• 検索結果がありません。

ー 一 上

一 長 一 長 上 直 曜 直 上 初 等 ・ 中 高 等 部 一

一 胎 工 会 十 │ 団 Z E

一 司 二 部

﹁ ﹁

ω

‑ 57一(88) 

伝 教 典

ネL 総

手先

部 部 部

丁 一

る。それぞれの部局員の任期,あるいは部局員 の年齢構成,彼らの出身地別など詳しい話は今 回聞くことはできなかったが,今後これらの点 に留意して調査することによって,蔚珍教会の 持っている地域的特徴などがより鮮明になるの ではないかと考えられる。今後の課題にしたい

と思う。

以上考察を加えたように,蔚珍教会の現状は,

信徒の都市への流出という全国的現象とあいま って信教数の減少をきたしてはいるが,組織の 整備と運営においては充実したものを持ってい るようである。今後,流出した信徒を追跡調査 することにより個別的ではあるが,現在の韓国 人の抱く天主教観というものも窺い知ることが できるのではないかと考えられる。

5 .  

おわりに

以上,蔚珍天主教会の来歴とその現状につい て考察をくわえてきた。その結果,次のような ことが結論として言えるように思われる。

蔚珍教会は, 1950年代・60年代の韓国キリス ト教会の発展と期をーにするかのように, 1958  年に春川教区の一教会として成立した。しかし,

蔚珍教会の歩みは決して平坦なものではなく,

以降信徒数は大幅に伸びず,現在の蔚珍郡内の 天主教信徒は全体の4パ}セント以内にとどま り,全国的平均値に比べても大変低いものであ った。こうした原因については,地方居住の天 主教信徒の大都市への流出という全国的レベル でおこなわれている状況が,まさに蔚珍教区内 部でもおこなわれていたと見ることができるの である。蔚珍教会から大都市に移動した信徒に 対して,その後の追跡調査がおこなわれている わけではないので,断定するわけにはいかない が,都市に移った人々の大部分の者が移った都 市では教会に通わない,教会から離れた生活を 過ごしているのではないかと考えられる。勿論,

蔚珍教会においては,こうした社会的流れに対 して「教跡」と呼ばれるような信徒の戸籍台帳 を作成して,教会を離脱した後でも何とか天主 教会に止めておこうと考えているようである。

蔚珍教会から大都市に流出した信徒らの動向に ついては,特に彼らがそのまま天主教会に残り 続けるのか,それともプロテスタント側に流れ

るのか,或いは韓国で解放後誕生した新興の土 着的キリスト教会に参入するようになるのか,

今後韓国人の宗教観を知るためにも重要な課題 と考える。〔写真VI‑3J

韓国東海岸・漁村社会の近代化と文化伝統

終 章 概 括

一一結びに代えて

高 橋 統 一 序章で述べた本研究の視座と枠組に即して,

I~VI の各章で個々の問題について記述・考察 してきたが,最後にそれらを概括的に整理し,

一応の結びに代えることにしたい。

序章でも触れたように,韓国安東大の民俗学 研究所と東洋大のアジア・アフリカ文化研究所 との共同研究フ。ロジェクトとはいえ,前半の山 陰・東石見の場合と,この後半の慶北・蔚珍と では,調査の全体的枠組がだいぶ違っている。

前者では漁村と山村を包括した広域的な社会=

文化圏という視座で,個々の問題及びそれらを 総合した課題にアプローチしたのに対し,後者,

即ち今回の調査では漁村だけを対象にしたので,

アプローチの方法もそれだけ簡略になっている。

したがって個々の問題の記述・分析が前者の場 合ほど徹底していないし,全体的な広がりや展 望もかなり不十分である。それを承知の上で概 括するのは,今後に少しでも役立てたいからで あって,以下,中間報告のつもりで一応のまと めを覚書として記すことにする。

①  慶尚北道蔚珍郡は歴史的に,北の江原道側 に属したり,慶尚道側に属したり,というこ とを何回か繰返している。東海(日本海〉に 面したこの地域は風光明婦で自然に恵まれた ところであり,また政治的・文化的に中央か ら離れた僻遠の地でもあっただけに,近代化 がすすまず,独立後も開発が立ちおくれてい た。それが高度経済成長の影響で交通路が発 達し,加えて原子力発電所の設置によって近 年,急速に人口が増加し,観光開発がすすん で産業構造も大きく変化してきている。とは いえ,農漁業の比重はいまも高く,とりわけ 調査地竹辺には漁村社会に特徴的な文化伝統 が構造・機能的にかなり保持されている。新

住民の移入・増加に伴い,こうした文化伝統 にどのような変容がおこるのか,参与観察と 収集した資料・情報から若干の問題点を要約

しておこう。

②竹辺 1 里 ~5 里のうちでは,かつて「燦

(のろし〉台」があり,燦柚津(ポンスジン〕

とよばれた竹辺3里が最も古い漁村集落とい われているのだ、が,文献・文書資料で,この 地域の様子が窺われるのは18世紀以降である。

また,聴きとり情報でみる限り,集落の歴史 を具体的に遡れるのは百数十年どまりである。

竹辺3里はいまでも漁村集落としてまとま っており,約500世帯の7分の1に当る72世 帯が「漁村契」を組織している。この漁村契 は,竹辺水産業協同組合(水協z漁協〉の下 部組織になるわけだが, 3里の漁村契は天然 の岩ワカメの採取権と結びつく,第一種共同 漁場の管理・運営にみられるように,漁村共 同体的規制がつよく,且,こうした漁村契の あり方がトンネ(集落〉の運営にも直接・間 接に深く関わっており,例えば豊漁祭の実施 方式にもそれが明確にみられる。

⑧ 竹 辺3里の村組織は,当然,漁村契と深く 関わっているが,共同体的な漁民意識の基盤 ないし背景には,伝統的な民俗信仰がある。

それを具体的に示しているのが城臨堂で,集 落の中央にあるハラボジ堂(神木〉と海岸の ハルモニ堂のこつが一対になっている。前者 が爺さま,後者が婆さまを示日り,一般に前者 は集落全体を守る神,後者は海を守る神とさ れ,漁業者にとっては特に後者が大事にされ ている。最も重要な祭儀とされている旧正月 の正月告示日と, 2年に1度の11月の豊漁祭で は,祭官・祭首・都家の選出や役割などにお いて, 日本の宮座における神主・当家と類比 できる部分が多い。なお,豊漁祭では東海岸 の亙儀集団(ムーダン〉が登場し,私たちを 含め,民俗学・人類学者や報道関係者が参与 観察におしかけて盛況であったが,新住民に とって,これがどう受けとめられたのかが問 題となろう。

‑ 59一(86) 

④  慶尚北道でも内陸の安東地方は,農村を基 盤とするかつての支配階層である両班の伝統 がいまでもつよく,父系氏族=門中組織が発 達している。蔚珍地方にも門中があるにはあ るが,安東に較べるとよわく,まして漁村の 竹辺では全く希薄である。門中が父系血縁の タテ社会とするなら,②で触れた「契」は平 等な家や個人のヨコの連帯であり,竹辺に漁 村契が発達したのは当然で、ある。

ところで, 日本ではタテの父系血縁ニ本・

分家関係による同族が東北日本の農村でつよ く,西南日本の特に漁村では平等なヨコの家 関係による講組が顕著であって,その意味で は韓国の「契」と日本の「講Jは類比して捉 えることができる。他方,西南日本の漁村に は,血縁や家の結合とは無関係の年齢や世代 による結び、っきの「年齢階梯制J‑年齢集団 が顕著であって,若者組=若者宿が発達して いる。そうした視点からすると,韓国の漁村 社会にどのような年齢集団があり,それが構 造・機能的にどういう役割を担っているのか,

ということが問題になる。

私たちは,このような問題関心から竹辺の 年齢集団を考察したわけである。日本の若者 組=青年団に相当する竹辺面青年会はその成 立は新らしいが,組織もよく整っており,活 動も活発であって,ユンノリ(韓国式双六〉

の民俗遊技大会にみられるように,文化伝統 への青年層の関心は高い。また韓国相撲シノレ ムの復活に主体的に活動しているシルム同友 会の主要メンバーは青年会の会員でもあって,

シノレム同友会は青年会から派生したスポーツ 組織ともいえるのである。

これに対して,老人会の方は全国的な大韓 老人会の地方組織の下部末端に位置づけられ,

老人亭(敬老堂〉もあるのだが,これといっ た組織や活動もみられず,文化伝統との関わ りで具体的なものはほとんどない。私たちが 数年前に調査した湖南(全羅南道〉の長城地 方は,嶺南(慶尚北道〉の安東と並ぶ,両班 で有名な農村地域であって,そこでは老人会

の組織がよく整い,儒教的な文化伝統の担い 手として顕著な役割を担っていたのだが,そ れに較べると,この竹辺の老人会の役割はだ いぶ低調と言わざるを得ない。このことは,

前述の農村社会と漁村社会の対比という視点 と,やはり無関係ではないようにも思えるの だが,如何であろうか。

⑤  日常生活の端々,四季折々や年中行事のひ とこま,生業にまつわる作業や信仰,などに 関連する諺や文句には,その土地に根づいた 文化伝統につながるものが少くない。私たち は,前回の山陰・東石見の調査で,そうした 俗イ言語についてアンケート調査により資料を 収集し分析したが,今回も同様な視点でこれ を実施した。今回は問題を,~してはいけな い, すると

00

になる,といった禁忌語に 限定してデータを集め,前回のものを含め日 本の漁村社会との比較を試みた。その結果,

当然のことではあるが,日韓の聞でほとんど 同様な,漁村社会特有のさまざまな禁忌とそ れを侵したときの制裁が共通して存在するこ とが確認された。もちろん,そうした共有性

・類似の中にも,具体的な表現や言いまわし に,韓国・東海岸の特徴ともみられる微妙な 差異があり,また日本では聞かれぬような禁 忌語も数多くみられる。これらは日韓双方の 基層文化の違いによるものと考えられるが,

その他に顕著な差異として, 日本では「擬人 化による説明」が多いのに対し,韓国ではそ れが欠如していることが指摘できょう。この いわば「擬人化による禁忌=制裁の強化」を,

俗信語の比較において方法論的にどう展開す るかは,今後の問題になるであろう。

⑥  日本と韓国(朝鮮〉は宗教からみると,日 本の神社神道と韓国の儒教という相違の他に,

仏教とキリスト教についても多くの側面で,

歴史的・社会=文化的な差異が大きい。韓国 では高麗朝から朝鮮王朝への移行過程で排仏 崇儒が強化・徹底したのに対し,日本では概 ね同じ頃にキリシタン排斥に連動して寺檀関 係の強化(檀家制〉がすすみ一一回韓国では祖

関連したドキュメント