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中国 senshuasiasme CRCHINA07 08

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(1)

遼寧省・吉林省における実態調査(

2007年8月27日~9月12日)

担当者:林松国(専修大学 社会知性開発研究センター任期制助手)

北京市実態調査

(2007年8月28日~9月1日)

担当者:雷新軍(上海社会科学院 副研究員)、湯進(専修大学 社会知性開発研究センター 任期制助手)

遼寧省大連市・瀋陽市と北京市における実態調査(

2007年9月2日~9日)

担当者:黒瀬直宏(専修大学 商学部教授)、大橋英夫(専修大学 経済学部教授)、駒形哲哉(慶 応義塾大学 経済学部准教授)、雷新軍(上海社会科学院副研究員)、林松国(専修大 学 社会知性開発研究センター任期制助手)、湯進(専修大学 社会知性開発研究セ

ンター任期制助手)、金光日(専修大学 社会知性開発研究センター任期制制手)

上海市企業訪問(

2007年10月28日~30日)

担当者:林松国(専修大学 社会知性開発研究センター任期制助手)、湯進(専修大学 社

会知性開発研究センター任期制助手)

浙江省、江蘇省における実態調査

(2008年1月26日~2月3日)

担当者:雷新軍(上海社会科学院 副研究員)、林松 国(専修大学 社会知性開発研究センタ

ー任期制助手)、湯進(専修大学 社会知性開発研究センター任期制助手)

安徽省蕪湖市における実態調査(

2008年2月28日~3月1日)

担当者:雷新軍(上海社会科学院 副研究員)、湯進(専修大学 社会知性開発研究センタ

ー任期制助手)、金光日(専修大学 社会知性開発研究センター任期制助手)

四川省、重慶市実態調査(

2008年3月2日~9日)

担当者:大橋英夫(専修大学 経済学部教授)、雷新軍(上海社会科学院副研究員)、湯進(専

修大学 社会知性開発研究センター任期制助手)、金光日(専修大学 社会知性開

(2)

吉林省・長春における実態調査(

2008年4月24日~5月1日)

担当者:金光日(専修大学 社会知性開発研究センターリサーチ・アシスタント)

武漢市・北京市実態調査(

2008年9月7日~14日)

担当者:大橋英夫(専修大学 経済学部教授)、雷新軍(上海社会科学院 副研究員)、湯

進(みずほ銀行 国際営業部)、甘超宏(専修大学 社会知性開発研究センターリ

サーチ・アシスタント)、張治藍(専修大学 社会知性開発研究センターリサーチ・

アシスタント)、金光日(専修大学 社会知性開発研究センターリサーチ・アシス

タント)

広東省実態調査(

2008年9月11日~16日)

担当者:溝田誠吾(専修大学 経営学部教授)、張治藍(専修大学 社会知性開発研究セン

ターリサーチ・アシスタント)

(3)

遼寧省・吉林省における実態調査(

2007

8

27

日~

9

12

日)

担当者:林松国(専修大学 社会知性開発研究センター任期制助手)

瀋陽ST焊接設備有限公司(

2007

8

27

日)

〔説明者〕張総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は今年50歳、温州楽清市出身。92年頃から周囲の刺激を受けて、溶接機の企業を起し

た。会社は徐々に規模を拡大し一時40、50人になった。しかし外国への輸出がメインだっ

たので東南アジア金融危機の影響で業績が急に悪くなった。

新たに発展のチャンスを求め、99 年に瀋陽にやってきた。それは東北三省は中国重工業

の基地であり、ここにくれば発展の可能性があると考えた。当初この地域の溶接機市場は 空白の状態であった。国有溶接機企業が深刻な経営不振に陥り、競合相手はいなかった。

2.経営概要

現在販売店の面積は10平方米ぐらいあるが、昨年瀋陽の郊外で1000平方米の組み立て

工場を開業した。工場には30人の従業員があり、販売店の7割の製品はこの自社工場から

製造している。工場を作った理由はここの人件費の安さに加え、注文に迅速的に応じられ るからである。

溶接機の主な部品、原料は依然温州から調達している(ここは高いから)。温州には弱電

器の産業集積があるから原料などが安い。部品の供給企業は10社前後であり、PCBなどの

電子部品は価格の安いシンセンの企業から仕入れる。

この販売店以外、三人の温州人を雇って東北地域各地および天津市、唐山市で営業活動 を行っている。瀋陽の従業員は国有企業のリストラ者で店頭での販売だけやらせる。

販売先は鉄鉱、造船、自動車、建設分野の企業がほとんどであり、国有と民営企業の割 合は半々である。

毎年上海、青島などの大都市で溶接機の展示会を行っており、私も時間があれば参加す る。東北地域の競争も激しくなっているのが現状である。

3.温州人について

(4)

遼寧ZG房地産開発公司(

2007

8

27

日)

〔説明者〕黄総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は温州楽清市柳市鎮の出身、1984年に瀋陽にきた。柳鎮では兄と一緒に小さな弱電器

の工場を経営していたが、東北地域の弱電器の市場需要が高いと聞いて一人で瀋陽に来た。 ゼロからスタートしたので最初の頃は本当に苦しかった。販売先を探すために瀋陽を拠 点に、国有企業が集中する各都市を多く回った。

初めの 2 年間は何万元を損失したが、その後瀋陽、四平、長春、遼中などの企業を比較

的に安定的な取引関係を築いたため商売が軌道に乗った。

製品は柳市鎮の自社工場から調達する一方、東北国有企業の在庫品または古くなった製

品を買い取り、それを「翻新」(新しくする)して再販売した。製品の原価が非常に安かっ

たうえ、当時国有企業の購入システムは一律的に国の統一価格で買うことになっていたの で、何倍そして場合によって何十倍の利益を挙げることができた。

当時瀋陽でも弱電器を生産する国有企業があったが、製品の価格が高かったので我々に 比べまったく競争力がなかった。

2.飲食店経営の失敗

弱電器の商売がその後「本鋼」などの大企業への売込みが成功したためさらに拡大して

いた。そして1993年に鉄西小五路で当時瀋陽市最大規模の飲食店―「温州大酒店」を開業

した。私は飲食店の経営に関する知識、経験がまったくなかったが、毎年弱電器商売の関 係者をいろいろな飲食店で招待をしていたので、たとえ飲食店からそれほど利益が出なく てもせめて招待費が節約できると簡単に考えた。

しかし、「温州大酒店」の売上は予想よりはるかに下回り、また自分も招待活動の多さに

よって体を壊した。結局一年後100数万を投資した「温州大酒店」を40万の価格で売却し

てしまった。

3.不動産事業

飲食店経営が失敗してからはしばらく弱電器の経営に専念した。ただ飲食店の事業はお 金の面では損失したが、その間自分は「温州大酒店」を「交際の場」としてより多くの人 を知ることができ、人脈が飛躍的広がった。

一方それまで順調だった弱電器の商売がだんだん難しくなっていた。競争相手がたくさ ん増え、また国有企業はさまざまな情報を開示するようになると同時に、従来の購入制度

(5)

める頃は2~3%の利益しかなかった(弱電器関係の事業は全部兄に譲った)。

不動産事業に興味を持ち始めたのは2002年の頃だった。ただ飲食店経営失敗の経験もあ

って、しばらくは観察のことにした。その後、さまざまな情報を入手・分析した結果、不

動産の価格上昇は本物だと判断し、2004年に二人の温州人と共同で不動産投資をはじめた

(その後独立)。

いままでさまざまな不動産に投資してきたが、規模がもっとも大きいのは皇姑区北行路 の「中乾広場」プロジェクトである。

4.温州人について

温州人が瀋陽の不動産に投資しはじめたのが2000年前後だと思う。2003年~2005年の 間において温州人による投資がおそらくもっとも多かったのではないか。ただその後はア メリカ、香港、そして瀋陽地元からの参入が大幅に増え、競争が激しくなっている。

温州人の強みは投資判断の速さと資金調達力にある。だれがいい情報を持てばその場で 投資するかどうかが決定できる。投資パートナーに融資するとき契約書などのものも要ら ない。そして投資しても具体的にどのように操作するかに対して干渉しない、利益が出た ら自分の分をもらうのみである。

瀋陽市温州商会(

2007

8

28

日)

〔説明者〕徐(办公室主任) 〔訪問者〕林松国

〔取りまとめ担当〕林松国

1.商会の歴史と主な活動

瀋陽市温州商会は1999年9月26日に成立し、現在1000名前後の会員がいる。組織は

会長、常務副会長、秘書長、副会長をはじめ、理事だけで100名以上いる。

商会設立の目的は政府機関と温州商人とのさまざまな関係調整と会員たちの団結を図る ためである。

設立以来五回にわたって、会長、副会長などの主要メンバーが瀋陽市政府の要員と一緒

に温州に行って企業誘致活動を行い、大きな成果を挙げた。また、2004年以来計2回「中

国・瀋陽温州日活動」を開き、温州人の存在をアピールすることができ大きな社会的反響 をよんだ。

また、商会が法律専門の弁護士を雇い、会員企業の不良債権の回収などの処理に当たっ ている。

(6)

2.瀋陽の温州人

正確的な統計ではないが、瀋陽に温州人は合計 6 万人いるといわれている。温州人は主

に不動産、弱電器、時計・眼鏡、服装、五金(金物)照明器具の分野でビジネスを展開す る。またサービス業にもたくさんの温州人がいるように、基本的に儲かる商売であれば何 でもやるのが温州商人の特徴である。

3.自己紹介

私は地元の出身で、大学卒業後就職活動をしていたところ、温州商会が人を募集するこ とを知り、応募した。後で聞いた話だが、会長は私の声がいいということで採用をきめた そうだ。

市政府が毎年温州に行って企業誘致活動をする理由のひとつは瀋陽の経済開発区が国家 級の開発区なので、開発区内の企業数が一定レベルに達しなければならないとの指標があ るからだ。

私は商会の関係で毎年温州に行くが、南地方にくらべ、北はまだまだ大企業、有名企業 のみ重視する傾向が強いと感じている。また北地方では企業が正常な経営活動を展開する 上でさまざまな手続きが必要であり、企業にとって非常に不便である。

遼寧HY房地産開発有限公司(

2007

8

28

日)

〔説明者〕黄総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は温州楽清の出身、今年51歳。故郷では大学卒業後中学校の先生になった。先生の仕

事にはやりがいを感じ、充実していたが、生活は決して楽ではなかった。特に1980年前後

から周り多くの人がほかの地域に行って商売活動を行い、「万元戸」、「十万元戸」になった

人が次々現れた。当時二番目の子供がうまれ、家庭の負担を少しでも減らすために、1983

年から学校の夏休みなどを利用して外地に行って弱電器の販売を行うようになった。 お金はなかったので知人の紹介でさきに弱電器製品を「借りる」の形で入手し、販売し てから代金を払った。

その間、広州、西安、重慶、ハルビンなど、さまざまな地域に行った。

2.瀋陽での事業展開

最初に瀋陽にきたのは1984年の冬だった。当時の鉄西工業区は中国でも有数な大規模の

(7)

瀋陽での販売はその他地域に比べ非常に順調であった。また一部の販売先は私に別のサ

ンプルをみせ、製造してほしいと頼んだ。そこで自社生産の必要性と可能性を感じ、親戚・

知人から資金を借り入れ、1985年に「楽清長江機電設備厂」を開設した。当然先生の仕事

ができないので同じ年に辞職した。

自社工場の経営に注意を払いながら1986年からは経営活動を瀋陽に集中した。競合する

他社より私は製品の品質を重視し、技術の開発と品質の管理への投資を積極的に行ったた

め自社製品の評判がいつもよかった。そのため1994年頃全国範囲で行った温州製品への取

り締まり活動において、損失を最小限に抑えることができた。

さらにその後、楽清市最大の弱電器メーカー「徳力西」の瀋陽の代理販売権を獲得し、

弱電器販売事業をいっそう拡大した(今は「徳力西」の製品がメイン)。

3.不動産事業について

不動産事業をはじめたのは 2001 年だった。2000 年の頃私は温州市政府の推薦をうけて

北京大学のEMBA課程(社会人向けのMBA課程)に進学し、経営管理を勉強するように

なった。大学での勉強はもちろんその後の経営活動に役に立ったが、特に同期の学生はみ んな私のような企業経営者であったので彼らとの交流が私にとって良い刺激となった。

そのような影響もあって、私が不動産事業を第二創業の中枢事業として本格的に展開し た。最初は温州商会の仲間と共同投資の形で「瀋陽温州五金機電名品城」を建設した。そ して2002年には3000万元の資本金で現在の不動産会社を設立した。

特に近年中央政府が東北地域の振興計画を打ち出し、本格的に経済の発展に投資してい るので我々にとっていまはとてもいいチャンスだと思う。

これからは不動産事業を拡大するとともに、さまざまな事業にも挑戦していきたい。

遼寧ZT電控設備製造(

2007

8

29

日)

〔説明者〕李総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は1953年生まれ、温州楽清の出身。弱電器商売をやりはじめたのは1979年の頃であ

った。おそらく私が楽清最初の弱電器販売員の一人であろう。

最初に遼寧省にきたのが1980年だった。国有大手企業が多い鞍山市に行って一社一社回

(8)

2.瀋陽での展開

遼寧省での商売が比較的順調だったため、それまでの全国各地をまわりながら販売を行

うことをやめた。そして1981年に瀋陽市に販売店を設けた。当初は国営生産資料部(工業

資材を販売する)のブースを借り、製品を販売した。その後販売店の売上が順調に伸びた のでさらに多くのブースを借り、販売を拡大した。

3.「正泰」集団との契約

弱電器製品市場は1990年代半ばから大きく変化しはじめた。国が製品の品質、規格への

管理を強化したこと、また温州において一部有力企業を中心とした大企業グループが形成 したことが当社の販売方式を変えた。私はそれまで主に中小弱電器メーカーの製品を販売 したが、製品の品質問題、アフターサービス問題、そして種類の単一性問題などに悩まさ

れていた。そこで1999年に当時もっとも高成長をしていた「正泰」集団に加盟することを

決意した。

友人の張さんと一緒に 300 万元を投資して、当時では瀋陽市最大規模の「正泰」製品専

門販売センターを開業した。その後当社は「正泰」の成長とともに売上が順調に伸び、2000

年以後は五年連続「正泰」から販売部門一等賞をもらっている。

4.温州人と瀋陽人について

1980年代初期のとき、瀋陽人は温州人をあまり信用しなかった。私も瀋陽人から信用を

得るためにいろいろ苦労した。一度約束したことは必ず守るようにしてきたことが今の成 功につながったと思う。我々温州人は最初の頃みんなゼロからスタートし、自分の努力で 成功した。

瀋陽は国有企業が多いからだめになったと思う。人間は自分のため、お金のためではな いと頑張らない。多くのリストラ者はできる仕事があるにもかかわらず、給料がやすいか

らただ国の救済をまっているだけ。我々温州人にとってそういうことは考えられない。「理

念」(考え方)の問題である。「理念」を変えることが一番重要である。

瀋陽JS実業発展公司(

2007

8

29

日)

〔説明者〕金総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は1964年生まれ、温州出身である。中学を卒業後瀋陽で服装の商売をやっている姉の

(9)

に持って売った。

どんな服が売れるか、そしてどんな材料を使うのかはすべて姉が自分の判断で決めてい た。商売の規模こそ小さかったが、服が売れたので生活を維持する上では問題なかった。 私が瀋陽にきてから一年後姉の友人が故郷に帰ったため二人がやるようになった。そのた め、姉が服作りだけに専念し、私は布の購入と市場での販売を担当するようになった。

最初の頃はやはり姉の判断にしたがって布を買っていたが、だんだん自分も布の材料、

流行するデザインなどに関して知識と経験が豊富になった。3年後にはどんな布を仕入れる

かを完全に自分が判断できるようになった。また数量が少なく、はやりそうな布について 自分たちが使う量より多く仕入れて、ほかの服装業者に売ることもしばしばあった。

2.「五愛市場」に進出

五愛市場は1983年頃から発展したと思う。最初の頃は今と違って、市場で商売をやって

いる人がほとんど温州人だった。

私と姉は1986年に「五愛市場」のブースをかりって、商売をはじめた。当時は服を作れ

ば売れる時代だったので商売が順調に拡大し、一年後はもう一つのブースを借りることに した。しかし姉はその後結婚のために故郷に帰られたので私一人がすべてをやらなければ ならなかった。

服作りのことに関しては同じく温州からきた友人に任せ、そして販売も地元の人を雇い、 私は主に布の仕入れと関連管理を行った。ほかの業者に比べ、私はできるだけ品質のいい 布を選び、また流行する服のデザインにも敏感だったのでブースの売上は落ちることなく その後も伸び続けた。

3.現在

いまは「五愛」市場で六つのブースを借りっているほか、服の専門販売店三つをもち、

自社服商品のほかに、主に「聖巴黎」、「雪影」、「千玉紅人」などの数十種類のブランド服

の代理販売を行っている。

「五愛市場」での売上がまだ大半を占めるが、これからは専門販売代理店の経営を拡大 していきたい。

瀋陽SJ服装広場(

2007

8

30

日)

〔説明者〕鄭総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

(10)

私は温州楽清市の出身、20 年前に瀋陽にきた。それまでは全国各地で弱電器、服装など の商売を行った。

最初は「五愛市場」で瀋陽の同郷人たちが作った服装を売った。当時「五愛市場」に何

千人の温州人がおり、「五愛市場」の発展は我々温州人がいなければありえなかった。

紳士スーツの販売が中心であり、いろいろ大変だったが、売り行きは総じてよかった。 そして4年後には瀋陽の郊外で自社工場「雅娜」を立ち上げ、スーツの生産に本格的に乗 り出した。私が自社生産に踏み切った理由は市場競争の激化によって卸売をやるだけでは ますます利益が出なくなっていることと、品質の面においてもより高い商品を顧客に提供 する必要が高まったからだ。現在工場の従業員が300名で年間30~40万セットの衣服を生 産している。

2.衣服市場の建設

「世紀服装広場」の建設を決定したのは2002年のことだった。当時瀋陽市政府が「五愛

市場」に近いここにより施設の良い新しい衣服専業市場を計画していた。入札に参加し最 終的に市場の建設および経営の権利を得ることができた。

この市場の規模こそ「五愛市場」より小さいが、私が長年衣服の商売経験からこれから の衣服はブランドで勝負する時代に入ると判断し、できるだけ知名度の高い衣服を扱う販 売業者を優先的に市場に誘致している。

3.経営の現状

「世紀服装広場」が完成されてから経営状況が比較的よかった。ブースの貸出率は最初

から高かったし、その後も総じて適度の水準を維持している。現在当社の従業員が20数名

でさまざまな管理活動にあたっている。

瀋陽WJ項目開発有限公司(

2007

8

30

日)

〔説明者〕黄副総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.会社概要

当社は胡定海社長(現瀋陽温州商会・会長)が2005年に創設した不動産開発、管理の会

社である。2005年以前の民主路には弱電器、五金(金物)を販売する店がたくさんあった

が、古い小さな建物しかなく、非常に汚かった。

(11)

信していた。そこで仲間と一緒に2億元を投じ、2004年から建物の着工に入った。

現在 、「瀋陽五金機電城」は東北地域最大の弱電器、五金関連製品の販売センターの一つ

である。建物の総面積は6万平方米でブースが数千に上る。

2.社長について

胡社長は温州楽清市の出身で元々は弱電器の販売をしていた。それまでいろいろ苦労し

たが、商売が順調だった。特に1998年から「正泰」の代理販売を始めたことがその後事業

のさらなる拡大につながった。

3.自己紹介

私の温州出身、瀋陽に来る前は何年間天津市で弱電器のビジネスをしていた。95 年頃社

長の呼びで一緒にビジネスを行うようになった。現在「瀋陽五金機電城」の諸経営、管理

の業務は基本的に私が担当している。ほかのところと比べ、「瀋陽五金機電城」で商売を行

った方が、顧客にいい印象を与え、さまざまの面で有利である。

瀋陽市HY汽車配件(

2007

8

31

日)

〔説明者〕葉総経理

〔訪問者〕林松国、崔虎(遼寧日報・記者) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は今年42歳で温州の楽清市出身である。瀋陽に来たのが1985年だった。それまでは

西部地区を中心に弱電器の商売を行った。温州地域の弱電器は値段が安いうえ、現地にな いさまざまな種類の製品もあったので競争力があり、それなりに儲けた。

瀋陽にくる主な理由は当時瀋陽で同じく弱電器の販売をしていた親戚が私と共同で弱電 器販売店をつくりたいといわれたからだった。瀋陽は東北三省の中心であり、発展の可能 性があると考え出資することを決めた。

2.販売店の開設および発展

(12)

3.自動車部品について

1990年代後半になると、従来の弱電器製品市場の競争が激しさを増し、利益があまり出

なくなった。それに代わり、自動車、オートバイ関連の弱電器の売上が伸び始めた。我々 もこのような市場の変化に対応できるよう、販売する製品分野の転換を図った。

温州弱電器メーカーは自動車、オートバイの関連製品にそれほど強みを持ってないので、 仕入れ対象メーカーを北京、上海、広東の佛山、湖北などの地域の有力メーカーまで広げ た。いま東北地域でもこの分野の製品をつくるメーカーが増えているので、今後この地域 での製品供給メーカーを積極的に開拓していくつもりである。

主な事業分野を自動車関連部品へと転換して以来経営状況は良好であり、2003年にはも

うひとつ販売店を鉄西区で開業した。

4.従業員について

いま二つの販売店の従業員をあわせて20名ぐらいいる。そのうちアフターサービスの技

術者が 5 人以上占める。今後も自動車部品分野を中心に従業員を増やして事業の拡大して

いきたい。

延辺温州投資商会(

2007

9

10

日)

〔説明者〕呉柄権(顧問)

〔訪問者〕林松国、牛春虎(延辺州人民代表会委員会・主任) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.商会概況

延辺温州商会の成立は3年前のことであった。吉林省では4番目の早さである(通化市、

長春市、吉林市に次ぐ)。

現在は会長1名、常務副会長2名、副会長6名、そしてさまざまな連絡などを担当する

秘書長が商会の主な事項決定および関連活動を行っている。

現在は商会におよそ140名の会員が登録している。

2.温州人の活動状況

延辺地域には 6000 人ぐらいの温州人がいる。温州人が正式に登録して経営する企業は

800社前後ある。

温州人の商業活動は主に①建設、②眼鏡、③服装、④照明器具、⑤弱電器などの分野に 集中している。眼鏡業界では6~7割、そして弱電器業界では9割の経営者は温州人である。

(13)

商会に来る前には延辺州政協で働いた。定年後企業の顧問などをしたが、2年前に商会の 顧問職に就いた。

顧問になってからは主に商会、会員と行政機関の関係調整に当たっている。私は行政機 関で長年勤務したからいろいろ人脈を持っている。私の調整で会員はそれほどお金をかけ ずに問題解決できたことがたくさんあった。

しかし、今商会活動がますます低迷している。私に払うべき給料も最近は払われてない

(千元/月)。ほかのところでも仕事ができるからここでの仕事は今月で最後となる。

延辺ZC電線電纜銷售有限公司(

2007

9

10

日)

〔説明者〕趙総経理

〔訪問者〕林松国、牛春虎(延辺州人民代表会委員会・主任) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は温州の出身、1986年に延辺にきた。1983年頃故郷を離れ、河南、山西、陜西などの 中小都市で小企業を対象に電線、電纜の販売をやってきた。親戚が先に延辺にやってきて 私を呼んだのでここにきた。当初は和龍、龍井にある国有化学企業を対象に営業をしてい た。

その後部屋を借りて販売店を構えるようになり、さらに1990年に現在の建物を買って会

社を設立した。

2.経営状況

現在は電線、電纜以外、ヒューズ、穏圧器、各種スイッチなどさまざまな電器、部品を

販売している。製品は瀋陽、天津(北地域)、温州(南地域)から仕入れているが、電線、

電纜の場合は南地域と北地域の比率が9:1で、その他弱電器の場合は8:2となる。この

分野では北地域の生産が圧倒的少ない。わが社に製品を提供するメーカーは10数社ある。

延辺地域には60社ぐらい温州人経営の弱電器の店があると思う。

地元の人が経営する販売店もあるが、わが社にとって脅威になるとは思わない。商品値 段の合理性、透明度が高いことと長期的取引してきた顧客が存在することがわが社の強み である。

ただ以前より、競争が厳しくなっていると思う。昔の顧客はこちらの言い値をそのまま 受けていたが、いまは常に値下げを要求する。

3.アフターサービス

(14)

可能であるが、その際に生じた輸送費は半々負担することとなっている。

4.温州商会について

私がいま商会の常務副会長を務めている。

会長の陳余文は私と同じく弱電器の商売をやっていたが、彼は国の政策、経済の変化に うまく対応できたのでいい結果を残した。会長はいまより大きな発展を図るため経営資源 を長春の不動産業に移している。

商会のメンバーが一時共同出資の形で延吉に「温州商貿城」の設置を構想したが、使用 地の許可が得にくいなどの原因で計画が難航している。

浙江QF服飾有限公司延吉総代理(

2007

9

11

日)

〔説明者〕倪経理

〔訪問者〕林松国、牛春虎(延辺州人民代表会委員会・主任) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は今年35歳、温州出身、1993年に延吉にきた。故郷を離れたのが17歳のときだった。 兄が先に寧夏にいって商売をはじめたので家事などの手伝いにいった。兄の寧夏での商売 が失敗したため一年後、吉林市で服装の生産、商売をやっている義兄に呼ばれ、服装作り の仕事をするようになった。しかし吉林市の仕事がうまくいかなかったので義兄と一緒に

瀋陽の親戚のところに移した。瀋陽では義兄と共同で1万元投資をし、6人の職人を雇って、

市場で売れている服を模倣して作った。当時ジャケット、ワイシャツなどが特に人気があ り、作ればすぐに売れる状況であった。商売がうまくいったので一年後は独立した。

2.代理販売の開始

延吉にきたのはやはり兄が先にここきて私を呼んだからであった。最初の頃は瀋陽のと きと同じく、瀋陽市の海城専業市場で服の原料を購入し、職人を雇って服を生産してそれ

を西市場、地下市場で販売した。一時は8~9人を雇って服の生産をしたが、徐々に自分た

ちの製品が売れなくなった。その原因は温州の多くのアパレルメーカーが大企業に成長し、 それらの企業は自社ブランドで服を生産・販売しはじめたためであった。温州大手アパレ ルメーカーに比べ、我々は設備、原料、デザインいずれにおいても大差をつけられ、競争

ができなくなったので、1999年には自社の服の生産設備を全部売却し、他社製品の代理販

売をはじめた。

(15)

その後3年間スーツ関連の販売をしたが、2002年からは主に温州企業の「QF」の製品

を代理販売するようになった。「QF」を選んだのは商品の値段が一般の市民でも消費でき

るうえ、デザイン、品質が比較的よいからであった。

4.経営状況

現在QFの代理店が2ヶ所、そしてズボンの販売店が一ヶ所を経営している。銀行から の融資は受けてないし、必要もない。

ここ本店の営業面積は70~80平方米ある。建物の借り契約は三年間である。現在この建

物の一階だけを借りているが、近い将来は2、3階も借りるつもりである(2階は一年後)。 服装分野において各販売センターとさまざまなブランド製品が増えているため、競争が ますます激しくなっているのが現状である。経営規模を一層速く拡大したいが、それなり のリスクが伴うため判断が難しい。

現在販売本店の立地はいいと思う。ここのような沢山の服装販売店が集積する場所に入 らないと商売がうまくいかない。

5.温州人について

現在延吉には数十社温州人経営の服装販売店がある。延吉以外にも沢山の温州人が服装

の商売を行っている(敦化、琿春、汪清、図们)。服装の中でもスーツ分野において温州人

が特に強みを持っている。

延吉QB眼鏡有限公司(

2007

9

11

日)

〔説明者〕付総経理・延辺温州投資商会常務副会長

〔訪問者〕林松国、牛春虎(延辺州人民代表会委員会・主任) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は今年32歳、温州瑞安市の出身、延吉市にきたのが1989年、15歳のときだった。そ の前までは成都、鄭州などで眼鏡の卸売りを行った。当時家族全員が眼鏡の商売をやって いたので自分も自然にそれに参加した。各地では主に商場(小売販売センター、百貨店) および小売商人を対象に眼鏡の卸売りをした。眼鏡は主に温州親戚の工場から仕入れた。

延吉を選んだ理由はただ兄が先にここにきただけであった。兄は以前北京で眼鏡の卸売 りをしたが、儲からなかったため一時商売をやめ故郷に帰ったが、その後再び各地を転々 としながら商売を行ったが、最後はここにきた。

(16)

最 初 は 兄 と 一 緒 に 眼 鏡の 卸 売 り を し た が 、 そ の後 兄 が 不 動 産 の ビ ジ ネ スを 始 め た た め 1994年に独立した。この時期は主に「国貿大厦」、「延辺医院」、「鐘表眼鏡公司」、「総合商

場」に眼鏡を卸していた。そして1997年7月1日に「時代広場」ではじめて眼鏡販売専門 店「青波眼鏡」を設けた。

自分の専門販売店を作った主な理由は三つある。①卸売りの利益が非常に薄くなってき たこと、②販売代金の回収が難しかったこと、③この頃から眼鏡業界では製品の品質およ び自社ブランドを重視するようになったことであった。

3.強み

わが社で販売する眼鏡はほかの店の製品よりデザインが新しく、値段も比較的安い。そ の原因は主な製品は親戚の工場で作られているため生産コストが抑えられるほか、家族お

よび多くの親戚は国内各都市―南京、上海、北京で眼鏡関連のビジネスを行っているので、

互いに最新の情報を交換しているからである。

親戚の工場以外、約40社のメーカーの眼鏡を販売している。

現在延辺地域では安図県以外のすべての市・県において分店を設けている。延吉での売 上は総売上の半分以上を占めており、各市・県の高所得層はそれぞれの地元でなく、延吉

に来て眼鏡を購入する傾向が強い。延吉だけで7つの分店をもっており、50 人の従業員を

雇っている。この本店の面積は 300 平方米である。朝鮮族の従業員が最も必要だが、海外

へ行く人が多いので定着率は低い(海外では一二年間働けばここの給料より何十倍の収入

が得られるので仕方ないとは思うが)。ただわが社の給料水準は他社より良いので帰国後再

び戻ってきている人もいる。

わが社の顧客は社会人と中学生がメインである。2000年から顧客情報をパソコンで管理

するようになり、キャンペン情報を送信したり、誕生日カードを送ったりするなど、顧客 との交流を積極的に図ってきた。また新しい製品を購入した顧客に一週間以内必ず訪問し て製品使用の状況などを確認するなど、ライバル社より満足度高いサービスの提供を心掛 けている。

現在販売している製品は国産がほとんどで外国製の眼鏡は少量に過ぎない。外国製の眼 鏡はブランド力が非常に高いが、どの店でも販売できるため利益は薄い。それに比べ、国

内ブランド眼鏡の販売代理は地域独占制度であるため、比較的高い利益が得られる。一方、

顧客の間に国内の眼鏡メーカーの知名度があまり浸透されてないため、顧客は「青波」の 名前を信用して商品を購入している。したがって、各メーカーの得意技術、製品の特徴を 熟知することが非常に重要であり、私は十数年間この分野でやってきたので顧客のニーズ の変化に対応できるように、各メーカーの製品を柔軟に組み合わせて販売を行っている。

4.眼鏡メーカーについて

(17)

企業が多い)。温州地域の眼鏡メーカーの製品品質はあまりよくない。特にメッキ技術レベ ルが低く、温州企業は基本的に大量生産と海外への輸出で生き残っている。

5.ライバル

現在延吉に温州人の眼鏡店が6~7ヶ所あるが、「大明」店が最大の競争相手である(温

州人経営)。互いに競争関係にあるが、競争によってまた進歩するから相手に感謝している。

WF灯具(

2007

9

12

日)

〔説明者〕洪総経理

〔訪問者〕林松国、林聖浩(琿春市工商局・顧問、元局長) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は温州市瑞安の出身、37歳。中学卒業地元でライター、照明器具の企業で2年間働き、 その後独立してビジネスをはじめた。

琿春にきたのが 1992 年の頃だった(兄、弟と一緒に)。当時国の経済開発特区になると

マスコミが大いに宣伝したためここを選んだ。それまで蓄積した十万元を資本金に照明器

具の商売をはじめた。故郷を離れることに不安は感じなかった。当時まだ20代で体力には

十分自信があり、どこでも成功できると思っていた。

しかし琿春の経済は予想したほど発展がなく、1999年から 2001年までは一時長春にビ

ジネスの重点を置いた。この時期の長春には大きな照明器具の専業市場があり、その発展

の可能性を見込んで専業市場での自社販売店の営業面積を20倍まで拡大したが、その後専

業市場が衰退していったので長春の事業をやめざるをえなかった。長春は瀋陽とハルビン に比べ産業の歴史、そして物流においても優位性がないため専業市場が衰退したのであろ う。

長春からの撤退から経営資源を琿春に集中し、現在は不動産事業など、さまざまな分野 に進出している。

2.照明器具の経営状況

1997年までは温州から照明器具を仕入れたが、その後主に広東省の企業から製品を調達

している(古鎮、東莞、順徳、佛山)。販売の方式もメーカーから地域独占販売権をもらい、

特定ブランド製品を代理販売するようになった(古鎮の吉豪灯具がメイン)。電話でメーカ

ーに注文するが、製品の発送期間が10日間である(古鎮の場合)。

現在琿春に6つの照明器具販売業者がいるが、わが社の市場占有率は 40%である。琿春

(18)

アフターサービスなどの関連サービスも無料で提供している(延吉の分店は販売とアフタ

ーサービスのみ)。またこの地域の市場規模が小さいため、特定種類の照明器具でなく、で

きるだけ多様な製品を揃えなければならない。

2008年には必要な資金を集め、古鎮で自社工場を建設したいと考えている。

3.競争相手

最大のライバルは同じ温州人経営している「豪門」社であり、経営規模はわが社とほぼ 同じであり、わが社を「吃掉」(敵対的M&A)としている。その他4社は琿春の地元人が 経営しているが、規模が小さく競争力はない(500~600 万元の投資規模)。照明器具の販

売は大量の在庫が必要なうえ、一種類の製品販売・流通期間が 2 年程度で比較的短い。ま

たメーカーからの流通過程において製品の破損率が10%に達するのが普通であり、破損の

部分は主に販売店が負担するので資金力がないと競争優位に立たない。

4.多角経営の展開

現在照明器具の経営は妻に任せている。私は主に 2000 平方米の「大海商貿公司」(大型

ショッピングセンター)、5000平方米のスーパーマーケットの経営を行う。

「大海商貿公司」が主にここにくるロシア人を対象にしているが、近い将来その周辺の 建物、道路の使用権を買い取り、ロシア人に買い物だけでなく、旅行、娯楽、飲食などを 含めた総合的なサービスを提供していく計画である。

宝潔化粧品琿春市総代理(

2007

9

12

日)

〔説明者〕罗総経理

〔訪問者〕林松国、林聖浩(琿春市工商局・顧問、元局長) 〔取りまとめ担当〕林松国

1.創業経緯

私は今年34 歳、温州瑞安の出身である。うちは三人兄弟いるが、私が15歳のときお父

さんからもらった3000元をもって一緒に北京に行って眼鏡の商売をはじめた。その後広州

などに転々としたが、1988年に琿春にきた。当時私はビジネスを行ううえで重要なのは都

市の規模ではなく、その都市でナンバーワンになれることだと考えた。また地図から琿春 の地理的位置をみて、発展の可能性があると何となく思ったのでここを選んだ。

最初の頃は資金があまりなかったため私たち三人が路上で眼鏡の販売をした(8 万元 )。

その後商売がうまくいったため百貨店などでブースを借り販売をするようになった。眼鏡

は江蘇省の丹陽市眼鏡専業市場から購入していた。当時200元で仕入れた水晶眼鏡を1500

(19)

しかし、眼鏡の商売は競争が激しくなるにつれ利益が出なくなり、その後三人ども別々

の商売活動に転換した。今私が化粧品の販売をしているが、兄は照明器具(「豪門」)の販

売、弟は時計の販売をしている。兄の会社は照明器具の販売だけでなく、広東省古鎮にあ る自社工場で生産活動も行っている。

2.化粧品事業の展開

1995年から化粧品の商売をはじめた。家内と相談し、これからは女性用の商品、特に化

粧品の消費が伸びると判断したのがその理由であった。当初は化粧品売りの専門商店を設 け、主に20~60元の商品を販売した。

1997年になると、「宝潔化粧品公司」が当地域の代理販売店を探している情報を知り、す

ぐに交渉を行い、独占代理権を獲得した。代理販売権が得られた理由は化粧品専門商店の 経営がすでに軌道に乗り、一定の販売量を維持していたからだった。

私が代理販売権を獲得する目的は「宝潔化粧品公司」の製品を販売することではなく、「宝

潔」のブランドを利用して自社のイメージアップであった。

97年のときこそ宝潔の化粧品が総売上の7割を占めたが、今は3割に過ぎない。国産化

粧品の品質がよくなり、知名度が消費者に浸透している。今「大宝」ブランドの化粧品は 宝潔より売れている。琿春のような中小規模の都市では国産ブランド化粧品のほうが強い と思う。

現在およそ18~20種類ブランドの化粧品を販売するが、毎年5種類のブランドが淘汰さ れている。

化粧品売り場の総面積は1500平方米であり、40名の従業員がいる。

3.皮革商品と美容事業

化粧品事業以外、皮革商品の販売と美容室を経営している(いずれも「宝潔」の看板を 掲げる)。

皮革商品は温州と広州から仕入れている。広州の皮革企業の 9 割は温州人が経営するの

ではないかと思う。かれらがビジネスパートナーを選ぶとき、私のような温州人を優先す る傾向が強いのでやりやすい。

皮革商品の製造、販売は温州人が独占しており、良い皮革製品がすべて温州人の企業か ら生産される。

仕入れた商品は一ヶ月内に売れないとメーカーに返品できる。皮革商品の売り場面積は 200平方米であり、10数人の従業員を雇っている。

(20)

北京市実態調査

(2007

8

28

日~

9

1

)

担当者:雷新軍(上海社会科学院 副研究員)、湯進(専修大学 社会知性開発研究センター 任期制助手)

A

有限公司

(2007

8

29

)

〔面会者〕許 総経理

〔訪問者〕雷新軍、湯進 〔取りまとめ担当〕湯進

1.創業経緯

中国湖南省出身の許氏(29 歳)は、亜泰中心(SHOO)から事務所(面積は 30 ㎡、2.6 元/日/ ㎡)を賃貸し、資本金10万元で2007年4月に起業した。従業員は5人(設計2人、財務1 人、設計アシスタント2人)となる。許氏 は15歳の時、湖南省湘潭市(市内人口60万人)美 術1位の成績で 中央美術学院付属高校に合格され、専門的に美術を学び始めた。18歳の時、 両親がなくなり、経済の問題で大学への進学ができなかった。高校卒業後、生活するため に最初ある設計会社で絵面をスキャナーする仕事をし始め(月給300元)、いくつかの設計会

社で設計員や設計部門経理などを経験した。その後、友達が経営する設計会社を勤めた時、

ユーザーに頼まれたプライベートの作業が多くので、あえて起業した。

2.事業の概要

同社は広告設計、商標設計、企画設計などの業務を行っている。ユーザーの意図を伺い、

試作段階(全体作業量の2~3割)を通して、作品のイメージと方向を確定する。さらに表現 力を深めて作品を完成する。その後、ユーザーからのチェックおよび要望に応じて、修正

作業を行う。現在、安定したユーザーが7社となり、中美史克(グラクソ・スミスクライン

の合弁会社)は主要な受注先である。

3.競争優位

同社の競争優位は、オーナーの技術力、ユーザーとのコミュニケーション力などの点に あるという。つまり、ユーザーの細かいニーズに丁寧に対応することは重視し、一件当た りの受注額は少ないとはいえ、口コミによって、大きな受注につながる。このような顧客

至上の 経営方針を実現するため、同社はオーダーの納期に応じて、従業員の随時残業を行

っている。また、インターネットや資料購入によって、他社の作品を学習し、絶えず世の 中の設計脈絡および流行性を把握する。

(21)

改革開放以降、日本の電通は初の外資広告企業として中国に進出し、1994年の末になる と、中国に進出した外資広告設計企業(合弁・合資企業も含む)は300社に達した。これらの

外資企業は外資企業向けの業務だけではなく、96 年から、中国ローカル企業向けの業務に

も着手し始め、ローカルの広告会社に打撃を与えた。

同社は中国電話通信システム市場で圧倒的なシェアを占めている。2006 年の売上高は2

北京には広告設計に従事する従業員 10人以下の中小企業は6000~7000社あり、激しい競争が見られる。オーナーは「企業の

競争は規模ではなく、実力、サービスおよびユーザーからの信頼性などの点にある」と語

った。同社は今後の3年以内に規模が10人以上の広告設計会社への成長を目標にしている。

B

有限公司

(2007

8

29

)

〔面会者〕陳 副総経理

〔訪問者〕雷新軍、湯進

〔取りまとめ担当〕湯 進

1.設立経緯

B社は中国初の電信ソフト開発企業である。1988年に国連開発計画 (UNDP)の資金援助を

受け、アジア太平洋地域プロジェクト(UNDP/ITU/RAS/86/165)のため、海外からの専門家15

人と郵電科学技術研究院30人によって開発チームが作られた。プロジェクト終了後、1993

年に元郵電部電信科学技術研究院はそのプロジェクトの研究資源をベースにし、ソフトウ エア開発センターを設立し、電子管理とコンピュータ分野の研究開発を続けている。リー

ダーは16人の研究開発チームを率いて、ソフトウエア開発に関連する研究を開始した。

同センターは1998年に大手電信企業の傘下に入り、ソフトウエア部門の支社として発足

した。2001年に独立し、現在の B 社となった。2007年現在、2子会社を有し、総資産は 1.3億元に達した。

2.業務内容

同 社 の 主 な 業 務 内 容 は 電 信 運 営 シ ス テ ム(OSS-Opensource Software System と BSS-Business Support System の分野)、システム・インテグレーション、情報化サービス、

アウトソーシングである。同社のOSSは地域の固定電話・携帯電話・PHS通信ネットワー

クの管理システム、データベースのネット転送、政府セキュリティ支援プラットフォーム、

アプリケーション・ソリューションなどの分野に応用されている。一方、BSSは、企業の経

(22)

億元となり、売上高R&D比率は 13%となった。現在、国内6大通信企業からの受注を受 け(中国網通と中国電信からの受注は同社売上の5割を占めている)、全国の26省、160地 域のローカル通信ネットワークにソフトウエアサービスを提供している。浙江省、吉林省

内モンゴルなど地域に8つのアフターサービスセンターを設け、24時間のサービスを提供

すると同時に、ユーザーの故障申告から48時間以内に問題解決が可能な体制を整っている。

3.人事管理

現在、従業員は 700人となり、そのうち、技術者は500人にのぼり、修士卒以上の従業

員は全体の3割を占めている。分野別の人員配置を見ると、ソフトウエア・システム開発46%、 システム・インテグレーション19%、プロジェクト管理と実施12%、市場調査と営業10%、

ソリューションとネットサービス8%、品質管理5%という構造である。

人材募集については、人的資源部が、各部門から年末に提出した人員配置の予算を審査 したうえで、社会募集とキャンバス募集を通して、必要な人材を採用している。社会募集 の目的は、経験者の採用を通じて、部門別の即戦力を強化することにあり、キャンバス募

集の目的は採用する新卒を社内で育成することにある。従業員の給与は基本給、ボーナス、

職能給となり、基本給は毎年10%アップする。また、会社の幹部(チーフ以上)には住宅購入 の前払金の貸し出し制度を実施している。同社は管理層に業務の全般を把握させるために、 ポジション交代制度を実施し、また、新入社員に対しては、社内講義、技術交流会、社外 研修などの研修制度を設けている。さらに、従業員向けの社内ポジションの公募や人材推 薦制度を実施し、優秀な人材の選抜と発掘を図っている。

4.対日アウトソーシング

近年、同社はソフトウエアのアウトソーシング事業を積極的に取り込んでいる。その事 業は、契約、仕様伝達(内容の理解と確認)、開発管理(進捗管理、文書化)、受入検査(共同実 施、検査項目のレビュー)、維持管理(部分的変更、修正)などのプロセスがある。2004年 5 月、東京事務所を設立し、対日アウトソーシング市場を開拓しはじめた。現在、医療画像 の通信システム、ホテル検索システム、工事の評価システム、伝票出力システムなどの対 日実績が挙げられる。

啓迪控股股 份有限公司(

2007

8

30

日)

〔面会者〕 黄 客戸服務経理

〔訪問者〕雷新軍、湯進

〔取りまとめ担当〕湯 進

(23)

啓迪控股股份有限公司は清華控股股份有限公司、中関村科技発展股份有限公司、北京市

国有資産経営有限責任公司、清華紫光の 4 社が共同出資で設立した株式会社であり、その

前身は1994 年に設立した清華科技園発展中心である。業務内容は「一主両翼」といわれ、

清華科技園の運営主体として、土地開発、テナント管理とサービスなどをコア事業に据え、

不動産投資やベンチャー企業投資などの副業も手掛けている。

2.事業展開

中関村オフィスビル業界の激しい賃貸競争の下で、同社が所有する創新ビル、威新国際

ビル、学研ビルなどの物件の空室率は 10%以内に押さえられた。ベンチャー企業投資の業

務については、2006年に9社に総額3490万元が投資された。また、同社は海淀区政府と 共同出資で啓迪中海投資公司(投資基金1.5億元)を設立し、2つのプロジェクトに出資した。 2006年の純利益は前年比16.7%増の6,300万元に達した。2011年までの計画では、企業の

上場あるいは子会社の上場を実現させ、総資産60億元、投資規模2億元、管理基金10億

元、資本収益率は10%以上、地方における2~4つの分園の建設などが目標とされている。

清華科技園(

2007

8

30

日)

〔面会者〕 王 公共関係部副総経理

〔訪問者〕雷新軍、湯進 〔取りまとめ担当〕湯進

1.設立経緯

清華科技園は啓迪控股股份有限公司のコア業務として1994年に設立された。中国唯一の

Aランク国家級大学サイエンスパークである。メインパークは清華大学キャンバスに隣接し、

敷地面積は25万㎡、計画の敷地面積は69万㎡であり、12の専門エリアで構成されている。

1994年から清華科技園発展中心やR&Dプラザ(学研大厦)、同方ビル(清華同方社の本社ビル)、

華業ビルを建設し始め、1998年に計 12万㎡の起歩区(パイオニアパーク)を完成した。2001

年に創新ビル、2002 年に国家ハイテク技術創業サービスセンター、清華科技園バイオ孵化

器と清華留学人員創業園が稼働し、2005 年に中関村海澱園ハイテク企業のサービス拠点と

清華科技園集積回路設計パークも建設された。

2.進出企業

北京清華工業開発研究院、河北清華発展研究院、清華大学科技開発部などの清華大学の

技術成果を実用化する機関が立地し、光ディスク工程技術中心、国家CAD中心、ネットワ

(24)

院などのR&Dセンター、Google、Broadcom、Veritas、Juniper Networks、Adobeなどのナス

ダック上場企業が進出している。さらにm清華同方、清華紫光などの国内の大企業20社、

展訊、夕正、科泰世紀などのハイテク中小企業250社が立地している。

3.創業支援

清華科技園では、起業支援、人材の調達、情報と技術の提供、ビジネスサポートの分野 に渡って、入居企業の成長を支援している。入居企業が中央政府・北京市の優遇政策を享受 するために、ハイテク企業資格の認定、中小企業創新基金の代理申請、火炬計画プロジェ

クトの申請などをサポートしている。同パークは、創業企業に対し、事務所の賃貸手続き、

サービス、企業登記などに必要な各種手続代行・相談等のスタートアップサービスを提供 している。同パーク内には情報センター、技術移転センター、法律事務所、コンサルティ

ング会社、銀行、保険会社、航空チケットセンター、会計事務所、会議センター、4つ星の

ホテル、娯楽設備、運動場、医療センターなどのサービス機関と施設が設けられ、企業の 業務開拓、企業買収、上場に関連する経営戦略、コンサルティング、法律サービス、資産 評価などのビジネス支援を行っている。

4.産学連携

清華大学には清華大学核能、微電子、高速ネットワークなどの3つの総合型研究基地、4

つの国家工程研究センター、15の国家レベルの実験室があり、830人の教授、1590人の助 教授を擁している。こうした研究資源によって、創出した研究成果とシーズを入居企業に 優先的に供給している。入居企業は清華大学が所有する複数の国家レベルの研究センター を選択し、自社の研究分野に適応する研修機関を決めることができる。また、清華大学の 大学院・学部はこうした入居企業のために、専門分野の授業と研究コースを設けて、人材

派遣サービスを提供している(専門家や専門知識を持つ大学院生)。また、清華科技園は、毎

年国内外の様々な分野に渡る専門会議、研究会を開き、入居企業に対して交流と意見交換 の場を設けている。同時に海外専門家との学術交流会、国内著名教授の公開講座、シンポ ジウムなど、関連する情報を提供し、清華大学図書館の利用も可能となる。

5.インキュベータ

清華科技園は1994年8月から、R&Dプラザの10階(面積1000㎡)をインキュベータとし て使用し始めた(約20社)。2000年にはR&Dプラザの9階が稼働した。2002年に設けた留 学創業園は、海外に留学した清華大学OB、OGの受け入れを目的としている。R&Dプラザ

も留学生創業向けの施設であり、面積とスペースが比較的広いオフィスを設計し、2006 年

末には150社が入居している。

R&D プラザの入居企業は創業企業を中心としている。清華科技園は企業の入居申請に対

(25)

や起業者のキャリア・経験の審査を実施している。また、専門人員を配置し、入居起業の 事業展開をモニタリングしている。同時に起業家交流の場として、会員制の啓迪クラブを 設け、定期的にフォーラムや交流会などのイベントを行っている。企業融資については、 技術の初出と技術形成の背景を審査し、中国科技部イノベーション基金(80万元)と海淀区イ ノベーション基金(40万元)の申請に協力している。現在、清華科技園の孵化器サービスセン

ターには、11 人の創業支援スタッフが、技術の移転や技術の実用化の面で協力・支援して

いる。

清華紫光集団(

2007

8

30

日)

〔面会者〕孫 外事助理

〔訪問者〕雷新軍、湯進 〔取りまとめ担当〕湯進

1.創業経緯

同社の前身は清華大学が1988年に設立した清華紫光科技開発総公司であった。1993年、 清華紫光科技開発総公司の再編が行われ、清華紫光集団は設立された。出資比率について は清華大学控股32.54%、清華紫光集団15.58%となった。

同社は1999年に清華紫光股分有限公司を設立し、深セン証券取引場に上場させた。2002 年に環境産業、バイオ医薬産業は清華紫光から分離し、独立している。現在、同社は「国

家 863 計画成果産業化基地」や「国家スキャナー生産基地」として情報技術を中心に展開

している。

2.事業の概要

同社は清華大学の技術と研究開発人材資源を生かし、コンピュータ制御、電子情報、新 素材、電子測定装置、バイオ医薬などの分野に注力している。主力製品は電力コントロー ルシステム、自動車検査システム、スキャナー、カラー印刷機などである。また、独自の

技術で、紫光電子筆(電子入力装置)、紫光スキャンナーと紫光ノートパソコンを開発した。

3.販売と業績

(26)

中関村科技園石景山園(

2007

8

31

日)

〔面会者〕孫 副主任

〔訪問者〕雷新軍、湯進 〔取りまとめ担当〕湯進

1.設立経緯

中関村科技園石景山園の前身である「八大拠科技園」は1992年に設立され、北京市経済

技術開発区の政策を享受している。「八大拠科技園」は 2006 年に中関村科技園の傘下に入

り、面積は従来の0.8㎢から3.45㎢までに拡大した。管理システムについては、中関村科

技園から業務上の指導を受け、区政府から行政面の指導をうけることになる。

2.事業概況

石景山園は北1区(0.64㎢)、北2区(0.91㎢)、南区(1.9㎢)で構成されている。北1区は

かつての重工業地域であり、首都鋼鉄公司(鉄鋼生産)、北京燕山水泥廠(セメント生産)、

北京鍋炉廠(ボイラー生産)などの工業企業 8 社が立地し、伝統的重工業地域である。現

在は、文化創意産業を中心として発展を目指している。南区は新興産業発展区である。主

に観光業、ビジネス商談・国際会議のサービス(スペースの賃貸、会場サービス)などを中心

に手がけている。北2区には、かつての八大拠科技園をベースにし、現在ハイテク企業355

社が立地している。業種別ハイテク企業では、電子情報 70%、新素材・省エネルギー12%、

環境12%、バイオ6%という構造である。

3.重点プロジェクト

北京数字娯楽産業示範基地は 2004 年に設立され、中国初の「電子競技発展センター」、

中国科学技術部「国家デジタル媒体技術産業化基地」や中国新聞出版署「国家ネットゲー ムアニメ漫画産業発展基地」の重要拠点として発展している。また、北京市政府が提唱す

る「長風計画」(ソフトウエア産業)の波に乗り、同基地の建設が北京市科学技術委員会の

2005年度重点プロジェクトとして認定された。2005年に北京数字娯楽発展有限公司が設立

され、建設推進事務所と共同で「北京数字娯楽産業示範基地」の建設、企業誘致、運営、 管理などの業務を行っている。現在、同基地には、研究開発インキュベータ区、人材育成

区、体験娯楽区、製品取引区などの 4 区、ネットゲーム、移動ゲーム、娯楽体験などの 8

センターが設けられ、2008年9月現在、200社以上のデジタル娯楽関連企業が進出してい る。

4.企業進出

2007年末、石景山科技園には企業700社が立地しており、また、インキュベータ施設15

(27)

ス機関が進出している。

5.創業支援

中小企業の育成については、同園の優遇政策に加えて、「明星(スター)計画」が実施 されている。その計画は企業の財務体制、地域財政の年間貢献率、自社ブランドとイノベ

ーションの力、チームワークなどの 5 項目を審査し、「明星企業」を選定する。認定され

た企業は、国家プロジェクト申請の推薦やイノベーション資金の提供などの支援策を享受 できると規定されている。また、娯楽関連企業に対し、オフィスの賃貸補助(0.5 元/㎡/日) や区科学委員会の支援金補助などの優遇策を実施している。

現在、同園管理委員会は、ハイテク産業と知的所有権の管理部門を設置し、区工商局内 に総合サービスセンターを設け、入居企業のコンサルタント、ハイテク企業の認定、工商 登録、土地賃貸などの手続き代行サービスを提供している。

C

公司(

2007

8

31

日)

〔面会者〕李 製造部経理

〔訪問者〕雷新軍、湯進 〔取りまとめ担当〕湯進

1.創業経緯

同社の技術は中国装甲兵工程学院(戦車士官育成の大学)の戦車補修技術から発展してき

たものである。同学院の教員4人が1990年代から軍需企業の研究課題として、金属接着剤

の研究を行い、1993年に独立起業した。創業当初、主に金属品の補修剤の生産を行ったが、

1996年以降、ねじや金属件のコーティング剤、ガラスの密封剤の生産を手がけ始めた。2001

年に北京八大拠工場を稼働し、2003年にSINCO AMERICAと共同出資で北京連合 釱得胶粘 剤公司を設立し、自動車部品の接着剤・粘着剤市場に参入した。その後、電子部品の接着 剤(2004年)、太陽発電設備用接着剤(2005年)の開発・生産をスタートした。

2.製品の概要

製品は、金属物の補修・コーティング、セラミック、ゴム、ねじなどの工業用接着剤と

接着設備であり、合計 7種類、21シリーズとなる。製品の設計は自社内で行い、コア素材

はドイツ、イギリス企業から購入している。

3.販売

販売については、全国 11ヵ所の地域販売拠点、300の代理店を通じて、自社ブランド製

(28)

年にISO9001 の認証、2005 年に ISO/TS16949:2002 の認証(自動車産業の品質システム規格)を取得

し、2004年から東南アジア、南アフリカ、中東アジア向けの輸出を開始した。

4.従業員

2007年末現在、従業員は270人となり、売上高は1.5億元となった。接着剤の充填と封

装などのアセンブリー工程には地方出身の70人を配置している。作業環境の良さと安定的

な受注によって、離職率が低い(月給2000元)という。なお一般ワーカーの平均給与は2,000 元/月である。

5.設備

2005年にはイタリアURELLO社から接着剤の充填封装設備を導入し、接着剤製品封装50

本/分、年間 1500トンの生産能力が形成された。生産工場の二階に80㎡の新しい実験室を 今年から開設し、材料試験機3台(米INSTRON製)、衝撃試験機1台(ティニアスオルセン社 製IT503)1台、気相測定器1台(島津製作所製)、水分測定装置1台(スイスMETTLER TOLEDO

製)などの外国製測定機器を導入している。今後の生産規模をさらに拡大するために、2006

年に北京西今接着剤公司の工場を買収することによって、1万㎡の敷地と 4000㎡の建物を

獲得した。

6.研究開発

同社は毎年、ドイツ Kaiserslautern大学接着剤研究所へ

創業者は中国科学院電工研究所の技術をベースにし、2000年に起業した。2003年に投資 ファンドからベンチャー投資基金をうけ、同社を設立した。主力製品である高圧インバー タは、電力、石油化学、製鉄、鉱山、コンクリートなどの分野に応用している。国家電力 技術者を3カ月以上派遣し、ドイツ化 学研究者とプロジェクトの共同研究を実施している。また、スイス、イギリス、アメリカ

の接着剤研究所、日本接着剤工業会と技術交流・提携関係を結んでいる。2007年に中国旋

盤業界用接着剤の作業プロセスの標準制定を担当し、数件の特許を申請した。現在、20 人

の研究開発チームが太陽発電のプリント基板用接着剤の開発を行い、売上高R&D比率は年

間5%以上を維持している。

D

公司(

2007

8

31

日)

〔面会者〕張 副総経理

〔訪問者〕雷新軍、湯進 〔取りまとめ担当〕湯進

参照

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