T itle
米軍チャプレンの研究 構造分析と主観的視点
-A uthor(s )
田中, 雅一
C itation
国際安全保障 (2007), 35(3): 95-112
Is s ue D ate
2007-12
UR L
http://hdl.handle.net/2433/85406
R ig ht
c 2007 国際安全保障学会
T ype
J ournal A rticle
T extvers ion
publisher
国j捺 安 全 保 障 第35巻 第3号
米軍チャプレンの研究
-
構 造 分 析 と 主 観 的 視 点
-田
中
雅
はじめに
本論文の目的は、アメリカ合衆国の軍隊に属するミリタリー@ チャプレン mi l i
-tary chapl ai n、 あ る い は た ん に チ ャ プ レ ン と 呼 ば れ る 翠 職 者 ( 従 軍 牧 師 あ る い は
の 性 格 に つ い て 考 察 す る こ と で あ る 。 そ の 際 、 か れ ら の 境 界 的 性 格
( 後述) あるいは矛腐が、かれら自身によってどのように理解され、克服されよ
うとしているのかに注告する。
『カトリック事典』は、チャプレン chapl ai n という訳を当て、つぎ
のように説明している。
具体的には礼拝堂または記念堂付司祭、あるいは修道院、孤児院、病院、刑
務所等の施設で聖務を行うために任命された可祭、特定の階層の人々のために
奉仕するために任命された司祭( 例えば従軍司祭) 、その他各種信心会の集会や
りの先唱をする司祭もチャプレンと呼ばれる。
により主任司祭の通常の可牧を受けることができない人々、すなわち移住者、
亡命者、難民、放浪者および船員のために可能なかぎり団体付司祭が任命され
なければならないとされる( ] ) 。
こ れ は カ ト リ ッ ク の 定 義 で あ る が 、 プ ロ テ ス タ ン ト に つ い て も 基 本 は 同 じ で
あろう。チャプレンは、団体や非定住集団に携わる司祭であり、具体的には、
学校、刑務所などで働く聖職者である。
由来に関しては、以下のような伝承がある。
戸
、
d
凸
2007年12月
4世紀のことである。異教徒のローマ人兵士が、ある冬の夜寒さでふるえてい
る乞食に出会った。かれは外套を脱いでそれを剣で半分にさいて、
に与えた。その夜彼はキリストが白
きっかけで彼は洗礼を受けキリスト教徒になった。
身を捧げることになる。そのうち、彼はフランク
司祭がカペラヌスcapel lαnusとなった。彼はま
た王たちのためにミサを行った。
ここにチャプレンという
ノレ とし
1う
によりも
(cαrpel l a) からチャペ
る。この言言から、チャプレンとはな
ることが明らかである。病院や監獄、学校のチヤプ
る。以下では、ことわりのなし1かぎり、従 レンは、これから派生した
ことをチャプレンという言葉で記述していきたい。
チ ヤ プ レ ン は 、 キ リ ス ト 教 的 な 伝 統 に 由 来 す る た め 、 日 本 人 に は あ ま り 馴 染
み の な い 概 念 で あ る 。 ま た 、 日 本 に お け る 政 教 分 離 の 概 念 、 す な わ ち 公 的 な 空
なくすという政教分離の理解に基づくかぎり、このようなチヤ
り、前近代的性格なものといえる。 ブ。レ
減 少 し 、 ま た う さ ん く さ い と み な さ れ が ち な 現 代 日 本 に お い て チ ヤ プ レ ン へ の
理 解 が あ る と は 思 わ れ な い 。 し か し 、 チ ヤ プ レ ン の 主 た る 目 的 、 す な わ ち 兵 士
こたえるためという本来の設置理由を考慮するなら、頭から
ものではなかろうO 筆 者 は 、 本 稿 で は 軍 隊 に お け る
ることで、軍隊と社会との関係の理解に貢献したいと思うO
米軍におけるチヤプレン制度の歴史
( 2)アメリカ
参加、とも
と、北米では 17 世紀から
うということが生じていた。
1775年 、 独 立 戦 宇 : 託1)冗 υノ 叶 ぺ 」
、正式にチヤブレ
が 合 衆 国 で の チ ャ プ レ ン 制 度 ( chapl ai ncy ) の起源とされる。
1778年に最初のチャプレンが任命された。これによって、任命さ
-国 際 安 全 保 障 第35巻 第3号
れ た チ ャ プ レ ン は 軍 か ら 給 料 を 受 け 取 る こ と が で き る よ う に な るO ちなみに、
1949年 に 設 置 さ れ た 。 ま た 海 兵 隊 と 沿 岸 警 備 隊 は 、 海 軍 か ら チ ャ プ レ ン
が派遣されてし
1775年 か ら 戦 争 終 結 時 の 1783 年 に か け て お よ そ 230 名 が チ ャ プ レ ン と し て 活
躍 し た 。 し か し 、 平 時 に な る と 、 兵 士 の 数 も 減 り 、 チ ャ プ レ ン の 数 も 数 名 と な
る。
よると、 1813年から1856年までの問、 80名のチャプレンがいたが、そ
の内訳をみると、ほとんど長老派プロテスタントで、カトリックは 3 名にすぎな
い 。 こ の よ う な 数 字 か ら 、 ア メ リ カ
あることが理解できる。
1838年 に は 基 地 付 け の チ ャ プ レ ン ( post chapl ai n) が 生 ま れ た 。 そ れ ま で は 連
隊 や 旅 田 ご と に チ ャ プ レ ン が 任 命 さ れ て い た 。 基 地 付 け の チ ャ プ レ ン は ま なによりもプロテスタント
校の教師でもあっ
1861年に勃発する南北戦争をきっかけに、 3000名のチャプレ
加し、 66名が戦死している。
ら 1000 名が参加し、 25名死亡している。
戦争勃発時の 1861 年にユダヤ教徒のチャプレンが生まれた。その 2 年後の 1863 、が、およそ 600 か
は、 Af r i can Met hodi st Epi scopal Chur c hに属していた黒人( アフリカ系アメ
リ カ 人 ) と 先 住 民 出 身 の キ リ ス ト 教 チ ャ プ レ ン が 誕 生 し た 。 後 者 は チ ェ ロ キ ー
( キジスト教徒) であった。黒人についていえば、 158
が 組 織 さ れ る が 、 そ の う ち ロ 連 隊 に 黒 人 の チ ャ プ レ ン が 配 属 さ れ て い た 。 ま た
ャプレンの軍服が制定された。
戦 争 が 終 わ っ て 平 時 に な る と チ ャ プ レ ン の 数 は 34 名 に 減 る 。 当 時 の 階 級 は 大
ご
4
3
3
告
ぷ
予
も
喜 多
一 応
妥 2予
念
4え
S
3
5
等
;
符
字 ぞ 尉 ( Capt ai n) であったが、 なかっ
1880年 に は 、 チ ャ プ レ ン に は 大 卒 ( Bachel erof Ar t sか Bachel erof Di vi ni t y) で
あ る こ と が 資 格 と し て 求 め ら れ る こ と に な っ
1899年 に は 襟 章 と し て 十 字 架 を 付 け る こ と に な っ た(3)。 さ ら に 、 こ の こ ろ か
ら チ ャ プ レ ン の 任 命 に は 、 教 派 の 承 認( eccl esi ast i cal endor sement ) が必要となっ
1914年には十字架だけでなく階級章を付けることになる。
第一次世界大戦直後の統計によると、 368万 5 して、およそ
吋
-0
2007年12月
2200名のチャプレンが奉仕した。このうち、 22名が戦死した。平時になると、
数が激減して125名となる。 1917年には海軍が、 20年には陸軍が、軍ごとにチャ
プレンをまとめる
C
hi ef o
f C
h
ap
l ai n
s
が設立する。ちなみに彼は大佐の階級を与えられていた。向年チャプレンを養成する学校が設立された。
第二次世界大戦直前はチャプレンの数は17名だったのが、戦中は8900名にふ
くれあがる。終戦直後は8191名だ、った。カトリックが2278名、プロテスタント
が5620名だった。白人のチャプレン( カトリックとプロテスタント) のほかに、
黒人チャプレン250名、ラピ311名、また、少数だがギリシャ正教会のチヤプレ
ンがいた。日系部隊には仏教徒のチャプレンを派遣することが認められたが、
リスト教徒のチャプレンが任命されている。第二次世界大戦中にチャ
プレンは478名戦死している。ちなみに、この戦死者数は、部隊ごとに考える
と、歩兵と航空隊についで3 番目に多い。
朝鮮戦争時には、およそ1500名のチャプレンが従軍している。
ベトナム戦争批判とともにチャプレン( 制度) への批判も高まる。宗教団体
の中にもこれを批判するものがあらわれた。戦争屋
w
ar m
onger
と呼ばれ、蔑まれることになった。そして、良心的兵役拒否や薬物中毒などを扱う必要が生まれ
た。なおベトナムには300名のチャプレンが参加し、 13名が死亡している。
ベトナム戦争が終結し、 1973年に徴兵制度が撤廃される。その一年後の1974
年にははじめての女性チャプレンが誕生しているO
1987年には仏教のチャプレンを仏教団体が承認する; 手続きも認められた。
最近では、社会主義国家の崩壊後、キリスト教が復活し、ロシアやポーラン
ドの軍隊にもチヤプレン制度が導入されることになった。これにあたって、米
軍からチャプレンが派遣されて、協力にあたった。
イスラームのチャプレンは1993
され、 2004年現在およそ4000人の米
スラーム兵士にたいし17名のチャプレンが活動している。
チャプレンの摩史はその専門化の歴史である。すなわち、かれらは戦時のと
きに一時的に参加する聖職者から、宗教団体の認可を受けて、
職者へと変貌してし1くO
時は、識字学校の教師、郵便局長、代筆屋、金貸しなどの雑用も
していたが、時代を下るにつれて本来すべき聖職者の仕事に専念することがで
号
q
u
( of f i cer) であり、そのための学校
が整備される。その資格認定に当たってチャプレン候補者の所属する団体の推
薦 が 必 要 と な っ た 。 ま た 第 二 次 大 戦 後 に な る と 、 学 士 か ら 修 士(3年) へと、そ
も高くなった。また、チャプレンになる前に2年以上の教会での理職
としての経験が必要である。そして、従軍することが決まると、
している2ヶ月のコースに入る。
チャプレンは、軍隊においては医師や弁護士など、専門的知識が問われる士
宮であり、かれらをまとめてスタップ・オフィサーという。これは、軍隊の指
揮系統に直接関わるライン・オフィサーと対比される言葉である。
もうひとつ注目すべきことがらは、チャプレンの歴史が、そのまま
イノリティ集団の軍への参入を認めていく歴史として読めることである。白人
から黒人、先住民、あるいは日系アメリカ人など、チャプレン制度の歴史から、
軍人の構成民族の変化も推察できるのである。チャプレン制度の歴史は、限界
はあるが、さまざまな民族集団( エスニック・グループ。) 、 ら成る軍
隊の要求に! 芯えていこうとする歴史でもあった。それは、プロテスタント
から多宗教国家への変貌に対応していた。
女性チャプレンの誕生の背景に一般社会での男女雇用均等への動きが認めら
れる。当然教会側の煮識も変化したハ軍隊は、 1973年の徴兵制度の廃止によっ
必要があっ
¥るO 軍隊が「女性化J することになったのであ
もとで、 1974年に女性のチャプレンが生まれたと
て激減する
た。
る。こう
る。
1
1
チ ャ プ レ ン の 境 界 的 性 格
以下では、チャプレンの境界的あるいは越境的な性格について述べておきた
いは) 。ここでしづ境界( 越境) 的性格とは、本質的に対立するふたつの領域のど
ちらにも属する、あるいはどちらにも属さないような、ど、っちつかずの性格を
まずチャプレンは聖職者であり、特定の宗教団体( デノミネーション) の認
可を必要とするが問時に軍隊の組織の一部を担うO かれ・彼女は、
べきとされる、自家すなわち軍隊と宗教の境界上に位置する。それは、
-2007年12Fl
世俗と宗教二二聖、あるいは国家ニ公と宗教: 私という対立の境界に位置すると
も解釈できる。さらに、軍隊が象徴する暴力と、宗教とくにキリスト教が強調
るような愛や平和との対比においてもまた、矛盾に満ちた存在ともいえる。
チャプレンは、軍人として暗級をもっている。しかし、一方でかれら
士や医師などと同じ専門職能者で、軍隊ならびに兵士に専門的知識を提供する
存在である。チャプレンの場合は宗教的知識に基づいて、
た兵士たちの相談にのったり、儀礼を執行したりする。
には大卒あるいは士官学校な
けている。これに対し、下士宮兵は、高卒あるいはそれ以下の学歴で、数年ご
とに契約を更新しなければならない。米軍では、
のつきあいはきびしく禁じられている。両者はともに独立した10の階級からな
り、下士官兵から士官に階級が上がるということは原則としてありえない。と
ころが、スタップ・オフィサーたちはこうした厳格な上下関係から自由である。
とくにチャプレンは、日常的に兵卒と交流し、相談相手となり、必要なら告解
を受ける。チャプレンは、 とし¥う あると解釈できるの
である。これは、チャプレンたちが、たんに宗教上の活動だけではなく、より
一般的なカウンセリングを実践してきたことと密接に関係している。
宗教についていえば、軍隊における宗教職能者の役割は、多くの兵士たちの
こたえるためだが、多宗教的な文脈においては、兵士ひとりひ
とりの宗教的要求に応じることは物理的に不可能である。複数のチャプレンが
常駐する基地や大型艦船では、一般にプロテスタント4、カトリックlの割合で
記備されている。しかし、部隊っきのチャプレンは原則ひとりである。おおよ
そ12000人にひとりといわれている。この場合、チャプレンの宗教あるいは教派
( デノミネーション) に関係なく、兵士と接する必要が生じる。たとえば、プロ
テスタントのチャプレンがカトリックやギリシャ正教に属する兵士に儀礼を施
す。場合によっては相手がイスラームなど非キリスト教徒の兵士である可能性
もある
複数のチャプレンが存在する場合、宗教や教派に関係なくかれらはさまざま
な局面で協力をしてし、く必要がある。こうした状況は一般社会においては生じ
ない。聖職者が日常的に付き合うのは同じ宗教・教派に属する聖職者であり、
また教会に集まるのも同じ宗教・教派の信徒だからである。宗教の領域におい
-第35巻 第3号
いえようO
チ ャ プ レ ン は 、 か れ ら が 属 す る 部 隊 と と も に 戦 場 に 赴 くO しかし、かれらは
武 器 を 携 行 し て は い け な い 。 そ の 意 味 で 、 チ ャ プ レ ン は 兵 士 で あ っ て 兵 士 で は
な い と い え る 。 か れ は 敵 か ら 見 れ ば 本 当 の 敵 と は い え な い 。 敵 と 味 方 の 境 界 上
る と 解 釈 で き る の で は な い だ ろ う か0・戦場で武器を持たないというこ
と は 、 味 方 の 兵 士 か ら 見 れ ば 攻 撃 性 が 欠 け て い る 、 あ る い は 剥 奪 さ れ て い る 男
性 で あ る 。 か れ は 、 兵 士 に 比 べ る と 、 真 の 男 性 と は い え な い 。 戦 場 に お し
と は 、 武 器 を 持 っ て 果 敢 に 敵 に 戦 闘 を 挑 む 攻 撃 的 な 兵 士 で あ る 。 武 器 を
携 行 せ ず 、 戦 関 そ の も の を 放 棄 し て い る よ う な チ ャ プ レ
のである。このよう
ると解釈できょうO
ら見ると、チャプレンはジェ
以 上 の よ う に 、 チ ャ プ レ ン は 、 政 治 と と
とはいえない
死 と 愛 と い っ た 対
立 に お い て 、 軍 隊 内 で の 対 立 に お い て 、 ま た 多 宗 教 的 な 状 況 に お い て 、 さ ら に
は 男 性 ( 兵 士 ) と 女 性 ( 非 兵 士 ) 、 敵 と 味 方 と い う 対 立 に お い て 境 界 状 態 に 位
る 。 も ち ろ ん 、 現 実 に お い て は ベ ト ナ ム 戦 争 時 の よ う に 武 器 の 携 行 を せ ざ
る を え な か っ た り 、 戦 闘 地 帯 で 中 立 を 維 持 す る こ と が で き な か っ た り す る 。 そ
れ は 、 特 定 の 国 家 の 軍 隊 に 従 属 す る チ ャ プ レ ン の 限 界 を 示 唆 し て い る と も い え
る。
チ ャ プ レ ン の 以 上 の よ う な 境 界 的 性 格 を 外 か ら
と し て 位 置 づ け た い 。 本 稿 で は 、 こ う し た 境 界 的 性 格 を チ ャ プ レ ン た ち 自 身 が
い か に 理 解 し て い る の か を 考 え て み た い 。 こ の 境 界 性 は 、 チ ャ プ レ ン の 直 面 し
ている矛盾ともいえるから、問題は、かれらが矛盾をどのように解釈し、
解 決 し よ う と し て い る の か 、 と い い 換 え る こ と も 可 能 で あ ろ う 。
川
チャプレンの活動
チ ャ プ レ ン の 活 動 は 、 宗 教 に 関 わ る も の が 主 で あ る 。 ま ず 礼 拝 ( ミ サ 、 サ ー
ビス) が挙げられる( 6)。これは、基地や戦場においても定期的になされる。
と い え る 結 婚 、 洗 礼 、 葬 式 、 埋 葬 な ど の 執 行 、 ま た 日 常 的 な カ ウ ン セ リ ン
グ や 告 解 、 さ ら に 病 人 や 負 傷 者 の 見 舞 い な ど が あ る 。 カ ウ ン セ リ ン グ は 、
的 な こ と が ら に か ぎ ら ず 、 厭 戦 や 、 さ ら に は 家 族 の こ と な ど 一 般 的 な 悩 み な ど
に お よ ぶ( i )。
2007年12月
日米軍基地での事例をいくつか紹介しておきたい。
基地でのチャプレンの活動の場所は礼拝堂であり、そのオフィスも
付随している。日本の主要な在詞米軍基地にはすくなくと
その施設をキリスト教各教派、ユダヤ、イスラーム、バハイなどが利用する。
またアフリカ系アメリカ入、韓国人、フィリピン人などのエスニック集団に応
じて多様な行事が行われることもある。
キリスト教はさまざまな教派からなり、またチャプレンたちも特定の教派に
が、チャペルで、の儀礼は大きくカトリック、プロテスタント一般、ル」
テノレ派などに分かれているにすぎない。各サービスあるいはミサはおよそ1時
間半で交代する。さらにゴスペルを中心とするアフリカ系アメリカ人の礼拝や
の 礼 拝 も 定 期 的 に 行 わ れ て い るO
が、カトリックやプロテスタントが使うのと る、イコンが数多く飾って
ある
あるO
していた。また、 にはイスラーム兵のためのモスクも
ャベルの割り当てを紹介したい。横須賀にはチャペノレ・オ
ブ・ホープという大きな礼拝堂がある。礼拝堂には、艦船の旗が飾られている。
の艦船には黄色の布が付けられていて、無事の帰還を祈って
いることが暗に示されている。教派ごとに見ていくと、プロテスタント( 諸派)
は日曜9時に自曜学校、 10時半にサーピス、]1時45分にゴ、スペノレ・サービス( こ
れは基地内の別の場所で行う) があり、午後6時に補足的なサービスがある。さ
らに月曜に聖書研究会がある。カトリックは毎日真昼にミサがある、 ミ
と土曜、そして日曜には3回ある。すなわち午前7時45分、 9時、 12時である。
土曜は30分の間告解に当てられている。毎月洗礼を行っているが、これは第3週
までの日曜日に限られている。
カ ト リ ッ ク は プ ロ テ ス タ ン ト と 異 な り 、 ミ サ を 重 視 す るO また、
対 数 は 少 な い が、参加者が多いため、日曜には3回行う。一度に100名から150
名集まるO そ の 間 に 、 や は り 同 じ 礼 拝 堂 で 、 プ ロ テ ス タ ン ト の サ ー ビ ス が あ
る。
それ以外の宗教は同じ建物の
日にサパトがある。イスラ
ある。ほかに、フィリピン系キリスト教、
- 102
う。ユダヤ教は第2避と第4週の
5s寺からと金曜12時からで
国 際 安 全 保 障 第35巻 第3 号
されている。
本人を対象と
日 l時から、後者は金曜夕方である。さらに、日
またモルモン教などの集会についてもスケジュー
されている。
週ごとの活動については、座間米陸軍基地の例を紹介しておくO プロテスタ
ントについては、火曜と木曜の午前9時にブ。同テスタント女性た
日真昼に韓国人の聖書研究、水曜午後7時に賛美歌、木曜午後l時からアジ
ア人のた
る。カトリック
時から祈り
そして土曜午後7時にはペンテコステ派のサービスがあ
日真昼に聖餐式、月曜午後7時に聖書研究、木曜には午後5
などがある。これらに加え、月
ごとに特別の催し物や会合がある。
定期的な礼拝に加えて、 リトリート( 黙想) という ある。こ
れは1950年代に生まれた。リトリートはチャプレンのもと、祈り
教育のためにおこなう一時的な集団の穏遁を意味する。具体的には2治3 日の合
宿形式で、用意されたプログラムに沿って共通テーマを討論して、理解を深め
る。そのプログラムはキリスト教の教えと密接に関係しているが、たんなる
というよりはもう少し一般的であるといえる。社会道徳、禁酒、反
ドラッグ、ダイエット、国際結婚などのトピックが取りあげられている。
や沖縄など複数の基地が近接する場所では、異なる基地から複数のチャプレン
うこともある。
チャプレンの活動でとく ことはカウンセリングで、ほとんど
していた。
における夫婦の別離であ
しているといえようO
「チャプレンに話せ」が合い言葉になっていた、というし、また 1942
日53件のカウンセリングをチャプレンがしていたという( 針。
に見れば、チャプレンが本来の仕事に専念する環境は整ってきたが、現実はど
う で あ ろ う か 。 あ る チ ャ プ レ ン が い み じ く も 述 べ た よ う に 、 か れ ら はGener al
Pract i t i oner にこだわらなし なのである
るあるチャプレンによると、チャプレンが行うカウンセリングは
本来魂の救済に関わる助言を意味する。しかし、実際は軍隊を早く辞めたい、
くないな 1て ¥。そして、
2007年12月
夫婦となるカップノレがそろってチャプレンのカウンセリングを受けるというO
チ ャ プ レ ン は 、 基 地 を 歩 き 回 り 、 で き る だ け 兵 士 た ち の 仕 事 場 に 顔 を 出 す よ う
に す る こ と 、 つ ま り 兵 士 た ち の 身 近 に い て 相 談 し や す い 存 在 に な る こ と
なのだ。
ある記録によると、第二次世界大戦での戦場での13 週間で、 13000 人の部隊を
し て い た チ ャ プ レ ン は 、 全 部 で1019 回 の 平 日 の サ ー ビ ス を お こ な い 、 こ れ
に 延 べ55000 人 が 参 加 し た と い うO また日曜のサービスでは、 l万 人 が 参 加 し
た 。 こ れ は 一 日 に 複 数 回 行 わ れ た が 、 全 部 で29 回 行 わ れ 、 延 べ 139000 人が教会
に来た。さらにゆの礼拝堂を建てたという( 10)。こうした儀礼活動だけでなく、
近 親 に 兵 士 の 死 や 容 態 を 伝 え た り 、 ま た 代 筆 な ど で 、 同 じ 時 期 に2000 通 の 手 紙
、たりしているO
基地での生活は、戦時で、あっても規則的で平穏だが、戦場では違う。戦場で
は 、 た と え 戦 闘 要 員 で は な く て も 、 死 の 危 険 に さ ら さ れ る 。 い く つ か チ ャ プ レ
ンたちの手記から引用しておきたい。
空挺部隊では、前日に織悔、告解を行う。兵士たちはひざまづいて祝福を受
け
f
こ(1Il 。ま た 、 戦 場 で は 、 死 に ゆ く 兵 士 の も と に 駆 け つ フO
膝の上にかれの頭をのせ、赦祷式を施した。かれの血がわたしの制服に染み
込んでし1くO 雨は降り続いていたが、それに気づかなかった。わたしはすべて
を忘却していた。かれの頭を乗せたまま、数千年もそこに膝間づいていたよう
に思われる。命はすでに去ったようだが、わたしはかれの額をやさしく撫で、て
いた(]2)。
最後の( 塗油の) 儀式は雨の中で、砲弾の昨裂する中で、溝などで、必要だ
とわかればどこでもおこなわれた(]3)。
負傷した男の傍に寝て、わたしは告解を聞き、塗油をした(]4)。
国 際 安 全 保 障 第35巻第 3号
I V
チャプレンの語り
さて、以下が本題となる。チャプレンたちは、みずからの言葉でどのように、
戦 争 や 輩 隊 に つ い て 語 っ て い る の だ ろ う か 。 以 下 、 チ ャ プ レ ン が 著 し た 自 伝 を
対象に論を進めてし1くO
あ る 匿 名 の チ ャ プ レ ン は 、 軍 へ の 入 隊 の 動 機 を つ ぎ の よ う に 語 っ て い る 。 か
れ は イ タ リ ア 戦 線 に 従 軍 し た 睦 軍 高 射 砲 師 団 の チ ャ プ レ ン で あ る 。
かれは、 ショックを受けた。
そして、その数日間、ほかの人間と開じく、どうすればこの奇襲攻撃を罰し、
人類に対する残忍な攻撃という癌のような病いを打ち倒すことができるのかと
考えていた。聖職者で神学生であるためわたしは徴兵を免除されることを知っ
ていた。最終的に、わたしはチャプレンとなって軍隊の活動に身をささげよう
とし1う決意が生まれた(]5)。
ここで、チャプレンとして戦争に参加することは、 と
びついていることが分かる。しかし、 ( 対アメリ
カ 合 衆 国 ) と の 関 係 で 捉 え て お ら ず 、 む し ろ 人 類 の 敵 と 1るこ
とに注目したい。
入 隊 後 、 訓 練 を 受 け 、 軍 隊 の 生 活 に な れ た チ ャ プ レ ン は 、 ど の よ う に 自 分 の
役割を認識しているのだろうか。あるチャプレンは、「宗教活動の拠点となる礼
しい生活を送る兵士のオアシスにしようJ(1 6)と述べている。ここには、
特 異 な 表 現 は 認 め ら れ な い 。 し か し 、 チ ャ プ レ ン ・ サ ン プ ソ ン ( F .L.Sar npson)
の 次 の よ う な 文 章 で は 、 キ ジ ス ト 教 の イ デ ィ オ ム で 軍 隊 や 兵 士 が 形 容 さ れ て い
ることがよくわかるO サ ン プ ソ ン は 、 陸 軍 空 挺 師 団 の カ ト リ ッ ク ・ チ ャ プ レ ン
で 、 第 二 次 世 界 大 戦 の ノ ル マ ン デ ィ ー と オ ラ ン ダ で の 作 戦 に 参 加 し て い るO オ
ラ ン ダ で 捕 虜 と な り 、 終 戦 を ド イ ツ の 捕 虜 収 容 所 で 迎 え る 。 そ
も従事しているO
さて、あなたは陸軍から、そして兵士としておこなうべき多くの特別な義務
から解放されつつある。しかし、その本当の意味で、軍の生活はカトリックに
-こ -こ で 兵 士 は 、 キ リ ス ト 教 共 同 体 の 兵 士 と
も っ て 共 同 体 の メ ン バ ー と な る の だ が 、 こ
られている。洗礼を
と表現されて
ら見れば、隠輸ではなく
2007年12月
とってなにも新しいことはない。洗礼を受けてイエス・キリストの軍隊に入隊
したその日から、あなたは従軍していたのだ。洗礼を受けたとき、あなたは、
教父母を通じてキリストとその教会の命令すべてに従うと誓ったのだ。そし
て、国内外のすべての敵からあなたの不滅の魂という聖域を保護、防御すると
いう誓約を立てたのだ。・・・聖餐拝受と告解があなたを強くするだろうO そし
て、 をしてキリストの戦う兵士とするだろう( 17)。
過 去12年間、わたしはけっしてその決定を後悔しなかった。わたしは陸軍が
好きだ。というのもわたしはアメリカで教会のもっとも偉大な使徒となる機会
を与えられているからである( 18)。
いる 隠愉ともいえるが、
ろうO こ の よ う に 捉 え る こ と で 、 チ ャ プ レ ン は 、 い わ ば 内 側 か ら
と 宗 教 と い う 対 立 図 式 を 克 服 し よ う と し て い る 、 と い え な い だ ろ う か 。 キ リ ス
ト 教 の 共 同 体 を 軍 隊 と 捉 え る こ と で 、 対 立 が 解 消 さ れ 、 み ず か ら の 境 界 的 な 位
される。これが現実からかけ離れたフィクションであるのは、
構 成 す る 兵 士 が キ リ ス ト 教 徒 だ け で な い こ と を 思 い 起 こ せ ば 十 分 で あ ろ う 。
チ ャ プ レ ン が 軍
i
珠 を 語 る 際 に 、 国 家 す な わ ち ア メ リ カ されているとはいえない。以下の引用を見てみたい。わたしは、地球上に自由、正義、平和を保障しようとする主張に関与してき
たことを感じて、これほど嬉しいことはない。わたしの部下たちの心に火を灯
し続ける手伝いをしていきたい。そうすることで、夜が耐えられないほど暗く
なることを避けたいのだ( 19)。
北アフリカ
回
ヤ
巾
川
γ
A
H
h
H
ドナヒュー( E. T. Donahue) のことばである。
し よ う と す る 主 張j というのはアメリカ
ど困難ではない。しかし、
したカトリック・チャプレン、
自 由 、 正 義 、 平 和 を 保 障
と 理 解 す る こ と は 、 さ ほ
こ な い し 、 ま た 戦 争 を
-軍 隊 が 宗 教 的 な -軍 隊 と さ れ る と 、 兵 士 た ち か ら も 本 来 不 可 避 の は
ず の 国 家 性 が 消 え て し ま う 。 兵 士 た ち は 、 宗 教 的 に も 多 様 な は ず で あ る に も か
かわらず、均質な存在として理解されることになる。
兵士たちは、なにか逆説的な存在である。かれらの過ちゃ罪は明らかであ
る。しかしながらかれらの美徳もたくさんある。かれらはふんぞり返っていて
高慢だ、が、かれらには深い謙産さがあり、それは多くの仕方でチャプレンであ
るわたしに示された(20)。
さ て 、 つ ぎ に 注 目 し た い の は 、 兵 士 た ち が 戦 う 敵 に つ い て で あ る 。 軍 隊 が イ
エ ス の 軍 隊 と し て 位 寵 づ け ら れ た 帰 結 と し て 、 そ の 敵 は 神 の 敵 、 悪 そ の も の と
し て 表 現 さ れ る 。 ち ょ う ど チ ャ プ レ ン の 属 し て い る
る の に 対 応 す る か の よ う に 、 敵 も ま
兵 士 た ち と 対 峠 す る 。 そ
実 は 消 滅 し 、 ま た チ ャ プ レ ン の 境 界 的 な 地 位 か ら 生 じ
されることになる。
と し て か れ ・ 彼 女 と そ の
る と い う 現
レンマも克服
最初から、兵士は殺したり殺されたりする恐怖で震えていた。かれは生きょ
うとしていたし、生かされていたかった。しかし、その希望は狂信的な敵によっ
てなされた絶望的な状況によって飲み込まれていた。だから、かれは人類に創
造者があたえた神意を拒否する悪の力を征服するために殺しあうという
担い続ける。自由な人間を奴隷にし、神意を剥奪しようとする残忍な力の意思
を破壊しなければならない。そのためにも人類ののろい、すなわち戦争が続く
のだ(21)。
第 二 次 世 界 大 戦 で は 、 こ う し た 悪 が 具 体 的 な 形 を 取 っ た の が フ ァ シ ズ ム で あ
り 、 そ れ 以 後 は 無 神 論 で あ る 共 産 主 義 と い う こ と に な る 。 と く
の 世 界 を 否 定 す る 悪 で あ り 、 イ エ ス の 軍 隊 が 闘 い 勝 利 す べ き 敵 な の で あ る 。
そして、チャプレンたちの闘し1は 、 兵 士 た ち の 鼓 舞 だ け で な く 、 異 教 徒 の 改
宗 を 具 体 的 な 戦 い と し て 位 置 づ け る 。 た と え ば 、 沖 縄 に 上 陸 し た 海 兵 隊 に 従 軍
2007年12 月
していたチヤブプOレン. ウイツカ一シヤム (G.W
をイ伝云道として海兵隊たちに説教しているO
わたしたちは警官として赴くが、伝道師になるまではわたしたちの使命は完
遂されない。・・・積極的な説教と教えという伝道が続く。それらは郷土での教会
のプログラムに由来するが、同時にわたしたち( の規律と理想) に依拠してい
る(22)。
な お 、 ウ ィ ッ カ ー シ ャ ム は 、 異 教 徒 の 日 本 に 伝 道 を す る の は 理 解 で き る が 、
な ぜ こ の 大 戦 に 同 じ キ リ ス ト 教 徒 の ド イ ツ が 関 与 し て い る の か 、 と い う ー 兵 士
の間し1か け に 、 ナ チ ス に 抗 戦 し て い る 国 内 の 最 大 勢 力 は キ リ ス ト 教 会 だ と 答 え
ているO
つ ぎ に 朝 鮮 戦 争 に 従 軍
好戦的な記述を紹介したい。
ミューラー O. H. Mul l er ) 牧師による、より
キリストの十字架がまた勝手りした。キリストは韓国の村ひとつを得たのだ!
イエスが語った十字架の磁力が、男や女をいまでも異教の間からかれの偉大な
光へと導いているのである
チャプレン・ミューラーの自伝から、改宗を決意した村むらで、偶像破壊 i dol
br eaki ng や護符焼却1char bumi ng がなされていたことが分かる。また、
に お い て は 捕 虜 収 容 所 で の 北 朝 鮮 兵 ら 共 産 主 義 者 た ち の 改 宗 も 盛 ん に な さ れ て
いた。
改宗したのは敵だけではない。 ちもまた、
これまでの態度を憎い改め改宗し、洗礼を受けている(24)。戦争という死と隣合っ
て い る よ う な 非 日 常 的 な 状 況 に お い て 、 み ず か ら の 死 そ し て 死 後 を 考 え ざ る を
得なかったのだろうか。あるし
なかったのだ、ろうか。
ならざるをえ
市民生活においては、とくに平時で余裕のある時代には、人びとは快楽、趣
-国 際 安 全 保 樟 第35巻第 3号
味
どに夢中になるため、宗教は後席に退く。しかし、戦闘時ゃ
う。宗教が前に来るのである
チャプレンはさまざまな対立において境界的である、と第2節で指摘した。い
ままで見てきたのは、国家と宗教、あるいは戦争と平和という対立を、チャプ
レン自身がどのような言葉で語り、一見矛盾に満ちた関わりを積極的に変貌さ
せているのかを見てき
以下では、このような矛盾と密接に関係するチャプレンの男性性についても
すこしだけ触れておきたい。戦争と平和という対立は、前線で戦う男性と銃後
を守る女性としづ対立に重なる。チャプレンは前線にいて、戦いを拒否する「女
性的」存在ともいえる。以下のエピソードのように、男性チャプレンは戦闘地
あって、みずからの男性性を証明しなければならない。
サンプソンの自伝には、撃壕に入り損ねてチャプレンの自の前で敵弾におび
え、恥をかいた兵士とのやりとりが紹介されている。かれは、チャプレンを見
返そうと偵察に誘う。これは、チャプレンが債察のような危険な行為に参加す
るはずはない、と見くび、つてなされた誘いなのである。しかし、サンプソンは
そのよう り、「行かせてくださしリと胸を張っ る(26)。
チャプレンが非戦闘員であるのは、
かれ・彼女は武器を持たないことで、 ける自
している。それは、戦う味方の兵士から見れば、兵士であること、軍隊の一員
であることの否定ともいえる。しかし、チャプレン側から見ると、
という法こそチャプレンをチャプレンたらしめているのである。それは決して
として捉えられているとはいえない。このことがよく分かるのが、
ベトナム戦争に従軍したチャプレン・アーヴェイ CA. Ar vay) のことばである。
ベトナム戦争では、危険だったため武器の携行を許されたが、そのインタビュー
しく抵抗したという (27)。
おわりに
本稿では、アメリカ
境界的・越境的存在ととら
示唆している。このよう
ャプレンの性格を、
それはまた、
チャプレン本人がどのよう
ら
を
と
る
し、かっ
2007年12月
乗り越えようとしているのだろうか。ここでは、いくつかの自信を分析し、キ
リスト教の信仰共同体を軍隊とみなし、敵を倫理的な悪とする態度を指摘した。
これによって、国家と宗教、軍隊( 暴力) と宗教( 平和・愛) という
消・隠蔽されているのではないか、と筆者は指摘した。そこには、
ては当然強調されるべきナショナリズムや国家への言及は認められない。宗教
的なイディオムに徹することで、政治と宗教という対立から生じる矛盾が克服
されているように思われる。
最後に、今後の課題をあげておきたい。ひとつは、言説の比較である。
は自伝の語りを分析したが、その位置づけは、ほかの言説との関係で理解され
るべきであろう。具体的に比較の対象は3つある。それらは、1) 兵士や政治家
との比較、 2) キ リ ス ト 教 と 他 の 宗 教 に 属 す る チ ャ プ レ ン の 言 説 と の 比
較、 3)現代のチャプレン制度が確立したとされる
大戦、朝鮮戦争と、チャプレンが疑問視されたベトナム戦争の比較である。
もうひとつは、アメリカの宗教を理解するうえで無視できない( 市民宗教ci vi l
rel i gi onJ 概念との関係である。市民宗教はどちらかというと政治的な言説を分
析対象として議論されてきたように思われるが、チャプレンの言説分析を通じ
て、逆説的ではあるが市民宗教から一番遠く離れているところ
見える聖職者に注目することで再考する余地があるように思われる。
最後に、冒頭で触れたように、日本の状況を考慮しつつ、チャプレ
ついてより実用的な視点からの考察も必要と思われる。以上容子今後の課題とし
て本稿を終えたい。
註
(1) 傘木澄男「チャプレン」新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事
iiiセ (研究社、 2002 年) 1043- 1044頁。
(2) 本節は田中雅一「軍隊と宗教一一米軍におけるチャプレン」田中編『人文学報』
(特集 アジアの軍隊の歴史・人類学的研究) 第90 号 ( 2004 年 4 月) 153- 168
づいているO ほかに、初期の歴史については、 Wi l l i amE. Oi c kens, J,.r Ans wer i ng
t he Cal l : The St or y of t he
u
.s
.
Mi l i t ary Chapl ai ncy f r om t he Revol ut i on t hr ough t he Ci vil Wa r ( N. P. : Oi sser t at i on. com, 1999) を、全般についてはOal e R. Her spr i ngラSol di ers , Commi s s ar s, a nd Chapl ai ns: Ci vi l - Mi l i t wァRel αti ons si nce Cr omwel l ( Lanham: R o wma nand Li ttl ef i el d, 2001)ラpp. 17- 52を参照。
(3) これはもちろんキリスト教のチャプレンで、ユダヤ教の場合はモーゼの十戒と
国 際 安 全 保 障 第35巻 第3号
あしらったもの、イスラームの場合は三日月である。
(4) チ ャ プ レ ン の 境 界 的 ・ 越 境 的 性 格 に つ い て は 田 中 f軍 隊 と 宗 教J 153- 168 頁 が 詳 し い 。 そ こ で 、 筆 者 は 構 造 的 な 視 点 か ら 矛 盾 を 明 ら か に す る と
間 の 対 立 を 超 越 し て い る か に 見 え る チ ャ プ レ ン も ま た 、 国 家 ( 軍 隊 ) の 一 員 と し て 敵 と 対 峠 せ ぎ る を え な い と 指 摘 し た 。 ま た 、 本 稿 と 異 な り 、 チ ャ プ レ ン を 戦 闘 地 帯 で 求 め る 兵 士 の 視 点 に 立 て ば 、 チ ャ プ レ ン の 出 家 へ の 関 与 を 批 判 す る こ と は 不十分であるとして、つぎのように指摘した。「兵士とともにいるかぎり、チャプ レ ン も ま た み ず か ら の 命 を 危 険 に さ ら し て い る の で あ り 、 そ こ に 強 い 連 帯 が 兵 士 との聞に生まれでもおかしくはない。チャプレンを「戦争屋」と批判できるのは、 戦 場 か ら 遠 く 離 れ た と こ ろ に い て 、 兵 士 を と り ま く 現 実 か ら 目 を そ ら そ う と す る
私たちだけではないだろうか。j 田 中 「 軍 隊 と 宗 教J 165 貰 。 な お 、 チ ャ プ レ ン の 研 究 書 の ほ と ん ど が 、 盟 家 と 宗 教 ( 教 会 ) の 関 係 を 主 題 と し て 取 り 上 げ て い る 。
} れらについてはCl ar ence L. Aber c r ombi e, IlI,The Mi l i t ary Chapl ai n ( London: Sageラ
1977) ; Dor i s L. Ber gen,“ I nt r oduct i on," i n Dor i s L. Ber gen ed. , The S wor d of t he Lor d: Mi l i t mアC hαrpl ai ns斤o mt he Fi rst to t he Twen砂- Fi rstCent wア( Not r e Da me, l ndi ana: Uni幽
versi t y of Not r e Da me Pressラ2004) ; Israel Dr azi n and Ceci l B. C Ul TeyラF orGo d a nd
Coun-trア:The Hi st or y of aConst i t ut i onal Chal l enges to t he Ar my Chapl ai ncy ( Hobok en N. J . : K T A V, 1995) を、また英軍ではMi chael SnapeラGo da nd the Bri ti sh Sol di er: Rel i gi on a nd the Bri t i sh Ar my in t he Fi rst a nd Sec ond War s ( London: ROl l t l edge, 2005) ; Mi chael Snape,
The Redc oat a nd Rel i gi on: The For got t仰 Hi st or y of t he Bri t i sh Sol di er jトo mt he Ag e of Mar l bor ough to t he Ev e of t he Fi rst Wor l d Wa r ( London: Rout l edge, 2005) を参照。
(5 ) 有 名 な 例 と し て 大 半 が 仏 教 徒 の 日 系 米 兵 か ら な る 第 在 大 隊 の キ リ ス ト 教 チ ャ プ レンの記録がある( Israel A. S. Yost, C o mbαtChapl ai n: The Per sonal St oη l of t he Wor l d Wαr11Chaprαin, of t he.fcαpαnese Amer i cαn100t h Bat t al i on ( Honol l l l l l : Uni versi t y of H a-wai i Pr essラ2006) )。
(6) 観 察 記 録 に 基 づ く チ ャ プ レ ン の 活 動 に つ い て は 田 中 「 軍 隊 と 宗 教j が詳しい。 ほかに、1 . Dr azi n and C. B. Cur r ey, F or Go d a nd Count r y, pp. 25- 44 を 参 照 。 本 稿 で は 分析の対象とはしなかったが、それ以外に、『フィールド・マニュアル』のチャプ
レ ン に つ い て の 記 述(F M 16) が 、 軍 隊 で の チ ャ プ レ ン の 活 動 や 位 置 づ け を 知 る う えで: 重要である。 T h e Nmうl Chapl ai n ( Pr epar ed by Bureal l of Naval Per sonnel ) , ( Was h-i ngt on D.C.,1949) 、 大 戦 聞 の も の と し てThe Chapl ai n: Hi s Pl ace a nd Dut i es ( Trai ni ng Mαnual Uni t ed St at es Ar my) . ( U. S. A. Wa r Of f i ce, 1926) なども参照。
(7) カ ウ ン セ リ ン グ に つ い て はThe Chapl ai n School of t he Uni t ed St at es of Amer i c a, The Chapl ai n as Per s onα1Counsel or ( Carl i sl e Pa. : The Chapl ai n School, 1947) に百平しし九
(8) 見i J の記録では1944年に 118,450 件のカウンセリングをひとりのチャプレンが行っ たとし、うRoc har d G. Hl l t chenson J,.r The Chur c hωa nd t he Chapl αi ncy ( At l ant a: J ohn Knox Press, 1975), p. 75.
(9) Al ber t Fowl erラPeacet i me Padr es: Ca nαdi an Pr ot est ant Mi l i t ary Chapl ai ns 1945- 1955 ( St. Cat har i nes , Ont ari o: Vanwel l Publ i shi ng Ltd, 1996)ラp. 184 にも類似の表現がでてく る。
2007年12月
(10) Chr i st opher Cr oss, Sol di ers of God: Tr ue St ory of t he
u
.s
.
A my Chapl ai ns ( Ne w Y or k:E. P. Dut t on & Compa ny, 1945), pp. 119“120.
(11) Fr anci s L. S amps onラL ook out bel ow! ASt or y of t he Ai r bor ne by α Par at r ooper Padr e ( Was hi ngt on D. C. : T he Cat hol i c Uni ver si t y of Amer i c a Press, 1958), p. 85.
(
12) Padr eラThey Tol d itto t he Chapl ai n ( Ne w York: Vi nt age Press, 1953)ラp. 93.
(13) Ibi d., p. 105. 朝鮮戦争についての類似の記録として、 Benj ami n F. Mor t ens en, The
Dimア ザαFr ont l i ne Chapl ai n ( N. P., 1997), p. 6がある。
(14) F. L. Samps on, L ook out bel ow! AS t mアザt he Ai r bor ne by aPar at r ooper P a d問 p. 106.
(
15) Padr e, They Tol d itto t he Chaplαin, p. 4.
(
16) l bi d., p. 12.
(
17) F. L. S amps on, L ook out bel ow! , p. 171.
(
18) Ibi d., p. 177.
(
19) C. Cr oss, Sol di ers of God: Tr ue St ory of t he
ι
S. A my C hαrpl ai ns , p. 84.(20) F. L. S amps on, L ook out bel ow! ASt ory of t he Ai r bor ne byαParαt r ooper Padr e, p. 171.
(
21) Padr eラThey Tol d itto t he Chapl ai n, p. 124.
(22) Geor ge W. Wi c k er s ham, II, Mαri ne Chapl ai n 1943- 1946 ( Benni ngt on VT : Mer r i am
Press, 1998), p. 112.
(23) J ohn H. Mul l er, Wear i ng t he Cr oss in Kor ea: AMar i ne C hαrpl ai n 'sExper i ence, whi l e Wear i ng t he Cr oss, I nsi gni a of t he Chapl ai n'sCor ps inWar - t or n Kor ea ( Personal Publ i ca同
t i on, 1954), p. 53.
(24) イラク戦争での洗礼については、 Lanc e Ki t t l eson, Medi t at i ons f r om I raq: AC hαrp
-l ai ns Mi ni st lアin t he Mi ddl e Eαst 2003- 2004 ( Li ma,Ohi o: C S S Publ i shi ng Compa ny, 2005),
pp. 15- 17を参照。
(25) Fr anci s L. S an伊son Paper s I nt er vi ew Trαnscri pt i ons, 1974, tαrpe#4 #1 si de p. 20, ( U. S. A r my Mi l i t ary Hi st or y l nsti tute)・しかし、一方で、うまく当たるように M- l ライフノレ 銃 に 祝 福 し て ほ し い 、 と い う 兵 士 の 願 い を 拒 否 す る チ ャ プ レ ン も い る ( B. F.
Mor t ens en, The Di ar y, p. 17) 0
(26) F. L. S amps on, L ook out bel ow!, p. 74.
(27) AI Ar v ayへのインタビ ュー記録 ( U. S. A r my Mi l i t ary Hi st or y Insti tute Seni or Of f i cer
Or al Hi st or y Pr ogr am) カミら。