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7 7 事

ドキュメント内 仏教福祉 No.05 (ページ 87-100)

呼 言

ZE  5d 

で'円

適当

な職

を与

︑ぇ

と述べている︒

この施設には︑夏季休暇を利用して学生が参加し して宗教者もその事業に加わっていた︒牧師が︑施設を 運営し労働者の支援に当たったばかりで無く︑貧困層や 病弱の児童をも含めて収容し︑宗教家若しくは教育家が 彼等の監督者となりて︑傍適当に智育と徳育をも施すの であるとし︑教育にも力を入れていたのは︑高い教育を 受けることで︑貧困から脱出する術を教えることにもな

り︑貧困問題や労働問題の改善に繋がると考えられてい たからである︒キリスト教が政府と共に︑貧困問題や労 働問題に積極的に取り組む姿勢を︑渡辺は見ていた

ので

あろう︒そして︑

日本にもこうした取り組みが必要であ

ると感じていたのではないだろうか︒

以上︑筆者は渡辺の儲学時代を通じてこれら

3つの出

会いが︑渡辺にとって大きな収穫となり

帰国後の渡辺

の社会事業の性格や機能を規定したのではないだろうか

波辺がドイツで学んだものは︑貧困層にただものを与え る式の慈善活動では︑何の問題の解決にもならず︑社会 全体の枠組みの中で貧困層を捉えてその救済を考えると そ

いうものであり︑宗教の下で上下関係や貧富の関係を超 えてお互いが助け合うという精神であろう

5 .

まとめ

一九

O

年(明治問

三)三月に一

O

年に及ぶ留学生 活を終えて帰国した渡辺は︑自坊の西光寺に戻り

四 月 には宗教大学(大正大学の前身)

と東洋大学の教授とし

て就任した︒その傍ら︑渡辺は回向院の本多浄厳と相談

の上︑深川無料職業紹介所・

衆生恩会の設立を計画して

︑.︑f

LJ

周りの意見も聞き︑浄土宗労働共済会(以下

共済会)を設立する運びとなった︒その翌年の一九

年(明治四四)が法然上人七

OO

年の遠忌を迎えること

もありその記念事業の一環として開設されたものであ

った︒後の一九二

O

(大

正九

)

に︑仏教徒社会事業研

究会が編纂した﹃仏教徒社会事業大観﹄によると

E

・1

天皇が︑法然上人に明照大師の号を加誼されたので︑

土宗は︑聖恩の庚大に感奮し︑祖徳の宣楊に力めんとの

誠意より︑首位焦屑の急務たる社曾改良の賓際事業を経

営せんとし︑共済会を創立されたとしている︒共済会の

本部は芝増上寺に置き︑支部を深川区西平野町

( 現

・江

東区平野町)に設置して︑共済会の活動が始まった︒術

泊所事業は直くに求められたので七月一臼の問所式を

待たずに五月より活動を始めている︒渡辺がドイツで得

たも

のを

どう共済会に盛り込もうとした

のか

を箇条書

きにしてみた︒

1.

社会的改善を目指し︑労働者重点を置いたセツルメ

ントであること︒

2.宿泊施設を貸し与え︑労働者自身の適性を調べた後

に定職に就かせ︑労働者らの自立を促したこと︒

3.

貧困からの脱却を目指したこと︒

4.共済会と労働者は同じ立場であり︑相互に助け合う

こ ﹀ ﹂

i

こうした共済会の事業理念や方針を確認するにつけ︑

明治仏教社会事業は︑海旭をまってはじめてキリスト

教と対等の思想的発言ができたとの吉田久一氏の指摘が

( )

うなづけてくる︒共済会で実行していたのは︑社会的救

済であり︑救う者と救われる者との聞の垣根を取り払い

相互扶助に務めていた事である︒渡辺はこの相互扶助の

ことを﹁共済﹂と呼んでいた︒渡辺が社会事業の思想の

柱とした﹁共済﹂は﹁報恩﹂を社会的共済と解釈する

と北

ハに

それを自己の内而信仰と組み令わせしていたも

のと考えられる︒渡辺は︑近代社会が提示した社会的連

帯と仏教思想を結び付けて︑﹁共済﹂を主張したのであ

﹂れが渡辺の社会事業の理念であったと思われる︒

なお今後の研究諜題として︑次の2点をあげておきた

ぃ︒第

l

は今回のドイツ社会事業に関する資料調査が

不十分であって︑﹃

労働者の家

や渡辺の留学時代にお

けるドイツ社会事業の性格を明確に出来なかった︒その

点︑日本への影響を合めて今後の諜題としたい︒第2は

渡辺の社会事業の思想と実践を彼の全生涯の中で改め

て検討したいと考えている︒

新見尚チ﹁加川紀初頭におけるドイツ労働者の生活中小散と

社会環境(上)﹂(

北海道大学

経済論集

綿

I

リ ︑

O

00

年六月)川兵

波辺海旭﹁南独雑感﹂(浄土教報

O年五月 四日号

) 8頁 ︒

渡辺海池﹁引

kt

感化紋済事業の5大必剣(﹂)﹂(労働共 21

号 ︑

六年

) 4

同布

日本之下層社会

(

九八五年)

古問久

日本貧困史(

九七八年)剖頁︒

改訂増補版日本近代仏教社会史研究上(川向円

!? 九九 年)加託

柏原祐泉日本仏教史一九九八年)近代

(

坂井栄八郎

ドイツ近代史研究F

' lu

・ し

44

︐ ノ

)

10 

波辺海旭﹁社説

du

別﹂(浄土教戦

uv

OO

月二五日

) 2 11 

足立文太郎﹁ストラスブルグ時代の荻原君﹂荻原博士記念

会編独有雲来師余影伝記荻原宴米

(

)L  )L 

) 12 

新見尚チ﹁

m m

紀初版におけるドイツ労働者の生活水準と

社会環境(上

) L (

北海道大学経済論集特巻l

号 ︑ OO O年六月日頁

13 

成瀬治

田欣吾木村精世界歴史大系ドイツ史

3

(

九九七年

) H U頁 ︒ 14 

渡辺海旭﹁壷月消息﹂(新仏教48

号 ︑ O年八 )

l

15 

同右︑﹁独逸だより﹂(新仏教74

号 ︑

O

六年四

月)捌頁

16 

査月全集(九七七

)

17 

同右︑﹁査中乾坤﹂同上︑制頁︒

18 

荻原雲来﹁独逸遊撃時代の波漫教授﹂(大正大学学報﹄日

口 可

月)幻頁

19 

輩月和尚を語るの集ひ編﹃壷月和尚の面影(蛮月和尚を

諮るの集ひ

三 一

)mm

20 

渡辺海旭南独雑感﹂(浄土教報

O年五月

問日

)

8

21 

吉凶久一︑阿国英己イ社会福祉思想史入門

(

OOO年)幻頁

22 

同右︑将

頁 ︒ 23 

渡辺海地﹁日想似機雑感﹂

責月全集

下(大東出版社 九七七年)叫頁

24 

水谷幸正﹁浄土教と社会福祉﹂間宮仁長谷川匡俊宮械

洋一郎編仏教と福祉

(

)

25 

渡辺海旭﹁日想槻機雑感﹂壷月全集下(大東出版社︑

九七七年)叫

頁 ︒ 26 

吉田久︑岡田英己子社会福祉思想史入門

(

OOO年)灯頁

27 

山閏高生ドイツ社会政策史研究

(

九九七

)

28  渡辺海旭﹁教家の経営すべき夏季慈善事業のご芹川博通

渡辺海旭研究

(

九七八年)加頁

29  +

30 

仏教徒社会事業研究会編仏教徒社会事業大観

(

社会事業研究会︑

O

)

31 

川久改訂増補版日本近代仏教社会史研究

(

年)附頁

32 

同右︑問頁

(参

考文

献)

半閏元夫︑今野国男キリスト教史I‑H

(

吉田久日本社会福祉思恕史

(

九八九年)

gg

仏門

噂者

OR

E P R E n y g

ONES

σ2

qw

Z2 哲

‑ 由 ∞

ω ) '

小論の執筆にあたり︑御指︐与をして下さた長谷川仏教文化研

究所の好先生に︑厚くお礼を申し上げたい

(大正大学大学院博士課程)

編集後記 マ浄土宗総合研究所発行

﹃仏 教 福

祉﹄

第 五 号 を お 届 け し ま す

︒本

誌は石上善感所長のもと﹁仏教 と社会福祉に関する総合研究﹂

研究班が担当したものです

マシンポジウムにて貴重なご意見 をいただきました先生︑ご寄稿 いただきました先生方に紙面に

て︑心よりお礼申し上げます︒

刊行にご尽力いただきました各

位に心

より感謝申し上げます

特 別 対 談 と し て

︑ 水 谷 幸 正 宗 務 総 長 よ り

﹁二 十 一 世 紀 努 頭 宣 吾 一 己 に 込 め ら れ た お も い を い た だくことができました

是 非 と

もご

一読

いただきますようお願 い申し上げます

今回のシンポジウムは︑﹁仏教

福祉の研究史において特筆すべ き人物に焦点を

という理由か ら行基菩薩をテ!?とすること になりました

歴史上の事例か ら仏教福祉の源流を求めようと 意 図 し た 企 画 で も あ り ま す

︒パ

ふラ!

の先生方には︑貴重なご 意 見 を 賜 り 誠 に 有 難 う ご ざ い ま

した︒

マ新井宏依先生からは︑仏教社会

事業の先駆者︑渡辺海旭氏の︑ド

イ ツ 留 学 時 の 軌 跡 に 関 す る ご 玉 稿 を い た だ き ま し た

渡 辺 氏 の 研究は数多くありますが︑この 研 究 は 彼 の 社 会 事 業 に 向 け た 志 向 に ま つ わ る 事 例 を 挙 げ た も の で す

︒ご一

読 い た だ け た ら 幸 甚 で す

マ平

成 十

年 九 月

︑ 米 国 に て

︑ イ スラム教徒を自称するテロリス

卜による未曾有の破壊工作がお こなわれ多くの命が失われまし た︑その結果米国は︑テロリス ト拘束のためと称して︑アフガ

ニスタンへの報復攻撃が行い︑

更に多くの命が奪われました︒

この犠牲となった方々に深く哀 悼 の 意 を 表 し た く 思 い ま す

︒時

代は

十世紀と同じ

﹁戦 争 の 世 紀

へ向かいつつあります

ある論文の結語に

﹁世 界 中 の 人 聞が︑近代化こそが人聞を

幸せ

へ導くという信

のもと︑死を

徹底的に遠︑ざけながら︑過去に

は何千万という大量死を生み︑

今もまた大量死の企てに暗躍し ている︒八

この世の実相は生死

一如である

と説く仏教も︑生 死の大地を見失ったのか︑末法 の坂を転げ落ちて行くばかりで

ドキュメント内 仏教福祉 No.05 (ページ 87-100)

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