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ドキュメント内 173ニュース.indd (ページ 35-56)

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Mie-LIPセントラル (案)     みえライフイノベーション総合特区 ICT技術を用いて地域圏統合型医療情報DBを構築、減災対策、創薬やEBMに利用

図−2

創出と活性化を図ると共に、③薬剤疫学研究や科 学的根拠(EBM)を創出する、等です(図−2参 照)。統合型医療情報DBのICTシステムの構築の グランドデザインはほぼできあがりつつあります。

概略は、各医療機関の医療データ(検査値デー タ、レセプト情報、病名データ、薬剤データ等)

をデータマッピングし標準コード化しサーバ(ID-linkサーバを利用)に格納し、セキュリティの高 い専用回線でクラウドサーバに格納、匿名化後に 臨床研究等に利活用するものであります。データ 解析は、統合データ処理センター(仮称)で一括 して行います。その際、医療情報の取り扱いに関 する各種ガイドライン、医学研究に参加するイン フォームド・コンセント(包括同意)、個人情報 保護法の遵守、各研究については研究倫理審査委 員会の許可などまだ多くの解決が必要です。アク

ションプランは、最初に三重大学病院から開始し、

2年後に3つのMMC病院、3年後に6つのMMC 病院に増加し統合化してmeaningfulビッグデータ ベースにしてきます。電子カルテベンダーは、各 病院それぞれ異なるため電子カルテは一部異なる データマッピングがされており、meaningful  use に対応するにはまずこれを標準化し統一したデー タマッピングにする必要があります。これが一番 大変な作業で各診療部門や各参加病院の協力がな くしてはできません。いずれにしても、「みえライ フイノベーション総合特区」でMie  LIPセントラ ル内に作る地域圏統合型医療情報データベースと その統計解析処理を行う統合データ処理センター の構築には、皆様の御支援と御協力が必須ですの でよろしくお願い申し上げます。

はじめに

 平成24年1月4日、新病棟がオープンし、海沿 いにひときわ白く輝く新病棟が立つ光景は、三重 大学附属病院の未来の発展を予見するかのようで す。大学を退職し、附属病院で医師として働く機 会はありませんが、再開発に携わってきた一人と して、感動を持って眺めています。また私が医師 としての人生を歩み始めたのが昭和48年、塔世橋 の古い病院から江戸橋に新しく建った旧病棟への 移転後間もない時です。そして退職したのがその 病棟がいよいよお役ご免となる年の平成23年3月 ですから、旧病棟とともに、大学医師として38年 間働くことができました。やがて取り壊される旧 病棟に対しては、辛かったこと、うれしかったこ となど思い出しながら、ありがとうという思いで いっぱいです。

 さて、新病院はどのような工程で完成に至った

かは資料をみればわかりますが、それではその 時々の人の思い、感情などをそこからは読み取る ことはできません。それで、再開発の原動力となっ た再開発計画推進準備室の7年間を振り返り、関 係した人々がどのような思いを持って取り組んで きたかについて述べたいと思います。そして、こ のような大事業は多くの人々が思いをひとつにし、

協力を積み重ねなければならないことを、今一度 知っていただきたいと願います。

再開発計画推進準備室の設置

 再開発推進準備室(推進準備室)は私が室長に 任命され、平成13年7月25日に看板上掲式を行っ て正式に発足し、平成20年3月31日までの約7年 間(2442日間)、現在の先端医科学教育研究棟の 2階に設けられました。もともと、新病院を建て たいという機運はかなり以前から高まっていまし た。平成12年当時の附属病院長は川村寿一先生で、

医学部・附属病院再開発計画推進準備室の2442日

元医学部・附属病院再開発計画推進準備室室長 三重大学名誉教授 

宇 治 幸 隆

先生のもとで副院長を拝命していた私に、再開発 に努力をするようにとの指示がございました。急 速に進歩する医療体制に当時の老朽化した附属病 院の機能が、十分についていけないことは誰もが 感じていたことで、小手先の改修ではどうにもな らないし、今後数十年の医療の発展を考えれば限 界にきているという思いが全職員にあり、皆が新 病院を切望していました。このような職員の期待 をどうやって行政の中枢に伝え、どのように足が かりを作ればよいかがわからず、まず大学本部の 施設部に再開発の工程について聞きに行きました が、私の甘い期待は打ち砕かれました。施設部長 の話ではとても今は再開発の時期ではない。他大 学のもっと古い病棟改築が済んでいないのに、三 重大学がそのようなことを言いだす立場でないと の冷たい返事でした。文部科学省(文科省)の考 えを知っておられる施設部長のお話は説得力があ り、まさに取りつく島もないとはこのことかと思 いました。国の事業でゼロから物事を決めていく というのはとてつもなく時間がかかるものだと改 めて感じました。しかし他大学の再開発状況を調 べると、不思議なことに、必ずしも順番が守られて いるとも思えず、何かの拍子に急に決定がなされ、

数日で構想を練ったというような話も聞こえてき ました。そこで、こちらはこちらで、構想だけで もどんどん進め、附属病院の職員全員の思いをぶ つけていくしかないということになりました。川 村院長は再開発を進めるためにと専門的な職員の 任用を英断され、その後、葛原茂樹院長、珠玖洋 医学部長によって、医学部・附属病院の教官プー ル制による教官を推進準備室に配置することが決 められました。また工学部の協力も取り付け、工 学部から病院建築の専門家の河合慎介助手を招へ いし、エキスパートの今井正次工学部教授に指導 をいただくこととなって、再開発に向けての事業 が一気に動き出しました。最初は私、今井、河合 に大野管理課長以下小川、福永、岩田、山田、草 川、細井、向井の8名の事務官と薮内非常勤職員 が加わり、総勢12名の室員での船出でした。その 後約7年間に、学長は矢谷隆一先生(平成10〜16

年)、豊田長康先生(平成16〜21年)の2代、医学 部長は珠玖洋先生(平成10〜14年)、鎮西康雄先生

(平成14〜18年)、駒田美弘先生(平成18〜22年)

の3代、病院長は葛原茂樹先生(平成13〜17年)、

内田淳正先生(平成17〜21年)の2代と変わりま したが、この先生方におかれても再開発成就に向 けて常に先頭に立って指導され、多大なご苦労を されたことを銘記したいと思います。後述します が、特に文科省や政界への働きかけ、三重県との 調整で腐心されたとお察しします。

新病院の構想づくり

 まずすべきこととして、どのような構想の病院 をつくるかを決めねばなりませんが、実態を知ら ねば単なる作文になり、上滑りの言葉の羅列にな ります。そこで、5つの専門委員会(教育・研究、

病棟、中央診療部門、外来、管理・運営・情報)を 立ち上げ、新病院の構想づくりのために現状分析 から将来構想を練ることとしました。またそれら の構想をまとめる委員会として、再開発検討準備 委員会(検討準備委員会)を設けました。再開発 の順序から考えて、特に病棟、中央診療部門、管 理・運営・情報の3つの専門委員会が論議を進め、

基本構想の作成に大きな貢献をしました。

建築場所

 さてどこに新病院を作るかですが、そもそも大 学の付属病院であり、他学部との学際的な研究も 重要である点や、現状のようにキャンパスに5学 部が集中した経緯を考えれば、キャンパス内にと いうことになります。しかし津波の危険や、貝塚が あることからもわかるように地盤が弱く地下室を 設けられないことなどを考えれば、山寄りの場所 の方がよいかもしれません。検討準備委員会で議 論が重ねられましたが、山寄りの別の場所にとの 案では果たして適切な土地が手に入るか、またそ れが何年先になるかの目途はなく、さらに昨今の 傾向として2ないし3期、場合によって4期に分 けて建設認可がなされるので、現地以外では不可 能との判断から後者は却下されました。前者なら

3期に分けて建築できるので早く文科省の認可を 得やすいのではないかと考えたことや、もし津波 が来ても周りに高い建物がないので避難場所にな ることも想定され、現地での新病院建築に決まり ました。しかし昨年の東日本大震災を経験し、東 海沖地震が現実味をおびてきたことや、そのマグ ニチュードや被災規模の見直しなどから、巨大地 震や津波に耐えられるだろうか、本当にこれでよ かったのか、自分たちは大きな過ちを犯したので はないかと、不安に駆られることもあります。

基本構造

 最初の基本構想は、以前より作られていた三重 大学医学部付属病院の基本理念である(1)患 者本位の医療、(2)地域と世界の医療への貢献、

(3)臨床研究と人材育成の推進を元にしたこと は言うまでもありません。基本構想のversion 1で は次のような構想が盛り込まれました。臓器別・

機能別の病棟編成、重症度別の病棟配置、個室・

特別室の増床、救急・ICUの充実です。そのため の設計のコンセプトは患者中心の構造、安全で最 先端医療の設備、人材育成のためのシステム、ス タッフのための優れた職場環境、海の見える景観 のすばらしさとしました。このように理想を掲げ るのは自由ですが、いざ内容を論議しだすと医療 スタッフ不足と採算が問題になりました。当時も 今も同じでしょうが、特に看護師が集まらないこ と、そして研修制度の改変による医師不足もその 後問題となり、病院の規模や救急をはじめスタッ フを多く必要とする部署の構想を決める上で深刻 な足かせとなりました。

文科省への説明

 平成13年7月25日に看板上掲式をして、まず8 月3日の夏のうだるように暑い午後に、全面移転 で先行する岐阜大学附属病院の再開発の情報を得 るため岐阜市に行きました。10年以上前から準備 を始めてやっと建設にこぎつけた岐阜大学附属病 院から得た情報で「これはかなり遠い道のりだな あ」と実感することとなりました。

 その後再開発検討準備委員会5回、専門委員会 13回、科長会議での説明を3回開催して主には基 本構想と建物8パターンを決めました。その間、

事務方による文科省高等教育局医学教育課(医学 教育課)と文教施設部計画課(施設部計画課)に 基本構想についての下交渉がなされ、平成14年2 月7日医学教育課へ私と河合室員、事務方は池田 事務部長以下3名が出向き、正式に基本構想の説 明を行いました。さらに再開発検討準備委員会4 回、専門委員会4回、科長会議での報告、医学部 将来構想委員会での基本構想の確認と建物8パ ターンの提示を行いましたが、その間に東大、愛 媛大、旭川医科大の附属病院など4病院の見学を 行い、また約2か月間で15の中央診療施設のヒア リング、25の臓器別各診療科へのヒアリングを行 い、基本構想を修正し、償還計画も立て、三重大 学内での調整の末、同年6月6日に文科省に2回 目の基本構想説明と償還計画の説明をおこないま した。

 ところで推進準備室は、三重大学事務局特に施 設部との構想の調整が難しい局面を迎えていまし た。施設部は過去の再開発の情報を多く持ってい るであろうし、文科省の意向も直接聞ける立場に あるので、文科省が納得するような計画案の組み 立てを模索していたようです。そのため推進準備 室と施設部の考えが異なることも多々あり、建物 8パターンについても調整が難航し、両方の関係 が険悪になったこともありました。何回も施設部、

医学部に建築事務所を加えた会議を持ち、忍耐強 く意見交換を重ねることで、双方納得の案に至り ました。建物8パターンは最新医療に対応すべく、

また安全でかつ効率を優先した構造を持つのです が、共通することは、古い病棟のような十字の配 置は非効率であるという反省から、フロア内およ び上下階間において人、物の動きが円滑になるよ うに考えたもので、中央にエレベーターホールを備 え、左右に病棟が展開する長方形の構造が主流で した。そして推進準備室には新病院の構想を練り やすくするためにと河合室員によって病院の模型 が置かれ、その後も病室の模型などが追加されて、

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