はじめに
前回の領域別研究チームの研究部論集の報告は、「フ ランス映画をいかに教えるか?」というタイトルでおこ なった。ただ、誤解を招く表現だったことは否めない。 研究報告書のタイトルが意味しているのは、報告書に明 記しているように、教室でフランス語を教える際に、ど のようにフランス映画を活用するかに尽きるからであ る。1)
今回われわれは、「フランス映像文化研究チーム」と して活動した。前回と今回のちがいは、教室だけでなく、 本学エクステンションセンター主催の公開講座で映画解 説をおこなったことである。そのため、われわれには映 画を映画として教えるだけの資格も能力もないにもかか わらず、文字通り、「フランス映画をいかに教えるか?」 という問題に直面することになった。ところで、映画を用 いた授業には、語学スキルの養成と、映画作品の内容理 解の両方が求められる。もともと前者に比重を置くこと が、われわれの方針であった。しかしながら、公開講座 では、もっぱら後者が求められ、評価を受けることになる。 フランス映画をいかに教えるか、というより正確に言えば、 フランス映画をいかに紹介するか。こうした側面がわれ われの研究活動に付け加わり、教室で映画を用いた授業 をおこなう際にも、なんらかの工夫を凝らすよう注意を払 うことになった。
教室で映画の一部を語学教材として利用するのではな く、映画全篇を教材として活用できるような方法を開発 できないだろうか。この考えから出発し、次のような方 法を試みた。はじめに映画全篇を鑑賞。次いで映画作品 の、フランス語で書かれた粗筋、シノプシスを講読する。 その際、内容理解に必要な場面を適宜とりあげ、該当す るシナリオを精読する。そうして、シノプシスが掬い上 げていない部分を検討するというものである。
この試行に先立って、映画作品のシナリオ全篇を読 む試みをおこなったことがある。作品として取り上げ たのは、エリック・ロメール『美しい結婚』である。 テキストとしては、イタリアの Lazzaretti 社の「Vous comprenez le français?」シリーズに収められているも のを用いた。映画の基本的なデータ、注釈、シノプシス も添えられており、教材としては万全なものだった。た
だ、訳読の方法に難点があり、実りが少なかったことが 悔やまれる。また、一年間、同じテキストに向き合うこ とは、決して気持ちが楽ではなかった。主人公のサビー ヌがあまりに痛々しく感じられる物語だったからであ る。
翌年、2013年の前期と後期に、同じくエリック・ロメー ル監督による『海辺のポリーヌ』、『満月の夜』を同シ リーズの教材を用いて、それぞれ初めに述べた方法で、 授業をおこなってみた。とくにシノプシスは、主に映画 批評家のジョエル・マニーのものを利用し、2)エリック・ ロメール研究のアラン・エルテーのものも参照した。3) 今回、研究報告として俎上に載せるのは、同じくエリッ ク・ロメール監督の作品、『夏物語』である。同作品は、 2014年前期に授業で取り上げただけでなく、2015年5 月、本学エクステンションセンター主催の「映像に見る ヨーロッパ文化―フランス語圏―」と銘打った映画上映 会でも取り上げ、資料をもとに簡単な紹介をおこなっ た。この時おこなわれた受講者との質疑応答及び寄せら れたアンケートと、授業で学生たちから提供された意見 を勘案して、この作品をどのように活用、紹介したのか、 そして特に、どのようにすべきだったのか反省をこめて 検討したい。
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『夏物語』とは何か?
映画をどう紹介するか。教室と公開講座では、紹介の 仕方は自ずと違ってくる。両方の場合を比較しながら検 討したい。
平成27年度福岡大学市民カレッジの一環として企画さ れた映画上映会は、その開催に先立ち、先ず広報がなさ れ、そのチラシには、次のような解説が付されていた。
鑑賞映画作品(フランス語音声、日本語字幕付き) 5月12日:『夏物語』 1996年 監督:エリック・ロ メール
巨匠エリック・ロメール監督が、夏をテーマに、 大西洋に面した有名な保養地ディナールを舞台に繰 り広げる“四季シリーズ”第3弾。ブルターニュ地
藤 本 恭 比 古
方のディナールでヴァカンスを過ごすためにやって きたガスパールは、恋人レナと落ち合い、ウェッサ ン島に渡る予定だった。恋人を待つ間に出合ったマ ルゴ、ソレーヌにも恋心を抱く。愛の自由とモラル が問われ、その答えが明かされる恋愛劇。
この文章は、先ず解説担当者が書いた紹介文に、次い でセンターの担当者が修正を加え、最後に再び解説担当 者が推敲したものである。センターから「作品概要」へ の修正は、 「それぞれの映画作品のメディアから」の「引 用」をもとにしている場合が多い。また、修正がなされ ないこともある。「巨匠エリック・ロメール監督が、夏を テーマに、大西洋に面した有名な保養地ディナールを舞 台に繰り広げる“四季シリーズ”第3弾。」は、センター によって添削された部分であり、残りは担当講師による 文章である。いずれにせよ、新聞、市政便り等の幅広い 読者層に訴える場合、映画紹介は平明で分かりやすいこ とが求められる。解説担当者によっては、自分の主張を 前面に出す場合があるので、この種の修正によって映画 紹介の内容に偏りをなくすことは必要かもしれない。 映画紹介は二つの要素から成っている。制作者である 映画監督及び作品成立の紹介と、映画作品の内容紹介で ある。公開講座の場合は、後者に重点を置くことが望ま しいと思われる。監督や作品の成立の紹介に関しては、 作品鑑賞が終了してはじめて、内容との関連から受講者 の関心が高まる場合のほうが多いのではないか。アン ケートでは、映画の内容紹介のほうを詳しくおこなって 欲しいという意見が寄せられた。それに、受講者が映画 作品とその監督についてもすでに十分に知っている場合 (専門家、研究者の方の受講もしばしばである)もある。
しかし、いずれにせよ、質疑応答の時間を確保すること によって、映画作品について多岐にわたる議論をおこな うことが、センターの方針であった。
1980年代に、“喜劇と格言シリーズ”で、商業的な成 功を収め、一般的に知られるようになったエリック・ロ メール監督は、90年代の“四季シリーズ”の際には、巨 匠と呼ばれるにふさわしい存在になっていた。というの も、もともとゴダール、トリュフォー、リヴェットといっ たヌーヴェル・ヴァーグの若い監督たちと共に活動して いた、彼らより一回り年上の映画批評家だったので、映 画のキャリアも長く、かなりの実力派だったからである。 ジョエル・マニー著『エリック・ロメール』(リヴァー ジュ出版)4)によれば、本名は、ジャン=マリ・モリス・ シェレ(Jean-Marie Maurice Schérer)。1920年3月21 日、チュル(Tulle)で生まれ、2010年1月11日、パリ で没する。大学では文学を研究、教授資格取得後、パリ ではリセなどで文学を教え、フリードリッヒ・ムルナウ でテーズ提出後は、ソルボンヌで教鞭をとっていた。そ して、映画ファンとして映画批評の記事を書く一方、映
画も撮る。映画監督としては、エリック・ロメール(Éric Rohmer)を名乗る。
したがって、『夏物語』制作時、監督は、75才。しか し映画を観るかぎり、そのような高齢とは、とても思え ない瑞々しい感性で若者たちをカメラに収めている。 チラシ紹介文の「夏をテーマに」という文言は、「四 季シリーズ」の夏を意識して書かれたものであろうが、 ロメール作品は、「夏のヴァカンス」をテーマにしたも のが多く、処女長編作品の『獅子座』をはじめ、夏のヴァ カンスをとり扱った作品は枚挙に暇がない。因みに商業 的に大ヒットし、ロメールの地位を不動のものにした“喜 劇と格言シリーズ”の『緑の光線』も、夏のヴァカンス を共に過ごす相手もなくリゾート地を転々とさまよう女 性の恋物語だった。同じシリーズの『海辺のポリーヌ』 は、アマンダ・ラングレが両作品で出演しているという 点で、『夏物語』と関連が深いが、やはりブルターニュ 地方から程近いノルマンディー地方のグランヴィルでの 夏のヴァカンスの物語である。「四季シリーズ」の『冬 物語』でさえ、映画はブルターニュのリゾート地で夏の 陽光を浴びてヴァカンスを楽しむ若いカップルの姿から 始まる。
映画の物語は、ブルターニュ地方のディナールとサン マロいう町が、その舞台の中心だが、物語との関連で、 地図の参照と説明をパワーポイントでおこなって欲しい という要望がアンケートで見られた。たしかに、それに よって、物語の世界に入ることが、かなり容易になった はずであった。
映画の紹介、解説として優れた資料であるシネセゾン 社の映画パンフレット、『夏物語』(CINE VIVANT 60 号)は、1996年8月、映画の封切りと同時に刊行されて いるが、紫芝幸代氏の<「夏物語」(conte d été)ブルター ニュマップ>のイラストと説明は、素晴らしく分かりや すい。
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映画の梗概、シノプシスを読むことは、作品の沈黙の 部分を言語化し、そこで起こった出来事を明確に把握す ることを可能にする有効な手段である。ただ、その反面、 そのために作品の内容が歪められたり解釈が限定された りすることもある。ただ、エリック・ロメールの作品は、 言葉や映像で物語を語るのではなく、むしろ、映像で出 来事を見せているのであり、もしそう言ってよければ、 小説の描写に相当する場面の連続であるので、言わば、 記録映画の呈を示している。そのため、シノプシスもそ の特質を反映している。
ンソワ・エシュガレとジャン=アンドレ・フィシの撮影 による映画『夏物語』のメイキング・ビデオに付属し た小冊子“Conte d été Éric Rohmer La Fabrique du Conte d été”に掲載されているものである。18のシー クエンスには、それぞれその時間が記してあり、総計、 109分である。
要約
音楽に夢中の学生、ガスパールは7月の末を過ごし にディナールにギターをもって、やって来た。そこ でレナを待つためである。彼女とウェッサン島に旅 行にいく約束をしているが、彼女はいっこうにやっ て来ない。ガスパールは着いた早々マルゴに出会う。 マルゴは民族学専攻の学生で、ヴァカンスの間、叔 母のクレープの店で働いている。ガスパールはマル ゴと一緒に長い一連の散歩と会話を始める。 ガスパールは次に、ディスコで出会ったソレーヌと 親しくなる。彼女はガスパールがレナのために書い た「海賊の娘」の唄を彼に歌ってきかせる。レナが 遂にやって来る。が、また出発し、戻ってくる。こ れら三人の若い女性たちのうちで、誰をウェッサン 島に連れていくか、ガスパールは迷う。ガスパール の恋するレナか? 彼が待つところに、レナは来た ためしがない。美人だが気難しい性格のソレーヌ か? ガスパールの何でも話せる友人で、思いやり があり聡明なマルゴか? 結局、音楽が勝ちを占め、 ガスパールはひとり、ラ・ロッシェルに旅立つ。5)
0. 映画タイトル(29秒)
1. ガスパールの到着(4分15秒)
7月17日月曜日:
サンマロから来たヴァカンス客を乗せた舟艇がディ ナールに到着する。陽光と風のある日のことであ る。ひとりの青年、ガスパールがギターを片手に上 陸する。小さな町を上って行き、住宅街に着くと、 居住者のいないとある別荘を占有し、二階の一室に 身を落ち着ける。かばんの中身を出し、衣類をしま う。その後、彼は浜辺のビストロのテラスでサンド ウィッチを食べる。夜は、ディナールの町をぶらつ く。部屋に戻ると、暖炉のマントルピースの上にカ セットを整理し、ギターを弾き始める。
2.そぞろ歩き(2分56秒)
翌朝、ガスパールは、アイスクリームを食べながら 浜辺を通る。ヴァカンスの雰囲気、縞模様のテント、 カモメの鳴声。その後、セーターを着ると、夕食の ため「月の光」というクレープの店に入る。その店 のマルゴというウェイトレスは、若い客たちと知り 合いのようだ。ガスパールは、物思いにふけりなが ら食事をする。6)
以上、「ガスパールの到着」と「そぞろ歩き」のシー クエンスを合わせると、7分弱。主人公の、かくも長き 沈黙。その間、聞こえるのは、カモメの鳴声、外国人観 光客の会話の断片、子供たちの叫び声や、町のざわめき のみである。それに、そうした沈黙を破るかのように、 「マルゴ!(Margot !)」というウェイトレスの名を呼ぶ
客の声も含め、二番目のシークエンス「そぞろ歩き」で 交わされている台詞はすべて、レストランの風景の一部 でしかないように見える。そこには別段、物語の展開を 担うような台詞はないからである。じっさい、シナリオ (カイエ・デュ・シネマ版)では、この場面の台詞は採
録されていない。
映画冒頭の、こうした沈黙は、ロメール作品では、お 馴染のものだ。彼の作品がドキュメンタリー・フィルム の印象を与える所以である。教室では、フランス語のシ ノプシスを読みながら、場面をたどってゆき、作中人物 の行為や風景のもつ意味を考えていくことも可能だが、 公開講座の場合、一度しか映画を観ないので、上映前に なんらかの解説がなければ、こうした沈黙の場面が発し ている重要なメッセージを見逃しかねない。もっとも、 どのような映画作品であれ、冒頭の場面の把握は、重要 かつ困難であるかもしれないが。
ヴァカンスで避暑地ディナールへやって来たと思しい 青年は一体、誰なのか。先ず、謎の男として主人公ガス パールは提示される。しかし、重要なことは、ディナー ルの町や風景が、ここで描写されているということであ る。それは、作中人物のガスパールの眼を通した風景で あり、また、カメラの眼が捉えたガスパールのいる風景 であると思われる。
ところが、ガスパールがそぞろ歩きする風景は、意外 なほど、ガイドブックの「ミシュラン」7)で紹介されて いる名所とぴったり一致する。レクリューズ海岸付近を はじめ、いたる所に豪壮な別荘の立ち並ぶ緑豊かな町、 桟橋やヨット・ハーバーそしてクレープの店のある「プ ロムナード・デュ・クレール・ドゥ・リュンヌ」(月の 光の散歩道)といったディナールを代表する場所が映し 出されている。それは、8番目のシークエンスで主人公 がソレーヌと訪れるディナールの対岸の町、サンマロの 場合も同様である。映画全篇を通してみれば、ちょうど 名画『ローマの休日』がローマの観光案内として役立つ ように、そうした意味で、この作品は、ディナールとサ ンマロを紹介する手堅いドキュメンタリー ・フィルムの 側面をもっているといえるだろう。
ただ、いずれにせよ、この沈黙の部分は、バルザック の小説の描写のように、単なる背景の描写ではなく、事 後に象徴的な意味を浮かび上がらせてくる描写のように 見える。
ルからサンマロへ向かう。しかし、その際、映像は無音 ではなく、作品の内容を象徴する歌詞をもつ楽曲を伴っ ている。「マルゴを残し、何ヶ月も航海にでる。帆を揚 げろ、サンチアーノ。それを思うと、胸が詰まるほどの 哀しみだった。サンマロの灯が涙で滲んだ。」8)冒頭で 発せられたウェイトレスの名前「マルゴ」が、終結部で は悲痛なまでの愛をこめて、その歌詞の中で歌われてい ることに注意したい。船が遠ざかるにつれて、発動機の 音は次第に小さくなって行き、最後に消える。
また、続く三番目以降のシークエンスによって、この 二番目のシークエンスの意味が次第に浮かび上がってく る。それは、物思いにふけっていたガスパールが、ウェ イトレスのマルゴには全く関心がなかったということ、 そして、彼はただ、曲作りに没頭していただけだったと いうことである。
ところが、次に引用するシナリオ(カイエ・デュ・シ ネマ版)のト書きの中にあるガスパールの振る舞いの記 述には、シナリオ編集者の何らかの解釈が含まれている ように思われる。
7月18日火曜日 (略)
日が暮れる。ガスパールは、港の小さなレストラン、 クレープの店「月の光」に入る。ウェイトレスは愛 想がよく、客にはマルゴと呼ばれて親しまれている。
マルゴはガスパールに話しかけ質問するが、ガス パールは簡単な答えしかしない。9)
強調箇所は、レストランで、マルゴがガスパールに愛 想よく話しかけたにもかかわらず、ガスパールの反応が 実に素っ気ないことを示している。そのため、このト書 きは、ガスパールの素っ気なさに、何らかの含みがある ことを示唆しているように読めなくもない。しかしな がら、この場面を映像で確かめると、マルゴはウェイト レスとして客に接客上の当然の質問をしたにすぎないこ と、そして、それにガスパールはただ答えただけである ことが分かる。彼は考え事をしていて、単にウェイトレ スに無関心だっただけで、別段、横柄な性格(あるいは、 何らかの思惑)のせいで、わざと彼女を無視した態度を 取ったわけではないように見える。
Margot: Vous avez terminé?
(マルゴ「終わりましたか?」) Gaspard: Oui, oui.
(ガスパール「はい、はい。」) Margot: Vous désirez un café?
(マルゴ「コーヒーはいかがですか?」) Gaspard: Non.
(ガスパール「いらない。」) Margot: L addition ?
(マルゴ「お勘定ですか?」)10)
ただ最後の「お勘定ですか?」の後、シナリオ(アヴァン・ セーヌ版)のト書きでは、ガスパールの動きは「首を振る」 (hocher la tête)と記述され、11)実際、彼は首を僅かに
縦に振り、肯いているように見える。しかし、このト書 きを見なければ、彼は無表情なまま俯いて、ろくに返事 もしないので、傍若無人な態度を取っていると見なされ 兼ねないだろう。すでに見たように、シノプシスは、「ガ スパールは、物思いにふけりながら食事をする」とのみ 記述している以上、こうした些細な細部へのこだわりは、 当を得ていないかもしれない。実際、三番目のシークエ ンスの冒頭で、それは即座に解消されるからだ。 しかしながら、ガスパールの性格を考える時、彼の内 向的な性格がこれほどはっきり示されている場面も少な いだろう。特に片手を顎に付け、その肘をもう片方の手 で支えながら、黙って物思いにふける彼の仕草は、彼 の内向的性格の表れであり、無意識の癖(tic)である。 この風変わりな仕草をこれからも繰返し見ることになる だろう。マルティン・バルニエ、ピエール・ベイロ共著 『作品分析:夏物語 エリック・ロメール、1996』(哲学 書房 J.VRIN)は、この場面について次のように分析し ている。
彼は内向的な人物で、表面的なところも開放的とこ ろもない。彼は常に物思いにふけり、クレープの店 を訪れたときのように、他者と意思の疎通を図るこ とが全くない。彼の移り気で、黙ったまま感情や考 えを表に出さない性格は、マルゴの感情を素直に表 に出す官能的な女性性と端から対立し、マルゴは彼 の偏見を覆す。12)
ナレーションも登場人物の内的独白もないため、作品 冒頭のシークエンスにおけるガスパールの振る舞いは、 言葉によっては説明されない。映画公開の際にインタ ヴューで、ロメール監督自身が、ガスパールの性格につ いて、次のように説明している。
この青年は、全く内向的です。彼は音楽をやってい る。そのため、彼は閉じこめられ、自分の殻に閉じ こもっているのです。13)
3.マルゴ(6分1秒)(三回に分けて引用する)
7月19日水曜日
泳ぎに行くために、ガスパールがヴァカンス客たち でいっぱいの浜辺を横切っていると、赤いセパレー トの水着の若い女性から声をかけられる。ガスパー ルはその格好では誰か分からない。実は、それはク レープの店「月の光」のウェイトレス、マルゴであ る。14)
このシークエンスの始まりは、ガスパールとマルゴの 出会いという物語の展開を担う重要な場面である。この 場面こそ、それに対応するシナリオの検討によって、映 画の内容理解と語学スキルの養成が可能になる好個の実 例といってよい。
Mercredi 19 Juillet 7月19日水曜日
(浜辺で、ガスパールは泳ぎに行こうとして、海か ら上がってきたマルゴとすれちがう。)
Margot : Bonjour !
(マルゴ「こんにちは!」)
Gaspard : Bonjour ! Euh… On se connaît ?
(ガスパール「こんにちは。ええと、知り合いかな ?」) Margot : Vous ne me reconnaissez pas ?
(マルゴ「わからない?」) Gaspard : On s est vus à Rennes ? (ガスパール「レンヌで会った?」)
Margot : Mais non, ici, hier soir, au restaurant. (マルゴ「ちがうわ。ここで昨日の晩、会ったわ。
レストランで。」)
Gaspard : Ah!... C est vous qui serviez? Je ne vous reconnaissais pas. Avec vos cheveux mouillés ! (ガスパール「ああ、ウェイトレスをしていた? わ
からなかった。髪が濡れてるから。」)
Margot : Je sais, ça me change, mais je ne m en rends pas compte.
(マルゴ「そうなの、感じが変わるの。自分では分 からないけど。」)
Gaspard : Bon, ben moi j y vais.
(ガスパール「じゃあ、泳ぎに行ってくる。」)15)
この三番目のシークエンスから直ちに明確になるのは、 二番目のシークエンスで、相手に関心を寄せていたのは、 マルゴのほうだ、ということである。彼女のほうが浜辺で 彼を認め、彼に挨拶して話しかけるのだから。一方、ガ スパールのほうは、マルゴを再認できなかったことを彼 女の「髪が濡れている」せいにし、暗に失礼を詫びてい
るので、決して無礼で横柄な人間ではないことは分かる。 ましてや、彼の素っ気無い態度に何らかの意図があった わけではないことは明らかである。
3.マルゴ(6分1秒)
7月19日水曜日
泳いだ後、ガスパールはマルゴとまた出会う。彼女 のほうから会話を始める(「ここでは、ひとり?」)。 次にマルゴはガスパールを傍に座るように誘う。彼 女が少しねばると、彼は言うことをきく。16)
「泳いだ後、ガスパールはマルゴとまた出会う」と要約 された出来事は、実際は登場人物の幾つもの行為から 成っている台詞のない沈黙の部分である。それは、ロメー ル監督ならではの臨場感あふれる場面である。このシー ンは、別にフランスの高級リゾート地に限らず、誰もが 実感できる、永遠の相の下に捉えられた海水浴場風景で はないだろうか。どこか、つげ義春の名作「海辺の叙景」 の冒頭を思わせるところさえある。
ただ、シノプシスの記述には誤りがある。「彼女のほ うから会話を始める。(「ここでは、ひとり?」)」は、事 実に反する。「ここでは、ひとり?」というマルゴの問 いは、ガスパールが彼女の隣に座った直後になされる。 ガスパールと再会したマルゴが彼に初めに言った言葉 は、「水温はちょうど良かった?(Elle était bonne ?)」 である。
しかも、フランス語では、« Tu es seul ici ? » と記す べきところを、« Vous êtes seul ici ? » と誤記している。 初心者向けのフランス語教科書で、tuとvousの使い分け を復習すると、次のように説明されている。
フランス語では、相手(一人)に対する呼び方が2 通り(「vous」と「tu」)あります。社会生活で一般 的に使われているのは「vous」です。
「tu」は、家族や友達など親しい間柄の相手に対し て使います。若者同士や学生同士は、お互いによく 知らなくても「tu」を使って会話します。
初対面の人と話すときはふつう「vous」を使い、 親しくなったら「vous」をやめて「tu」に変えま す。このとき、ふつう「On peut se tutoyer ?」(「tu」 で呼び合いませんか?) と聞きます。そう聞かれた ら、一般的には「Oui, bien sûr !」(はい、そうしま しょう!)などと答えます。「tu」で呼び合うこと に決めたら、「vous」に戻ることはありません。17)
の関係が終わり、二人が友達になった瞬間をわれわれに 見せているということである。
シノプシスが省略した沈黙の部分を記述しているト書 きと台詞(カイエ・デュ・シネマ版)を次に引用する。
(ガスパールは海のほうへ行く。一方、マルゴは浜 辺の上のほうへ行く。)
(泳ぐと、ガスパールは、身の回りのものを置いた 場所に戻る。)
(体をふき、乾いた砂浜を歩き回る。)
(マルゴは座っている場所から、彼を眼で追ってい る。)
(ガスパールは一度マルゴの前を通るが彼女に気づ かない。というのも、彼女は帽子をかぶり、サング ラスをかけていたからだ。)
(彼がもう一度通りかかると、これ見よがしに帽子 とサングラスをとる。)
Margot : Elle était bonne ? (マルゴ「ちょうど良かった?」)
Gaspard : L eau ? Un peu froide.
(ガスパール「水温? ちょっと冷たい。」) Margot : J aime bien.
(マルゴ「私は好きよ。」) Gaspard : C est limite.
(ガスパール「ぎりぎり限界だ。」)
Margot : C est la première fois que vous venez par ici ?
(マルゴ「こっちに来たのは初めて?」)
Gaspard : A Dinard, oui. Mais la Bretagne, je connais, je suis de Rennes.
(ガスパール「ディナールはそうだけど、ブルター ニュは知ってる。レンヌ出身だから。」)
Margot : Et moi de Saint-Brieuc… Vous attendez quelqu un ?
(マルゴ「私は、サンブリュー。誰かを待ってるの?」) Gaspard : Maintenant ? Non. Pas précisément non.
(ガスパール「今? 今はそうじゃない。ちょっと 違うけど、そうじゃないよ。」)
Margot :( ): Asseyez-vous.
(マルゴ その隣の砂地を指しながら「お座りなさ い。」)
Gaspard : Mes aff aires sont là-bas. (ガスパール「荷物が向こうにある。」)
Margot : Allez les chercher. (マルゴ「とって来たら。」)
(ガスパール戻ってきて、隣に座る。) Margot : Tu es seul ici ?
(マルゴ「ここでは、ひとりなの?」)18)
もう少し詳細に、このシークエンスの記述を見てみよう。 シナリオ(アヴァン・セーヌ版)では、シナリオ(カイエ・ デュ・シネマ版)のト書きが、映画の場面を記述する仕 方で書かれている。例えば、「一方、マルゴは浜辺の上 のほうへ行く」は、次の通りである。
43.マルゴ、(軽い下からのミディアム・ショットで)、 (前景の)砂の上に置かれたバスタオルの方へ進む。 (下方に再構図)、マルゴは跪き、タオルの上に置か
れた(右の)サングラスをとってかける。彼女は(正 面の)帽子をとってかぶる。次いで海に向かい背を 向けて(前景に)座る。19)
水着姿の若い女性が、夏の陽光あふれる海を背景に、陽 炎が揺らす砂浜を歩いて来る。浜辺に置かれたバスタオ ルの上に跪くと、その上のサングラスと帽子を身に着け、 海の方を向いて座る。「海辺の叙景」の冒頭の場面を思 わせる、この場面を取り上げたのは他でもない、それに 続く場面では、砂浜に座ってガスパールを観察するマル ゴの視点から、彼の行動が映し出されているからである。 ト書きには、歩き回る理由は記されていないにもかかわ らず、映像では、ガスパールはマルゴを探しながら砂浜 を歩き回っている。マルゴは、照りつける強烈な夏の日 差しから身を守るためにサングラスと帽子を身に着けた はずだが、そのことがガスパールに自分の存在を分から なくさせていることに気づき、彼が自分の前を通りかかっ た時、サングラスと帽子を取って、「(水温は)ちょうど 良かった?」と、彼に声をかける。
シノプシスの後半、「次にマルゴはガスパールを傍に 座るように誘う。彼女が少しねばると、彼は言うことを きく」その直後、マルゴはガスパールに「tu」で話しか ける。こうして、マルゴは、前日は取り付く島もなかっ た無口な若者を手なずけることに成功する。
3.マルゴ(6分1秒)
7月19日水曜日
マルゴは、まさにちょっとした一連の質問を率先し ておこなう。彼女は夏にディナールでアルバイトを している。それに対して、ガスパールのほうはただ のヴァカンス客として自分を紹介する。彼は数学の 修士課程を終えたところで、彼女は民族学の博士課 程1年修了証書(DEA)を取っている。
二人の若者は服を着た後、語り合う。マルゴは遠 慮なく自分のこと、旅行のこと、そして恋愛のこと を話す。どうしてニューファンドランドの子孫の研 究をすることになったのかということ、彼女の恋人 はポリネシアにいるということ、そして自分は叔母 のクレープの店でアルバイトをしているということ を語る。そして、翌日、年配の船乗りを訪ねること になっているので、ガスパールに一緒に行くよう誘 う。20)
マルゴ:ここでは一人なの?
ガスパール:今のところは、そうだよ。 マルゴ:ヴァカンスなの?
ガスパール:まあ、そうだよ。
マルゴ:つまり、仕事じゃないのね。わたしは、ほ ら働いているから。
ガスパール:いや、ただのヴァカンス客だよ。8月 15日から働くけど。
マルゴ:どこで? ここ?
ガスパール:いや、ナントの研究室。数学の修士課 程を終わったところ。
マルゴ:わたしは民族学の博士課程1年修了証書 (DEA)を取ったわ。
ガスパール:民族学?
マルゴ:驚いたみたいね。わたしのことを下働きと でも思ってたの?
ガスパール:いや、別に。(ガスパール、笑う。)夏、 バイトする学生はたくさんいるし。
マルゴ:それであなたは、アルバイトをしたことは あるの?
ガスパール:いや、幸い数学をやっているので、家 庭教師や企業の派遣の仕事を見つけるのは簡単なん だ。
マルゴ:エンジニアになりたいの? ガスパール:いやいや。
マルゴ:プログラマー?
ガスパール:いや、教職のほうがいい。収入は少な いかもしれないけど、自由な時間があるから。 マルゴ:あら、素敵ね。
ガスパール:たぶん。お金に合わせて自分の人生設 計をしたくないんだ。
マルゴ:わたし、もしお金があったら、人生を駄目 にしていたと思うわ。
ふたりは服を着て、浜辺を歩く。
ガスパール:正確には、何をしたいの? 博士号を とると、どうなるの?
マルゴ:何にも。必ず研究を続けられるという保障 もないし。まあ、ちょっとした考えはあるの。でも... それについて話すのは、まだ早すぎるわ。21)
このようにマルゴの尋問にも似た一連の質問によって、 ガスパールとマルゴのお互いの身元(identité)が判明 する。二人とも学生だが、大学院の学生なので、もうそ れほど若くはない。ただ、日本と違って、フランスでは、 年齢に関しては無関心である。
フランスのマスター(修士)は、日本の大学の4年目に 相当し、期間は2年。この大学2期課程第2年次修了で 「修士号」を取得する。因みに大学1∼2年で、「大学一 般課程修了証書」(DEUG)、3年で「学士号」(licence) を取得する。従って、ガスパールは、大学には5年在籍 したことになる。マルゴが取得したDEAとは、マスター よりさらに上の「専門研究課程修了証書」(diplôme d études approfondies)のことで、大学第三課程第一年目 修了の修了証書である。それによって博士論文を書く資 格が与えられ、その後、数年かけて論文を完成させる。 マルゴは博士課程1年なので、ガスパールより一歳年長 であることが分かる。
次いで、二人の会話は将来に及び、そこで互いの価値 観も炙り出されてくる。しかし、問題はそこにとどまら ない。むしろ、自分とは一体何者か、といった自己同一 性(identité)こそが問題である。マルゴは、饒舌に語る。 恋愛経験と、自分の熱中できる仕事について語ることは、 そのまま自分とは何かを語ることになるからだ。
du terme. Il est coopérant en Polynésie. En me débrouillant, j aurais pu le suivre. Eh bien non ! J attends fidèlement qu il revienne, comme une femme de marin. J ai la chance de gagner un peu d argent en travaillant au resto avec ma tante. Donc, je suis assez libre. Demain, je vais voir un ancien marin qui a été à Terre-Neuve et qui habite près des bords de Rance. Si tu veux, tu peux venir. Tu as une voiture ?
Gaspard : Non.
Margot : Moi, j en ai une. C est à vingt kilomètres. Ce n est pas loin.
Gaspard : D accord.
(マルゴ:大学入学資格試験に合格した後、日常性 を脱したいと思っていたのよ。ヴェトナムとマレー シアに行ったわ。そして、フランスで仕事している 人と恋愛して、もう少しで結婚するところまで行っ たの。でも、もう海外には行きたくなかった。その時、 気づいたの。インドネシアよりブルターニュについ てのほうが千倍も言うことがある。それで、ここブ ルターニュの人々についてテーズを書くことにした の。とくにニューファンドランドの子孫についてね。 ブルトン語を話すブルターニュについてはたくさん 書かれているけど、ガロ語を話すブルターニュのほ うは少ないの。自分のテーマにすっかり夢中になっ ていたので、彼と別れた時、また海外に行くことは 思いつきもしなかった。そして思いがけないことに、 次に、今、正反対のところにいる人と知り合ったの。 言葉の本来の意味で、地球の反対側。彼は青年海外 協力隊でポリネシアにいる。なんとかすれば、彼に 付いて行くこともできたんだけど。でも、そうしな い。船乗りの奥さんのように忠実に、彼が帰って来 るのを待つわ。幸い、叔母のレストランで働いて、 少しお金も稼いでいる。だから、私は、まあ自由な の。明日、ニューファンドランド島にいた元船乗り で、ランス川の畔に住んでいる人に会いに行くのよ。 もし良かったら、一緒にいかない?車はある? ガスパール:いや。
マルゴ:私のが、あるわ。ここから20キロよ。遠く ないわ。
ガスパール:いいよ。22)
このように、ガスパールと違って、開放的なマルゴは、 現在、ポリネシアで海外青年協力隊員として働く恋人が いる。しかし、彼女は地元で、ブルターニュのガロ語を 話す人々について民族学的な研究を進めているので、も はや海外に出るつもりはない。叔母のところで働き収 入を得ながら、恋人の帰りを船乗りの妻のように忠実に 「待っている」という。そして最後に、自分が自由を享
受していることを忘れずに付け加えている。
ここでもうひとつ重要なことは、ロメール監督の「夏 のヴァカンス」をテーマにした作品群は、何かを探し求 めている人々の物語だったが、それに対して、『夏物語』 は、待つ人の物語であるということである。実際、ガス パールも、ディナールで恋人レナの到着を待っているこ とを、やがてマルゴと散策しながら彼女に打ち明けるこ とになる。こうした言わば、「待命状態」(ブルトン)23) が、『夏物語』を特徴づけているといえるだろう。「待つ こと」について、ロメール監督はインタヴューで、こう 発言している。
ガスパールのほうが、女性を探しているのではなく て、女性たちのほうが、彼に興味を持つのです。彼 は今ここにはいない別の女性のことを思っていま す。ガスパールは、私の映画の多くの登場人物たち のように、何かを探し求めている人物とはちがうの です。(...) 結局、ガスパールは待っているのです。 私は、彼が捉えにくい人間であること、そして、彼 がさまざまな面を見せないことを望んでいたので す。24)
ガスパールがマルゴに対して取っている一見、受動的と 思われる態度も、むしろ受容的な態度と言い替えたほう が適切かもしれない。それは、彼が何かを探しているの ではなく、待つという構えを取っていることから来てい るのではないか。だからこそ、女性たちが彼に興味を持 つのだろう。少なくともマルゴは、ガスパールに興味を 持ったので、彼女は先ず、彼に自分について語り、次に 自分の世界を見せるため、彼を民族学研究の野外調査に 同行させたにちがいない。
4.ニューファンドランド漁場タラ漁の漁師をして いた老人宅を訪問(6分42秒)
7月20日木曜日
ニューファンドランド漁場で漁師をしていた老人の 家へ向かう車の中で、ガスパールはマルゴに自分と 音楽との関係や、水夫の歌について話す。ガスパー ルは、彼女に「ヴァルパライソ」のような水夫の唄 を一曲、書きたいと打ち明け、即座に二人は陽気に 「ヴァルパライソ」を歌いだす。
自宅で老人は、水夫の歌や気晴らしの歌、長い航海 の時に、調子をとる仕事の歌がどんなものかを説明 した。ニューファンドランド漁場の漁師たちには、 タラを塩漬けにする時に歌う歌がいくつかある。そ れから、マルゴの求めに応じて、老人は二人に船長 の歌 « 猫鉤を引け » を歌う。
選ぶ。帰宅すると、ギターでメロディーを探し、録 音する。電話をしてきた母親に郵便物があるかどう か訊く。25)
マルゴの熱弁に触発されて、目的地へ向かう車中で、今 度はガスパールが、自分の関心事である音楽について語 る。しかし、このシークエンスの最大の見所は、二人が、 「ヴァルパライソ(Valparaiso)」を合唱するシーンであ
る。
順を追って見て行こう。初めのうちはガスパールの披 露する薀蓄めいた話に対して、マルゴは反発したり、興 味がなかったり、二人の会話はなかなか噛み合わない。 ところが、マルゴの働いているクレープの店でかかって いた「水夫の唄 (chansons de marins)」に話が及ぶと、 それが二人を結び付ける。
Gaspard : Et les chansons de marins…qu on passait au restaurant ?
Margot : Tu as remarqué ?
Gaspard : Oui, je remarque toujours la musique. C est toi qui les avais choisies ?
ガスパール「水夫の歌は?レストランで、かかって たけど。」
マルゴ「気がついた?」
ガスパール「うん、音楽には敏感なんだ。君が選ん だの?」26)
「水夫の歌」は、彼女が民族学研究の関連資料として購 入したカセットに収められていたブルターニュ地方の民 謡で、マルゴはそれをクレープの店でBGMとして流し ていた。一方、音楽に敏感なガスパールは、レストラン で、いち早くそれに気づき、それらの曲を聴くことに全 神経を集中していた。これこそが、二番目のシークエン ス「そぞろ歩き」の最後の場面で、ガスパールが、無意 識に取っていた傍若無人な態度の真相である。
そういうわけで、ロメール監督のコメント「この青年 は、全く内向的です。彼は音楽をやっている。そのため、 彼は閉じこめられ、自分の殻に閉じこもっているのです」 は、この4番目のシークエンスではじめて、言語による 確証を与えられたといえる。
もっとも、シナリオ(アヴァン・セーヌ版)の二番目 のシークエンスのト書きには、「ガスパールは、しばら く水夫の歌を聴く」という記述が確かにある。ただ、こ の彼の行為が、映像からそのように読み取れるかどうか 疑問である。
Gaspard hoche la tête. Margot contourne la table et sort du champ à gauche.
Gaspard écoute la chanson de marin, un temps.
Puis, il baisse la tête.
(ガスパールは頷く。マルゴはテーブルを迂回し、 左のフレームから出る。彼は、しばらく水夫の歌を 聴く。次に、項垂れる。)27)
ガスパールによれば、現代ロックは、ケルト系ロック と、水夫系(rock marin)ロックの流れに分かれていて、 彼は後者の方向に行こうとしているという。そうであっ てみれば、レストランで偶然にせよ聞こえてきた「水夫 の歌」を聴くことに彼が没頭したのは当然だろう。 「ヴァルパライソ」は、ジャンルとしては、「水夫の歌 の民謡」(folklore marin)に属する。ガスパールは、民 謡(folklore)自体には興味はないという。しかし、演奏 よりも作曲のほうに才能があることを自覚しているので、 彼は、民謡(folklore)をもとに曲作りをするつもりでい る。そして、「ヴァルパライソ」のような曲を書きたいと、 マルゴに自分の願望を明かす。一方、民族学者であるマ ルゴは、ブルターニュ地方の民謡(folklore)として、こ の曲をよく知っている。だから、ガスパールに「ヴァル パライソ」を知っているかどうか訊かれた時、打てば響 くように陽気に歌い始めたのだろう。
「この伝統音楽をいっしょに歌った後、マルゴとガス パールの二人は、素晴らしくお互いを理解し合い、ブル ターニュ地方の船乗りの音楽文化に熱中しているように 思われる」28)(「分析:夏物語」)と、マルタン・バルニ エとピエール・ベイロは分析している。たしかに、マル ゴがおこなっているフィールド・ワークの情報提供者、 引退した船乗りの老人の話や歌を熱心に聴き入る二人の トゥーショット映像からは、「マルゴとの心にしみる素 晴らしい暗黙の合意の成立」(前掲書)29)が感じられる。 「ヴァルパライソ」は、もともと労働歌である。老人 が開口一番、話したことは、そのまま「ヴァルパライソ」 の解説として役立つように思われる。
「商船とは違って、昔、長い航海をしていた帆船には、 仕事の歌があった。錨を上げたり、 帆を張ったり(hisser) する仕事に調子をつける歌だ。帆は『たぐる(virer)』 と言っていた。わたしらが、『張る(hisser)』のは、旗だ けだよ。」30)
「ヴァルパライソ」は、ボルドーを出立し、メキシコ を経て、南米チリの港町、ヴァルパライソを目的地とす る帆船による長い航海を歌った三つの節(クープレ)か ら成る。ただし、映画の中で二人が歌っているのは、最 初の節(クープレ)の前半部と、「ヴァルパライソに行 こう」という詩句を含む二番目の節(クープレ)の後半 部を合成したものである。
グッバイ ファラウェル Good bye! Farewell !
グッバイ ファラウェル Hardi les gars! Adieu Bordeaux !
がんばれ みんな さらば ボルドー Hourra! Oh Mexico!
ばんざい オー メキシコ Oh! Oh! Oh!
オー オー オー
Et nous irons à Valparaiso
行こう ヴァルパライソへ Haul away, hé!
引っ張り上げろ それ Oula tchalez
さあ、引き上げろ Où d autres laisseront leurs os 他のやつらが命を失う場所で Hal matelot
水夫よ 引き上げろ Hé! Ho Hisse hé! Ho ! »31) エオー 帆を張れ
ところで、ミュージック・ホールで、folklore marinを 歌い始めたのは、現実派シャンソンの歌手、イヴォンヌ・ ジョルジュだった。32)1920年「オランピア」で、彼女は、 「ヴァルパライソ」を創唱した。敬愛するイヴェット・
ギルベールに倣ってのことと思われるが、ただ、実はこ のとき、彼女の歌は聴衆に受け入れられなかった。しか し、4年後、シャンゼリゼ劇場で、持ち歌のほかに、ミ スタンゲット、ジャズやブルースのスタンダード・ナン バー、エリック・サティなどを披露し終えた後、最後に 「ヴァルパライソ」を歌うと、会場は熱狂した。
曲が進むに従って、シャンゼリゼ劇場の観客は総立 ちとなる。女は毛皮の襟巻きを船の帆に見立て、男 ははずしたネクタイをロープにして、あるいは手元 のナプキンをふりかざし、あるいはいすの上に立 ち上がり、全員がイヴォンヌの歌に合わせて大声 で『グッバイ フェアウェル! グッバイ フェ アウェル! ばんざい! メキシコだ オー! オー! オー!』といく度も繰り返した。33)
「ヴァルパライソ」、別名「水夫の歌」には、それを合唱 したガスパールとマルゴとの間に起こったような「心に しみる素晴らしい暗黙の合意を成立」させる何らかの力 がありはしないか。帆船の時代は終わり、もはや帆や錨 の仕事は失われてしまった。もちろん別の仕事の歌はあ る。しかし、かつて帆船時代に存在した仕事の歌には、
共同作業をおこなう人々を結び付ける目に見えない強い 力があり、それだからこそ今も、その土地で儀礼や祭り の際に歌われるだけでなく、大都市でも流行歌に姿を変 えて存続しているのではないだろうか。
このように、ガスパールとマルゴの二人は、互いの最 大の関心事を共有し、至福の時を過ごして親交を深め た。誰もがここで、二人の恋物語の成立と、その展開を 期待したとしても不思議はない。ところが、大方の期待 に反して、「ディナールに戻ると、マルゴに夕食に招待 されるが、ガスパールは断る」。その理由は、彼によれ ば、曲作りと、電話待ちであるという。しかも実は、翌 日もまた、彼はマルゴの食事の誘いを断るのだ。それは 一体、何故か。このように、4番目のシークエンスまで の間に露わになったガスパールという人間の摑みどころ のなさ、わけの分からなさ、これは一体どこから来てい るのだろうか。
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5番目のシークエンス以降、謎の男ガスパールがマル ゴと海辺の美しい自然の中を散歩しながら、彼女に打ち 明け話をする。ガスパールとは誰か、という冒頭の問い が、対話の中で絶えず問い直される。しかし、8番目の シークエンス、「ソレーヌとシャンソン」以降、ガスパー ルがマルゴに語っていることと、実際の彼の行動にずれ が生じてくる。それは、ガスパール自身も知らないもう ひとりの(あるいは、複数の)ガスパールの出現によっ て引き起こされたものである。ロメールの作品は、物語 という形式で「語る」のではなく、日付をもったドキュ メンタリーという形式で「見せる」ことによって、観客 一人ひとりの裡に密かにもうひとつの物語が紡がれるこ とを求めている。そうした物語の可能性を視野に収めな がら、台詞とシノプシスを通して作品を読み解きたい。 ロメール監督によると、哲学者アランの、ある著書の タイトルを引き継ぎ、この映画の題名を『海辺の対話』 にしようと思っていたという。34)マルゴとガスパールの一 連の「海辺の対話」こそ、この映画の中心をなしている。
5.マルゴとの散歩 ⑴(3分48秒)
ガスパール自らを語る
どうかは確信が持てない、という。散歩は続く。ガ スパールの好きな女性は、妹とスペインに出かけた が、サン=リュネールで家族と合流する予定であり、 ガスパールに、そこで彼女を待ち、ブルターニュ半 島の先端の岬からウェッサン島に彼女を連れて行く よう頼んだという。マルゴは即座に、レナが来ない 場合の候補者として志願する。とにかく、レナから サン=リュネールの住所さえ教えてもらっていない ので、偶然に出会う必要があるだろう、とガスパー ルはいう。35)
シナリオを読むと、そこにはシノプシスのように整理さ れた明快さはない。とくにガスパールの話しは揺れ動き、 明快さを欠く。表現も曖昧に感じることがしばしばであ る。しかし、マルゴの台詞は教室で読むのに分かりやす い言葉で書かれている。ロメール監督によれば、マルゴ が『夏物語』で話しているフランス語は「古典的」であ り、監督は「流行の言葉や表現はすぐに時代遅れになる ので避け」、そして、「ある種の言語の中立性の中にとど まろうとしている」36)という。マルゴを民俗学者に設定 したのは、そのためだろうか。
ガスパールはマルゴに自らを語る。「実は、僕がここ に来たのは、人に会うためなんだ。」(Tu sais, en fait, je suis venu ici pour rencontrer quelqu un.)37)という。す でにマルゴに、そのことは伝えている。しかし、彼は異 性を「友人たち(des amis)」と呼ぶことによって、母 親に対してであれ、マルゴに対してであれ、異性の存在 を隠そうとしてきたことは事実である。ここでも、「人 と会う」(rencontrer quelqu un)という言い方をして いる。
ところが、マルゴの質問によって、ガスパールは、待 ち人が異性であることを素直に白状し、次に彼女の簡単 な紹介をおこなう。
ガスパール「出会ったのは数ヶ月前。とても頭の良 い娘で、一種の英才なんだ。E.N.A.(国立行政学院) を受けようとしていたけど、今はもうその気はない ね。その世界が好きじゃないんだ。お互い似たとこ ろがたくさんあるよ。」
マルゴ「音楽をやってるから?」
ガスパール「そうだね。とくにその点かな。」38)
しかし、この説明では、実際、彼女が今何をしている人 間なのかは、曖昧なままである。ただ、彼女が英才で、 E.N.A(国立行政学院という高級官僚養成のための教育 機関、歴代の大統領を輩出している)を目指していた ということを、ガスパールが初めに強調するところに、 彼の価値観が感じられる。不思議なのは、 彼女も音楽を やっているという共通点があるのなら、なぜマルゴに質
問される前に、その点を強調しないのかということであ る。
次に、彼女が友達なのか、恋人なのかも曖昧である。
でも、彼女は僕に恋してはいないし、彼女はまった く本気じゃない感じがしている。少なくとも今のと ころはね。39)
果たして彼女は、彼の恋人と言えるかどうか。友達とし ても怪しくはないか。それに彼は、彼女の名前すら言い 忘れているのだ。実は先で(7月24日)、マルゴは、こ のガスパールの恋人の実在すら疑うようになる。たとえ、 ガスパールに彼女の写真を見せてもらい、彼女が顔見知 りであることを知っても、である。いずれにせよ、それ ほど、ガスパールの片想いの恋人の存在感は希薄である。 しかも、その後、偶然の出会いの話しの最中、ガスパー ルは脈絡もなく唐突に、同じ話題を蒸し返す。心の奥で まだ気になっていたために噴出したのだろうか。
ガスパール「そして、いちばん重大なこと、それ は、僕がそれほど彼女に恋していないということな んだ。」
マルゴ「あら!」
ガスパール「まあ、狂わんばかりに愛してないとい うか...」40)
彼女の存在感の希薄さに応じて、ガスパールの彼女に対 する想いも同じくらい希薄である、ということだろう。 ガスパールの、こうした無定形で、まだ萌芽状態にある 想いも、7月26日には、かなり明確に言語化されること になる。対話を重ねる度に、彼の考えが深まっている印 象を受ける。もう一度この問題には立ち戻るだろう。 ガスパールがレナ(彼の恋人の名前は、やっと7月24 日にマルゴがガスパールに確かめるようにして、彼女の 口から明かされるのだが)を愛していることを証拠立て ている点、それは、彼がレナとヴァカンスの間、行動を 共にしたいと思っている点だ。シノプシスが示している ように、レナは、妹と二人(7月26日には、妹の彼氏と 三人と訂正される)でスペインに旅立ち、ガスパールに 何の連絡もして来ない。しかし、同じ彼女が、サン=リュ ネールの傍にある従兄弟の別荘に会いに来るようにガス パールを誘い、ウェッサン島へ旅行に連れて行ってくれ るよう頼みさえしているということだ。こうした二重の態 度は、誘惑的であり、彼女がガスパールに恋の苦しみと 喜びをともども味わわせていると想像させるに十分であ る。
上げる。誰とウェッサン島に行くかということは、物語 の後半、パリスの審判のように三人の候補者のうちから 一人を選ぶことをガスパールに強いることになり、深刻 な問題へと発展する。
ところが、ガスパールの、「はい、はい。(oui, oui.)」 という(いつもの、そして、これからも繰り返される) 気のない返事は、彼がマルゴの熱心な頼みをまったく意 に介していないことを意味しているばかりか、実際、彼 が無意識のうちに、マルゴの存在を認めていないという ことさえ意味しているように思われる。しかし、こうし たことは、事後に露呈してくる事実である。
このシークエンスでは、無口で内向的な青年が、社交 的でコミュニケーションに長じている女性によって受容 され、その能力を向上させてゆく過程のはじまりを見る ことができる。マルゴは、ガスパールの言ったことに 対して、賛辞の言葉を与え(「素敵だわ」Comme c est charmant!)42)、彼が自信のなさを露わにすると、それを 否定し(「そんなことない。それどころか、立派だとお もうわ。」Non, au contraire, je trouve ça très beau.)43)、 内容を把握した上で、褒める(「偶然の習慣」気の利 い た 名 言 ね。≪L habitude du hasard≫, jolie comme formule !)。44)マルゴはこの時、ガスパールに対して慈 愛に満ちた母親の役割を演じているように見える(じっ さい、彼がマルゴの夕食の誘いを断った後、たまたま 母親からの電話を受ける。彼はまだ、母親の庇護の下 にあることがうかがえる)。母親という言葉が悪けれ ば、「よき助言者」(mentor)だろうか。ただ、ロメー ル作品にあらわれる饒舌な台詞回しを、18世紀の劇作 家、マリヴォーの「マリヴォー風」(マリヴォダージュ) と評する意見がある。45)とすれば、マルゴは、「腹心」 (confi dente)であり、これが定説になっているようだ。 ただ、ガスパールの成長ないしは成熟に応じて、その都 度、彼女の役割は変化していくだろう。
6.ディスコ・クラブ、マルゴとの散歩 ⑵ ⑶ ⑷(12 分34秒)
7月22日土曜日
ガスパールはクレープの店で夕食を済ます。マルゴ のしつこさに負けて、ディスコ・クラブに踊りに行く 若者たちのグループに加わる。娘たちの中のひとり (ソレーヌ)は、男性にぴったりくっついて、ダンス
を踊っていたが、ガスパールから目を離さない。46)
このシークエンスには、ソレーヌという名の美女が登場 し、ガスパールに目をつけ、彼もまた彼女を目にする重 要なシーンがある。シノプシスから抜け落ちている細部 をいくつか補い、前後のシークエンスとの繋がりを示し たい。
前日、ガスパールは、曲作りをしたいからと言って、
マルゴの食事の誘いを断る(2回目)。
マルゴが、別れ際に「また明日、もし暇だったら。土曜日 だけど、席を取っておくわ。」と言ったためか、ガスパー ルは、マルゴの店に来て食事をする。店の常連の若者た ちのグループと談笑していたマルゴが、食事が終わった ガスパールを呼ぶ。彼が反応を示さないので、彼のテー ブルに来て、声をかける。
シノプシスの「マルゴのしつこさに負けて」に対応す るシナリオは、次の通りである。
マルゴ「私たちといっしょに行かない?」 ガスパール「いや、今から寝るよ。」(うつむく) マルゴ「さあ、行こうよ。土曜でしょ。」 ガスパール「いや、いや。」
マルゴ「≪ショミエール≫に行くのよ。」
ガスパール(ガスパール、マルゴのほうへ顔を向け ると、マルゴほほ笑む。)「それ、何?」
マルゴ「サン=リュネールのディスコよ。」 ガスパール「分かった。」47)
シナリオ(カイエ・ド・シネマ版)のト書きには、「た めらった後、彼は、それがサン=リュネールにあると知 ると、承諾する。皆は、デコレ岬にある流行のディスコ、 ラ・ショミエ−ルへ行く」とある。ガスパールがマルゴ の誘いに乗らなかったのは、後で分かることだが、実は 知らない人ばかりがいる集団が苦手なためで、次に呆気 なく承諾したのは、ディスコのある場所が、サン=リュ ネールで、そこには彼の恋人レナが滞在する予定の従兄 弟の別荘があるからだ。したがって、ガスパールが反応 したのは、ディスコにではなく、サン=リュネ−ルに対 してである。彼がディスコも苦手であることは、次のディ スコの場面でよくわかる。このように、ガスパールに対 して興味があり、彼に関する知識が増え始めているマル ゴにとって、ガスパールを心理的に操作することは、い とも容易いことなのである。
このように考えると、前日、マルゴが、別れ際に「土 曜だけど、席を取っておくわ」とガスパールに声をかけ たのも、単なる親切からではなくて、若者たちのグルー プとりわけ、ソレーヌに彼を引き合わせるためではな かったか、と思いたくなるほどである。
れる。やがてホールの片隅に座った彼は、マルゴまでも が相手の男の首に両腕を回して踊っているのを見る。彼 は、腕を組み片手を顎に当て指で軽くたたきながら、物 思いにふけっているように見える。「水夫の歌」を基に したダンスミュージックを聴きながら、曲作りに役立て ようとしているのかもしれない。ただ画面には、暗闇の 中に疎外感に満ち無表情なガスパールの顔が浮かび上 がっている。
7月24日月曜日
涼しい天候。ガスパールとマルゴは暖かい服装で散 歩する。二人の会話は、外部世界との関係や、人々 と集団との違いをめぐって展開する。ガスパールは 集団を嫌っている。彼には個人的につきあう「本当 の友人」しかいないからである。女性の友達につい てはどうだろう。レナだけである。少なくともマル ゴが現れるまでは。二人の会話は今や、友情と恋人 に及ぶ。マルゴはレナの写真を見せてもらうが、マ ルゴの知っている女性だった。マルゴには、ディス コで見かけた女の子、ソレーヌのほうがレナより、 ガスパールには似合ってみえるようで、彼をそちら の方向へ向けようとする。
このシークエンスの最初の場面は、ガスパールが一昨日 のディスコで味わった不愉快な体験をまだ引きずってい ることを示している。ガスパールの第一声は、マルゴ本 人と、ディスコでマルゴが一緒に踊っていた男たちを貶 す怒気のこもった早口の台詞である。この日の対話は、 ガスパールのもたらした不機嫌な感情をにじませてい る。しかしながらその分、それは彼の本音を見せてもい る。それに対して、マルゴは、そうした彼の意見を、時 には受容し、時には無視してやり過ごしながら、徐々に 彼の機嫌を良くし、そして最終的には、すべて彼女の思 惑通りに事が運ぶ。
「月の光の散歩道」に沿ってヨット・ハーバーの傍ら を通り、南に下る。おそらく今度は海沿いの道を東へ進 み、プリュレ岬に着く。その間なされた対話の内容は、 感情的なバイアスがかかっているため、かなり手厳しい ものに思われる。
ガスパール「あんな男たちと一緒にいて、よく寛げ ると思うよ。」
マルゴ「わたしは誰といても気分がいいわ。職業病 なのよ。」
ガスパール「接客業(hôtelière)の?」
マルゴ「バカね、ちがうわよ。民族学者としての! わたしは人に好奇心をそそられるの。全く興味がな い人なんていないわ。」49)
この対話では、驚いたことに、ガスパールは、マルゴに 対して何の関心ももっていないことが明らかになる。マ ルゴがすでに民俗学者として自己紹介し、その野外調査 にも連れ立って行ったにもかかわらず、ガスパールは、 それを忘れ、彼女をウェイトレスとしてしか見ていない ことを露呈する。それと対照的に、彼は片想いの恋人、 レナに対していまだに超エリート・コースをめざしてい た英才として、高い評価を与えている。別の言い方をす ると、レナは彼の内面に入り込み、そこに大きな場所を 占める存在である。ところが、マルゴはガスパールの心 の中にまだ存在すらしていないのではないか、と疑いた くなるほどである。
ガスパールは、彼女の職業病の話題には興味を示さず、 自分の関心事である個人と集団の話題に移る。彼は個別 の人々(gens)は良いが、集団(グループ)の人々は 承諾できないという。集団というものが嫌いだし、そこ に入りたくない、入りたくても、それができないという のだ。この問題は、7月27日に自立の問題と併せてもう 一度、そして7月28日には哲学的な装いの下に、三度語 られる。
今度はマルゴが話題を変え、友達について質問する。 シナリオ(アヴァン・セーヌ版)から引用する。
マルゴ「友達はたくさんいるの?」
ガスパール「うん、何人かね。でも本当の友達だよ。 で、個別に会う。」
マルゴ「男の友達?」
ガスパール「そう、今のところ、女の子として会う のは、レナだけだね。」
マルゴ「女の子の友達はいないの?」 ガスパール「いるよ。今は君だ。」 マルゴ「初めてなの?」
ガスパール「ほとんど初めて。」
マルゴ「男女間の友情をあまり信じていないよう ね。」
ガスパール「そんなことないよ。いいと思うよ。で も、普通、僕が探しているのは、むしろ恋人で、女 友達じゃないんだ。」
(マルゴ、歩くのを止める。ガスパール、マルゴの 方を振り向く。)
マルゴ「それで、恋人のいない場合は?」
ガスパール「だから、(女友達は)いないんだ。恋 人がいない時は、女友達には耐えられない。」 マルゴ「結局、あなたが私に耐えられるのは、あな たの、何と言ったっけ、レナ?がいるからなのね。」 (二人はまた歩き出す。)
ガスパール「そう、レナ。」50)