1874(明治7)年、現在の上越市諏訪に生まれ、中国全権公使やフランス全権大使、犬養毅内閣の外務大臣を歴任するなど、外交官として活躍した芳澤謙吉。生家の跡には趣のある記念公園が残されています。「小学生の頃、謙吉翁が学校に来たのを記憶しています。少し小柄なおじいさんという印象でした」と話すのは、芳澤謙吉翁顕彰会会長の古川正美さんです。「芳澤記念公園は昭和
は備に内園公。たしまれさ 整てし用活を部一の地、敷に 年33
JOHMON
皆さんのまわりにあるすごいもん、きれいなもん、うまいもん、おも しろいもん、残したいもん…。いろいろなモノ、人、景色などなんでも
「上越のもん・上等なもん」略して「上もん」として紹介してきました。 平成22年から愛読いただきましたが、100回の節目を迎えた今号をもって 終了します。8月1日号からは新コーナーとなります。お楽しみに。
つながる ひろがる オタカラ自慢
謙吉翁の晩年の姿をとらえた銅像がたたずみ、題字は友人であった吉田茂元首相が揮毫したものです。資料を収蔵している記念館『米南荘』は、当時住んでいた東京都世田谷区の自宅にあった茶室を移築したものです。中には交友のあった吉田茂、前島密、犬養毅との書簡や、辞令、勲章、写真の展示があり、希望があれば見学にも応じています。また、定期的に茶会を催し、謙吉翁の功績を語り合う場ともなっています」と紹介してくれました。 芳澤謙吉翁顕彰会では、市の地域活動支援事業を活用して、公園や看板の整備、研修会の企画など一歩ずつ取り組みを進めているそうです。「昨年は謙吉翁の
忌の年でした。記念事 50回
NO.100
芳 澤 記 念 公 園 偉 人 の 功 績 を 静 か に 伝 え る
業として、謙吉翁の孫にあたり、国連難民高等弁務官、(独)国際協力機構(
JI
CA
)理事長などを務めた緒方貞子さんらを招き、講演会を行いました。緒方さんは『おじいさんからはよく外交の話を聞きました』と語られていました。普段会えない偉大な人とお話することができ、貴重な体験でした」と嬉しそうな笑顔。 今後の活動について尋ねると、「所蔵写真を長く保存できるように、データ化を計画しています。また、福岡市の医師で、謙吉翁について研究している樋口正士さんから『久留米つつじ』を寄贈いただいたので、手入れしながら大切に育てます。国の命運を担って活躍した人が、この地域の出身であることを誇りに思っています。その功績をしっかりと次世代に伝えていきたいですね」と、いきいきとした表情で話してくれました。 紹介者
古川 正美さん 川室記念病院
諏訪小学校 上真砂交差点
▼至戸野目
上真砂交差点
77
43
◀至上越IC 至三和▶
芳澤記念公園
N
きごう
ひそか よしざわ けんきち いぬか
い
つよし
べいなんそう
まさひと
▲米南荘 ※見学希望は山岸さん(☎025̶ 520̶3125)へ
まさみ
市政トピックス …6 カメラスケッチ …10
巻頭
上越蓮まつり・上越まつり …2
上越市の人口・世帯数
平成28.6.1現在( )は先月との比較 96,375人
(-50人) 100,981人(-59人)
197,356人 (-109人)
74,422(+16) 数字は住民基本台帳に 基づくもの
男 女
世帯数 合計
広報対話課から
(☎025-526ー5111)
●「広報上越7月15日号」は、 7月13日㊌・14日㊍に各町内 会へお届けし、各世帯にお配 りします。届かない世帯の人は、 広報対話課または、各総合事 務所へご連絡ください。
上越市ホームページアドレス http://www.city.joetsu.niigata.jp/
(古紙パルプ配合率70%再生紙を使用)
7 1 2016 1017
編集 上越市総務管理部広報対話課〒
943・
8601有JHK)新・51113・1・1田木市越上県潟線( 平成 1115・65・520☎2 28年7月1日発行 1017
表紙のことば:
6月5日、高田公園の西堀前、高田城ロードレース 大会の「ハーフの部」スタート地点で撮影しました。 スタートの合図にあわせ、ランナーは一斉に前へ、 前へと力強く駆け出しました。
ゴール会場の陸上競技場の隣では、現在、(仮称)厚 生産業会館の建設工事のつち音が響いています。 お堀を埋めている蓮も、太陽の光を浴びて成長し、 今月下旬には鮮やかな花を咲かせるでしょう。 人も公園も蓮も未来に向かって、前へ進んでいます。
未来に向かって、前へ進む。
http://joetsukankonavi.jp/