語があることも知らなかった。
その後、両親の離婚や父親の仕事の関係で普通校に2~3校通ったが、先生の口の形は速すぎ て読み取れなかったため理解することをあきらめ、ただ見物していただけだった。適応できず 小学校2年生の秋に聾学校に転校(BFP1)。聾学校で生まれて初めて手話を見たので珍しく、ま た、手話がろう者の言語だということがわかり手話で話すのが楽しくなった。先輩もみんな手 話で話すし、ろう者がたくさんいるからさびしくなかった。寮生活を通して、手話をL1として 獲得した(OPP1)。(図4参照)
4.2.2 第2期:フリースクールに通い、韓国語をL2として獲得する
手話をL1として獲得したものの、小学校にはろう者の先生はおらず16)、聴者の先生は手話で 話したが、聴者式の手話17)(SD)で何を言っているのかわからなかったしおもしろくなかった。
16) Hさん在学当時、中高部にはろう者の先生が2名いたという。
教科書は普通校で使っているものと同じだったが、教科書の中で難しいものは避けて簡単なも のだけを選んで教えたから、教科書の内容を全部勉強することはできなかった。教科書をその まま写してわからない単語についての説明をし、全体の内容を説明して終わりだった。先生か らはわからなかったら質問するように言われたが、質問に行っても先生の説明がよくわからな かった。そのため、本を見ても白紙のように見えた。
中3の時に腕を骨折し、その時から寮生活をやめて自宅通学をするようになった。牧師先生の 紹介(SG)で中3から高1になる時の冬休みにろう者のためのフリースクール18)に1か月通い(BFP 2)、国語、英語、数学を習った。そこで出会ったろう者のJ先生から文章の読み方や書き方など を教わった。フリースクールでは先生も生徒もろう者であり、レベルに合わせて教えてくれた ため(SG)、おもしろくて内容がすぐに理解できた。それまで聾学校で学んでも全く理解できな かったことが、1か月で理解できるようになった。冬休みの間だけだったので時間が足りなかっ たが(SD)、その後、あきらめずに自分で方法を見つけて勉強し、本を読む努力をした。それま では本が大嫌いだったが、フリースクールの勉強を通して韓国語がわかるようになり、本を読 むのが好きになった(OPP2)。(図5参照)
17) 聴者の手話は、音声言語(韓国語や日本語)を韓国語の単語に置き換えただけのものになることが多く、ろう者にはよくわ からない手話になることが多い(若月2015:145)。
18) Hさんによると、経済的な理由のため閉鎖され、現在はないという。
図4 第1期:ろう者として生まれ手話をL1として獲得
図5 第2期:フリースクールに通い、韓国語をL2として獲得
4.2.3 第3期:日本に関心を持ち、日本語の勉強を始める
日本語には高1のころから関心を持つようになった。もともとは誰かにもらった漫画を退屈し のぎに読んでいたのがきっかけだった。フリースクールが閉校された後に読むようになったと 思う。漫画は韓国語で書かれていたので韓国のものだと思っていたが、後で日本のものだと 知った。最初に読んだのは「クレヨンしんちゃん」である。また、自宅のテレビには字幕がな かったが、インターネットの日本のアニメやドラマには字幕が付いていることを知り(SG)、見 るようになった(BFP3)。家族は手話ができないので会話がなかったし(SG)、韓国のドラマが楽し めないので「代理満足」であった。そこから日本の文化や日本語に興味を持つようになった。
高校2年生の時に、学校で日本語の授業があったが、ひらがな、カタカナ、あいさつの繰り返 しと単語の意味を説明するだけの詰め込み式だった。文章や会話の方法はわからなかったの で、当時、ろう教会で開講されていた日本語教室に通うようになり、自主的に日本語学習を始 めるようになった(EFP1)。思ったより難しいのでやめようかと思ったこともあったが、もった いないから頑張ろうと思った。
高校卒業後、職業訓練学校に入った。そこではろう者のための文章の練習をするクラスも あった。そこで韓国語の助詞 “에”や“에서”の使い方なども習った。日本語でも同じような使い分け があることがわかり、日本語と韓国語を比べながら理解するようになった。その後、工場に就職し忙しく なったが(SD)、通勤時間(SG)などにインターネットで紹介されていた(SG)『菊と刀』の韓国語版を読ん だ。工場は1年働いて退職した(BFP3)。(図6参照)
図6 第3期:日本に関心を持ち、日本語の勉強を始める
4.2.4 第4期:日本語以外にも関心を持ち、さまざまなことに挑戦する
仕事を辞めて時間ができたので(SG)、本をたくさん読むようになった。特に古典が好きで、
『孫子兵法』や宮本武蔵の『五輪書』も読んだ。日本文化や歴史の本なども読んだ。また、教 会で中国人ろう者に会ったことがきっかけで(SG)中国語も勉強するようになった。そのほかエ スペラント語にも興味がある。ろう青年団体の役員として東京にも行った。その時には筆談で 日本人に道を聞いたり、韓国人の仲間に本で読んだ日本の文化について紹介したりした。その 後、教会のメンバーたちと中国教会の訪問もした。
1年後、古宮に文化出演者として就職。1日に数回出演するが、それ以外の時間には本を読む こともある。また、書く練習も必要だと思い日本語で日記を書いたり、そのほか日韓対訳に なっている日本語の教科書を読んだりしながら勉強している。対訳になっている教科書は中国 語のものも持っているが、日記は日本語でしか書いていない。日本語の日記は添削してくれる 日本人がいるが(SG)、中国語で書いても日記を直してくれる人がいないからである。
語学だけではなくコンピューターや建築関連の資格試験にも挑戦し、すでに合格したものも ある。2014年から友達の紹介(SG)でSkypeを使って大阪にいる日本人ろう者に韓国手話を教えて おり、韓国手話の日本人学習者が何度も訪韓している。また、2015年4月にはHさん自身が大阪 を訪問し、韓国手話の学習者たちと会うなど、持続的に日本との交流を続けている(EFP2)。お 金を貯めて将来は大学に進学し、聾学校の教員になって、J先生のように後輩たちを指導したい と思っている。(図7参照)
図7 第4期:日本語以外にも興味を持ち、さまざまなことに挑戦
5. 考察
聴覚障害者として生まれたHさんは、口話学校や普通校に通ったが韓国語を習得することはで きなかった。聾学校に転校した小219)で初めて手話に出会い、寮生活を通して手話をL1として獲 得することができた。しかし、聾学校にはろう者の先生がおらず、授業がわからなかったとい う。これは、カミンズ(2011:158159)のいう「多くの国でろう者教師が不足していることがろう 児の学校教育の失敗の直接の原因」であることをHさん自身も経験したと言える。また、カミン ズ(2011:164)は、「第一言語というのは、仮にそれが手話であっても、思考や問題解決のツール であり、周囲の人びととの関係づくりを可能にすると同時に、思考の世界、抽象的な世界を知 るためのツール」であると述べ、「学校という環境の中でバイリンガルㆍバイカルチュラルプ ログラム20)が手話を使用するのは、ただ現地語習得と教科内容理解への導火線であるというだ けでなく、さまざまな問題に対して自分の考えを表明し、批判的にモノを考えるために欠かせ ないツールとして大事だから」であるという。Hさんの場合は、たったの1か月ではあるが、フ リースクールで彼自身のL1である韓国手話により韓国語を習うというバイリンガル教育を受け たことにより、L2として韓国語を習得することができた。L1として韓国手話を、L2として韓国 語を習得することは、Hさんにとって必須通過点(OPP)であったといえる。これには小2の時の聾
19) インタビューによると、転校等により実際にはほかの同級生より2歳年上だとのことなので満9~10歳頃と思われる 20) ここではカミンズ(2011)は、アメリカにおけるアメリカ手話(ASL)と英語のバイリンガルㆍバイカルチュラルプログラムについて述
べている。ここではL1がASLであり、現地語(L2)が英語となっている。
学校への転校や、フリースクールに通ったことなどが分岐点(BFP)となった。さらに、韓国語を 習得したことがカミンズのいう「導火線」となってさまざまなことに学習意欲を持ち日本語学 習への興味へとつながっていった。また、骨折により寮生活から自宅通学になったことは、イ ンターネットへのアクセスが可能な状況を生み出し、一般的には「障害」ともとらえられる自 宅のテレビに字幕がなかったことや、家族に手話ができる人がいないため家族との会話がない ことも、彼自身を日本語学習へと向かわせる社会的助勢(SG)となった。さらに、仕事を辞めて (BFP3)時間ができたことにより本を読む時間が増え、また韓国手話の講義をSkypeで始めたこと (BFP4)も、持続的に海外と交流を続ける(EFP2)ための分岐点となった。日本語の学習を始めた ことが、日本人との交流の機会を持ち自身の世界を広げる大きなきっかけとなった。
Hさんがこのように自身の世界を広げることができたのは、さまざまな要因が挙げられるが、 人との出会いが社会的助勢(SG)となっていることがわかる。L2として韓国語を獲得できたの は、牧師先生がフリースクールの存在を知らせてくれたことだし、またそこでJ先生に出会った ことであった。またSkypeで韓国語を教えるようになったきっかけは友達の紹介である。日本語 学習に関しては、自ら日本語を学びたいと思ったときに、ろう教会に日本語教室が開講されて いたことが、日本語学習を持続する上で大きな影響を与えたことは否定できない。また、中国 語やエスペラント語も学習しているが、日記を書いているのは日本語だけである。この理由に ついて彼は、「中国語は書いても直してくれる人がいない」と述べている。教会に日本語教室 があり、日本語の先生にいつでも質問できる(SG)という環境、つまりアクセシビリティの高さ が、彼の学習を持続させた一因となっていると考えられる。
Hさんは、運よく日本語学習をするための「接近(アクセス)」ができたが、すべてのろう者が このように自分が学習したいことに接近できるわけではない。マイノリティへのアクセシビリ ティを高めていくことが、多様性を認め合う社会において日本語教育に求められているのでは ないだろうか。例えば、エレベータのボタンの横にある点字は、多くの晴眼者にとっては全く 必要のないものであるが、視覚障害者にとっては一人でエレベータに乗るためには必要なもの である。同じようにたとえ需要が少ないとしても、マイノリティが日本語を学びたいと思った ときに、すぐにアクセスできるような受け皿を日本語教育界は作っていく必要があり、また教 師は学習を支えていくためのスキャフォールディング機能を担っていく必要があるだろう。
6. まとめと今後の課題
Hさんは日本に対する興味がきっかけとなって日本語学習を始め、現在では日本のろう者と交 流するようになった。Hさんのケースは、ろう者が外国語を学ぶことにより、韓国内だけでなく 海外と交流し、自分自身の世界を広げることができるという一つの可能性を示している。ま た、Hさんがこのように海外との交流を続けていけるまでになったことには、人とのかかわりが
影響を与えているが、教会の日本語学教室や日本語教師が身近にいたことなど、日本語学習へ のアクセシビリティが高かったことも挙げられる。ここに日本語教育がマイノリティに貢献で きる可能性を見出すことができる。
多様性を認め合う社会の中で、今後の日本語教育界は、マイノリティが日本語学習の機会を 得られるようアクセシビリティを高める努力が求められると考えられる。
本稿では、TEMを使って1人の韓国人ろう者に対してのライフストーリーを分析した。今後は、対象 者を増やし、日本語教育がマイノリティに貢献できることが何かについてさらに具体的な示唆が得られる よう研究を進めていきたい。
◀ 参考文献 (Reference) ▶
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<要 旨>
본 논문은 일본어를 배우는 한국인농인의 라이프스토리를 복선경로등지성(複線径路等至性) 모델(TEM)을 사 용하여 분석함으로써 마이너리티를 대상으로 한 일본어교육의 공헌가능성에 대해 시사점을 얻으려는 것이다. TEM이란 비가역적시간(非可逆的時間) 속에서 개인의 라이프스토리를 기술하는 문화심리학적 방법론으로, 개 인의 변용을 환경과의 관계에서 파악하되, 구조가 아닌 과정을 이해하려는 점에서 그 특징이 있다. 본 연구에 서는 한국인농인(20대 남성)을 세 번에 걸쳐 한국수화로 반구조화인터뷰를 실시하고 이를 통해 얻어진 스토 리를 4기로 나누어 분석하였다. 그 결과, 농학교로 전학한 것이 한국수화를 L1으로 획득하는 분기점(BFP1)이 되었고, 대안학교에서 학습한 것이 한국어를 L2로 획득하는 분기점(BFP2)이 된 것을 알 수 있었다. 그가 L1, L2습득을 통해 더 공부하고 싶다는 의욕을 가지고 스스로 책을 읽게 된 것은 일본어학습이라는 등지점(等至 点, EFP)에 도달하기 위한 필수 통과점(OPP)이 되었고, 일을 그만두어 시간여유가 생긴 것과 Skype를 사용하 여 일본인농인에게 한국수화를 가르치기 시작한 것은 제2의 등지점(EFP2)으로 이어지는 분기점이 되었다. 농 인에게 있어 외국어를 배우는 것은 결코 쉬운 일이 아니지만, 이 사례는 농인이 외국어학습을 통해서 해외와 교류하고 자신의 세계를 넓힐 수 있다는 가능성을 보여준다. 그가 이렇게 자신의 세계를 넓힐 수 있었던 것 은 농인교회에 개설된 일본어교실과 일본어교사가 가까이에 있다는 점 등, 일본어학습에 대한 접근성 (accessibility)이 높았기 때문이다. 농인을 비롯한 마이너리티가 일본어 학습기회를 얻을 수 있도록 접근성을 높히는 것이 일본어교육이 마이너리티에게 공헌 가능하게 하는 길임을 알 수 있다.
주제어 : 마이너리티, TEM, 라이프스토리, 농인, 접근성(accessibility)
■ 투 고 : 2015. 05. 31.
■ 심 사 : 2015. 06. 15.
■ 심사완료 : 2015. 07. 20.