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D. Roosevelt大統領は,利潤閉じ込めに 関連する困難な問題に取り組むことを企図す

ドキュメント内 HOKUGA: 公開会社の三段階論 (ページ 41-68)

る多くの法人税改革に着手した。1932年か ら 1935年を通じて,国会議員は,役員報酬 の額を引き下げ,合併,買収,ほかの事業結 合を最小化し,巨大法人の成長を制限し,そ

して持ち株会社構造を除去することを企図す る税条項を制定し,または制定すべく企てた。

しかしながらけっきょくは,これらの改革の ほとんどは,不成功におわった。それらは,

強力なロビー活動によって,数年のうちに破 棄されるか,または実質的に修正されるかし たのである。

利潤閉じ込めの問題に向けられた,最後の そしておそらくもっとも議論の余地ある立法 は,1936年における 非分配利潤税 の制 定であった。この税は,短命であったがそれ だけでない。それは,留保利得に対する懲罰 的な課税を防ぐ策略として,二重課税を支持 するべく,法人マネージャーやかれらの代表 者・代議士を導いた。二重課税は,法人形態 に対する攻撃の一部であると想定することは,

論理的に筋が通っているようにみえたが,こ の場合はそうではなかった。1936年の配当 への独立課税についてのビジネス支持の背後 にある理論は,もし分配される利潤が,留保 利益と同じ課税の追加的な増大に服するとす れば,株主とマネージャーは,留保利潤の支 持において提携することになろう,というこ とであった。 非分配利潤税 の終わりは,

この策略の必要性を除去したが,しかし二重 課税はそのまま続いた。それ故,皮肉にも,

留保利潤を取り除くための最も決定的な措置 が,利潤閉じ込めを強化すべくサービスする ような十分な二重課税への動きに結果した。

法人的留保システムへの税ベース化攻撃を 持って始まった 10年間は,このシステムの 税ベース化に対する防衛をもって閉じたので ある。

{法人税改革における重要性の喪失}

法人税の発展における転換点は,第二次大 戦に続く 10年であった。かって,法人税を 再計画する立法上の時期が存在していたとす れば,それは,そのときであった。法人の課 税に問題性があるという重要なコンセンサス

が存在していた。ビジネス・企業は,戦争中 の負担の重要な大負荷を負担していた。四年 以上の時期に,法人所得税率は,19%から 40%へと倍以上に増大し,議会は新しい過度 利潤税を最高 95%で成立させた。1944年ま でに,二つの徴税は,あわせて,政府に報告 された純所得の 56%ほどに達した。この高 率は,非分配利 潤 税 に つ い て の

Roosevelt

の不運な実験の副産物としてニュウデール中 に現れた法人税の二重課税について精査を強 めるべく促し,そして戦争の終結への動きが,

歳入の必要性を低下させるべく約束した。結 果として,主要な法人税改革への圧力が戦勝 記念日よりずっと前に現れた。1946年の1 月 ま で に,少 な く と も 60の,二 重 課 税 除 去・軽減のための提案がでまわったが,その 多くは,継続する年々に再提出されまた再導 入された。ほとんどが,統合の次の三つの方 法の内の一つまたはそれ以上の変形を主張し た。⑴株主所得からの配当の全てまたは若干 の排除・除外。⑵法人レベルで得られた配当 所得で支払われる税の全てまたはその若干に ついて株主所得税の控除,⑶支払われた配当 に対する法人レベルでの(税)控除。しかし ながら 1954年までは,国内歳入コードの包 括的改良の一部として,議会が,段階的な 100ドル免税および4%株主税控除の形態に おける少量の配当税軽減を制定することはな かった。

ここでは次の四問題を考察する。⑴改革の 偏愛において最初は勢いがあったにもかかわ らず,配当税軽減が制定されるのに,なぜそ れほど長くかかったか。⑵ 1954年に何が配 当税を協議事項のトップにひきあげるべき導 いたか。⑶統合提案の関心が相当程度与えら れたのに,なぜ,その軽減は,ひかえめなも のであったか,そして⑷なぜ,それはけっ きょく短命に終わったのか。

第一の問題に対する答えは,比較的にはっ きりしている。戦争の終結において,多数の

ほかの優先事項が目だって浮上してきた。戦 闘が終わった後でも戦費は継続し,そしてト ルーマンは急速な税軽減の偏愛において均衡 予算の目標を犠牲にすることを欲しなかった。

予算圧力が和らいだ場合でも,個人の所得税 減税が,法人やそれらの株主の軽減に対して,

優先権を与えられた。法人のマネージャーは,

より緊急の関心事をもった。戦時超過利潤税 の廃止が率の削減または配当税軽減よりもよ り重要と考えられた。最後に,1950年の朝 鮮戦争の開始が,根本的な税改革の何らかの 考慮を遅らせた。法人マネージャーは超過利 潤税の再導入に対して戦うことにほとんどの 時間をつかった。そして他の措置は,二重課 税よりもよりやっかいな問題だとみなされた。

景気後退と株式投資への衰弱が,なぜ配当 税改革が 1954年にけっきょくは制定された かに関する第二の問題に,答えを提供する助 けになる。非配当利潤税の消滅の後,マネー ジャーは,株主の税負担よりも,法人レベル 利得によりおおくの関心を抱いた。しかしな がら,1950年代初頭までに,株から投資の より税偏愛形態への注目すべき移動が存在し た。第二次大戦の終わり以後より高い個人限 界率がそのままであったことなど,多様な要 因がこの移動を説明するけれども,二重課税 は,その現象を悪化させるように思われた。

マネージャーは,株式をもっと魅力あるもの にし,そしてそれによって,負債とフリー キャッシュフローへの依存(そのいずれもが,

景気後退の際には得られるべき準備されな かった)を低下させるために,最初統合措置 を追及した。しかしながら,経済状況が改善 された時,立法は,まだ,議会を通過する道 を進んでいた。マネージャーは,株式が再び 流通し始めたときに,完ぺきには配当税軽減 を放棄しなかったが,その努力への情熱にお けるかなりの喪失が存在していた。結果とし て,制定された軽減は,最初の提案よりもか なりすくないものであった。

株式危機の解決がまた,なぜ 1954年に制 定された配当税減税が,完全統合への最初の ステップとして有効でなかったかを説明する べく助ける。議会は,1958年の法人所得税 からの離脱を,小事業法人にも許可したが,

しかしこれは,基本的な状況を修正すること なくその税の広がりを単に狭めたに過ぎな かった。二重課税は,依然として,より大な る法人にとってひとつの要因のままであった。

二重課税が存続しただけでなく,その軽減が,

株主

credit

が,廃止され,配当控除が終わ る 1986年に完全に終わる前の 1964年により 狭くなった。統合提案が再び通過すべき十分 な支持を集めるのは,(そしてその場合にさ えそれは完全統合の不十分さが目立ったが),

2003年まではなかった。ほとんどの部分に ついて,事態のこの転換は,非分配利潤税の 終り後,二重課税を残存すべく導いたと同じ 強制力によって説明されうる。株式危機が緩 和され,株式投資が再び始まるやいなや,統 合を押しすすめるマネージャー的な動機は薄 れた。配当税軽減は,民主党によって,悪し きものとして描写されたが,一方で同時にそ れは,法人所得税率削減を好むビジネスリー ダーにとって完全に帰依すべきものでは決し てなかった。このことが,世紀の残りまで続 く行き詰まりを生み出したのである。

{分離法人課税の現在と将来}

序章で議論されたように,数個の主要な テーマが,法人所得税が一世紀前に公式的に 連邦歳入構造に入って以来,それに対する論 評において現れた。一方では,その税は,そ れが,事業体の選択,利得を分配するか留保 するかの選択,負債または株式による金融の 選択といった,多様なビジネス決定をゆがめ るその方法ゆえに,しばしば非難されてきた。

他方では,特に高い個人的限界率を通じて,

観察者はしばしば,法人所得に対するこれら の率の適用に対して楯として奉仕し,それに

よって法人に過大な外部的または政府ベース の没収(これは潜在的に法人の成長を邪魔す る)を避けることを許すべき分離法人課税の 能力を,賞賛しないまでも,認めてきた。し かしながら,この楯のごとき性格は,それが,

過大な,内的またはマネージャーベースによ る没収(それは,法人統治研究者にとって関 心事であり,法人税シェルターに燃料を供給 すべく助ける)に助けになるタイプの環境を 助成するゆえに,悪い面を持っている。1990

年代中の

Enron

破綻で浮かび上がった,法

人税シェルターおよびそれらに関連するス キャンダルの増殖・激増は,そこにおいて過 大な内的な没収についての関心が最前線に表 れたとその最も最近のエピソードにすぎない。

長年にわたり,批判者は,法人所得税の歪曲 効果・影響に関してくどくどい言い続ける一 方で,議会の焦点は,根本的な経済的政治的 環境に依存しながら,過大な外的そして内的 な没収についての関心の間を揺れ動いてきた。

これらのテーマは,現代の日々を通じて,

法人所得税に関する議論を,活気あるものに し続けた。改革努力が,20世紀の第二半期 を通じて,一部,法人税が依然高い個人限界 率に対する楯として価値を有するものであっ たゆえに,大きくのた打ち回った後,21世 紀の最初の十年においては,法人所得税にに 対する突然の注目が存在している。2003年 に,1990年代の配当の低下とそれに関連す る法人スキャンダルへの法人税の影響に関す る関心の一部に対応して,ブッシュ大統領は,

法人所得の二重課税への重大な挑戦に取り掛 かったが,それは,少なくとも一時的には,

配当からの所得に対して税率を低下させる部 分的な統合措置の成立に結果させた。2005 年には,有限責任会社といった非法人事業体 の成長や,私的株や債券,ヘッジファンドと いった資本の非公開的源泉の勢力と影響の増 大が,法人税を形式的な法的な形式的地位よ りも,むしろ,規模や複雑性に基づいてビジ

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