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戦間期日本の海外直接投資

概論

Japanese Foreign Direct Investment in the Inter-war Period

新保

博彦

Hirohiko SHIMPO

E-mail: hshimpo@gmail.com,

URL: https://sites.google.com/site/hshimpo/.

(作 成 日 時: 2017年4月8日 、 論 文 番 号:HS_2017_J4)

目 次 はじめに

1 戦間期日本の国際収支

2 戦間期日本の対朝鮮、満洲、中国投資

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1

戦間期日本の海外直接投資 概論

Japanese Foreign Direct Investment in the Inter-war Period

キーワード (Key Words):海外直接投資 (Foreign Direct Investment (FDI))、経営資源の移 転 (Transfer of Business Resources)、国際収支 (International Balance of Payments)、在外日 本企業 (Overseas Japanese Companies)、日本型海外投資 (Japanese Style Foreign

Investment)

はじめに

本論文から4回にわたって、戦間期日本の海外投資、特に直接投資についてまとめて検 討したい。まず、本論文は概論とし、朝鮮、満洲、中国を順次取り上げる。国・地域別の 検討は、Japanese Companies in East Asia: History and Prospects (Shimpo(2015))の 各 章 の 要 約 と も な っ て い る。 この 英 文 著 作 に 対 応 する 日本 語 論 文 は 作 成 し てい ない の で 、 本 論 文 を 参 考 に 読 ん で いた だけ れ ば 幸 い で す 。

戦間期の直接投資の研究は、世界でも日本でもまだ十分に進んでいるとは言えない。戦 間期になってようやく直接投資が海外投資の主流になりつつあったことが背景にある。直 接投資の概念も一般的ではなく、また現在ほど厳密ではなかったため、直接投資のデータ の収集は困難を伴う。

また、受入国への経営資源の移転と経済発展の原動力としての直接投資の役割も十分に は理解されていなかった。今でも、海外投資、資本輸出が受入国からの資源や資金の搾取 だと理解する「帝国主義」的理解が、影響力を少なからず保っている。特に、我が国の周 辺では、戦後70年も経っているにも関わらず、現在の自国政権の維持・延命を図るた め、「日本帝国主義」の批判が行われ、戦間期の海外投資の具体的で詳細な研究が遅れて いる。

こうした条件の下では、戦間期日本の直接投資の研究は、非常に重要な歴史的な課題で あり、私の研究は、そのためのひとつの試みである。

1 戦間期日本の国際収支

日本の直接投資を検討するのにあたって、まず、国際収支を検討することから始めよ う。これまで、新保博彦(1998)とShimpo(2015)でも『長期経済統計 14 貿易と国際収支』

のデータをまとめてきた。本論文では、1) 検討年度を1921年から40年までの20年間と し、2) 年平均ではなく、期間合計の金額で表示した、表1を作成した。1

戦間期日本の国際収支は、大きく変貌しようとしていた。貿易では、貿易額の急増と、 貿易収支の赤字国から黒字国への転換である。Shimpo (2015, Table2.6.1-3, p.57-59)では、相 手国別・商品別の貿易を検討しているが、1938年の輸出相手国としては、関東州が

19.9%、満洲国が11.8%、中国が11.6%と圧倒的に中国向けが多く、日中間の経済的な関係

が深まっていることがわかる。(Shimpo (2015, Table2.6.3, p.59))

1 Shimpo (2015, Table 2.11, p.72)

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これに対応して、資本収支は1930年代 には赤字になり、資本輸出国となった。 長期資本流出は、戦間期に着実に増大し ている。4期間の合計は73.9億円に達し た。

20年間の国際収支の長期資本流出の

73.9億円は、戦間期の直接投資(残高) を知る第1の手がかりになる。以下で順 に検討するように、第2の手がかりは、 東アジア各国・地域への投資の集計で、

3の手がかりは、それらの国・地域で 活動する企業への投資の集計である。い ずれの方法も一長一短であるが、それぞ れの特質を生かしながら、戦間期日本の 直接投資の実態と特徴に迫ってみたい。

もう一度国際収支による検討に戻ろう。20年間の長期資本流出額はフローの金額なの で、1940年直接投資残高に比べれば少ない。1920年以前の投資が含まれていないからで ある。他方、長期資本流出には社債や銀行貸し付けなどの間接投資なども含まれているた め、流出額合計を直接投資とみなすことはできない。特に戦間期には社債投資も少なくな いことには注意が必要である。

なお、長期資本流出はその後も増大を続ける。1941年から44年には55.8億円となり、

24年間合計は130億円に達する。ただし最後の4年間は戦争期間中であり、様々な特殊な 要因が含まれている可能性があるので、本論文での検討は1940年までとしたい。

2 戦間期日本の対朝鮮、満洲、中国投資

戦間期日本の主な投資先は東アジアであり、特に朝鮮、満洲、中国であった。2では、 これらの国・地域について順に検討し、最後に全体としての投資の実態と特徴を明らかに したい。朝鮮、満洲、中国における直接投資については、統一した基準による調査は無い ので、それぞれを別々に検討することになる。

日本による朝鮮統治は、1910年に始まった。代表的な企業で最も早く朝鮮に進出したの が、1908年の東洋拓殖である。翌年に朝鮮銀行が設立された。後に朝鮮最大の企業集団と なるのは日本窒素肥料であるが、その子会社である朝鮮窒素肥料は1927年に設立され た。(Shimpo (2015, Table 4.3, p.120)2

2は、京城商工会議所が作成した、朝鮮に対する日本の投資を内容別に詳しく分類し

2

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た調査である。投資については主に4種類 に分類されている。1 国庫による投資額、

2 預金部資金による投資、3 会社資本によ る投資、4 内地人個人資本による投資であ る。その総額は73.3億円にも達する。朝鮮 開発のために、日本の政府、企業、個人が 行った貢献は著しく大きい。3

この中で項目として最も大きいのは、3 会社資本による投資で、総額の53.8%を占 める39.4億円である。直接投資に該当する のは、このうち(1) 朝鮮内に本店を有する 会社による投資の、(イ) 払込資本金に於け る内地人株主の払込額である17.0億円であ る。さらに、(2) 朝鮮内支店を通じての内 地会社の投資のうち、(イ) 在朝鮮事業が其 の全事業内容たる内地会社の投資と、(ハ)

朝鮮内支店を従とする内地会社の投資の合計4.3億円も直接投資とみなせるので、日本の 対朝鮮直接投資はあわせて21.4億円と考えられる。

直接投資は21.4億円と推測できるが、それ以外の投資、朝鮮殖産銀行の6.1億円、東洋 拓殖の4.5億円をはじめとする社債だけではなく、内地個人資本である工場商店等企業経 営への投資5.0億円などの多さも注目できる。全般的な特徴として、戦間期日本の対朝鮮 投資は民間主導で、さらに直接金融主導で行われたことも強調しておきたい。

次に満洲に対する投資であるが、満洲への本格的な進出は、日露戦争の結果として得た 鉄道路線をもとに、1906年に南満洲鉄道が設立されたことに始まる。満洲への投資は

1910-20年代に大連への投資が活発になり、1932年の満洲国設立以降に全地域で急増す

る。特に1937年に日本産業が満洲に移り、満州重工業開発が設立されて以降、満洲への 投資は最も活発になる。(Shimpo (2015, Table 5.5, p.152-3)

満洲に対する投資についてしばしば取り上げられる調査には2種類ある。まず、表3と してまとめた『日本興業銀行五十年史』による調査である。もうひとつは『東北経済小叢 書』による調査である。4これら2つの調査の方法と結果はかなり異なっているので、

Shimpo (2015, Table 5.4, p.150)は、満洲の代表的な企業である南満洲鉄道、満洲重工業、満 洲中央銀行、満洲興業銀行の財務データもあわせて検討した。

『日本興業銀行五十年史』による調査は、フローの統計である。系統別と形式別の2種 類の集計から成っている。表3では1940年までと、1945年までの合計を記載した。1940 年末には、投資総額は40.6億円、直接投資は株式公開を含めて13.1億円、1945年末に は、投資総額は90.8億円、直接投資は28.1億円である。

3 Shimpo (2015, Table 4.1, p.115)

でも検討している。

4 Shimpo (2015, Table 5.2, p.147)

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なお、天野(1932, p.89)に よれば、1929-30年度末の 日本の対満投資額は17.9億 円であるので、対満州投資 をストックで検討するため には、これを合算しなくて はならない。同じ天野

(1932, p.13-4)によれば、や や時期がさかのぼるが、

1926年の在満日本会社資本 金増加状況は5.8億円とな っている。

『日本興業銀行五十年 史』と天野(1932)を合計すると、直接投資は、1945年末には33.9億円、1940年末で集計す ると18.9億円となる。

もうひとつの重要な調査である『東北経済小叢書』は、1946年7月13日に中華民国政 府のもとに設置された、東北行営経済委員会の下部組織である東北物資調節委員会によっ て作成された。同調査によれば、対満洲投資総額 (1945年6月現在)は、日本からの投資

112.8億円、満洲内での投資を128.7億円、合計で241.5億円であると推計した。(Shimpo

(2015, Table 5.3, p.148))日本からの投資のうち、株式は51.6億円である。『日本興業銀行五 十年史』と天野(1932)の合計である33.9億円と比較すると、かなり大きな相違がある。『東 北経済小叢書』には、Shimpo (2015)でも指摘したように、かなり重複計上と過大評価があ るのではないかと推測される。

最後に満洲を除く中国である。中国への投資は、朝鮮と満州とは異なって主要な先進工 業国が活発に行っている。シー・エフ・レーマー『列國の對支投資』は、1931年の満洲を 含む各国の対中投資を推計している。世界合計で32.4億ドル、そのうちイギリスが11.9億 ドル、日本が11.4億ドルで、両国の投資が圧倒的に多い。イギリスは、上海へ7.4億ドル、日 本は満洲へ5.5億ドルと、地域別にみると対照的である。(Shimpo (2015, Table 1.3, p.17))

日本の満洲を除く対中国投資の中で広く知られているのは、日本の紡績業による投資、

在華紡である。在華紡には、上海に本社を置く上海製造絹糸(1906年設立、鐘淵紡績の子 会社)、日華紡織(1918年、倉敷紡績の子会社)、同興紡織(1920年)、裕豊紡績(1929年、東 洋紡績の子会社)、日本に本社を置く大日本紡績と内外綿がある。上海製造絹糸や日華紡織 は、日本の有力な紡績企業が設立した子会社であるが、株式が公開され比較的独自に活動 している企業として注目される。(Shimpo (2015, Table 1.6, p.26))

日本の中国進出が急速に進むのにともなって、1938年に設立された北支那開発や中支那 振興などの、南満洲鉄道のような国策会社とその子会社群が重要な役割を果たすようにな る。ただし、南満洲鉄道をはじめこれらの企業は、国策会社なので日本政府が50%出資し ているが、残りは幅広く所有されていることには注意しておきたい。(Shimpo (2015, Table

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日本による満洲を除く対中投資につい ての調査は、1938年末残高ではある が、表4で利用した東亜研究所編『日本 の対支投資 : 第一調査委員会報告書』

が最も包括的である。この調査による と、1938年末の総投資額は、27.3億 円、対中国投資では借款投資、特に中央 政府借款投資が多いので、直接事業投資 は16.1億円である。このうちで最も重 要なのは、先に示した在華紡などの紡績 業で4.1億円、それらを支える銀行業も

3.3億円、輸出入業も2.6億円となっている。5

1938年以降も大規模な投資が行われている。表4の投資業の金額からみて、1938年北 支那開発(資本金3.5億円)や中支那振興(資本金1億円)が含まれていないと思われ る。そこで、1938年以降で1940年までに設立された企業の払込資本を集計すると8.7億 円になる。重複計上の可能性もあるのでやや過大評価の恐れがあるが、これらすべてを加 算すると、1940年末の直接投資額は24.8億円になると推測できる。

ここまでの国・地域別の検討を表5にまとめておこう。すでに具体的に検討してきたよ うに、それぞれの場合の資料の作成の基準が違うので、単純な集計や比較は難しい。ひと つの試算としてそれらを合計すると、1940年末のこれら東アジア各国・地域への直接投資 の合計は約65.1億円となる。すでに検討したように、国際収支の長期資本流出は73.9億 円であるので、対応しているかのようにみえる。しかし、日本の長期資本流出には社債に よるものが多いので、国際収支データを基準に考えると、直接投資の流出額はやや過大で あると考えられる。

以上の結論については、今後も検 討を続ける必要があるが、とりあえ ずいくつか暫定的な結論をまとめて おきたい。第1に、日本は1940年 までに、朝鮮、満洲、満洲を除く中 国に、それぞれ20億円前後の直接 投資を行った。直接投資は、特に満 洲と朝鮮では第2次世界大戦の敗戦 まで増大を続けた。第2に、直接投 資は日本の投資のうちでしだいに中 心になっていったが、直接投資を含む全海外投資全体は、その数倍の規模で行われ、1945 年末には満洲で110億円、朝鮮と満洲を除く中国をあわせると概算で200億円を超えると 推計される。これに、『東北経済小叢書』の推計を利用して、在外子会社による現地での

5 Shimpo (2015, Table 1.4, p.20)

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独自の投資を加えると優に300億円に達すると考えられる。なお、以上の集計には、重要 な受入地域である台湾、南洋諸島などは含まれていない。

戦間期日本による対東アジア投資が各国・地域の経済発展に果たした役割は大きい。特 に、その投資の主な形態が、他の先進工業国でよくみられた政府や自治体あるいは鉄道へ の借款投資ではなく、日本企業による株式(直接投資)や社債であったことが特に重要で ある。周知のように、直接投資は単なる資金の移動ではなく、生産設備や財務管理をはじ めとする経営資源の移転である。これらの国・地域の経済発展を支える株式会社と近代的 な企業組織の創設や移転である場合も少なくなかった。以上の意義については、3でまと めて論じたい。

3 在外日本企業の活動からみた直接投資

最後に、東アジア各国・地域で活動する企業のデータから直接投資を推計する方法を採 用してみよう。表6は、『株式会社年鑑 昭和16年版』にもとづいて、払込資本金1000万 円以上で、1935年までに設立された、東アジア各国・地域に本社を置くか、そこでの事業 が中心である日本企業、これらを総称する在外日本企業6の一覧である。払込資本金の順 に並べている。7

表6では上位20社に限定してい るが、原論文の表に掲載している企 業46社は、次の通りの分布であ る。満洲が13社で払込資本金が

19.2億円、朝鮮が13社で4.2億 円、満洲を除く中国が5社で0.7億 円、台湾が6社で2.2億円などであ る。

46社を合計すると、払込資本は

29.1億円、社債は31.3億円、その 他の項目は表の通りである。ここ に、1936年以降には、日本の直接 投資が急増するので、それ以降に設 立された企業を加えると、表5の

65.1億円に近づくことが推測され る。

個々の企業データを積み上げて、海外で活動する日本企業の活動をみていくと、国際収 支やマクロの直接投資統計では把握できない、以下のような重要な特徴がみえてくる。新

保博彦(2008)では産業別・地域別に詳しく検討しているので参照していただくことにし

6

東アジア各国・地域に進出した戦間期日本企業は、本社を海外に置くことが多く、企業 としての独立性は強い。

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て、以下ではその結論をまとめておきたい。

1に、その産業的な構成である。代表的な産業は、戦間期のインフラストラクチャで ある鉄道、電力、金融などである。このインフラストラクチャの整備によって、近代的な 産業全般の建設と発展が可能になった。このような産業構成は、内地の日本企業全体のそ れと著しく近似している。

2に、この産業構成からも明らかなように、東アジア各国・地域への投資を担ったの は、主に主要財閥系企業ではなく、新興財閥や独立した企業群であった。戦前の主要財閥 は、当時の支配的なコーポレート・ガバナンスではなかったし、海外投資の主要な担い手 でもなかった。

3に、戦前日本の海外で活動する企業は、国策会社や特殊銀行も含め、主に内地の金 融・証券市場で、株式を公開し社債を発行する企業であった。内地で活動する企業も、市 場中心型のコーポレート・ガバナンスであったので、この点でも、内地の主要企業と東ア ジア各国・地域で活動する企業は、基本的に同じ特徴を持っていた。

4に、現代の直接投資では、進出した国での企業はしばしば本国の本社の完全支配下 に置かれる傾向が強いが、戦間期の在外日本企業は、以上の3つの特徴の結果として独立 性が高いことを、重要な特徴として挙げておく必要がある。

5に、在外日本企業は、ようやく誕生し成長しつつあった投資受入国・地域(現地) 企業8に強い影響を与えつつ、現地企業と活発な協調と競争を展開していた。

以上の特徴を持った戦間期日本の海外投資、特に直接投資を、私は日本型海外投資

(Japanese Style Foreign Investment) (Shimpo, 2009, 138)と呼んだ。

日本型海外投資、そのうちでも特に直接投資が、現代の直接投資と同じように、生産設 備や財務管理をはじめとする経営資源の移転という役割を果たしていたことが重要であ る。経営資源は、朝鮮や満州では日本本土とは異なって戦争の被害をあまり受けずに、そ のまま各国の所有となったので、戦後の経済発展に大きく貢献した。さらに第2次世界大 戦以前には、これら東アジア各国・地域では企業組織そのものや、金融証券市場に基礎を 置く近代的な企業組織が十分に発展していなかったので、それらを移転するという役割も 付け加わった。さらに、近代的な企業組織が発展するために不可欠な金融証券市場の設立 も各国・地域で進められた。

ところで、先進工業国資本が進出した国・地域では、第1次産業に属する産業が奇形的 に発展する、あるいはそのような産業に特化する傾向が強いとしばしば批判されるが、日 本の海外投資については、全体としてみればそのような指摘は当てはまらないと思われ る。また、現在でも、戦前日本の投資が搾取や略奪だったとする批判が、中国・韓国や日 本の一部の研究者から行われ続けている。その批判はすでに具体的な事実の検証によって 十分に反論されているが、今や政治的な取引の材料と化している。この分野において、改 めて具体的な事実に基づく科学的な研究と論争が進められることを期待したい。

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図表の出所

表1: 山澤逸平・山本有造、1979年、『貿易と国際収支 長期経済統計 14』、東洋経済新報 社、第16表、224-227ページ。

表2: 京城商工会議所、1944年、「朝鮮に於ける内地資本の投下状況」、39-41ページ。 表3: 日本興業銀行臨時史料室、1957年、『日本興業銀行五十年史』、第37表、第160表、

第270表。

表4: 東亜研究所編、1942年、『日本の対支投資 : 第一調査委員会報告書』、下巻1043-51 ページ、上巻226ページ。

表5: 表2から表4のまとめ。

表6: 東洋経済新報社、1941年、『株式会社年鑑 (昭和)16年版』および大阪屋商店調査部 編纂、1941年、『昭和16年度 株式年鑑』、大同書院。

基本的には『株式会社年鑑 (昭和)16年版』に基づき、当該年度のデータがない場合に は、『昭和16年度 株式年鑑』を利用した。

文献目録(本文での検討順、図表出所の文献は除く)

・東北物資調節委員會研究組編、1948年、『金融(東北經濟小叢書 19)』。 ・天野元之助、1932年、『満洲経済の発達』、南満洲鉄道。

・東洋経済新報社編、1941年、『大陸会社便覧 昭和17年版』 (金丸裕一編、2009年、『大 陸会社便覧』、第2巻 昭和17年版、ゆまに書房).

筆者の主要な参考文献

・新保博彦、2008年、「戦前日本の海外での企業活動」、『大阪産業大学経済論集』第9 巻第2号。

・新保博彦、2006年、『日米コーポレート・ガバナンスの歴史的展開』、中央経済社。 ・新保博彦、1998年、『世界経済システムの展開と多国籍企業』、ミネルヴァ書房。 ・Shimpo, Hirohiko, 2015, Japanese Companies in East Asia: History and Prospects:

Expanded and Revised Second Edition, CreateSpace Independent Publishing Platform and

Kindle Edition (Amazon Digital Services, Inc.

Shimpo, Hirohiko, 2009, Historical Development of Japanese Companies: Corporate

Governance and Foreign Investment: Expanded and Revised Second Edition, CreateSpace

参照

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