(1)クランプ=カレンバウアー辞任の持つ意味
前述したように、2018年のCDU党首選では、都市的で多様性を受け入れ、社会国家の維持拡大 に肯定的な中道左派派有権者へと支持を拡大し、緑の党と競争しつつ将来的に同党との連邦レベ ルでの連立を可能にすることによって CDU/CSU の政権維持を図るというメルケルの路線を基本 的に継承するとみられたクランプ=カレンバウアーが党首に選出された。しかし、この党首選に おいて彼女は圧倒的多数の支持を得たわけではなく、1 回目の投票では得票率 45.1 %と過半数を 得られず、メルツとの決戦投票となった 2 回目の投票でも 51.8 %と過半数をわずかに上回る得票 率しか得られなかった。また、クランプ=カレンバウアーの党首就任後も党内保守派や経済政策 重視派はメルケルの路線の修正を要求する態度を変えなかった。このため、クランプ=カレンバ ウアーは党首選の直後に批判派を懐柔し党の結束を回復するという観点から、メルケル批判を展 開してきた青年同盟委員長パウル・ツィーミアクを幹事長に起用し、さらにメルツに対して党指 導部に加わるよう要請した。しかし、党首選ではメルケルやその路線を継承すると見られたクラ ンプ=カレンバウアーを批判しておきながら、幹事長就任を即座に受け入れたツィーミアクに対 する党大会代議員の見方は厳しく、対抗候補がいなかったにも拘わらず、幹事長選挙での彼の得
票率は 62.8 %に終わった。また、クランプ=カレンバウアーは党大会後もメルツに対して働きか けを繰り返したが、メルツが重要閣僚ポスト以外には就かないという姿勢を見せたのに対して、
かつて彼と院内総務職をめぐって激しい権力闘争を演じたメルケルが彼を内閣に受け入れるため に他の閣僚を更迭するという可能性はなく、メルツを取り込んで挙党体制を確立するという試み も結局成功しなかった。これらの出来事は、党内の結束を回復することが容易ではないことを示 していた。
このような状況に対処するために、クランプ=カレンバウアーはメルケルの路線を継承しつつ その「改善」を図ることによって党内から幅広い支持を得られる党首としての立場を確立しよう とした。その象徴的ケースとなったのがクランプ=カレンバウアーのイニシアティブに基づいて 行われた難民政策に関する「作業協議」であった。クランプ=カレンバウアーは 2015 年の難民 危機以降党内で最も激しい議論の的となった難民政策についてオープンな議論を行うことによっ て、メルケルの難民政策に批判的な人々の不満を解消するとともに、難民政策に関する党内合意 を図ろうとした。しかし、この「作業協議」は結果的には従来の議論の繰り返しに終わり、具体的 な結論や今後の政策提言につながるものにはならなかった。さらに、クランプ=カレンバウアー はこの協議においてメルケルとは異なった独自の立場を強調するために、難民が再び殺到した場 合の「最後の手段」としてドイツ国境の閉鎖も選択肢になり得ると述べ、国境における難民の入 国拒否を否定しない立場をとった。この発言はメルケルの難民政策に対して批判的な人々に対す る一種の譲歩であり、クランプ=カレンバウアーが党内で最もメルケルに批判的な価値同盟の代 表をあえてこの協議に参加させたこともそのような意図からであった。
しかし、難民に対して国境を閉鎖しないことはメルケルの最も基本的な方針であり、彼女はこ のことを繰り返し確認していた。さらに、メルケルは難民問題がすでに沈静化している状況の下 でこの問題をあえて持ち出すことに否定的であった。このため、この「作業協議」は結果的にメ ルケルや彼女の難民政策を支持する人々がクランプ=カレンバウアーに対して不信を招くきっか けもたらした。
さらに、クランプ=カレンバウアーが 2019 年 2 月のカーニバルに際して、「第三の性のための トイレ」に関するジョークを述べたこと等も、彼女が保守派に迎合しているという批判をもたら した。このような彼女の行動に対して、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州教育相カリン・プ リーンは「CDUが右傾化しているという印象を与えてはならない」と警告した。また、党首選で クランプ=カレンバウアーの党内支持母体の一つともなった女性同盟の会長アネッテ・ヴィドマ ン=マウツも「代議員が何のために彼女を党首に選出したのかをよく考えるよう」勧告したと報 道された (64)。
2019年5月の欧州議会選挙に際しても、環境保護問題が大きな争点になっていたにも拘わらず、
クランプ=カレンバウアーはこの問題に関する指導力を発揮することができなかった。前述した ように、第 4 次メルケル政権発足以降、環境保護政策に関しては、2038 年までに石炭火力発電を
完全に廃止する問題を含めて、二酸化炭素排出量の削減をどのような方法で進めるかが大きな争 点となった。この点に関して、メルケルや CDU/CSU 多数派は経済界の要望する排出権取引の拡 大を支持しており、クランプ=カレンバウアーも基本的には同様の態度をとったが、CDU党首と して議論をリードし、この方向に向けての具体的な方策を示すという積極的な姿勢を見せなかっ た。さらに、欧州議会選挙直前にレゾが CDU を激しく批判する動画を公開したことに対しても、
選挙戦において SNS が大きな影響を及ぼしつつある状況に敏感に反応して迅速な対抗策をとる という姿勢を見せなかっただけではなく、インターネットにおける表現の自由を制限することを 要求していると解釈される発言をした。環境保護政策に対するクランプ=カレンバウアーのこの ような態度は、緑の党に対抗するためにこの政策分野を明確に重視するようになっていたCSU党 首ゼーダー等と対照的なものであった。
このようなクランプ=カレンバウアーの行動はメルケル路線支持派からの信頼を低下させた が、他方で党内保守派からの支持を回復することもできなかった。クランプ=カレンバウアーが 欧州議会選挙の敗北の原因を「CDU の右傾化」という印象にあるとする選挙分析を行ったこと は、党内保守派と青年同盟の怒りを招き、これまで連邦議会選挙前に党首を中心とした党指導部 が指名してきた首相候補を党員投票によって選ぶべきであるとする主張へとつながっていった。
クランプ=カレンバウアーが国防相に就任した後に、かねてから提案していた徴兵制に代わる一 般奉仕制度の導入に関する議論を改めて提起するとともに、対米協調的と受け取られる国防政策 方針を示したことも、メルケル支持派からは批判的に見られる一方、党内保守派からの支持を高 められたわけではなかった。すでにこの時点で、Der Spiegel誌は「クランプ=カレンバウアーが 党首に選出されて半年近く経って、CDUは彼女がメルケルの後継者としてふさわしいかどうかに ついての議論を始めた。彼女は党をメルケルから解放するという試みにおいて失敗を重ねた。メ ルケルの下で CDU は主としてリベラル中道派の有権者に働きかけようとしていることが明確に なった。それはより保守的な路線を望む多くの人々にとっては誤りであった。しかし、クランプ=
カレンバウアーの下ではそもそも何か方針があるのかが不明確になっている」と論評した (65)。 さらに、クランプ=カレンバウアーは元連邦憲法擁護庁長官でその後価値同盟のリーダーと なったマーセンの処遇に関する発言によっても党内から批判された。確かに、価値同盟は 2018 年の CDU 党大会決議によって否定された AfD との連立を肯定する主張を繰り返しており、実際 AfDとの境界線も流動的であった。元青年同盟委員長であり、MIT事務局長も務めたペーター・
ヘルメスは価値同盟のホームページに掲載した「CDU にはメルケル抜きの刷新が緊急に必要で ある-CDUの状態に関するパンフレット」において、メルケルが連邦共和国の基本的諸価値を代 表しておらず、「祖国や法や自由ではなく、わが国の文化の基礎に火がついている」と非難する 一方、AfD党員の多くの部分を「正真正銘のCDU/CSU」であると主張していた。また、2019年 9 月のザクセン州議会選挙の際には、CDU の州支部幹部で州議会議長でもあるマティアス・レス ラーの選挙演説にAfD支持者が参加し、来賓として同席していたマーセンを「高く評価」すると