以上のような法的問題が指摘される中、匿名出産を合法化するための 法案が 4 度、連邦議会および連邦参議院に提出された。法案は大別する と身分登録法の改正か匿名出産法の制定であるが、それぞれ、「子の生 命への権利」を守るためには苦境に立つ母を救う制度が必要、身分登録 法を改正し出生登録の期間を延長する、認可を受けた妊娠相談所を設立 し母支援をする、公的病院での匿名出産を認める、分娩費用の公的負担、
37 Paulitz/Wolf, S.149
38 同上S.140
39 床谷806〜809頁
匿名出産を望む母からは出生の届出義務を免除するべきだといった内容 が提案された。しかし、広く国民の指示を得られずいずれも廃案となっ た40。
なお、現在のドイツ連邦政府はキリスト教民主・社会同盟(CDU/
CSU)と社会民主党(SPD)による大連立内閣であるが、連立協定では、
匿名出産の経験を評価すること、そして、必要な限りにおいて、法整備 を行うことが申し合わされている41。
おわりに
平成20年 9 月 8 日に、熊本県が設置した「こうのとりのゆりかご」
検証会議の「検証結果の中間取りまとめ」42が公表された。この中には、
ゆりかごを利用した17件の親のうち身元が判明した 5 人についての情 報と、ゆりかごを設置した慈恵病院が提供する24時間無料電話相談の相 談者の属性が含まれている。調査対象期間と対象者数に圧倒的な開きが ある上、援助の方法も、捨て子の赤ちゃんプロジェクトが匿名出産を中 心に出産の前後の女性サポートを継続して一貫したプロセスで行うのに 対し、ゆりかごは、「子どもを預け入れるといった窓口としての機能」43 しか果たしていないので、単純な比較はできないが、それを承知の上で 日独二つの施設利用者を比較してみよう。
まず、大きく異なるのは、捨て子の赤ちゃんプロジェクトでは独身者 の割合が圧倒的に多く(72.9%)、ゆりかご事例では未婚者なし、既婚
40 落67頁で、連邦法がこれまで成立していない原因は、基本法上の自己の出自 を知る権利との抵触が最も大きいとドイツでは分析されていることが紹介されて いる。
41 落68頁
42 熊本県少子対策課まとめ。
43 中間とりまとめ17頁
60%という点である。また、ゆりかごでは外国人の利用もあったと伝え られているが、プロジェクトで匿名出産する外国人は約20%で、ドイツ 全人口における外国人比から見ても高い数値である。母親の年齢を見る と、プロジェクトでは20代が一番多く( 7 年間で約57%)、年によって は29歳以下が90%を占めたこともあった(2007)。それに対して、ゆり かごでは30〜40代の母親が6割を占めたという。また、ゆりかご利用の 潜在層とも言える24時間無料電話の利用者(病院相談事例)では、既婚 と未婚の割合がほぼ等しく(46%と42%)、29歳以下が60%であった。
それでは似ている点はなにか。母親にはすでに子どもがいたケースの 多さである。「いる」がゆりかごで90%、プロジェクトで55%である。
3 人以上の子がいる場合があることも両方が示している。それと、自宅 出産や車中出産など医療機関以外の場所での出産割合の多さである。
日独ともに赤ちゃんポストを開設前、または匿名出産の導入に際して 予想された主たる利用者は、未成年者であった。これは部分的には正し かったが、もう一つ、両方の報告書から明らかになったことがある。そ れは、すでに子どもがいる女性による利用である。ゆりかご事例では赤 ちゃんポストに置いた子ども以外に子どもがいた人が 9 割で、 3 人以上 の子どもがいる人も複数いたという。その中には、養育困難を理由に先 に生まれた子を乳児院に入所させていたケースもあるという。他方、捨 て子の赤ちゃんプロジェクトを利用した女性たちのうち、すでに子ども を養子に出した経験のある母親は新しく生まれた子も養子に出そうとす る傾向があることが明らかになっている。このことから、一度だけ援助 すれば済むわけでないケースのことを考えなければならない。新聞報道 によれば、2007年春、 3 組の夫婦が、ベルリンの公的養子斡旋機関にそ ろって相談に来たという。彼らは時期は異なるがベルリンの同一の赤 ちゃんポストに捨てられていた 3 人の子どもを別々に養子縁組で引き 取っていたが、養父母の交流会で知り合ったところ、それぞれの養子が 互いに似ていることに気づいたからである。DNA鑑定の結果、 3 人の
子どもたちは同じ父母から生まれていたことが判明した。担当者は、
「ポストがまるで避妊具と同じように扱われている。 3 人を次々に産ん では捨てることに、罪悪感はなかったのか」と憤っていたという44。
これらのことからわかるように、赤ちゃんポストの設置だけでは問題 の根本的な解決は望めない。確かに赤ちゃんポストは赤ちゃんの命を救 うために最後の選択肢として考え出されたものであるが、やはり、受け 入れの時点だけで考えるのでなく、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ の観点からの対策が必要であろう。
また、従来、日本では赤ちゃんポストの設置に賛成か反対かという点 に焦点があてられて論じられてきたようであるが、赤ちゃんポストが利 用される前に妊娠・出産相談を通して問題解決の道を示し、場合によっ ては出産前後の滞在場所の確保や出産費の引き受け、どうしても子ども を育てられない場合は養子縁組のサポートに至るまでのプロセスとして の援助が必要なことは明らかである。慈恵病院の無料電話相談に全国か ら相談が殺到している事実は、いかに日本でこれらが不十分であるかを 示している。
最後に、匿名出産について述べたい。子どもの権利条約を引き合いに 出すまでもなく、「親の名前を知り、自分の出自を知ること」はアイデン ティティの確保に必須である。養子として幼いときに養親の手に委ねら れた子が成長して後、自分の生みの親は誰か、自分が誰かを知ろうと努 力する姿は、いくつもの書物に記録されている45。どんなに不幸な妊娠 の背景があろうとも、子にアイデンティティの手がかりを残すことは子 を手放す母親の子に対する最小限の義務であろう。母親個人が強く匿名 を望んだ場合でも、きめ細かな援助により問題の解決が可能であること
44 朝日新聞朝刊2007年8月31日
45 ジュリア・フィースト、マイケル・マーウッド、スー・シーブルック、エリ ザベス・ウェブ著、田邊レイ子訳『実親に会ってみたい』明石書店:野中久子
『私は捨て子だった』草思社 1991.
は捨て子の赤ちゃんプロジェクトの中間報告書が示す通りである。しか し、日本ではこれらの支援体制が不十分であるばかりでなく、養子縁組 斡旋法制を欠くために実際には匿名出産同様なことが行われてきた46。 赤ちゃんポストは日本でも今後、増えるであろうと予測する向きもある47 が、妊娠女性および産婦への援助体制と養子斡旋制度の確立といった、
赤ちゃんポストの設置云々を超えた視野と政策が必要である。
46 日本では実母の出産の事実を隠蔽し、養親も養子縁組の事実を隠すために
「わらの上からの養子」慣行があったし、菊田昇医師による出生証明書偽造事件 もあった。また、わが国での養子斡旋の実態については、高倉正樹「赤ちゃんの 値段」を参照。
47 佐藤喜宣「赤ちゃんポストという緊急避難」『子どもの虐待とネグレクト』
V0l.10No.2, 2頁。