呼 言
ZE 5d
で'円」適当
な職
を与
︑ぇ
と述べている︒
この施設には︑夏季休暇を利用して学生が参加し して宗教者もその事業に加わっていた︒牧師が︑施設を 運営し労働者の支援に当たったばかりで無く︑貧困層や 病弱の児童をも含めて収容し︑宗教家若しくは教育家が 彼等の監督者となりて︑傍適当に智育と徳育をも施すの であるとし︑教育にも力を入れていたのは︑高い教育を 受けることで︑貧困から脱出する術を教えることにもな
り︑貧困問題や労働問題の改善に繋がると考えられてい たからである︒キリスト教が政府と共に︑貧困問題や労 働問題に積極的に取り組む姿勢を︑渡辺は見ていた
ので
あろう︒そして︑
日本にもこうした取り組みが必要であ
ると感じていたのではないだろうか︒
以上︑筆者は渡辺の儲学時代を通じてこれら
3つの出
会いが︑渡辺にとって大きな収穫となり
帰国後の渡辺
の社会事業の性格や機能を規定したのではないだろうか
︒
波辺がドイツで学んだものは︑貧困層にただものを与え る式の慈善活動では︑何の問題の解決にもならず︑社会 全体の枠組みの中で貧困層を捉えてその救済を考えると そ
いうものであり︑宗教の下で上下関係や貧富の関係を超 えてお互いが助け合うという精神であろう
︒
5 .
まとめ
一九
一
O
年(明治問
三)三月に一
O
年に及ぶ留学生 活を終えて帰国した渡辺は︑自坊の西光寺に戻り
四 月 には宗教大学(大正大学の前身)
と東洋大学の教授とし
て就任した︒その傍ら︑渡辺は回向院の本多浄厳と相談
の上︑深川無料職業紹介所・
衆生恩会の設立を計画して
︑.︑‑f
LJ
人・刀周りの意見も聞き︑浄土宗労働共済会(以下
共済会)を設立する運びとなった︒その翌年の一九
年(明治四四)が法然上人七
OO
年の遠忌を迎えること
もありその記念事業の一環として開設されたものであ
った︒後の一九二
O
年(大
正九
)
に︑仏教徒社会事業研
究会が編纂した﹃仏教徒社会事業大観﹄によると
間川 ム口
E
・1
天皇が︑法然上人に明照大師の号を加誼されたので︑
土宗は︑聖恩の庚大に感奮し︑祖徳の宣楊に力めんとの
誠意より︑首位焦屑の急務たる社曾改良の賓際事業を経
営せんとし︑共済会を創立されたとしている︒共済会の
本部は芝増上寺に置き︑支部を深川区西平野町
( 現
・江
東区平野町)に設置して︑共済会の活動が始まった︒術
泊所事業は直くに求められたので七月一臼の問所式を
待たずに五月より活動を始めている︒渡辺がドイツで得
たも
のを
︑
どう共済会に盛り込もうとした
のか
を箇条書
きにしてみた︒
1.
社会的改善を目指し︑労働者重点を置いたセツルメ
ントであること︒
2.宿泊施設を貸し与え︑労働者自身の適性を調べた後
に定職に就かせ︑労働者らの自立を促したこと︒
3.
貧困からの脱却を目指したこと︒
4.共済会と労働者は同じ立場であり︑相互に助け合う
こ ﹀ ﹂
︒
i
争こうした共済会の事業理念や方針を確認するにつけ︑
明治仏教社会事業は︑海旭をまってはじめてキリスト
教と対等の思想的発言ができたとの吉田久一氏の指摘が
(引 )
うなづけてくる︒共済会で実行していたのは︑社会的救
済であり︑救う者と救われる者との聞の垣根を取り払い
相互扶助に務めていた事である︒渡辺はこの相互扶助の
ことを﹁共済﹂と呼んでいた︒渡辺が社会事業の思想の
柱とした﹁共済﹂は﹁報恩﹂を社会的共済と解釈する
と北
ハに
それを自己の内而信仰と組み令わせしていたも
のと考えられる︒渡辺は︑近代社会が提示した社会的連
帯と仏教思想を結び付けて︑﹁共済﹂を主張したのであ
﹂れが渡辺の社会事業の理念であったと思われる︒
なお今後の研究諜題として︑次の2点をあげておきた
ぃ︒第
l
は今回のドイツ社会事業に関する資料調査が不十分であって︑﹃
労働者の家
﹄
や渡辺の留学時代にお
けるドイツ社会事業の性格を明確に出来なかった︒その
点︑日本への影響を合めて今後の諜題としたい︒第2は
渡辺の社会事業の思想と実践を彼の全生涯の中で改め
て検討したいと考えている︒
註
新見尚チ﹁加川紀初頭におけるドイツ労働者の生活中小散と
社会環境(上)﹂(﹃
北海道大学
経済論集﹄
綿糸
﹂
I
リ ︑
二O
00
年六月)川兵︒
2
波辺海旭﹁南独雑感﹂(﹃浄土教報﹄
湖号
︑ 一九O三年五月 二四日号
) 8頁 ︒ 3
渡辺海池﹁引
kt
感化紋済事業の5大必剣(﹂)﹂(﹃労働共 済﹄2巻1
号 ︑
一九一六年一月
) 4頁︒ 4
同布︒
5
横山源之助︑﹃日本之下層社会﹄
(岩
波文
庫︑
一九八五年)
間頁
︒
6 古問久
一﹃日本貧困史﹄(川
島書
底︑
一九七八年)剖頁︒
7
同右
︑
﹃改訂増補版日本近代仏教社会史研究﹄上(川向円
!お? 一九九 一年)加託︒ 8
柏原祐泉﹃日本仏教史一九九八年)近代﹄
(古
川弘
文社
︑ ね頁
︒
9 坂井栄八郎
﹃ドイツ近代史研究﹄F山川川版社︑
‑' lu
・ し
﹃︑
‑4︐ノ4
︐ ノ
↑︐ノ
年) 山川 貞
︒
10
波辺海旭﹁社説
du
別﹂(﹃浄土教戦﹄制
uv一九︑
OO
年 川
月二五日
) 2頁︒ 11
足立文太郎﹁ストラスブルグ時代の荻原君﹂荻原博士記念
会編﹃独有雲来師余影伝記・荻原宴米﹄
(大
空社
︑
)L )L
二年
)問 頁︒ 12
新見尚チ﹁
m m
紀初版におけるドイツ労働者の生活水準と
社会環境(上
) L (
﹃北海道大学経済論集﹄特巻l
号 ︑ 二OO O年六月日頁︒
13
成瀬治
・山
田欣吾・木村精二編﹃世界歴史大系ドイツ史
3﹄
(山 川出 版社
︑
一九九七年
) H U頁 ︒ 14
渡辺海旭﹁壷月消息﹂(﹃新仏教﹄4巻8
号 ︑ 一九O三年八 月 )
即l悶頁︒
15
同右︑﹁独逸だより﹂(﹃新仏教﹄7巻4
号 ︑
一九O
六年四
月)捌頁︒
16
同右︑﹁願婆消息﹂﹃査月全集﹄下(大東出版社︑一九七七
年) 刷頁
︒ 17
同右︑﹁査中乾坤﹂同上︑制頁︒
18
荻原雲来﹁独逸遊撃時代の波漫教授﹂(﹃大正大学学報﹄日
口 可︑
一九
三
三年
二一
月)幻頁︒
19
輩月和尚を語るの集ひ編﹃壷月和尚の面影﹄(蛮月和尚を
諮るの集ひ一九
三 一三
年
)mm
頁︒20
渡辺海旭﹁南独雑感﹂(﹃浄土教報﹄
叩サ
︑ 一九O三年五月
二問日
)
8頁︒
21
吉凶久一︑阿国英己イ﹃社会福祉思想史入門﹄
(動
車書
一一
房︑
二OOO年)幻頁︒
22
同右︑将
頁 ︒ 23
渡辺海地﹁日想似機雑感﹂﹃
責月全集
﹄下(大東出版社 一九七七年)叫頁︒
24
水谷幸正﹁浄土教と社会福祉﹂間宮仁・長谷川匡俊・宮械
洋一郎編﹃仏教と福祉﹄
(光 辰堂
一九
九四 年) 川町 頁
︒
25
渡辺海旭﹁日想槻機雑感﹂﹃壷月全集﹄下(大東出版社︑
一九七七年)叫
頁 ︒ 26
吉田久一︑岡田英己子﹃社会福祉思想史入門﹄
(動
車書
房︑
二OOO年)灯頁︒
27
山閏高生﹃ドイツ社会政策史研究﹄
(千 倉古
一 房
一九九七
年)
白川
頁
︒
28 渡辺海旭﹁教家の経営すべき夏季慈善事業のご芹川博通
﹃渡辺海旭研究﹄
(大 東出 版社
︑
一九七八年)加頁︒
29 同+ 柄︑ 山頁
︒
30
仏教徒社会事業研究会編﹃仏教徒社会事業大観﹄
(仏 教徒
社会事業研究会︑
一九
二O
年) 羽頁
︒ 31
古川久﹃改訂増補版日本近代仏教社会史研究﹄
ド︑ (川
烏出
版︑
一九九一年)附頁︒
32
同右︑問頁︒
(参
考文
献)
半閏元夫︑今野国男﹃キリスト教史I‑H﹄
(山 川出 版社
︑
九 七 七 吉田久一﹃日本社会福祉思恕史﹄
(川 島出 版︑
一九八九年)︒
gg
仏門
噂者
OR
月一
E P R E n y g
己巾
﹁
ONES﹀﹁
σ2
qw
(ω
Z2 哲
三
‑
‑ 由 ∞
ω ) '
小論の執筆にあたり︑御指︐与をして下さった長谷川仏教文化研
究所の三好先生に︑厚くお礼を申し上げたい︒
(大正大学大学院博士課程)
編集後記 マ浄土宗総合研究所発行
﹃仏 教 福
祉﹄
第 五 号 を お 届 け し ま す
︒本
誌は石上善感所長のもと﹁仏教 と社会福祉に関する総合研究﹂
研究班が担当したものです
︒
マシンポジウムにて貴重なご意見 をいただきました先生︑ご寄稿 いただきました先生方に紙面に
て︑心よりお礼申し上げます︒
刊行にご尽力いただきました各
位に心
より感謝申し上げます
︒
マ
特 別 対 談 と し て
︑ 水 谷 幸 正 宗 務 総 長 よ り
﹁二 十 一 世 紀 努 頭 宣 吾 一 己 に 込 め ら れ た お も い を い た だくことができました
︒
是 非 と
もご
一読
いただきますようお願 い申し上げます
︒
マ
今回のシンポジウムは︑﹁仏教
福祉の研究史において特筆すべ き人物に焦点を
﹂
という理由か ら行基菩薩をテ!?とすること になりました
︒
歴史上の事例か ら仏教福祉の源流を求めようと 意 図 し た 企 画 で も あ り ま す
︒パ
ふラ!
の先生方には︑貴重なご 意 見 を 賜 り 誠 に 有 難 う ご ざ い ま
した︒
マ新井宏依先生からは︑仏教社会
事業の先駆者︑渡辺海旭氏の︑ド
イ ツ 留 学 時 の 軌 跡 に 関 す る ご 玉 稿 を い た だ き ま し た
︒
渡 辺 氏 の 研究は数多くありますが︑この 研 究 は 彼 の 社 会 事 業 に 向 け た 志 向 に ま つ わ る 事 例 を 挙 げ た も の で す
︒ご一
読 い た だ け た ら 幸 甚 で す
︒
マ平
成 十
三
年 九 月
︑ 米 国 に て
︑ イ スラム教徒を自称するテロリス
卜による未曾有の破壊工作がお こなわれ多くの命が失われまし た︑その結果米国は︑テロリス ト拘束のためと称して︑アフガ
ニスタンへの報復攻撃が行い︑
更に多くの命が奪われました︒
この犠牲となった方々に深く哀 悼 の 意 を 表 し た く 思 い ま す
︒時
代は
︑
二
十世紀と同じ
﹁戦 争 の 世 紀
﹂
へ向かいつつあります
︒
ある論文の結語に
﹁世 界 中 の 人 聞が︑近代化こそが人聞を
幸せ
へ導くという信
仰
のもと︑死を
徹底的に遠︑ざけながら︑過去に
は何千万という大量死を生み︑
今もまた大量死の企てに暗躍し ている︒八
この世の実相は生死
一如である
﹀
と説く仏教も︑生 死の大地を見失ったのか︑末法 の坂を転げ落ちて行くばかりで