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F : 特 別展示室  立 面図案 ( 作図 : 板倉永悟)

G:企 画 。1又蔵展示室

企画 ・収蔵展示室 は、様 々に臨機応変 な展示がで きるよう構成す る。

収蔵展示室 は、展示 テーマ を考古学資料展示 と文書展示 に三分 し、企画 展示室 で は毎 回違 らた展示 を意 図 してい る。 また、収蔵展示室 には調べ ものや講座 に使用す るための机 を窓際 に配置す る。窓は、常設展示室 と 同様 に内山和紙 の障子 を設営す る。

i 企 画展示室 ii l又蔵展示室

{重 ジ馨曇 料

i 企 画展示室

旧家庭科室の北側 は、企画展示 を行 うセクシ ヨン として計画 している。木 島平村 を語 る上では、常設 展示 室 だ けで は語 りきれ ない ほ ど様 々な要 素 が あ り、歴史 ・自然 な ど多 くの分野で展示が可能であ る。

そのため、年 に数回は企画展 を開催 し、常設展示室

では伝 え きれない情報 な どの伝達 を行いたい。 また、将来的に当博物館 には学芸員が置かれる 想定で展示構想 を考 えてお り、その調査研 究の成果 を発表す る場 としての活用 も考 えてい る。

収蔵展示 の イメー ジ例

大学院 「博物館学専門 ・特殊実習」授業の報告

この展示室 は、企 画展 の計画 にあわせ て展示室 内の配置 を変更 で きる もの とす る。主 た る展示 設備 は、北 〜西 壁 にか けて大 き く配 置 す る ウ ォールケ ース と、移 動可 能 なのぞ きケース を 6 台 設置する。ここでは、村内に所在する様々な文化財 を総合的に展示で きるように計画を進めて いる。現状計画で収蔵展示室側の壁面には何 も配置 していないが、企画展の内容に応 じてのぞ

きケースを移動 させるなどの工夫 を行えるようにする。

五 収 蔵展示室 (考古学資料)

考古学資料の展示には、ステールラックを3棚 設置 し、木島平村で出土 した遺物類 を展示す る。過去の発掘調査で出土 した遺物は、小 。中学校 などに所蔵 されて村が管理 している。当該 博物館が完成 した際には、その資料 をここに1又蔵 し、広 く観覧に供するように したい。この展 示室は収蔵展示 を行 うため、観覧者が資料 に接近することがで きる利点がある。 しか し、接近 が可能である破損する心配が大 きくなるため、落下防止や盗難防止のための対策を講 じてお く 必要がある。

またこのセクションには、窓際に机 を一つ と部屋の角部に水場 を設ける予定である。展示換 えを行 う際に仮置 きをすることや、講座 などを開 く際に利用することなどを意識 している。机 を窓際に置 く利点は、内山和紙 を張った窓か らの自然光 を利用することがで きるか らである。

さらに、考古側の収蔵展示室は旧家庭科室時代 に水道が敷設 されていたことか ら、これを活か して展示室内に水場 を残す ことを計画 している。

(文書資料)

文書は、個人が所蔵 しているもののほかに、村が所有 しているもの も多 く遺在する。それ ら を展示するために使用 したいが、文書は劣化 し易 くデリケー トであるため、考古学資料以上に 展示換 えを意識 したもの としたい。室内の展示設備は、本製の展示棚 を 3棚 配置することを計 画 している。また、壁面には掛軸 を掛けられるような設備 とスペースを確保 し、展示棚だけで

ウ ォ ー ル ケ ー ス

ノ覗 き ケ ス

企 画 展 示 室 収 蔵 展 示 室

考 古 晨 示   l  文 書 震 示

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G:企 画 収蔵展示 平 面 図案 (作図 :中島金太郎 )

大学院 「博物館学専門 ・特殊実習J授 業の報告

な く壁 面 を利 用 した展 示 を意識 して い る。

文書 室 に も机 を配 置 す る予 定 で あ る。 ここで の机 の活用 法 と して は、文書 資料 を広 げて見 る ためで あ る。 こ こには巻 子本 を広 げ られ るほ どのスペ ース を確 保 す る。 さ らに、収 蔵 資料 の二 次資料化 も進 めてお き、それ を冊子 にす ることで実物 を展示 で きない際 に も観 覧で きる ように 工夫 したい。

(博士課程前期博物館学 コース 中 島金太郎)

参考文献

今福利恵 2008「 勝坂式土器」 『総覧縄文土器』 アム ・プロモーシ ョン

阿部昭典 2008「 縄文時代 の社会変動論』 『未完成考古学叢書 6』 アム ・プロモーシ ョン 木 島平村教育委員会  1977『 三枚 原遺跡』

木 島平村誌刊行会 1980『 木 島平村誌』

木 島平村教 育委員会 1997『 木 島平村 の石造文化財』

川村 善之 2004『 日本民具 の造形  も のに心 を通 わせ た歩み』 淡交社 木 島平村教 育委員会 2005『 木 島平村 の和算』

岩井宏賓 ・工藤員功 2008『 絵引 民 具 の事典』 河 出書房新社 平成 23年 度長野市立戸 隠地質化石博物館 パ ンフ レッ ト

ま とめ

以上が、「博物館学専門・特殊実習」の授業報告である。國學院大學の学芸員養成課程 は、

学部において もそのカリキュラムは充実 した内容であ り、通年科 目として 4年 次で実習を学ぶ。

専門分野は異なるものの、博物館学意識の高い 6名 の教員が実習を担当する。この 1年 間で基 本的な資料の取扱い と二次資料化の技術 は修得するが、時間的に資料調査 にまでは及ぶ もので はない。昨今の学生の傾向は、考古学専攻であって も発掘調査の経験がない、経験 を積みた く て もそのチヤンスがなかなか得 られない というまさに机上の学問化が顕著 となっているのが現 状 といえる。考古学以上に博物館学はその傾向が顕著で、博物館実習以外の手段で博物館の業 務 を経験することは、全 くできていない とい うのが現状である。言 うまで もな く博物館学は机 上の学問であつてはならない。博物館学 コースの研究生たちは、学部での基本的技術 をさらに 夏期学外実習で トレーニングを積 んで高めてい く。考古学 を専攻 した学生は実測や拓本の作成 技術 を、カメラの技術 に長けた学生は写真撮影の方法 を仲間に指導する。一緒に学んでいる仲 間に対 し、自らの技術 を教 えることによつて、改めて自らを見直 し自身の技術 を向上 させる最 も効率の良い方法であることを学ぶのである。指導を行 うことによつて、文章の構成能力や意 図 ・思考の伝達技術の向上 を促 し、 自然 と研究者や大学教員 としての資質 も備わってい くので ある。専門実習を行 うために、院生たちは資料 を熟知することか らはじまり、現地調査や展示 構想 を進める段階でチームワークとしての協調性を醸成 していつた。専門実習の授業 を通 じて、

個別の能力が向上 してい くだけでな く、集団で一つの物事に取 り組んでい くことか ら、社会に 出てか らも必要 となるコミュニケーシヨン能力 も十分備わっていったことは言 うまでもない。

大学院 「博物館学専門 ・特殊実習」授業の報告

昨年 度 は資料 調査 が 主 た る実 習 で あ ったが、本年 度 は展示構 想 に進展 し、 さ らに来年度 の展示 の実 際 に向 けて意見 を交 わ し、実 習室 は常 に活気 で溢 れ てい る。我 が 国で初 の大 学 院生 に よる 手作 り博 物館 は、本 島平村 の協 力 の もと開館 に向 けて着 実 に進展 してい る状 況 で あ る。

高度 な博 物館 学 の知識 ・技 能 を有 す る上級 学芸員 の養 成 を 目的 とす る高度博 物館 学教 育 プ ロ グ ラムの完 遂 にあ た り、本 実 習 の意義 は大 きい とい える。全 国で もこの よ うな実 習 内容 を実践 す る大学 院 は未 だ皆 無 で あ り、博 物館 展示 を考 え る能力 ・技術 の 向上 、 資料 分析 、博 物館 経営 等 を身 に付 け る有 意 義 な実 習 で あ る。本 プロ グ ラム は、将 来必要 とされ る上級 学 芸 員 を養 成す る大 学 院で の教 育 のモ デル ケ ース とな る こ とを も視 野 に入 れ てお り、実現 され れ ば我 が 国 の博 物館 学教 育 。学 芸員養 成 に大 き く資す る こ とになれ ば幸 い で あ る。今 後 の博 物館 学 実習 の一 つ の指針 とな る もの と確 信 す る ものであ る。

最 後 に、 回學 院大學 大 学 院博 物館 学 の理念 と実践 に ご理 解 を頂 き、 実習 の遂行 に向 けて全 面 的 に ご協 力 を賜 りま した木 島平村 長芳 川修 二氏 、木 島平村教 育委員 会 文化財 調査専 門幹樋 口和 雄氏 、木 島平村 教 育委員 会教 育 次 長 高 山廣志 氏 をは じめ、木 島平村 教 育 委員 会 の諸 氏 、東 日本 宮 冨士 浅 間神社 御鎮 座 千 三 百年記 念 資料 館館 長北村 喜 久男 氏 、静 岡県 文化 ・観 光 部文化 学術 局 世界 遺 産推 進課 主査 金 子節 郎氏 、小 山町教 育委 員会 生 涯学 習課 副 主任 井 出貴 之氏 に この場 をか りて深 く感 謝 の意 を表 します 。 また、大 学 院生 中島金 太郎 君 に は、最 後 まで編 集 のお手伝 い を い ただ きま した事 を記 します。

(落合 知 子 )

(1)当時 は北部小学校 、 中部小 学校 、南 部小学校 の 3校 であ った。 中部小 学校 が現在 の木 島平小学 校 である。

(2)2011年11月 現在 、人口 5,312人、高齢化率 309%

(3)木島平農村交流型産業推進協議会 『農村文明の里 木 島平』 6・ 1頁 (平成 21年 7月 1日 現在) (4)木島平村誌補 追編纂委員会編 2005『 木島平村誌 (補追版 I)』 木島平村役場 151頁

(5)註1に 同 じ 6・ 2頁 (関東農政局長野農政事務所 『平成 19年 度農林水 産統計』) (6)2に 同 じ 113116頁

(7)同上 141頁 (8)同上 142‑149頁 (9)註1に 同 じ 2‑6頁 (10)註2に 同 じ 5051頁 (11)同上 88頁

(12)同上 11頁 (13)同上 89‑90頁 (14)同上 93頁

(15)木島平村教育委員会農村文明塾 2011陪 6市と農村 の共生 に向けた新 たな価値の創造事業一農 村文明の創生 を 目指 して一』長野県木島平村  913頁

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大学院 「博物館学専門 ・特殊実習J 授 業の報告

( 1 6 ) 註1 3 に 同 じ  9 頁 ( 1 7 ) 同上  4 5 頁

( 1 8 ) 佐々木純 也 ・上 野亮 太 ・神 谷 浩 夫   2 0 1 0 「 長 野県木 島平村 公 民館 主催 「ふ る さ と塾 」 を通 じた 地元学の展開」『学長研究奨励費研究成果論文集』 6号  金 沢大学 12頁

(19)註16に 同 じ 12頁

(20)民俗行事 「かか しあげ」 とは、案山子の労 を感謝す る行事。新 しいそば粉で太いそばを作 り、

案山子に供 えた。また、案山子の笠 を燃や して焼 き餅 を作 り、食べた。

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