世界史のしおり 2017③│1 ちなみに,「ポピュリスト」(「ポピュリズム」)
という呼び名は,この全国人民党を準備するなか で生まれた。カンザス州の人民党指導者たちが人 民党(People’s Party)を短縮した呼び名はない かと思案しているなかで,一人がラテン語の populus(=people)という言葉を口にしたのを 聞きつけた地元新聞の記者がコラムで「ポピュリ スト」という表記を使ったのがはじめとされる。 ただし,人民党が自ら「ポピュリスト」を名のる ことはなかった。「ポピュリスト」という呼称が, 「無政府主義者」,「社会主義者」などと同じく, 初めから「危険思想を抱く者」という意味合いを もたされていたからである。
こうして誕生したポピュリスト党は,1896年の 大統領選において,民主党の候補ウィリアム=ジェ ニングズ=ブライアンを共闘候補として戦うなか でアイデンティティを喪失して急速に衰え,1908 年の大統領選を最後に国政の場から姿を消した。 ここに「ポピュリストの時代」は幕を閉じた。
ポピュリスト運動の時代からニューディールの 時代の半世紀ほどは「改革の時代」とよばれてい る。ポピュリスト運動に続いて,20世紀初頭には 革新主義運動が起こり,保守化した20年代をはさ んで,30年代にはリベラルな現代アメリカ国家体 制をつくったニューディールの時代が訪れた。こ の時代,「ポピュリスト運動」は,民衆的改革運
動であり,改革の時代の幕を開けたものとして肯 定的に評価されていた。
この改革の時代にも,民衆を巻き込んだ政治運 動がいくつか起こった。1920年代半ばにはまたた くまに全米で400万人もの会員を集めた「第2次 KKK」が生じた(タペストリー p.248「③KKK の集会」)。30年代には,大恐慌後の苦況に苦しむ 民衆に,所得の再分配や金融・通貨制度の改革な どシンプルな打開策を示して人気を博した南部ル イジアナ州知事ヒューイ=ロング(タペストリー p.250コラム)や北部都市を拠点にしたチャール ズ=コグリン神父のような「アメリカン・ファシ スト」とよばれた人々が指導する運動も現れた。 しかし,この時代を通じて,これらの運動が「ポ ピュリズム」とよばれることはなかった。
ポピュリズムの意味合いに変化が生じ,大文字 のポピュリズムとは異なる小文字のポピュリズム というとらえ方が生じたのは第二次世界大戦後の ことである。冷戦の開始,中国革命の衝撃のなか で,1950年よりマッカーシズムという「赤狩り旋 風」が荒れ狂った(タペストリー p.276コラム)。 この嵐のなかで東部を拠点とする知識人たちを中 心に,マッカーシズムの歴史的根源が,ロングや コグリンらの運動を回路として半世紀以上前の 「ポピュリスト運動」にあるという議論が展開さ れた。その議論の発信源となったのが,歴史学者 リチャード=ホーフスタッター(1916〜70)が1955 年に刊行したアメリカ史研究史上最大の(論争的) 傑作である『改革
の時代─農民神話 からニューディー ル へ ─ 』( 邦 訳: みすず書房,1988 年)である。このな かでホーフスタッ ターは,「ポピュリ スト運動」が陰謀 論,反ユダヤ主義, 排外主義などの不 ●
●
●小文字のポピュリズムの誕生
ポピュリストを烏合の衆と風刺した漫画(1891年) (写真:ユニフォトプレス)
歴史学者リチャード=ホーフスタッター
2│世界史のしおり 2017③
寛容な政治文化の浸透を受けていたことを指摘し た。彼自身は「ポピュリスト運動」の革新的側面 を肯定的に評価していたが,周辺の知識人たちが, 彼の議論を利用してマッカーシズムだけでなく, ロング,コグリンらの「アメリカン・ファシズム」 もポピュリズムだと言い始めた。ここに「小文字 のポピュリズム」論が誕生した。
これに対して,「ポピュリスト運動」(大文字の ポピュリズム)の研究者を中心にして,運動の革 新性や寛容さをあらためて強調して,ポピュリズ ムだけでなくアメリカの民衆的改革運動の伝統を 擁護する大きな流れも生じた。
ポピュリズム論争後,1960年代以降のアメリカ では,左右双方の民衆を巻き込んだ政治運動が起 こった。公民権運動,べトナム反戦運動,ニュー レフト運動,1964年新右翼ゴールドウォーターを 共和党の大統領候補に押し上げた運動,1968〜72 年白人優越主義者ジョージ=ウォーレスの独立党 運動,共和党ニク ソンの「沈黙の多 数派」獲得戦略, そしてついに1980 年代の「レーガン 保守革命」。この なかで,1970年代 にニューレフトの 流れを多少ともく んだ市民や政治家 が自ら「ポピュリスト」を名のったケースを除い ては,どの運動もポピュリストを名のることも, ポピュリズムとよばれることもなかった。
しかし,中産階級を連邦権力(ワシントン)に 敵対させる戦略で国家権力を獲得したレーガン革 命は,「小文字のポピュリズム」の存在と威力を あらためて研究者たちに知らせることになった。 これを受けとめ,1990年代に入り,ポピュリズム をアメリカ史全体を貫く政治文化としてとらえる 必要性を唱える研究者も現れた。ポピュリスト運 動だけでなく,ロング,コグリン,ウォーレス, ●
●小文字のポピュリズムの勝利
ニクソン,レーガンらの政治もポピュリズムだと いうことになる。さらに,南北戦争前の時代の民 衆運動さえポピュリズムとする研究もある。
一方,政治の世界においても,1992年大統領選 において,民主党のビル=クリントンと独立党の ロス=ペローが「ポピュリスト」のレトリックを 利用し,クリントンは当選を果たした。その24年 後のトランプの勝利は「小文字のポピュリズム」 がホワイトハウスを占拠したことをはっきりと国 民に告げた。
最後に,アメリカ史上の「大文字のポピュリズ ム」と「小文字のポピュリズム」をつき合わせて 共通項として取り出せること,つまりアメリカ・ ポピュリズムとは,何であろうか? それぞれの 時代の主要なコミュニケーション手段をたくみに 利用しながら「人民対エリート」の構図を強調す る政治手法であることはいうまでもない。エリー トとは,つまるところ,公約を破って恥じない政 治家である。政治家,政党,総じて政治への「民 衆」の不信と怒り,これがアメリカ・ポピュリズ ムの根底にある。政治への怒りは,前述したよう に1世紀以上前のポピュリズム運動の発火点で あったし,現在トランプを支持するラスト・ベル トのブルーカラーの心情でもあろう。その怒りは, アメリカの人民主権論が民衆のなかに蓄えたマグ マを熱源にしているように思われる。どのような 形をとるにせよ,人民主権の国アメリカにおいて はポピュリズムは必然と思い定めるべきであろう。 ●
●アメリカ・ポピュリズムの本質
ジョージ=ウォーレス(写真:ユニフォトプレス)
聴衆の熱烈な支持を受けるドナルド=トランプ