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ドキュメント内 昭和二〇年代の日本経済 (ページ 43-61)

昭 和 二〇 年 代 の 日本経 済 43

12年 二IOO (日 銀 調)

124 (19年)

53 10年1pO

(国民経済 研究協会 調)

第3‑15表 敗戦 年 の生産(製 造業)

goo、0 181.5 (19年)

38.1 38.1%

いわば正常な生産状況が︑昭和二〇年には戦前比六〇〜八〇%の水準にそのまま縮小して引継がれているとは︑

考え難い︒六〇〜八〇%の生産内容は︑例えば相互の関連性が大幅に乱れているとか︑不正常な︑混乱した内容

になっているものと考えられるからである︒

(29)大戦による物的被害が﹁国富の四割に達した﹂とする内訳はつぎのとおり︒

経済安定本部発表の﹁我国経済の戦争被害﹂(昭和一..二年︑.月=日)によると︑被害額は終戦時価格でつぎのとおりである︒

ω直接被害

私有財四二六億円

公有財七一億円

合計四九七億円

右合計額の構成比はつぎのとおり︒

生産財四六・八%

うち生産品心四%

船舶=二%

機械九・五%

他一〇・三%

消費財五三∴︑%

うち住宅等三〇%

家財一九%

生産品二%

他一.・二%

@間接被害

間接被害は約五〇〇億円と見積られている︒その主な項目はつぎのとおり︒

倒疎開による家屋のとりこわし

45昭 和 二〇年 代 の 日本 経 済

㈲軍需転換による平和産業の設備解体

団戦時中の維持不良による国内資本の喰潰し

の終戦時の資産的国富推計額(戦争被害がなかったと仮定した場合の計数である名島)約.六〇〇億円

@ ミ 班 口﹁ ︑︑ 羅 翫 ︒︒ 醜 ヨ 誌 刷㎞

②傾斜生産方式の意味

敗戦直後の低水準生産(前述)にたいして︑なんとか回復の手懸りを得ようとして登場したのが︑昭和二一二年一月

から発足する傾斜生産方式である︒

つぎに傾斜生産方式に移行する直前の経済状況をのべたのち︑同方式の主な内容と背景について述べることにし

よう︒

①傾斜生産方式に移行する直前(昭和.二年)の経済状況

ω二・一ストなど

昭和.一二年という年は︑政治的事件としては官公労による︒一・一ゼネストの巾止︑主食供出に警察力を動員

するという全国警察部長会議での強権的決定などがあり︑また発足直後の片山内閣が﹁経済緊急対策﹂(昭和.

二年六月九日決定注30)を発表したが︑そのなかで最初に強調されていることが食糧の確保であった︒

@疲弊した経済

経済安定本部が昭和.一︑一年七月四日に発表した﹁経済実相報告書﹂(いわゆる第一回経済白書)は︑﹁国も赤字︑

企業も赤字︑家計も赤字﹂という有名な分析結果をしめし︑疲弊した経済の存在を主張した︒

なお︑この﹁経済実相報告書﹂の総説の執筆者は︑片山社会党内閣の経済安定本部・総合調整副本部長であっ

商 経 論 叢 第31巻 第4号 46

度の生産計画遂行状況

度率%

蒔 産

曲痒・%

95.6 155.1

30.9 37.8

×7.0

88' 125 2,091', 1,018 2,143 1,879

110.3 113.3 93.9 100.8 113.0 102.7 66.5 94.1

51.9 9.6 119.0

l21

脚 醇 殖 瀞 器 州  醗 響 ジ 鞍 ・  

ていた︒

で︑生産への努力がそれだけ弱められた︒

㈲日本に存在する工業用原材料の量が過少であったこと︒

②傾斜生産方式の内容

371!94.960.6

̲.̲̲L‑̲̲1̲̲.」

ま商n省 調 査 『セ要 物 資 生 産 実 績 り集 計(経 企 庁 「経 済 安 定 本 部

2..1,000ト ン,た だ し 電 力 は100kWh, 板"1,000箱,綿 糸 と 人 絹 糸 は1,000

ド,般 洋 紙 は100ポ ン ド.

た都留重人氏である(したがって第一回白書は

都留白書ともいう)︒各論には大来佐武郎氏ら

(31)が執筆している︒

の低生産水準の理由

敗戦直後の低生産水準の理由(老朽化して

いたが︑生産能力は十.︒分に存在していたO

i⑪ー㈹に既述)はつぎのようである︒

鋤アメリカの占領政策は︑その初期には︑

日本の非軍事化︑民主化に集中し︑賠償に

ついてもきびしく取立てる方針をしめし

つまり︑占領政策は︑日本の旧社会・政治・経済体制の破壊に重点がおかれていたのである︒

インフレーションのために︑物資の仕入れから販売までの期間をできるだけ短縮する努力が払われたの

生産復興のためには︑自前の唯一のエネルギーである石炭を増産する必要があったが︑石炭増産のためには︑生

産用資材の不足︑とくに鉄鋼の不足がネックとなった︒そこで石炭と鉄鋼を超重点産業とし︑これらを相互投入す

る増産方式がとられた︒これが傾斜生産方式と名づけられた︒この方式は昭和︑一二年には不首尾であったが︑翌二

昭和 二〇 年 代 の 日本 経 済 47

三年には成功した(第3お表)︒そしてこの方式が成功するにつれて︑順次︑他産業にも石炭・鉄鋼を投入していっ

た︒▼し.つして傾斜生産方式は︑拡大再生産の端緒をつくりだすことができ︑次の集4・生産方式に引き継がれた・

③傾斜生産方式の矛盾

㈹傾斜生産方式により︑生産の量的復興は進んだが︑生産設備の近代化はほとんど進まなかった・

その理由1ー︑

㈲残存設備が多く︑かつこれらの補修で生産能力の増加が可能であったこと・

ω割当資材を受けて︑ワ︑れを製︒m化すれば︑需要があり︑かつ販売競争が乏しい条件のもとでは・設備の近

代化に努力する必要がなかったこと︑

㈲生産コスト杢︑同くても︑価格差補給金が受けられたので︑コスト・ダウンの圧力は弱かったこと・

⑬インフレーションが進行した(第3117表)︒

増産はできたが︑増産によるインフレ克服という狙いには失敗した︒復興金融金庫の資金や・価格差補給金

等の補助金が︑大量に放出されたからである︒

◎また激しいインフレ←ヨンのもとでは︑単箇定レーが設定難であり・たとえ強行設定したとしても・

その維持は困難である︒そ・つなれば︑日本経済は世界経済と結合できず︑委定で孤立した経済国家にならざ

るをえない︒

傾斜生産方式は右のよ・つな矛盾をもっ奈︑なかんずく増産がインフレ←ヨンと二人三脚で進行したことは・インフレは増産によって克服できるとの当時の期待を裏切った︒はげしいインフレの克服は・ドッジ.ラインを待たね

ばならなかった(第3‑17表)︒

第3‑‑17表 戦 後 物 価 の 変 化 分 の 比 率 推 移

前文

国家の財政は赤字をつづけ・産業も又赤字をつづけている︒国民生活においてもまた同様であり︑}﹂のよ・つな状態はながつづ

きするものではない・産業は衰え悪性インフレは停止するところを知らない︒しかし危機突破には新奇の案があるわけでなく︑

要は実行にかかっている︒非常事態克服のため︑全国民の耐乏と協力と血と汗の努力を要せねばなりない︒

耐乏のなかにあっても真曹に働く勤労者に幾分でも将来の希望を持たせねばな・りない︑政府は▼﹂のたあ財政の絶対的健全

主義を堅持して悪性インフレを防止し︑生産を増強する芳︑勤労者の生活を維持するたあにヤ窪済の撲滅をはかり︑生活必

需物資の確保に大きな努力を傾ける︒

緊急政策

戦 後 イ ン フ レ期 ド ッ ジ ・ラ イ ン 期

昭 和22.3

〜23 .3

昭 和23.3

〜24 、3

昭 和24.3

‑一一25.3

実 効 物 価

生 産 材

{ 消 費 材 公認 物価(卸 売)

生 産 材

{

平 均

ヤ ミ 物 価

生 産 材

1{

消 費 材

130%

128 24?

357 252

161 '113

99%

50 1

1111

133 122

4 22

18%

010

24 7 15 032 i n33

(備 考)① 実 効 物 価,生 産 財 」 は全 国 対 象 で 日 銀 調 に 基 く。

実 効 物 価,消 費 財 」 は 昭 和23年 を 基 準 と し た 総 理 府 統 計 局 調 「消 費 者 物 価 指 数 」(東 京 都)を 昭9〜

11年 基 準 に 換 算 し た23年 の 倍 率(156倍,経 済 安 定 本 部 算 出)に よ っ て リ ン ク し た 。

「公 認 物 価 」(卸 売)は 東 京 都 の も の で 日 銀 調 に も と づ き,公 定 価 格 の あ る も の は 同 価 格 に よ り,な もの は 自 由 価 格 に よ る 。

「ヤ ミ物 価 」 は 東 京 都 対 象 で 日銀 調 に 基 き,公 定 価 格 な き も の は 自 由 価 格 に よ る。

△ 印 は 減 。

経 済 安 定 本 部 調

(出 所)経 企 庁 「戦 後 経 済 史 」(総 観 編),290頁

(注)「 戦 後 イ ン フ レ期 」,「 ド ッ ジ ・ラ イ ン期 」 は 名 島 追 加 。

それを述べよう︒

(30)片山内閣の一経済緊急対策﹂

について

ω同対策は昭和二..年六月九

日に決定された︒

@同対策の骨了はつぎのとお

りである︒

閣議:経済緊急対策(骨子)

(二二・六・九決定) フレ克服のみを役割としていた

のではない︒それは戦後経済の再

建と成長に寄与するという︑より

大きな広い役割を果した︒つぎに ただしドッジ・ラインはイン

昭和 二〇 年 代 の 日本 経 済 49

一食糧の確保

麦︑馬鈴しょの政府買上価格を改訂する︒

農民と都会地の住民との縁故関係を活用し︑小包米の制度を認める︒

生鮮食料品については︑新統制方式によって統制も強化する︒

料理店︑飲食店の取締を厳重にする︒

都会地における家庭菜園を一層徹底する︒

..配給確保

切符割当︑配給の決定にはその審査を正確公明にし︑官僚の独善的統制の弊をなくす︒

端境期には主食を米に依存しがたいので︑供米を一層促進し︑政府保有米の増加をはかる︒

三物価対策

勤労者の生計費と公定価格との適正をはかるため︑給与審議会を急速につくり︑物価と賃金との安定に努力する︒

ヤミ取締を厳重にし︑とくに大ロヤミブローカーの摘発に重点をおく︒

四生産対策

石炭三〇〇〇万トン達成のために生活必需品の配給を確保し︑勤労意欲を高揚する︒

経済復興会議との密緊な連絡をとる︒

科学技術の結集に努力する︒

五財政金融対策

財政は絶対的に健全財政主義を堅持する︒

このため今年度予算に再検討を加え歳出の繰延べできるものは繰りのべ︑徹底的に国費の節約をはかる︒補助金制度を検討する︒

産業資金の融資と産業の重点主義を勘案し︑そのため金融統制を強化する︒

貯蓄運動を推進する︒

六雇用︑労働対策

ドキュメント内 昭和二〇年代の日本経済 (ページ 43-61)

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