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バングラデシュ独立戦争研究の現在 - - 記憶の継承

と学術的意義 ( 特集 変わる世界、変わる研究 - -

地域編)

著者

村山 真弓

権利

Copyr i ght s 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

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雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

269

ページ

32- 33

発行年

2018- 03

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

(2)

特 集

変わる世界、変わる研究

2018年3月26日、バングラデシュは47回目の独立記 念日を迎える。戦争を知らない世代が人口の約8割を 占めるようになったバングラデシュでも、戦争の記憶 をどう伝えるかは極めて重要な課題である。

●独立戦争の遺産

独立戦争時にパキスタンの側に立ち、独立支持派や 異教徒(ヒンドゥー教徒)の殺害に加担した人々を裁 く戦犯裁判所は、2009年にようやく設置された。しか し実際に刑が確定ないしは執行されたのは11人のみで、 現在の政治対立も絡んで、戦争は、バングラデシュの 政治と社会に生きた遺産として、大きな影響を及ぼし ている。貧困国から新・新興国へとバングラデシュへ の経済的評価が変わる一方で、社会に存在する暴力の 問題は根深く、その根は独立戦争にまで遡る。

本稿では、独立戦争研究の最近の成果を何点か紹介 するが、取り上げるのは英語および日本語のものに限 る。外国人による、あるいはベンガル語を解さない読 者を想定した研究・記録が、何を問題とし、何を明ら かにしたのかを素描したい。

最初に、独立戦争のあらましを簡単に述べておこう。 1947年のインド・パキスタン分離独立によって、統一 パキスタンは、民族も言語も異なり地理的にも1600キ ロも離れた地域が、イスラームという宗教のみを紐帯 として生まれた。その分裂の兆しは、建国時から芽生 えていたともいえるが、崩壊へのカウントダウンは、 1970年末の初の成人普通選挙として実施された国会選 挙からである。ムジブル・ラフマン(ムジブ)を代表 に掲げるアワミ連盟が過半数を獲得し第1党となった にもかかわらず、第2党の西パキスタンを基盤とする パキスタン人民党を代表するズルフィカール・ ア リー ・ブットーは、ムジブの首相就任に反対し、東 西パキスタン両方に州首相を置く案を提案した。これ

を受けて、当時の最高権力者ヤヒヤ・カーン大統領・ 陸軍総参謀長は1971年3月1日、国会招集の無期限延期 を発表した。翌日以後の東パキスタンでは、ゼネスト、 抗議デモが連日行われ、一気に独立への機運が高まっ ていった。各地で軍とデモ隊の衝突が発生し、死者の 数が増加するなか、ヤヒヤ大統領とムジブの交渉も打 開策をみいだせず、3月25日深夜、軍による独立支持 勢力の弾圧「オペレーション・サーチライト」作戦が 決行される。ムジブは同日夜逮捕された。学生や市民 らの多くが、正規軍からの脱走兵らとともに解放軍を 結成し、インドの支援を受けて、全国で西パキスタン 軍に抵抗を続けた。隣国インドには1000万人ともいわ れる難民が押し寄せていたが、12月3日、インドは正 式に参戦し、1947年、1965年に次ぐ第3次印パ戦争に 発展した。12月16日、パキスタン軍は全面降伏した。

●誰の記憶を継承するのか

独立戦争に参戦した立場からの記録は多いが、参考 文献①は、終戦を西パキスタンで迎えたベンガル人の、 西パキスタン脱出の記憶である。パキスタンに取り残 されたベンガル人は約40万人といわれるが、この著者 は、何とかアフガニスタン・インド経由で帰国を果た した。しかし残留ベンガル人の多くは、とりわけ若い 女性達は過酷な経験をしたと伝えられる。あらゆる 人々が異なる経験を持つ戦争だが、女性に焦点を当て た文献②は、インド・アッサム州出身で、米国の大学 で教鞭をとる著者による研究である。

参考文献③の著者シャルミラ・ボースも、インド出 身のベンガル人で、現在は欧米で活躍している。日本 でも有名なスバス・チャンドラ・ボースは彼女の大叔 父にあたる。本のタイトルが示すように、同書もまた 戦争の「記憶」を拾い集めたものである。しかしボー スの中心的主張は、これまでの1971年戦争に関する記

バングラデシュ独立戦争研究の現在

―記憶の継承と学術的意義―

村 山 真 弓

地 域 編

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援助関係者による幾つかの研究や記録、ならびにバン グラデシュ人による日本の役割に関する研究がある。 しかし外務省の公文書公開は遅れており、関係者の死 去や高齢化の問題とともに、本格的な研究は重要かつ 喫緊の課題である。日本は、米国に先立ち1971年2月 には新生バングラデシュを承認したが、その過程で中 心的役割を果たした故早川崇代議士が記した冊子『バ ングラデシュとの出会い』(1978年出版)が、2011年 にベンガル語訳が、2015年には、参考文献⑦として復 刻されている。

(むらやま まゆみ/アジア経済研究所 研究支援部)

《参考文献》

① Matin, Abdul, A Passage to Freedom: The Story of an Adventurous Escape of a Bengali Family f r o m P a k i s t a n i C a p t i v i t y, D h a k a : A d o r n

Publication, 2009.

② Saikia, Yasmin, Women, War and the Making of Bangladesh, New Delhi: Women Unlimited, 2011. ③ Bose, Sarmila, Dead Reckoning: Memories of the

1971 Bangladesh War, London: Hurst & Company, 2011.

④ Raghavan, Srinath, 1971: A Global History of the Creation of Bangladesh, Cambridge: Harvard

University Press, 2013.

⑤ Blood, Archer K., The Cruel Birth of Bangladesh: Memoirs of an American Dipolmat, Dhaka: The

University Press, 2002.

⑥ Bass, Gary J., The Blood Telegram: Nixon, Kissinger, and a Forgotten Genocide, New York:

Alfred A. Knopf, 2013.

⑦ 早川崇『復刻版 バングラデシュとの出会い― 民族と国境をこえて―』早川鎮、2015年。 録が、両国どちらかの立場に偏った党派的神話で構成

されているというものである。バングラデシュもパキ スタンも、ともに相手の主張を否定するが、その否定 の度合いはバングラデシュの側により大きいとボース は述べる。バングラデシュ人は自分たちを被害者とし て描くが、非ベンガル人に対する、ベンガル人による 暴力も決して小さくなかったことを、ボースは両国の 関係者への聞き取りと資料の精査によって明らかにす る。また、被害者としてのベンガル人という意識が、 その後の独立戦争支持者たちによる暴力の正当化につ ながる傾向を生んでいると述べる。

●政治・外交研究として

同じインド人研究者スリナート・ラガヴァンによる 参考文献④は、既存研究について、適切な距離感と良 質な資料利用の欠如を指摘する。その理由は、南アジ アの歴史家が1947年を超えようとせず、また過去20年 の学問的趨勢が文化・社会史中心となり、政治・外交 史が脇に追いやられてきたためだとする。ラガヴァン は、バングラデシュ独立は西パキスタンによる政治的、 経済的、文化的差別の必然的帰結という通説を否定し、 より広い文脈で、国内、地域、国際の相互関係からパ キスタン崩壊を再考する。世界各地の主要な公文書館 資料を駆使して書かれたラガヴァンの主張は説得的で あるが、解放軍の役割の検討が欠如している等の批判 が、バングラデシュの研究者から出されている。

さて、米国はパキスタン政府に対して大きな経済 的・軍事的支援を行っていたが、独立戦争時における 同国の姿勢は内外での強い批判にさらされた。当時、 東パキスタンの米国総領事を務めたアーチャー ・ブ ラッドは、1971年4月、西パキスタンによるベンガル 人弾圧を前に沈黙している米国政府の対応を強く非難 する公電を出した。ブラッド自身は、1998年末に当時 交わされた公電の公開を待って回顧録を出した(参考 文献⑤)。プリンストン大学のゲイリー ・ベースによ る『ブラッドの公電』と題する参考文献⑥は、ニクソ ン大統領とキッシンジャー国家安全保障問題担当大統 領補佐官が、なぜヤヒヤ政権を支持し、バングラデシュ で起きていた「ジェノサイド」に冷淡であったのかを、 ホワイトハウスの録音記録などから再構築していく。

ところで、日本におけるバングラデシュ独立戦争研 究だが、独立間もない時期に著された日本人研究者や

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アジ研ワールド・トレンド No.269(2018. 3・4)

参照

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