第 5 章 NMR 分光法の基礎
5.2 FT-NMR 法
単純な分光法では、周波数を変えながら電磁場をあててやって、共鳴を見るという 方法をとる。これに対して、FT 法(FT がフーリエ変換の意味)では、4.2 節で導入 した応答関数を時間の関数として直接観測し、スペクトルを求めるものである。現在 のNMRの主流は、FT法であり、これによって観測時間の大幅な短縮化が達成された。
z軸に平行な静磁場H= (0, 0, H)がかかっている系を考えよう(i番目の原子核にか かる磁場は Hiである)。このとき、摂動として x 軸に平行な磁場 H’(t)をかけ、摂動 エネルギーE’が
( )
t M H( )
tH M E
i i x
x ′ =− ′
−
′=
∑
(5.9)であるとすると、4.2節で導入したMxに対する応答関数Φ(t)(添字は省いた)は
( ) ∑ ( ) ∑
( )
−
=
−
= Φ
i
i i i i
i
i z i
i H t H
T M t
t T H
t t
γ γ χ
γ exp sin
sin exp
2 0
2
(5.10)
で与えられる。ただし、χiおよびT2iは、それぞれ、i番目の原子核の磁化率およびス ピン−スピン緩和時間である(磁気回転比は一定と取っておいた)。
摂動磁場H’(t)がパルス的でδ(t)に比例する様に取ると、式(4.17)によって、磁化の観 測がそのまま応答関数Φ(t)の決定であることが分かる。応答関数Φ(t)が決定されると、
そのフーリエ変換をすることでγHi を得ることができる。つまり、化学シフトをΦ(t) のフーリエ変換によって得ることができるわけである。このように、δ(t)的なパルス をかけて応答関数Φ(t)を測定し、フーリエ変換をすることでスペクトルを得る方法が、
FT法の基本型である。
問5.6 式(5.10)を導く。
問5.7 式(5.9)の形の摂動エネルギーの下における Myおよび Mzに対する応答関数を 導く。
問5.8 現実の測定において、摂動磁場H’(t)をδ(t)に比例する様に取ることは不可能で ある。そこで、H’(t)をどのように取れば、H’(t)がパルス的であってδ(t)に比 例するものと考えても問題ないか、ということを式(5.10)に基づいて考える。
問5.9 実際の FT-NMR 測定では、応答関数Φ(t)を測定する時間 t の原点が必ずしも 明確でない場合が多い。応答関数の時間 t の原点がαだけずれていたとき、
フーリエ変換で決定される一般化感受率がどのような影響を受けるかを、
式(4.22)に基づいて考える。さらに、αの影響を除去するには、どのような 方法があるかを考える。
5.3 磁気緩和現象
ここでは、4.3節のRedfield理論に基づいて、T1およびT2について考察する。簡単 のために、原子核の種類は1種類であるとしよう。無摂動系として、外部からの静磁
場をH= (0, 0, H)として式(5.2)をとる。そして、熱浴との相互作用Vとして、
V = −γ (Mxhx + Myhy + Mzhz) (5.11) とおこう。ここで、(hx, hy, hz)は熱浴によって及ぼされる揺動磁場であって、原子核(4.3 節における「系」に相当)の立場から見ると、時間依存する確率変数である。ただし、
熱浴からの揺動磁場(hx, hy, hz)は外部静磁場Hよりはるかに弱いものとしよう。すると、
式(4.33)によって、
( ) ( ) ( ) ( ) ( ( ) ( ) )
( ) ( ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) )
( ) ( ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) )
+
−
×
=
+
−
×
=
+
−
×
=
∫
∫
∫
∞
∞
∞
0 2
0 2
0 2
0 cos
0
0 cos
0
0 0
cos
B z z B
x x y
y y
B z z B
y y x
x x
B y y B x x z
z z
s h h Hs s
h h ds dt M
dM
s h h Hs s
h h ds dt M
dM
s h h s
h h Hs ds
dt M dM
γ γ
γ
γ γ
γ
γ γ
γ
H M
H M
H M
(5.12)
となることが分かる。この式は、xおよびy成分のT2が同じではないものの、まさに
Bloch方程式である(Mz0が出てきていないことについては、もう少し込み入った議論
が必要)。つまり、やや直感的に導入したBloch方程式はRedfield理論から導き出す ことが可能であることが示された。さらに、熱浴が均一な流体であって、原子核との 相互作用が等方的で、揺動磁場の相関関数が
( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( )
0( ) ( )
0( ) ( )
0 00 0
0
=
=
=
≡
=
=
B x z B z y B y x
B z z B y y B x x
t h h t
h h t
h h
t C t
h h t
h h t
h
h (5.13)
となると仮定しよう。すると、式(5.12)によって
( ) ( ) ( )
( ) ( )
+
=
=
∫
∫
∞
∞
0 2 2
0 2 1
cos 1 1
cos 1 2
t C Ht T dt
t C Ht T dt
γ γ
γ γ
(5.14)
であることが分かる。この式から、磁気緩和は、熱浴からの揺動磁場の時間相関関数 によって決定されることが分かる。逆に、磁気緩和の測定から、測定している原子核 に影響を及ぼす相互作用モードの強度と分子運動の情報を得ることができる。
次に、相関関数C(t)が時定数τによって
( )
−
= τ
C t t
C 0exp (5.15) の形を持つものとしよう。このとき、NMR緩和時間は
( ) ( )
+ +
=
= +
2 0
2 2
0 2 2 1
1 1 1 1
1 2 1
1
τ τ γ
γ
τ τ γ
γ
C H T
C H
T (5.16)
と表される。C0 は揺動磁場の強さを表すパラメーターであり、これが大きくなると、
熱浴との相互作用が大きくなり、T1と T2はともに小さくなる(緩和が速くなる)。
また、揺動磁場の相関時間τの値にかかわらず、T1≧T2 が常に成り立つ。さらに、T1 はτがラーモア周波数の逆数 1/γH に等しいとき、最小値をとり、T2はτが大きくなる
と小さくなる。通常の低分子の流体条件では、相関時間τがラーモア周波数の逆数1/γH よりはるかに小さいので(τはpsのオーダーで、γHはGHz以下のオーダー)、式(5.16) は
τ γ2 0
2 1
1 2
1 C
T
T = = (5.17) となる。γHτ≪1 は極度先鋭化の条件と呼ばれる。極度先鋭化の条件が成り立つとき T1とT2は等しく、τが大きくなると磁気緩和が速くなる。C0が既知のとき、T1または T2を測定して、分子レベルの運動の緩和時間τを求めることができる。
問5.10 揺動磁場が外部磁場よりはるかに弱いという条件下で、式(5.12)を導く。
問5.11 式(5.16)を導く。
問5.12 C(t)の減衰時間がラーモア周波数の逆数 1/γH よりはるかに小さいとき、式
(5.15)の仮定が成り立たなくても、式(5.17)の形にT1とT2を表すことができ
て、T1 = T2である。このとき、相関時間τはどのようにC(t)で表されるだろ うか?
5.4 補遺
前章を古典的に叙述したのに対応して、本章の解説も古典的に行った(例えば、プ ランク定数は出てこなかった)。分光学における最も重要な概念である「共鳴」と「緩 和」は、古典論の範囲で扱うことができるのである(もちろん、現実系に量子論的要 素が含まれていないと言っているわけではない)。共鳴が起きるために必要なものは 運動の周期性であり、緩和が起きるのに必要なものは熱浴からのランダムな揺動であ る。このことを押さえた上で、古典論での式展開を量子論でのものに書き換えていく のはよい演習である。ある現象を見る・考える際に、その現象が古典的にも理解しう るものなのか、それとも、量子的にのみ理解しうるものなのかを考えることは、その 現象の本質を理解するための有効なアプローチの一つである。
本章では、化学シフトの微視的理論については述べなかった。分子の電子構造と化 学シフトを結びつける理論については、ぜひ、参考文献[1]を見ていただきたい。ここ で、化学シフトの微視的理論を述べなかったのは、流体系における化学シフトの理論 の決定版が無い(と筆者は思う)からである。化学シフトは、測定している原子核で の磁場に対応する量であるが、実は、この値は流体系の形状に依存するのだ。もちろ ん、分子構造や分子間相互作用を評価する量として化学シフトを捉えるためには、分