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I would walk alone

In storm and tempest, or in starlight nights Beneath the quiet heavens, and at that time Have felt whate’er there is of power in sound To breathe an elevated mood, by form Or image unprofaned. And I would stand Beneath some rock, listening to sounds that are The ghostly language of the ancient earth Or make their dim abode in distant winds:

Thence did I drink the visionary power. (Prel. 1805, II: 326-30)

        私は歩いたものだった 大風と嵐のなかを 星明かりの夜を 静かな空の下を。そして、その時

<形>にも<イメージ>にも汚されていない 高められた気分を伝える 音のなかにある

力強いもの全てを 感じたのだった。そうして一人 岩陰に立っていると 太古の大地から届く

幽玄な61言葉である音、或いは遠くの風のなかに 朧な住処をなしている その音に 耳を傾けた

そしてそこから私は ヴィジョンを見る力を飲み込んだのだ。

先ほどの Merleau-Ponty の言葉の通りではないか。Picturesque 的な「反省的 な思考」が<形>と<イメージ>として、<断片的にバラバラに自立させて>

       

61 Norton Prelude の編集者たちは、この “ghostly” に、“spiritual” と “disembodied” の両 義が込められると注釈している。<霊的>で<身体を離れた=未分節の>という意味 であろう。同時に “ghastly” <恐ろしい>という意味も読みこまないといけないかもし れない。そのような言葉は、恐ろしいまでに少年を急襲するからでもある。なお、当 時は、“ghastly” は “ghostly” とほぼ同じような意味の幅を持ち、重なりあう部分も多 かった。

は、<もの>の姿を覆い隠していたのだとしたら、その形・姿を揺さぶるよう な力をもって、<音>が届いて来るのだ。それは、これらの形・姿に汚されな い無垢の音でなければならない。従って、それは<音>なき<音>なのだ。

Heidegger の言う<静寂の響き>で、それはあるだろう。それゆえにこそ、こ の<音>の中には<力あるもの>が存在する。─それは、詩人の意識の中で<

太古>から響いて来て、詩人の身体のなかで力強い反響を呼び起こす音であり、

いわば Merleau-Ponty のいう<共感覚(synesthesia)>的磁場において、五感 全てを共鳴させる原始的な響きであろう。Wordsworth の身体全体が、エオル スの竪琴よろしく、鳴り響くのである。やがて、この声は、詩人にとって、五 官をしなやかに調整して主体性を統合する<情緒(Stimmung)>という意味合 いを持ってくる。Heidegger は、このことを以下のように説明するだろう。

  The soundless gathering call, by which Saying moves the world-relation on its way, we call the ringing of stillness. It is: the language of Being.62「音のない、呼び集める呼び声、それによって<言うこと>がその 途上で世界 - 連関を動かすのであるが、この呼び声を<静寂の響き>と呼 ぼう。それは<存在>の言語なのだ。

難解な一節なので下記注に、斧谷氏の注釈を掲げているが、要するに、この<

静寂の響き>とは Kristeva の<ル・セミオティーク>と、そして Gadamer の

<背後に働く世界経験の言語性>と呼んだものに殆ど同一のものであるだろう。

そこから届いて来る<呼び声>は、その雰囲気的な磁場において、<もの>た ちを同じ磁場に寄せ集めては、その途上で、世界を関連付けるのである。詩人 主体の側から見れば、この<存在>の言語が生命力をもって己れの<目>と<

       

62 PLT, 108 斧谷氏の丁寧な注釈つきで読んでみよう。「言葉の持つ、響くという地上的 な質は、音調づけること[=情調づけること](das Stimmen)の中へと保存され、こ の音調づけることが、[天空と大地、死すべきものたちと神的なものたちによって織り なされる]世界という接合構造[=世界四方域]の諸地域[=四方域]を、諸地域間 に遊動を波及させ合いつつ[=共鳴を惹き起こしつつ]、お互いに響き合うように諧調 づける[=調和させる](einstimmen)のである。」(斧谷、220)

耳>を通して注ぎ込まれ、心の深部で反響を起しては、その都度主体性の回復 へ、従って、大地との調和へと調整づけられるのである。そこでは、Word-sworth が<時と季節のムード>と呼んだ、その<気分>に浸された風景が生成 するのであるだろう。そして、<静寂の響き>から伝わる言葉が、詩的言語と して結実しては、詩のなかに安らう・・・

環境保護という観点からではあるが、G. Nitschke は、日本の庭師(それも古 典的、11 世紀の庭師が例になっている)が、良きモデルを提供するとして、こ う語る。「庭を建設するときに、彼ら(=日本の庭師)は、その土地自身が自ら 要求してくるので、まずその要求に耳を傾ける(to listen)必要があると考え る」と63。また、Heidegger によれば、セザンヌが「聖サント・ヴィクトワ─ル山」に 面と向かう時、彼は、その山を凝視しながら、その山が語る言葉にじっと「耳 を傾ける(listen)」のだという64。恐らく、彼らの目には、視覚的風景の背後 から、声なき声が、やがては言葉となって結実するであろう言葉、つまり<言 語的なもののざわめき(Roland Barthes)>が、強力な磁力を持って、届いてき ているに違いない。彼らにとって、<見る>ことは、<聞く>ことなのだ。

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