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財政政策と社会保障

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序 財政政策と社会保障

井堀利宏

1 本書のねらい 本書の構成

本書では,財政運営 5 本,社会保障 3 本,税制 3 本,地方財政 2 本,財政 投融資 1 本の合計 14 本の論文がまとめられている.このうち,財政運営の 分野 5 本について見ると,加藤論文は,90 年代以降におけるわが国の財政 の持続可能性に関する検証を行っている.三井論文は,90 年代の公共投資 政策を効率性の観点から評価する試みである.亀田論文では,日本における 非ケインズ効果の発生可能性について,先行研究を踏まえつつ検討している. 中里論文は,歳出削減,消費税引き上げから財政構造改革法の成立と連なる 96 年から 98 年にかけての財政運営が景気・物価動向に与えた影響の検討で ある.渡辺・藪・伊藤論文は,短い時間スケールの統計と財政関連の法律を 武器に同時性の問題をクリアするという,制度情報を用いた財政乗数の計測 を試みた論文である.

また,社会保障の分野 3 本では,小塩・大石論文は,生涯に受け取る年金 総額の割引現在価値である「社会保障資産」に注目して,1980 年代以降に おける年金改革の効果を検討したものである.金子論文は,社会保障改革, とりわけ医療保険制度の展開とその日本経済への影響に関する考察である. 宮里論文は,世代間負担格差を定量的にとらえる世代会計の手法を用い,世 代間の再分配がどの程度発生し,またどのように推移してきたかを考察した ものである.

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人税)の税収弾性値に焦点を当て,バブル崩壊前後における推移と変動の原 因を定量的に分析している.

地方財政の分野は 2 本で,土居論文は,バブル・デフレ期を通じて,日本 の地方財政がどのように展開したかについて,財政赤字と地域間格差に焦点 を当てた分析を行っている.井堀論文は,政府間財政のソフトな予算制約を 明示したモデルを構築し,バブル期以降の日本の財政運営,とりわけ地方が 行う公共投資の決定要因を分析している.

最後に,財政投融資の分野で唯一の論文である中田論文は,バブル・デフ レ期を経て進められた財政投融資制度改革の分析をしている.

各論文のねらい

1980 年代以降のバブル・デフレ期は,日本経済のみならず,財政,社会 保障の分野でも大きな変動期であった.バブル期に財政状況は好転したが, その後のデフレ期に財政状況は大きく悪化した.これは,景気対抗的なマク ロ財政運営の結果でもある.バブルやデフレのような大きなマクロ経済変動 に対して,財政運営がどうあるべきか,また,そのマクロ経済に与える効果 や財政の持続性に与える効果がどうであるのかは,この時期だけでなく,一 般的に重要な財政政策の関心事である.

とくに,マクロ財政運営と財政の持続可能性は,逆の方向に働きやすい. わが国でも,90 年代のデフレ期に積極的な財政出動が採用される代価とし て,大幅に財政収支が悪化し,財政破綻の可能性が現実味を帯びてきた.加 藤論文はこうした持続可能性を対象としており,この時期のマクロ財政運営 を評価する上で,もっとも基本的な分析対象を扱っている.

また,90 年代の財政運営の特徴の 1 つは,公共投資の拡大である.地域 経済を活性化するためという大義名分もあって,この時期の公共投資は地方 での産業基盤整備に重点が置かれた.しかし,その経済効果については疑問 視されている.三井論文は,この点を詳細に検討している.

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低下したというものである.しかし,データの数の制約や統計的な問題点な どがあり,アカデミックなレベルでも,この乗数の大きさについて見解が一 致しているともいえない.渡辺・藪・伊藤論文は,統計的に新しい手法を用 いてこの点を分析している.

97 年の消費税率の 3%から 5%への引き上げは,その直後にアジア通貨危 機を契機として金融不安が表面化し,景気が大きく後退したため,景気後退 の主要な原因の 1 つとしてあげられている.また,この時期の財政構造改革 の動き自体が,民間の投資,消費活動を萎縮させて,景気後退を増幅させた という批判も根強い.中里論文は,こうした批判がどの程度もっともらしい かを,さまざまな角度から分析している.

財政運営と財政事情の関係は,財政状況の善し悪しでマクロ景気対策の効 果が左右されるという「非ケインズ効果」とも関係している.すなわち, 「非ケインズ効果」とは財政支出の削減や増税やむしろ景気を刺激するかも しれないという逆説的な効果である.亀田論文はこの点を分析対象としてい る.これはバブル・デフレ期ばかりでなく,財政状況が厳しいわが国におい て今後の財政運営を考えるうえでも,貴重な示唆を与えるものである.

バブル・デフレ期は少子高齢化が急速に進展した時期でもある.賦課方式 の財源調達で運営されているわが国の社会保障制度は,この時期から財政面 で厳しい状況に直面するようになった.政府は,年金給付の効率化,削減や 年金保険料の引き上げなどで対応してきたが,こうした改革が高齢者の就業 行動にどのような影響を与えたのかを分析する小塩・大石論文は,有益であ る.

また,公的年金の世代間不公平性が広く認識されるようになったのも,こ の時期である.世代会計という概念が注目されるようになり,世代間格差の 定量分析が活発に行われた.宮里論文はこうした研究動向を踏まえて,公的 年金の世代間格差の問題を取り扱っている.また,少子高齢化の結果,公的 年金同様,医療制度でも財政危機に直面するようになった.金子論文は,医 療制度を社会保障制度の 1 つとして見るだけでなく,広くマクロ経済の長期 的な成長との関係も視野に入れて,この問題を分析している.

ところで,バブルの形成や崩壊に財政・税制が果たした役割も無視できな いだろう.とくに,土地などの資産関連税制はこの時期大きく変化している

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が,これがバブルの形成・崩壊にどのように関わっているのかは,興味ある 分析テーマである.井上・清水・中神論文は,1980 年代に生じた不動産市 場でのバブルと税制との関係を正面から分析した重要な研究である.

また,國枝論文は,バブルの形成・崩壊期の税制が民間の家計や企業行動 に与えた効果を幅広く分析しており,こちらも重要な研究といえるだろう. さらに,バブルの形成・崩壊期には税収も大きく変動したが,こうした変動 のもたらす税収弾性値を詳細に検討した石橋論文も,この時期の税制を評価 する上で,貴重な貢献である.

バブルの形成と崩壊は地域経済にも大きな影響を与えた.この時期から, わが国の政府間財政では中央集権よりも地方分権が望ましいとの声が大きく なってきた.こうした点を解明している土居論文は重要であるし,地方での 公共投資の政治的な側面を理論的に分析した井堀論文も有益だろう.

最後に,この時期の財政投融資の役割を分析した中田論文は,その後の財 政投融資制度や公的金融の改革,郵政改革への動きを理解するうえでも,ま た,マクロ経済環境が大きく変動する際の公的金融のあり方を考える際にも, 有益な示唆を与えている.

2 主要な結果

ここで,各論文の主要な結果を簡単にまとめておこう.財政のマクロ運営 に関する 5 つの論文の結果は,次のとおりである.

「 財政の持続可能性と財政運営の評価」加藤久和

加藤論文は,1990 年代以降におけるわが国の財政の持続可能性に関する 検証を行っている.先行研究に関する広範なサーベイを行うとともに,実際 に持続可能性が成立していたかに関する検証を行った結果,①バブル項の存 在の検定,②単位根・共和分分析による検定,③ Bohn[1998](以下,各当 該章の参考文献を参照)の方法,による 3 つを採用した結果,いずれの場合 にも持続可能性は否定されるという.また,Polito and Wickens[2007]によ る持続可能性指標の推計結果からは,1980 年代までおおむね満たされてい た財政運営の持続可能性が,90 年代中盤以降,急速に悪化し,持続可能性 が棄却されることが示されるという.

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三井論文は,1990 年代の公共投資政策を効率性の観点から評価する試み である.社会資本整備が生産活動と生活環境の両面に与える効果を評価する 手法として Roback[1982]の枠組みを所得課税が存在する場合に拡張して社 会資本整備の限界便益を評価した結果,1994 年時点における生活基盤型社 会資本の限界便益はどの地域でも正であり,90 年代における投資政策を, 生産基盤型ではなく生活基盤型を優先する形にすることで,効率性を高める 可能性があったことがわかった.とくに地方圏よりも都市圏でそうした傾向 は大きく,都市圏における生活基盤型社会資本の重点化が有効だという.一 方,第 2 次産業基盤型社会資本の限界便益は東京も含め低下しており,90 年代後半における第 2 次産業基盤型社会資本への重点化は効率性を引き下げ ていたことが示されている.

「 日本における非ケインズ効果の発生可能性」亀田啓悟

亀田論文では,日本における非ケインズ効果の発生可能性について,先行 研究を踏まえつつ検討している.まず,財政再建で景気後退が生じないかと いう懸念について,大規模な財政再建時には民間消費に対する非ケインズ効 果が発生するという.一方,財政拡張政策の効果が非ケインズ効果で減殺さ れる可能性については,緩やかな財政拡大で非ケインズ効果が発生する可能 性は低く,その影響はあっても小規模に止まるとし,財政の悪影響がケイン ズ効果を減殺することはない,とまとめている.

「 1996 年から 98 年にかけての財政運営が景気・物価動向に与えた影 響について」中里透

中里論文は,歳出削減,消費税引き上げから財政構造改革法の成立と連な る 1996 年から 98 年にかけての財政運営が景気・物価動向に与えた影響の検 討である.データ分析の結果からは,96 年後半の公共投資の削減が生産活 動の停滞につながったとはいえないという.また,消費税引き上げ後も生産 や雇用環境には大きな変化は生じなかったが,税率引き上げ後の消費の回復 は力強さを欠いていた.財政構造改革法の成立により,財政運営に新たな制 約が加わったことの影響については,構造改革法施行の 2 週間後には特別減 税実施の表明がなされ,その時点ですでに事実上の政策転換が図られていた ことから,それが 97 年,98 年の景気後退の主要因であったとは考えにくい, と主張している.

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「 制度情報を用いた財政乗数の計測」渡辺努・藪友良・伊藤新 財政乗数は低下したのか,低下したとすればそれはなぜか.財政乗数の計 測は同時性の存在ゆえに容易ではない問題となる.渡辺・藪・伊藤論文は, 短い時間スケールの統計と財政関連の法律を武器に同時性の問題をクリアす るという,Blanchard and Perotti[2002]に則り,制度情報を用いた財政乗数 の計測を試みた論文である.政府支出,税収,産出量の 3 変数からなる構造 VAR を用いて財政ショックに対する産出量の同額的効果を計測した結果, ①財政支出のプラスショックは産出量を増加させるが,効果の持続性は近年, 大きく弱まり財政乗数を低下させていること,②税のマイナスショックにつ いても,近年,有意な反応は観察されなくなっており,この効果は弱まって いる,と論じている.

次に,社会保障関連の 3 つの論文の結果は,次のとおりである. 「 1980 年代以降の年金改革と社会保障資産」小塩隆士・大石亜希子

小塩・大石論文は,生涯に受け取る年金総額の割引現在価値である「社会 保障資産」に注目して,1980 年代以降における年金改革の効果を検討した ものである.分析の結果,①年金改革による支給条件の厳格化の結果,社会 保障資産の水準は 85 年改革を境に大きく低下したこと,②支給条件の厳格 化により,公的年金による高齢者の就業抑制効果はかなり削減されてきたこ と,③年金給付は有意に高齢者の就業を抑制していること,④支給開始年齢 の 65 歳への引き上げの財政効果の試算では,高齢者の就業行動の変化を反 映した収支改善効果が無視できないこと,等を明らかにしている.

「 医療保険制度の展開と日本経済への影響」金子能宏

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の増加等,日本経済の生産面にも影響を及ぼす.医療保険制度の生産性効果 には無視できないものがあるという.

「 1990 年代の世代間再分配政策の変遷――世代会計を用いた分析」宮 里尚三

少子高齢化の進展は賦課方式を前提とした社会保障制度のもとで,世代間 負担の格差を生み出す.宮里論文は,世代間負担格差を定量的にとらえる世 代会計の手法を用い,世代間の再分配がどの程度発生し,またどのように推 移してきたかを考察したものである.推計結果から,90 年代の政策は現存 世代の負担を軽くする一方,一貫して将来世代に負担を先送りする政策を とっていたことがわかる.具体的には,1990 年における 20 歳代の世代と将 来世代の生涯負担格差は 5.5%ポイント程度であったものが,98 年には 51.7%ポイントまで広がっている.これには将来推計人口の下方修正が寄与 している面もあるが,その程度は小さく,将来世代負担増は人口推計だけの 問題だけではないことが示されるという.

そして,税制関連の 3 つの論文の分析結果は,次のとおりである. 「 税制」國枝繁樹

國枝論文は,1980 年代半ば以降の税制が家計や企業の経済行動にどう影 響していたかの考察である.分析によれば,1980 年代後半の抜本的税制改 革以降,日本の所得税制の累進構造は累次緩和されており,所得税の所得再 分配機能は低下しているという.また,企業税制については,わが国経営者 の私的利益の追求やコーポレート・ファイナンスの基礎知識の欠如が過大投 資を生んだ可能性があり,バブル期の法人減税が過大投資を促進した.最後 に,景気変動と税制の関係について,財政の理論では景気拡大期には積極的 な財政再建を行うことが求められるが,日本では,2002 年以降,戦後最長 の景気拡大のもとでも消費税増税が先送りされる等,景気拡大時の増税先送 りという失敗を犯し,それが世界金融危機下での景気刺激の必要性と財政赤 字の深刻化というジレンマを生み出したと論じている.

10 資産税制と『バブル』」井上智夫・清水千弘・中神康博

井上・清水・中神論文は,1980 年代に生じた不動産市場でのバブルにつ いて,貨幣的側面ではなく,住宅資産税制ならびに土地利用規制等の住宅供

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給への影響に着目して理論的・実証的に分析している.シミュレーション分 析等によれば,首都圏の住宅市場バブルの生成と崩壊の過程は,住宅に対す る投機的動機と価格に対して非弾力的な住宅供給という 2 つの要素に由来す る可能性が示唆される.さらに,住宅供給の価格弾力性が土地利用規制や資 産税制に影響を受けるかどうか,市区レベルの実証分析を行った結果,1980 年代の不動産市場におけるバブルの生成と崩壊には,資産税制や土地利用規 制が大きく関わっていたことが明らかになったという.

11 所得課税における税収弾性値についての一考察」石橋英宣

石橋論文は,所得課税(所得税および法人税)の税収弾性値に焦点を当て, バブル崩壊前後における推移と変動の原因を定量的に分析している.制度改 正要因の影響,課税標準の定式化等を考慮して得られる所得課税の弾性値は 長期的に 1.29 であり,弾力性の変動に影響を与えると考える要因(たとえ ば,財産所得やキャピタルゲインの変動)を除去して分析しても,その弾性 値を大きく変える要因は見つからないという.

また,地方財政関連の 2 つの論文の結果は,以下のとおりである. 「12 バブル・デフレ期の地方財政――財政赤字と地域間格差」土居丈朗

土居論文は,バブル・デフレ期を通じて,日本の地方財政がどのように展 開したかについて,財政赤字と地域間格差に焦点を当てた分析を行っている. 近年,地方政府の基礎的財政収支は,中央政府からの財政移転が減少傾向に あるにもかかわらず,黒字方向に変化している.これは,中央政府からの移 転の抑制を梃子に地方歳出の削減が進んだ結果である.歳出の減少は主とし て固定資本形成の抑制によっている.次に,地域間格差が,近年,どのよう に推移しているかを都道府県単位で分析すると,格差はバブル期に拡大した 後,バブル崩壊で急激に低下した.景気が回復した 2004 年度以降,地域間 格差は再び拡大に転じたが,今のところ 1980 年代前半より小さく,格差拡 大をことさらに騒ぎ立てる状況にはないという.

13 政府間財政におけるソフトな予算制約」井堀利宏

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され,当初はそれなりに生産性の高い投資だった.しかし,バブル崩壊後, 地域振興のために多くの国債・地方債を発行して行った公共事業は経済活性 化や税収増には寄与せず,あまり成功しなかった.日本では,中央政府が地 方政府に財政援助を行っているが,多くの地方政府は政治的ロビー活動を通 じ交付税の基準財政需要を引き上げる等,中央政府からの資金獲得に精力を 傾けている.中央政府の赤字は,交付税や補助金により,実際には地方政府 の赤字を中央が肩代わりして生まれている.近年,地方分権施策として,中 央から地方への税源移譲が議論されているが,ソフトな予算制約を温存した ままでの税源移譲は実質的効果をもたない.

最後に,財政投融資の論文の分析結果は,以下のとおりである.

14 日本の財政投融資――バブルの発生・崩壊から現在までの動向と今 後の課題」中田真佐男

中田論文は,バブル・デフレ期を経て進められた財政投融資制度改革の分 析である.一連の改革のきっかけは,規模の肥大化にともなう財政投融資制 度の①事業効率の低下,②民業圧迫への批判の高まりである.財政投融資の 規模はなぜ肥大化したか.論文では,この問いに答えるため,80 年代後半 以降における経済状況と財政投融資制度の経済的機能低下の関わりを検討し ている.バブル崩壊後の財政投融資では,郵貯シフト等で資金流入が拡大す る一方,投融資の対象となりうる分野は縮小が続き,流入資金量と必要な資 金量に大きな乖離が生じ,問題化した.制度改革はすでに一定の成果を上げ ているが,財政運営との関係や,地域貸出市場への影響等,新たな問題も顕 在化しつつあるという.

3 政策的な含意と今後の課題 大きな変動と微調整の政策対応

わが国では,本音と建前を都合よく使い分けることで,経済社会環境の変 化に応じて,実態にあわせた政策対応を行ってきた.これは,官僚組織や政 府の情報に優位性があり,民間よりも政府の方が進むべき方向を的確に判断 できる場合に,合理的な調整方法である.平時では,こうした方式でのメ リットがある程度大きかった.

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しかし,制度の建前と実態が乖離しすぎると,官僚の恣意性が増加し,不 透明感や不公平感も増加する.また,将来を見とおす正しい能力を常に官僚 がもっているわけでもない.バブル期やその崩壊期のような非常時には,こ うした対応の限界が顕著になってきた.日本経済が大きく変動し,人々の多 様性が大きくなってくると,こうした状況依存型で政策対応するデメリット も大きくなってきた.本書で指摘されたように,財政運営や社会保障制度の 改革をめぐるバブル・デフレ期の政策対応には将来への先送り弊害が大き かったが,これも大きな変動期に微調整でしか対応できなかったわが国の政 策対応上の限界を示すものといえるだろう.

すなわち,財政面からの景気対策でも,民間需要を誘発する効果が小さく なるにつれて,本音である弱者支援政策(とにかく,経済の低迷で困ってい る人を財政面で支援する政策)と建前としての景気刺激政策(経済活力を刺 激して,景気回復を目指す政策)とのギャップは,大きくなった.また,ナ ショナル・ミニマム需要が増加し,社会保障政策自体も過大な役割を期待さ れるようになった.そうした状況で無駄な公共事業が景気対策の中心として 既得権化して,雇用の流動化や産業構造の調整などの構造変化が遅れ,1990 年代のわが国マクロ経済低迷の 1 つの原因となった.この時期に財政赤字が 累積したこと自体の弊害も大きい.

橋本財政構造改革の評価

バブル崩壊後の 90 年代の財政運営における最大の論点の 1 つは,97 年の 橋本内閣で実施されようとした財政構造政策をどのように評価するかである.

1997 年から 1998 年にかけて日本経済に大きなマイナスのショックが発生 した際に,当時の財政構造改革は混迷を続けた.そうしたなかで財政運営の あり方について,さまざまな方面から活発な議論が行われた.なかでも,金 融不安の最中に成立した「財政構造改革法」が,橋本内閣の経済政策が失敗 した象徴であると批判された.「景気が後退しているにもかかわらず,財政 再建を優先したから,ますます景気が悪くなり,財政再建もできなくなって しまった」.このような理解がエコノミストやマスコミの支配的な見解であ る.

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ミックな検証に耐えうるレベルで,説得的に実証分析した研究は見あたらな い.単に,97 年に公共投資の抑制や消費税・社会保険料の引き上げと景気 低迷の両方が同時にあったという表面的な現象に注目して,財政再建政策が 景気後退の主犯であると断定しているにすぎない.

そもそも 1997 年の不況の原因が景気循環の一局面としての景気後退であ り,その大きな要因が財政再建路線だったと考えにくい.それよりも,1990 年代以降のバブル崩壊後の後遺症プロセスで,金融産業の構造転換を遅らせ てきた護送船団方式が破綻したことで,マクロ経済に大きなショックが生じ たためと考えるべきである.住専問題の処理の遅れや山一證券の倒産に象徴 されるように,国際的な大競争の時代に見合った金融革新への対応を先送り して,その場しのぎで辻褄あわせをしてきた結果,金融産業が比較劣位の産 業に沈没してしまった.そのマイナスのショックが資金供給の面でもまた心 理的にも,家計や企業の経済行動を萎縮させた.90 年代の低迷は,景気の 後退が長引いたと理解するよりも,構造改革を先送りしたことで,トレンド としての潜在的成長率自体が落ち込んだと理解する方が自然だろう.

景気変動の過程において,不況期に公共事業を削減したり,増税したりす れば,GDP を抑制する効果は多少とも生じる.しかし,その効果は一時的 であり,小さい.したがって,97 年の緊縮的な財政運営で GDP が抑制され たとしても,その影響は小さいはずである.もしこの効果が大きかったとす れば,98 年以降の景気刺激効果も相当大きくなっていたはずである.量的 規模で比べれば,97 年の引き締め規模よりも 98 年以降の拡張規模の方が, 財政政策の変化幅ははるかに大きいからである.

さらに,1997 年の消費税の引き上げは,その 3 年前にすでに決定されて いた.そして,消費税の増税は 96 年総選挙で争点になったが,消費税率の 引き上げ凍結を公約した政党に多くの国民は投票しなかった.さらに,97 年 4 月に消費税率が 3%から 5%に引き上げられる前に,先行して所得税が 減税されていた.総額で税収は増加していない.所得税の減税と消費税の増 税がセットで行われた以上,消費税の増税で消費は抑制されない.

そもそも,税収一定のもとで消費税と所得税の組み合わせを変えて,直間 比率(直接税と間接税の税収比率)を変えても,消費量も労働意欲も何ら影 響されない.消費税率が上昇したからといって,消費が抑制されることはな

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い.消費税が増税される分だけ,所得税の減税があるから,可処分所得は増 加し,それがちょうど消費税の増税による消費者価格の引き上げ分を相殺す る.

逆に,所得税を減税しても,その分だけ消費税を増税するなら,勤労意欲 を刺激する効果もない.所得税の減税それ自体は手取りの賃金を上昇させて, 勤労意欲を刺激するが,同時に,消費税が増税されれば,それによって勤労 意欲は抑制される.働いて得た所得は消費に向けられるから,消費税が増税 されれば,そのこと自体は働くことの有利さを打ち消す効果をもっている. これは,直感的には,課税ベースが両方の課税で等しいことによる.すな わち,支出と収入は必ず一致する.毎年毎年の私たちの予算配分を見れば, 消費しないで貯蓄することもある.しかし,人生の一生という長い期間を見 れば,貯蓄したものは最終的にどこかで消費している.貯蓄や利子所得など は一生の長い予算を合計すると,相殺されて消えてしまう.結局,消費の現 在価値と労働所得の現在価値は必ず等しい.課税ベースが等しい以上,受け 取る段階で課税する(労働所得税)のと,支払う段階で課税する(消費税) のとは同じ効果をもつ.

もちろん,耐久消費財については消費税率が引き上げられる際に,「駆け 込み需要」とその反動がある.しかし,駆け込み需要の影響はしばらくすれ ば,もとに戻る.実際に 97 年のときも夏には消費需要は回復傾向であった. 97 年年末以降の消費の落ち込みの主役は,金融不安によるものであって, 消費税率の引き上げの結果ではないだろう.

先送り政策のコスト

90 年代後半に入ってから景気対策として行われた財政政策,とくに総需 要を刺激する財政政策は,先送り政策と解釈できる.先送り政策のコストと しては,以下の 4 点が重要である.

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95,96 年の経済環境がよかったことがその背景にある.好況期に改革を実 施しようとしても,遅れを考慮すると,実際には景気が後退し始める時期に 改革が行われる.これは,改革の短期的な痛みを大きくする.むしろ,景気 変動とは独立に改革を実施する方が,マクロ経済に与えるショックを長期的 に小さくできるだろう.

第 2 のコストは,時間に関する不整合性,あるいは,モラル・ハザードを 起こす可能性である.政府が財政面からテコ入れすることに,安易に民間部 門が頼ってしまうと,中長期的に構造調整を進めるインセンティブが民間に なくなってしまう.すなわち,現在の経済環境が悪くても,政府の政策に よって当面しのぐことができれば,あえて痛みのともなう構造改革を現在無 理をしてやらなくてもいい.これが,問題先送りの誘因である.景気対策は 民間部門の甘えを引き起こす.経済環境が苦しくなれば,政府が何らかの対 策を実施してくれるので,自らが汗をかいて,懸案を処理する誘因をなくす. こうした弊害が,モラル・ハザード現象である.目先の利得を最優先して, 根本的な解決策を先送りする傾向は,政府の景気対策によって助長されてし まう.

第 3 のコストは,政治的バイアスによる財政赤字の拡大である.ケインズ 政策が理想的に行われるとすれば,逆に景気が過熱しているときには財政黒 字を出して,中長期的に財政収支が均衡するはずである.あるいは好況期に 財政赤字の対 GDP 比を発散させないような政策,つまり公共事業を抑制し たり,裁量的な増税をしたりして,公債残高の対 GDP 比を縮小させるよう な政策が採用されるはずである.しかし,現実の政治的な環境を考えると, 景気が回復しても,痛みをともなう財政赤字の縮小には消極的になる.財政 赤字は不況期に拡大しやすいけれども,好況期に縮小するのはむずかしい. さらに,不公平,非効率な既得権を見直せないときには,構造改革が先送り されて,財政赤字が拡大する.

第 4 は無駄な支出の増加である.わが国の地方と国の財源配分を前提とす るとき,公共投資の財源はほとんどが地元住民の負担する地方税ではなくて, 国税を経由している.つまり,受益と負担が分離している.したがって,通 常は公共投資を増加する方向に地元住民の意向は偏りがちである.それにも かかわらず,最近いくつかの自治体で公共投資に対する反対運動が起きてい

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るのは,実際に行われている公共投資の便益があまりないか,場合によって はマイナスになっているからである.これは,便益面での評価を軽視してき た公共事業の問題点を露呈している.無駄な公共資本が蓄積されれば,それ を維持管理する際に負担ばかりが残ってしまう.

バブル形成期およびその後の崩壊期における財政運営,税制改革,また, 社会保障制度改革は,単なる過去の一事例ではない.2008 年以降の世界同 時不況に財政・税制面でどう対応するのか,また,急速に進行中の少子高齢 化の中で社会保障制度をどう改革しているのか,これらはバブル・デフレ期 以上に,最近になるほど重要な政策課題である.直近の世界規模の不況や未 曾有の高齢化などの大きな変動にどう対応すべきかを考える上で,過去のバ ブル・デフレ期の財政運営,税制改革や社会保障制度改革を検証し,そこか ら建設的な教訓を学ぶ意義は大きいだろう.

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