︶と いう 表現 は︑
﹁探 究し つつ 理解 する こと
﹂︵
forschend zu
verstehen
︶と いう 言い 回し から 派生 した もの であ るが
︑こ の場 合の
﹁探 究的
﹂︵
forschend
︶と いう 言 葉に いか なる 意味 が込 めら れて いる かは
︑つ ぎの 引用 から 明ら かに なる
︒ そこ
から 二つ のこ とが とく に明 瞭に 浮か び上 がっ てく る︒ 一つ は︑ われ われ は自 然科 学の よう に実 験と いう 手段 をも って いる わけ では ない とい うこ と︑ つま りわ れわ れは 探究 する こと がで きる だけ
であ り︑ また 探究 する こと 以外 は何 一つ でき ない とい うこ とで ある
︒つ ぎに
︑最 も徹 底的 な探 究と いえ ども 過去 の断 片的 な仮 象し か得 るこ とが でき ない とい うこ と︑ また 歴史 と歴 史に つい ての われ われ の知 識と では
︑天 と地 ほど の違 いが ある とい うこ とで ある
︒96︵
︶
つま り︑
﹁探 究的
﹂と いう 言葉 には
︑フ ンボ ルト の﹁ 不断 の研 究﹂ に︑ さら には あの
Lessingwort
に まで 遡る
︑真 理探 究︵ 探求
︶の 理想 が込 めら れて いる
︒究 極的 な真 理に は到 達し ない が︑ それ を目 指し て無 限に 繰り 返さ れる 探究
︵探 求︶ の努 力が
︑そ れに よっ て言 い表 され てい る︒ 現在 到達 され たも のは あく まで も暫 定的 な成 果で あり
︑だ から こそ 新た な︑ より 深い 理解 を目 指し ての 試み が不 断に なさ れな けれ ばな らな いの であ る︒
﹁有 限な る眼 には 端緒 と終 末は 蔽わ れて いる
︒し かし それ は流 れる 運動 の方 向を 探究 しな がら 認識 する こと がで きる
﹂97︵ と︶
いう 言葉 にも
︑こ のよ うな
﹁探 究的 理解
﹂の 精神 が垣 間 見ら れる
︒ 以 十
上︑ われ われ はド ロイ ゼン の﹁ 探究 的理 解﹂ をめ ぐっ て︑ 可能 な限 り原 典資 料に 即し てそ の内 実を 明ら かに すべ く努 力し てき た︒ われ われ の考 察か らも 明ら かな よう に︑ ドロ イゼ ンの
﹃史 学論
﹄に はさ まざ まな 思想 や精 神史 的潮 流が 流れ 込ん でお り︑ それ を十 全な 仕方 で理 解す るた めに は︑ それ ぞれ の要 素を その 源泉 にま で立 ち返 って 検証 する 作業 が不 可欠 とな る︒ クリ ステ ィア ン・ ハッ ケル によ れば
︑
﹃史 学論
﹄に 対し て最 も大 きな 影響 を与 えて いる のは
︑図
﹁ド ロイ ゼン の﹃ 史学 論﹄ の精 神史 的コ ンテ クス ト﹂ に図 解さ れて いる よう に︑
!哲 学的 伝統
︑"
文献 学的 伝統
︑# 歴史 学的 伝統 の三 つと
︑そ れら に加 えて
︑生 家に よっ て刻 印さ れた キリ スト 教的 精神 性で ある が︑ より 直接 的に はヘ ーゲ ルの 思弁 的歴 史哲 学︑ ベー クの 文献 学と 解釈 学︑ ヴィ ルヘ ルム
・フ ォン
・フ ンボ ルト の史 的理 念説
︑そ して ラン ケの 批判 的歴 史学 であ ると いっ てよ い︒ 各々 の伝 統な らび にそ の代 表的 思想 家た ちと の関 係に つい ては
︑あ る程 度の こと はす でに 述べ たが
︑そ れ以 上の こと とな ると より 掘り 下げ た研 究が 必要 であ り︑ それ はわ れわ れの 今後 の重 要な 課題 であ る︒ とこ ろで
︑わ れわ れは
﹃史 学論
﹄な らび に﹃ 史学 綱要
﹄を 主要 なテ クス トと して
︑ド ロイ ゼン の﹁ 探 究的 理解
﹂の 内実 を解 明し よう とし てき たの であ るが
︑最 後に 問わ なけ れば なら ない のは
︑彼 の歴 史理 論が 内包 して いる 政治 性の 問題 につ いて であ る︒
﹁プ ロイ セン
・小 ドイ ツ学 派の 創始 者﹂ とい う呼 称に 端的 に示 され てい るよ うに
︑彼 はプ ロイ セン 国家 への 忠誠 を公 然と 表明 した のみ なら ず︑ 歴史 家と して その 歴史 的使 命を 正当 化す る作 業に 挺身 した
︒実 際︑ われ われ が一 で概 観し たよ うに
︑ド ロイ ゼン は現 実の 政治 に深 くコ ミッ トし た歴 史家 であ り︑ 彼の 歴史 叙述
︱︱
﹃陸 軍元 帥ヨ ルク
・フ ォン
・ヴ ァル テン ブル ク伯 爵の 生涯
﹄﹃ プロ イセ ン政 治の 歴史
﹄な ど︱
︱は プロ イセ ン主 導の ドイ ツ国 民国 家の 統一 を擁 護す る立 場で 執筆 され てい る︒ マイ ネッ ケの 言を 引く まで もな く︑
﹁学 問と 政治 との 共生
﹂98︵ は︶
歴史 家 ドロ イゼ ンの 根本 特徴 であ り︑ 政治 色濃 厚な 彼の 歴史 叙述 に対 して 絶え ず浴 びせ かけ られ てき た非 難 も︑ かか る共 生に 根本 原因 を有 して いる
︒し かし 政治 史家 とし ての 彼の 実践 がそ のよ うな もの であ った とす れば
︑そ のこ とは
﹃史 学論
﹄で 展開 され てい る彼 の歴 史理 論と いか なる 関係 に立 って いる ので あろ
ドロイゼンの『史学論』の精神史的コンテクスト
出典:ChristianHackel(Hrsg.),Philologe−Historiker−Politiker.JohannGustavDroysen1808−1884(Berlin:G+HVerlag,2008),61.
うか
?換 言す れば
︑理 論的 著作 とし ての
﹃史 学論
﹄は
︑政 治史 家の 実践 との 相関 関係 にお いて 捉え られ るべ きで あろ うか
︑そ れと もそ れと 切り 離し て捉 えら れる べき であ ろう か? この 問い に対 して 正確 な答 えを 与え るこ とは
︑現 段階 では かな り困 難で ある
︒な るほ ど多 くの 批評 家た ちは
︑ド ロイ ゼン が歴 史認 識の 指導 的理 念の なか に政 治的 目標 設定 を忍 び込 ませ るこ とに よっ て︑ 学問 的な 歴史 認識 を歪 めて しま った と非 難し てき た︒ プロ イセ ンの 権力 政治 を是 認す る彼 の歴 史叙 述か らす れば
︑こ のよ うな 非難 もそ れな りの 根拠 を有 して いる とい えよ うが
︑し かし それ が事 実だ った とす れば 今日 ます ます 高ま る﹃ 史学 論﹄ の名 声は 説明 がつ かな い︒ われ われ が見 ると ころ では
︑こ こに はエ ート スと クラ トス とい う問 題性 が潜 んで いる
︒ド イツ 観念 論の 流れ を汲 むド ロイ ゼン は︑ 国家 権力 が高 度の 倫理 性を 帯び るべ きこ とを 当然 視し てい るが
︑現 実の 政治 過程 は彼 の理 想主 義的 期待 を裏 切ら ざる を得 なか った
︒そ こに 理論 と現 実の 由々 しき 乖離 が生 じた こと は否 定で きな いが
︑国 民国 家の 形成 のな かで 市民 の自 由と いう 理想 を実 現し よう とし た彼 の意 図は
︑そ れは それ とし て承 認す べき では なか ろう か︒
﹁も し︑ ドロ イゼ ンが 歴史 学に 与え る政 治的 性格 が︑ プロ イセ ン主 導の もと での ドイ ツ国 民国 家の 形成 に対 する 彼の 賛同 とい うこ とに のみ 還元 され るな ら︑ 彼が 解放 と伝 統と の間 を媒 介す ると いう 課題 によ って
︑歴 史学 に与 えた この 政治 的性 格は
︑誤 解さ れる こと にな るで あろ う﹂99︵
︑︶
とイ ェル ン・ リュ ーゼ ンは 述べ てい るが
︑ド ロイ ゼン の意 図に 従え ば︑ 市民 的自 由の 実現 はド イツ 国民 国家 とい う枠 を超 えて
︑人 類全 体に まで 及ぶ 射程 を有 して いる
︒歴 史的 認識 が︑ 認識 する 主体 の現 在と 過去 を媒 介す るこ とに よっ て︑ 自由 化の 過程 とし ての 歴史 の統 一性 を追 求す るも ので ある とす れば
︑歴 史学 は自 由の 原理 を時 代の 意識 へと 高め
︑そ れに よっ て歴 史的 自己 理解 の地 平を 時代 に対 して 切り 開か なけ れば なら ない ので ある
︒ラ ンケ 的な 客観 的歴
史認 識や 歴史 的事 実の 批判 的確 定に 甘ん ずる こと ので きな かっ たド ロイ ゼン の歴 史理 論の 政治 性は
︑畢 竟︑ 個人 のみ なら ず市 民︑ ひい ては 人類 をも 政治 的行 為の 主体 へと 教化 する とい う崇 高な 人倫 的目 標 を︑ 歴史 学に 負わ せた とこ ろに 由来 して いる と思 われ る︒ ヘイ ドン
・ホ ワイ トが ドロ イゼ ンの
﹃史 学 論﹄ を﹁ ブル ジョ ア的 科学
﹂︵
a B our g eois Science
︶と して 規定 する とき
︑彼 は誤 解を 招き やす いこ の 表現 によ って
︑お そら くこ の事 態を 指し 示し てい る︵
100︶
︒か かる 表記 の是 非は 別途 に検 証さ れな けれ ば なら ない が︑ いず れに せよ
︑ド ロイ ゼン が﹃ 史学 論﹄ で展 開し た歴 史理 論は
︑間 違い なく 彼の 歴史 的な らび に政 治的 著作 を貫 通し てい る︒ そう であ ると すれ ば︑ 彼の 歴史 理論 は実 際の 政治 史叙 述か らひ とま ず切 り離 して
︑そ れ自 体と して まず 検証 され なけ れば なら ない とし ても
︑同 時に
︑前 者は 後者 との 相関 関係 にお いて も把 捉さ れる 必要 があ り︑ その 意味 では 本稿 の考 察は いま だそ の対 象の 半面 しか 照射 し得 てい ない こと にな る︒ しか し研 究の 緒に つい て日 の浅 い筆 者に とっ て︑ その 課題 は現 段階 では 明ら かに 手に 余る もの であ るこ とを
︑正 直に 告白 せざ るを 得な い︒ むす
びに 最後 に︑ ドロ イゼ ンの
﹁探 究的 理解
﹂に つい て敷 衍す れば
︑ガ ダマ ーは それ が畢 竟﹁ 良心 の探 究﹂
︵
Gewissensforschung
︶の 概念 に行 き着 くこ とを 示唆 して いる︵
101︶
︒し かし そこ まで 追跡 する こと もわ れ われ の能 力を 超え てい るし
︑目 下の われ われ の関 心で もな い︒ とは いえ
︑史 学思 想を めぐ るド ロイ ゼン の議 論が
︑自 由と 人格 にま つわ る究 めが たい 秘密 の領 域に 関わ って おり
︑単 なる 歴史 学の 枠内 には 収ま
りき らな い形 而上 学的 次元 をも 含ん でい るこ とは たし かで ある
︒歴 史主 義の 問題 も解 釈学 の問 題も
︑い ずれ も人 間存 在の 究極 的次 元の 問題 に逢 着せ ざる を得 ない が︑ ドロ イゼ ンの
﹃史 学論
﹄は
︑こ の両 方の 問題 を考 える 上で
︑き わめ て貴 重な 材料 を提 供し てい る︒ より 十全 なる 解明 は他 日に 期す こと とし て︑ いま のわ れわ れと して は︑ その 事実 を確 認し たこ とで よし とし なけ れば なら ない であ ろう
︒
︵や すか た とし まさ
・北 海学 園大 学教 授︶
*本 稿は
︑平 21成−
23年 度文 部科 学省 科学 研究 費補 助金
︵基 盤研 究︵ C︶
︵一 般︶
︶を 交付 され て行 なっ てい る研 究
﹁解 釈学 と歴 史主 義︱
︱A
・ベ ーク とJ
・G
・ド ロイ ゼン につ いて の事 例研 究︱
︱﹂ の成 果の 一部 であ る︒
︵1
︶ド ロイ ゼン のこ の講 義は
︑ベ ルリ ン大 学の 恩師 アウ グス ト・ ベー クが
︑一 八〇 九年 から 一八 六五 にか けて
︵一 八〇 九年 はハ イデ ルベ ルク で︑ 一八 一一 年以 後は ベル リン で︶ 合計 二十 六学 期に わた って 行な い︑ かつ てド ロイ ゼ ン自 身も 受講 した こと のあ る︑
﹁文 献学 的諸 学問 のエ ンチ クロ ペデ ィー なら びに 方法 論﹂ に関 する 講義 に倣 った も ので ある と言 われ てい る︵AugustBoeckh,EncyklopädieundMethodologiederphilologischenWissenschaften,
herausgegebenvonErnstBratuscheck,zweiteAuflagebesorgtvonRudolfKlussmann
︵Leipzig:DruckundVerlagvon
B.G.Teubner,1886
︶を 参照 のこ と︶
︒ ベー クの 講義 とド ロイ ゼン のそ れと の比 較に つい ては
︑ChristianeHackel,DieBedeutungAugustBoeckhsfürden
GeschichtstheoretikerJohannGustavDroysen.DieEnzyklopädie−VorlesungenimVergleich
︵Würzburg:Königshausen&
Neumann,2006
︶が 詳細 な研 究を 行な って いる
︒
︵2
︶Cf.ChristianeHackel
︵Hrsg.
︶,Philologe−Historiker−Politiker.JohannGustavDroysen1808−1884
︵Berlin:G+H