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第三章 「司法的ステイツマンシップ」の実例

第二節 Gonzales v. Carhart

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事 案

Parents Involved 判決に対して,「司法的ステイツマンシップ」を完全 に失敗したのが,Gonzales v. Carhart 判決においてケネディが執筆した多 数意見である。この事件は,2003年一部出生中絶禁止法(The Partial-Birth Abortion Ban Act of 2003)121) が中絶する権利を侵害するものとして争われ たものである。この連邦法は,「州際通商または外国通商での内外を問わ ず,一部出生中絶(a partial-birth abortion)をそれと知りながら行い,よっ て人の胎児を死亡させた医師は,この法律に基づき,罰金又は 2 年以下の 懲役,もしくはその両方を科せられる」122) と規定している。そして,禁 止される「一部出生中絶」は「 部分的に生存している胎児を死亡させ ることを認識しながら,その明白な行為をなす意図をもって,生存してい る胎児を,頭位の場合は胎児の頭部全体が母体外に出るまで,骨盤位の場 合は臍を越えて胎児の胴体の一部が母体外に出るまで,膣外に排出し」か つ「 分娩の完了以外の,部分的に生存している胎児を殺す明白な行為 を行うこと」と規定されている123)。「一部出生中絶」の禁止は,母体の生 命を保護する必要がある場合に適用除外が認められているが,母体の健康 を保持するために「一部出生中絶」が必要な場合には適用除外が認められ ていない124)。この母体の健康保持についての適用除外が規定されていな い点の合憲性が,本件の主たる問題である。

法廷意見はケネディが執筆し,これにロバーツ,スカリア,トーマス,

アリートが賛同し,文面上違憲の主張を退け,2003年一部出生中絶禁止法 を合憲判決した。これに対し,ギンズバーグが反対意見を執筆し,これに

121) 18U.S.C. §1531 (Supp. IV 2004).

122) Id. §1531 (a).

123) Id. §1531 (b) (1).

124) Id. §1531 (a).

スティーブンス,スーター,ブライアが賛同しており,最高裁は完全なイ デオロギーラインで分裂した。

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ケネディ法廷意見

ケネディは,「もしこの法律を無効とした控訴審判決を維持するのであ れば,Casey 判決の共同意見の結論にとっての中核的な前提,すなわち政 府は胎児の生命を維持・促進する正当かつ実質的な利益を有するという前 提を拒絶することになる」と述べ,Casey 判決を判例法理として適用する ことを宣言する125)。Casey 判決は,中絶規制の合憲性の判断枠組みにつ いて,従前の判例法理を実質的に転換し,いわゆる「過度の負担」(undue burden)基準による審査を打ち出した126)。この基準は「法律の目的また は効果が,胎児が母体外で生存可能となる前の段階で中絶を望む女性に とって実質的な障害となる場合には,過度の負担が存在することとなり,

当該規制は違憲無効となる」127) というものであり,本件もこの枠組みに 従って判断されている128)

ケネディは,デュープロセス論として,中絶の権利に対してかつてない 規制論拠を提示した。「人間の生命に対する尊重は,母の子に対する愛情 の絆の中に究極的な表明を見て取れる。本件の法律はこの現実も承認して いる。中絶を行うかどうかは,困難で悲痛な道徳的判断を迫る。その状況 を 測 る 信 頼 で き る デー タ が 存 在 す る わ け で は な い が,異 論 が な い

unexceptionable)と思われるのは,一度は自ら創り育てた胎児の生命を中 絶するという選択に対して後悔する女性もいるということである。深刻な

125) 127 S. Ct. 1638 (majority opinion).

126) Planned Parenthood of Southeastern Pennsylvania v. Casey, 505 U.S. 833 (1992).

127) Id. at 877-78.

128) 本件に先立って「一部出生中絶」を禁止するネブラスカ州法の合憲性が争われた Stenberg v. Carhart 事件においても,「過度の負担」基準によって審査され,違憲判決が 下されていた。Stenberg v. Carhart, 530 U.S. 914 (2000). なお,アメリカにおける中絶規 制に対する判例分析として,小竹聡「『一部出生』の禁止と中絶の権利の将来」大沢秀介 ほか編『アメリカ憲法判例の物語』237頁以下(成文堂,2014年)参照。

絶望と尊重の喪失がやってくることもある。」このように中絶規制の根拠 の一部を,現代アメリカ社会における女性が果たす役割についての特定の

観念(愛情あふれる母),及び自律的判断を行う女性の能力についての特定

の観念(後悔に脆弱な女性)に求めたのである。それに続けて,「感情に支

配された判断をする中で,いくらかの医師は,施術に伴うリスクについて 要求された説明に留め,使用される手段の正確かつ詳細な開示を好まない かもしれない。……しかしながら,胎児が殺害される方法に関して情報が 欠如しているところにこそ,州にとっての正当な関心がある。当該州は,

極めて重大な選択に対して,十分な情報提供を確保する利益を有してい る。中絶を選択したことを悔いるようになる母は,苦悩に満ちた悲しみと 深刻な後悔と闘わなければならないことは自明(self-evidence)である。

それは事が終わってはじめて,彼女が知らなかったことを知ったときであ る。未だ生まれていない彼女の子の頭蓋骨を貫き,急成長していた脳を吸 引することを医師に許したことをである」129)。そして「当該規制及びそれ がもたらす規制の必須の効果が,胎児を出生まで維持するよう女性を励ま すことになり,後期中絶の絶対数を減少させるというのは,合理的な推論 である」130) と述べている。

女性の健康に対する規制効果としては,「法による禁止が女性の健康に 重大な危険を常にもたらすかどうかについて,医学上の見解が不一致であ ることが証拠上明らかである」ことを理由に,過度の負担となることを否 定している131)。本件に先立つ Stenberg v. Carhart 判決132)において,最 高裁は,「相当程度の医学上の根拠(substantial medical authority)が,禁止 された特定の中絶方法が女性の健康を危険にさらすという判断を支持して いる限り」母体の健康保持を理由とする適用除外が必要であると判示して

129) 127 S. Ct. 1634.

130) Id.

131) 127 S. Ct. 1636.

132) Stenberg v. Carhart, 530 U.S. 914 (2000).

いた133)。ところが,ケネディは,そのような「『ゼロ容認』は,医療共同 体の一部がその規制の遵守に乗り気でないという場合に,本件のような正 当な中絶規制を無効にする」ものであり,「これはあまりに厳格な基準で あるため,医療専門業を規制する立法権限(本件では通商条項に基づく)に 対して課すことはできない」。そして,「リスクのバランスを含めた,最低 限の安全性を考慮することが立法権限の範囲内といえるのは,規制が合理 的で正当な目的を追求する場合である。通常の医学的選択が利用可能であ る場合,単なる利便(mere convenience)がそれらを代替するのに十分で あるとは言えない。そして,ある施術が他のものよりも異なるリスクを有 するものだとしても,当該州が合理的な規制を課すことが禁じられるわけ ではない。」と退けている134)

そして,母体の健康保持という緊急事態における適用除外の合憲性につ いては,適用審査による手法が適切であると示唆しながら,当該法律が関 連する事例の大部分(in a large fraction of relevant cases)で違憲であるとの 証明がなされていないため,母体の健康保持についての除外規定を欠くこ とは,文面上違憲とはならないと結論付けた。

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「司法的ステイツマンシップ」の失敗

シーゲルは,多数意見となったケネディ意見は,「説明,理由付け,結 論の大部分が中絶の問題に対する公衆の感情を激昂させるおそれ」があ り,「この問題に関してアメリカに残っていた穏健の精神を退けた」もの であり,「司法的ステイツマンシップ」の実践に完全に失敗した例だとす る135)

まずケネディが中絶権の支持者の主張を適切に考慮していないことは,

その言葉遣いからも窺い知れるとシーゲルは指摘する。ケネディは,中絶

133) Id. at 938.

134) 127 S. Ct. 1638.

135) Supranote 30 at 1022.

に携わる専門医師を「中絶医師」あるいは「中絶主義者」と繰り返し呼 び,中絶に対する明確な敵意を表明していた136)。このような振る舞いは,

中絶の是非をめぐる強固な不一致がある中でも共同体を維持させるという 理念にとって有害なものでしかなく,かつて Parents Involved 判決におい てケネディ自身が警告していた「新たな不和」や「腐食的な言説」をもた らすものであるとシーゲルは批判している137)

たしかに,ケネディが Parents Involved 判決で見せたようなステイツマ ンシップを実践していれば,そのような振る舞いはしなかったはずであ る。本件訴訟の主たる懸念は,一部出生中絶なる施術方法を禁止すること によって,女性の身体的安全性にいかなる影響を与えるものであるかとい う点にあった。ところが,ケネディ意見は,適用違憲の可能性を除いて,

その点をほとんど考慮していない。もしケネディが女性の健康についての 懸念を承認していれば,中絶手続を遂行する医者の「選好」(preference) や「単なる利便」(mere convenience)として,問題となっている憲法上の 論争を単純化・矮小化しようとしなかったはずである。また,「禁止され た手続は特定の状況における女性にとって最も安全である」というアメリ カ産婦人科学会の立場を信頼できる証拠が支持しているにも拘らず,争わ れている証拠を単に「文書によって裏付けられた不一致」というように説 明することはなかったはずである。さらに,ケネディが女性の健康への配 慮を示すものであったならば,適用違憲の可能性を曖昧なまま放置するこ とはなかったはずである。前記の Parents Involved 判決と同じようなステ イツマンシップをもって本件を処理していたとすれば,政治的激論を誘発 する女性に対するパターナリスティックな理由付けを用いたとも思えな い。ケネディ自身が認めているように,中絶後症候群についての確たる科 学的根拠は何ら存在しないにも拘らず,ケネディは女性が中絶を選択した こ と に よっ て 悲 痛 な 悔 恨 に 襲 わ れ る こ と は「異 論 の な い」(

unexcep-136) 127 S. Ct. 1620, 1625, 1631, 1632, 1635, 1636, 1638.

137) Supranote 30 at 1023. ; Stenberg v. Carhart, 530 U.S. 914,938 (2000).

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