− 18 − − 19 − 鉄道の意義
産業革命のなかで生まれた鉄道は、機械を動力 とする最初の移動手段であったという意味で、今 日のモータリゼーションの時代の出発点ともなる 科学・技術史上の一大変革であった。そして、鉄 道は、さらに人類の文化・社会の変革をももたら した。この点を鉄道発祥の地であるイギリスと、 それとは対照的な植民地インドで見てみよう。 イギリスの鉄道
1840年代のイギリスは「鉄道狂」の時代とも呼 ばれ、主要都市が鉄道で結ばれるようになった。 さらに世紀後半になると多数の鉄道会社の競争の のなかで、鉄道網が全国を覆うようになった。 イギリスの鉄道の真の出発点となったのは、 1830年開通のリヴァプール・マンチェスター鉄道 であった。それは、この会社が機関車、車輌、路 線、付属施設から従業員までを包括的に管理する 世界最初の会社であり、最初から懸賞競争で優勝 したスティーヴンソンの蒸気機関車「ロケット号」 を採用したからである。また、敷設は貴族地主た ちがつくった有料道路や運河に対抗して行われて おり、その成功は、新興の資本家たちの政治的勝 利をも意味した。2年後に選挙法改正がイギリス で行われているが、それは偶然の一致ではない。 鉄道は社会生活も変革した。接続のために統一 的時刻制度が必要となり、標準時が国単位で定め られるようになる。都市圏が拡大して働く人々の 生活形態も変化した。また、金さえ払えば貴賤の 別なく乗車できる鉄道は、貴族のステイタスシン ボルだった馬車に対し、人間の平等と民主主義の シンボルとなった。さらに、「近代ツーリズム」の 創始者トマス=クックが旅行代行業を開始したの は1841年であった。鉄道は、貴族や金持ちにしか できなかった旅行を庶民にまで開放し、庶民がレ ジャーを楽しむための「足」ともなった。
インドの鉄道
インドでは、1853年、ボンベイ・ターナ間に鉄 道が敷設された。このアジアで最初の鉄道はイギ リスから持ち込まれたものだが、その後もイギリ スの資本輸出による建設が続き、20世紀初頭まで に主要な鉄道網が完成した。独立後も敷設が推進 されて、世界有数の鉄道国となっている。 インドの鉄道網の特徴は、「大港湾都市集中型」 (吉岡昭彦『インドとイギリス』岩波新書1975、 p.127)と表現されている。まずボンベイ、カルカッ タ、マドラスなどの大港湾都市から内陸に向かっ て広軌(軌間1,676mm)の幹線が走り、ついで 1869年以後に建設された標準軌の鉄道、さらに藩 王国が敷設した狭軌の鉄道へとしだいに枝分かれ しながら、内陸深奥へと入っていくのである。こ の姿は、鉄道の目的がイギリスの工業生産物を内 陸に運び、綿花など内陸部の農業生産物を運び出 して輸出することだったことをよく示している。 今日でも、インドの鉄道は「むちゃくちゃな鉄道 網」(同書p.125)と評される。目的地に到着するまで、 何度も無意味な乗り換えを強いられるからである。 それは、三つのゲージ(軌間)が併存していて、 自由な相互乗り入れが不可能なことに起因する。 スティーヴンソンがゲージを4フィート8イン チ(1,435mm)としたのは、最初に機関車を製造 した炭坑のトロッコがこのゲージだったからであ る。政府もこれを「標準軌」と定めたが、5フィー ト(1,525mm)、7フィート1インチ(2,146mm)の「広 軌」まで現れた。それは鉄道会社間で行われた自 由競争(「ゲージ戦争」)の結果であった。しかし インドの場合は、そのときどきのインド政庁の財 政状態に左右された結果であった。
鉄道は、インドにおいては政治的・経済的、さ らには軍事的に、イギリスによる植民地統治の鍵 となった。それはインド財政の8%にも上る利子 を直接本国にもたらした。他方優れた品質を誇る 綿織物の輸出国だったインドは原綿産出国に変え られ、膨大な貧困層を内包する社会となった。鉄 道は、このようなインドの経済的・社会的構造の 変化にも、決定的な役割を果たしたのである。
埼玉大学教授 岡 崎 勝 世