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TGM0 最近の更新履歴 ボードゲーム読書会@高田馬場

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Academic year: 2018

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Philip Orbanes, The Game Makers, Harvard Business School Publishing, 2004.

○著者略歴

Philip E. Orbanes(1947-)はニュージャージーに生まれ育ち、青年時代にはボードゲームおよ び戦略ゲームのプレイと作成に多大な興味を抱くようになる。1965 年の高校卒業後、ゲーム サイエンス社を創立。数年にわたりゲームデザインを他社に提供する。その後インフィニティ・ クエスト社を創立、ゲームやパズルの開発を行う。70 年代を通じ、シド・サクソン等のゲーム デザイナーと親交を持ち、Gamut of Games【72-76 頃に存在したボードゲームパブリッシャー。 Orbanes は Cartel や Ininity を制作した】に協力した。

大学卒業後はアイデアル・トイ社を経、1979 年にパーカーブラザーズで新作研究を指揮、翌 年には製品開発部門の副責任者、85 年には研究開発担当上級副社長となる。パーカーブラザー ズ時代を通じモノポリーの権威として評価を高め、世界大会での主審を務めた。1990 年、パー カーブラザーズを退社。コンサルティング業を経、1995 年にウィニング・ムーブス社を創立。 ハスブロ(パーカーブラザーズおよびミルトンブラッドレーの親会社)の認可を得、古典的なカー ドゲーム、ボードゲームを多く出版した。

1988 年、パーカーブラザーズの許諾のもと、モノポリーの起源、歴史、戦術を扱った The Monopoly Companion を出版。パーカー家の人々やパーカーブラザーズの元従業員への聞き 取り調査、およびジョージ・パーカーの遺した私的文書調査を行い、創業から 21 世紀までの パーカーブラザーズの歴史を跡付けた本書を 2004 年に出版した。他の著書に Monopoly: The World’s Most Famous Game–And How It Got That Way (2006)、Monopoly, Money, and You: How to Proit from the Game’s Secrets of Success (2013) がある。

Finding Aid to the Philip E. Orbanes Papers (Brian Sutton-Smith Library and Archives of Play) から抄訳。

http://www.museumofplay.org/sites/default/files/uploads/Philip%20E.%20Orbanes%20 Papers_paper%20inding%20aid_062713.pdf

本書を読み始めるにあたって、まずパーカーブラザーズの創業時である 1883 年当時に欧米で はどんなゲームが遊ばれていたか、の概略をつかむ必要があるだろう。『現代社会における遊び の百科事典』の「ヨーロッパ:1800-1900」の項を中心に、適宜他資料を取り混ぜながら概観 していこう。

○伝統ゲームの商業ゲーム化

この世紀に好まれたゲームは数百年にわたって遊ばれてきたものだったが、それが大量に行き 渡ったところに特徴がある。その要因は工業化の発展による印刷技術の向上だ。19 世紀以前は、 ボードゲームのほとんどは手作りだった。英独における印刷工業の発展と、紙の価格低下のお かげで、印刷費を安くあげることが可能となった。また世紀中盤からのリトグラフの普及によっ て、それまで手作業だった彩色作業も安価で、大量に行えるようになった。こうして 19 世紀 後半には、何千ものゲームが市場に出回ることになったのである。アメリカのミルトンブラッ ドレーは、世紀末までに 400 種以上のゲームとパズルを出版している。

"Europe, 1800 to 1900", Encyclopedia of Play in Today's Society (2009)

18 世紀には、同じゲームのコピーが、別々の色彩で塗られているのは珍しくない。それぞれが 手作りの製品であり、どんな色をつけるかは、個々の彩色者の気まぐれに大幅に任せられてい たからである。……1840 年近くになると、初期の彫版に代わって、石版が利用されるようになっ た。それでも、いくつかは手で着色されていた。

Brian Love, Play the Game (1978) = 岸田孝一訳『プレイ・ザ・ゲーム』(1981)

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新しく作られたボードゲームの多くは、植民地への探検家たちによってヨーロッパに持ち込ま れたものをもとにしている。とりわけ英国はインドやアジアの伝統ゲームを好んだが、いくつ かは大幅に改変されていて、文化人類学者でもなければ、西洋化された外見のなかに起源のゲー ムの面影を見いだせないほどであった。このようなゲームの交流は何世紀もの間続いてきたも のであったが、大量生産とゲーム会社の競争激化が、その過程を大幅に加速させた。

"Europe, 1800 to 1900"

たとえば「へびとはしごのゲーム」が最初に登録されたのは 1892 年のロンドンであり、ルド は 1863 年、ハルマは 1883 年である(David Parlett, The Oxford History of Board Games によ る)。もちろんバックギャモン、チェス、チェッカー等も盛んにプレイされていた。

トランプが安価になったことで、カードゲームの人気も上がった。ボードゲーム同様、カード ゲームにもそれほどの革新はなく、多くは長く遊ばれてきたものの改変であった。しかしなが ら、大量出版による安価な解説書がそれまで地域的なものにとどまっていたゲームを広めたた め、プレイヤーのゲーム選択の幅は大きく広がった。

"Europe, 1800 to 1900"

当時はホイストからブリッジへの端境期であり、英国ではクリベッジが盛んに遊ばれていた。 ギャンブルゲームではファロが人気で、南北戦争期にはスタッドポーカーが生まれた。家庭で はオールドメイドやハッピーファミリーなどが好まれ、この時期の市販カードゲームはこれを もとにしたものが多い(David Parlett, The Oxford Guide to Card Games 他による)。

○パーラーゲーム

テレビもラジオもない時代、カードゲームをあまり好まないひとたちにとって、パーラーゲー ムが友人や家族たちと時間をつぶすもうひとつの方法だった。ディケンズのクリスマス・キャ ロルを読んだものは、スクルージとクリスマスの幽霊が、彼の甥と友人たちとのゲームを眺め ている場面を記憶しているかも知れない。パーラーゲームはとても複雑で、歴史・文学・聖書 や当時のポップカルチャーの知識を要求するものだった。

"Europe, 1800 to 1900"

パーラーゲームは、都市部の上流・中産階級という社会的地位と、パーラー(「談話室」等と訳 される)という特殊な場所に直接的につながっているゲームであり、ヴィクトリア時代の英国 とアメリカでプレイされた。この大人の室内娯楽は、現在でもいくつかは残っており、クリス マス等のイベント時に遊ばれることが多い。

パーラーというのは都市部の上流・中産家庭が外部の世界と出会う場所であり、従って社交の 場所であった。そこは家で最も「良い場所」とされ、家族の地位を示す豪華な家具で飾られた。 パーラーゲームは社交のゲームであり、相手の教養や資質を見定めるものとしても用いられた

(例えば令嬢が「良い相手」を探す等)。なので上記の通り、プレイには文化的素養を必要とした。 邸宅建築におけるパーラーの消滅と、ラジオを始めとした家庭娯楽の浸透により、パーラーゲー ムはイベント時にのみプレイされる程度のものになった。しかしイベント時のプレイの際には、 当然、社交的な意味は失われている。

パーラーゲームを種類別に分けると以下のようになる。

・論理・ことばゲーム

例:Minister's Cat 各プレイヤーは手番順に、「大臣の猫は○○な猫」という文を、○○を A で始まる形容詞を用いてつくる。ただし前のプレイヤーが使った形容詞は使えない。一周した ら次は B で~と続けていく。

・身体ゲーム

例:Blindman's Bluf 目隠しゲーム。要は目隠し鬼ごっこ。

・演技ゲーム

例:Charade 演技によってことばを当てるゲーム。もともとはフランス由来の語りによって

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当てるゲームであったが、ヴィクトリア時代には演技を用いるものが支配的になった。

"Parlor Game", Encyclopedia of Play in Today's Society を適宜要約。

上記のような特定階級の社交ゲームという側面の強調は恐らく英国文脈のものであるし、しか も VictorasPast.com の Parlor Game のページにはこうしたことは書かれていないことから、か なり偏った定義であることが窺われる。またアメリカのゲーム史を解説した文献では、現在で 言う「ファミリーゲーム」とほぼ同様に用いられていると言って良く、含んでいるゲーム種も 多い。例えばシカゴ・トリビューンの 1992 年の記事 "The Game People Played" ではパーカー ブラザーズやミルトンブラッドレーをパーラーゲームメーカーとしている。

19 世紀後半のアメリカ中上流家庭では、パーラーは家庭生活を支えるものだった。ラジオやテ レビの出現以前、家族は余暇の時間の多くをパーラーで過ごし、会話、読書、書きものをし、 あらゆる種類のゲームを遊んだ。パーラーの中心は、中央テーブルだった。部屋のまんなかに 置かれた丸いテーブルは、電気代の高い時代、ひとつの灯りを家族で共有する機能を持っていた。 時が経つにつれ、中央テーブルは家族のつながりを象徴するものとなっていった。

19 世紀発の多くのパーラーゲームは、キッチンやリビングに場所を変えながら、現在でもアメ リカの家族を楽しませ続けている。オールドメイドのようなカードゲーム、アナグラム等の文 字ゲーム、ジャック・ストローのような器用さを競うゲームは今でも人気がある。遊ばれなく なったゲームはヴィクトリア文化の内幕を今に伝える。神秘主義で彩られた占いゲームは、19 世紀アメリカの魔術とオカルトブームの証言者であり、膨大な会話ゲームの群れは、構造化され、 コントロールされた社会交渉の営みへの依存を明らかにする。

Margaret K. Hofer, The Games We Played (2003)

○ゲームと子ども

数世紀にわたって、子ども時代は大人への見習い期間と見なされていた。少なくとも、貴族で ない子どもたちにとっては、ゲームを遊ぶことよりも仕事の勉強をする方が、時間の使いみち の大部分を占めた。いつの時代の子どもたちも玩具やゲームを持っていたが、ほとんどは自家 製であり、数も少なかった。中産階級の成長は新たな子どもの階級を生み出した。工場や畑に 行く必要がない、貴族でない子どもたちである。彼らは教育の力を信じる家庭に生まれた。重 要なのは、こうした子どもの精神が、校舎のなかと余暇の時間の両方で培われたことだ。初期 のボードゲームの大部分は、文学的・歴史的テーマを採用している。最初期のジグゾーパズル は大抵が、硬いボードに地図を貼り付けたものを国境で切り抜いたもので、地理を教えるため に用いられた。

教育玩具は常に重要視され、世紀が進むと、より大きな社会問題を子どもに教えるようにもなっ た。例えば性別役割分担やテクノロジーの進歩についてなどである。新しいおもちゃのコンロ やティーセットや人形で遊ぶことで、少女たちが自分の生きていく場所について学ぶ一方で、 少年たちはおもちゃの汽車やブリキの兵隊で遊んでいた。中産階級の親たちはお金を持ってい たし、自分の地位を知らしめたいという欲望も持っていた。最新の子どもゲームやおもちゃを 買い与えることは、子どもへの愛を示すだけではなく、自らの富を見せつける行為でもあった。 世紀最後の四半期になると、大量生産による価格低下により、この行為は以前より容易になった。

"Europe, 1800 to 1900"

地図と地図製作者は、ボードゲームの発展につねに強い影響を与えてきた。実際、初期のゲー ム盤出版業者の多くは、その事業の基礎を地図の制作と印刷に置いてきた。19 世紀の始めころ、 これらの出版業者は、教育ゲームが金になるという事実を発見した。地理は彼らが当然手がけ るべき分野であり、その結果、子どもたちに国々や大陸の形を教えることを意図した教育ゲー ムは、大きな、しかも重要なグループを形成することとなった。

……

やがて、同じような教材が、英語、フランス語、歴史、古典神話、博物学、算術、天文学など についての生徒たちの理解を向上させる目的で作られるようになった。道徳と宗教の知識は、 出版業者が熱心に探求した他の分野であった。ゲームの市場がしだいに拡大するにつれて、出

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版者は、純然たる道徳的教科書よりはいくらかましな青少年向きゲームを考案して、時代のムー ドを利用しようと試みたのである。

Brian Love, Play the Game = 岸田孝一訳『プレイ・ザ・ゲーム』

上記のような「教育ゲーム」が当時の子どもゲームの主流であり、本書でもジョージ・パーカー がそのようなゲームに飽きたらず、自らゲームをつくりだす様が描かれている。ゲームシステ ムとしてはだいたいが「鵞鳥のゲーム」(すごろく)の亜種であり、カードゲームでは前述のよ うにオールドメイドやハッピーファミリーの改変が多い。

19 世紀末から 1920 年代までのボードゲームは「黄金時代」と呼ばれるが、それはゲームシ ステムの発展ではなく、美術的価値に眼目を置いたものである。実際、コレクター向けに出版 されているこの時代のゲームを集めたカタログでは、ゲームのルールはほぼわからない。テー マについては多くの言及がなされており、ほぼ英国ゲームのコピーだったアメリカのゲーム は、1880 年代までには独自のテーマを打ち出してくるようになる。例えばミルトンブラッド レーの The Checkered Game of Life(1866) は、道徳教育ゲームでありながら、同時に物質的成 功も描いている。またモノポリーのテーマ的祖とされる Bulls and Bears: The Great Wall Street Game (McLoughlin Brothers, 1883) 等である。このマクラクラン・ブラザーズはパーカブラザー ズのライバルとして本書序盤に登場する。ニューヨークに拠点を置いたこの会社は「ボードゲー ム黄金期」に最人気を誇り、現在でのコレクター人気も高い。英国では 19 世紀末にチャド・ヴァ レー社が創立され、こちらも美麗なゲームを多く出版した。

しかしこの時期にシステム的になんらの発展も見られなかったわけではない。セットコレクショ ン要素のあるチャド・ヴァレーの買物ゲームや、マクラクラン・ブラザーズの買物すごろく、 また従来のチェッカー等のアブストラクトを大幅に改変したゲーム等も登場している(これは 前述の通り)。

参照

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