︒
そこをこの蓮華院さんが国際協力のカ ウンタ
lパl
卜として
提携をとっていく︑まさにネット
ワー
キングが形成されてゆくといいまし
ょうか︒そうい
ったことが個々の発意から始まるのだけれども︑やはり 収束していくのは︑叡尊さんの
﹁興法
利生﹂の精神とい
うことを絶えず説く
巾
で︑ネットワーク形成されていく のかなと思います
︒
一昨年なのですが︑
NGO
の真言
律宗ボランティア会 というのができました
︒
これは全くのボランティア組織
ではありますが︑叡尊さんのご生誕八
OO
年記念事業の
開として︑従来からの宗団内の福祉法人や
NPO
な
どの存在を前提として︑現代でわれわれが観光事業や︑
あ る い は 植 務 や 祈 祷 と い う 従 来 の 仏 教 の 活 動
以
外にも っともっと現代社会に生きる人々を相手にしていけるよ うな何かをつくり上げていかなければならないという宗 派の思いの巾で︑ボランティア会というものが発足いた
v しl宇品わ v
︒
た だ
これは発足したものの
その中身の具体的な部 分は未知数です
︒
決して財源的にも忠まれてはおりませ
ん︒形は徐々にでき上がっていくのだけれども︑そこに
いかなる内容を盛っていくかは︑実はいま別
h代 わ れ わ れに任せられた課題であります
︒先ほど‑
一 一 日いましたよう
に叡尊さんという存在を媒体として仏教復興にかかわっ
ていくわけですから︑
そういった面での教学的な裏づけ あるいはそういった理念が実践にいかに影響ルをもちう
るのかということを︑
もっともっと私などの立場では具
体化
していきたいというところがあるわけです
︒他の先
進的宗団に
比
べて遅ればせながらという形であり︑また 南部という狭い世界ではありますが
いろいろな事例を
参院
匂とさせていただいて進めていく段階であります
︒
補足にしては長くなりましたけれども︑以上のような 点を西大寺の取り組みとして補足させていただきました
︒
O
長谷川 ありがとうございました
︒
それでは宮城先生
お願いします
︒
O
宮 城 先の報告を受けて︑﹁バブル経済崩壊以後から 現代﹂にあたる‑九九
J一
年から
二
O
O O
年に至る時期に
‑ 34‑
ついて報告します︒
先述のように︑天台宗では国際化の方向から︑募金活 動を広げインドシナ難民救援︑あるいは福祉施設等に寄 付をするという事業を広げていきます
︒
こうした事業形態は
(慈
斧活
チャリティ
1ワ
l
ク動)といい︑現代の社会福祉の立場からすると︑前時代 的な方式ではないのかという批判がなされるわけです
︒
つまり
お金を出すだけで︑自分が福祉主体として活動 しているという実感がもてないわけです
︒
寄付されたご
本人
自体
は︑
お金を出したことだけで満足をしてしまっ
て︑自己完結してしまいます︒そうである限り︑自分の
行いが︑たとえ利他行であったとしても︑これでよかっ
たのだという満足感しか残らないわけです︒これでは社
会一柏祉の意味が成り立ってこない︒つまり︑相手側の人
たちとの共感という心の働きがない以上︑それは一方通
行的な働きかけに終わってしまうそうであっては﹁社
会福祉﹂という考え方とは離れたものになるのではない
かと思います︒
こ う し た 街 頭 募 金 等 の 活 動 の 限 界 性 と い う と こ ろ
を打ち破っていこうとしたのが︑天台宗にあっては︑
.九
九
三
年.
一川にラオスで小学校建設資金を贈呈した際
に ︑
日本人の大学生が小学校建設をしている奉仕隊と山
会ったわけであります
︒この出会いによって︑
やはり
向分たちも汗を流して︑現地の人たちと一緒にその人た
ちのための施設をつくっていく︑その点びというものを
体験していく必要があるのではないかということになり︑
その次の年にラオスにおいて独自に学校建設をする隊を
派遣
して
︑
そこで現地の人々と共感的な出会いがなされ
たということが︑﹁比叡山寺報﹂等に紹介されております︒
こういう形で募金活動に終始した事業が大きな転換を
迎えたということを︑特色としてあげておかなければな
らない点だと思います︒
こういう意味で︑延暦守を中心とする天台宗は国際化
という方向の中から︑福祉事業の真のあり方につながっ
ていくことができたのではないかと考えます︒
浅草寺では︑平成三
年 (
~ 35 ~
九 九 二 に
︑ 大 正 大 学 の 石
川到覚氏を代表とする将来構想委員会を立ち上げ︑同五
年に最終報告をいたしました︒ここでの報告では︑地域
社会とのつながりをよりa層明確にした将来機組案をた
てています︒
具体的には地域ニ1ズへのアセスメントを積み重ねる︑
先見性にとんだプランニングを提示する︑福祉会館でな
ければできない︑あるいは民川活動だからこそできる先
駆的事業の開発と実施の必要性︑これら三点をあげまし
て︑浅草寺福祉会館の将来像を提起し︑その方向の中か
ら︑浅草寺の地元である台東区との連携を中心にした
一桐 祉事業活動を展開していくことを課題として提起されて
います︒
こうした課題を獲得することで不特定多数の参詣者の
ニーズに応えるという方向から
︑地 域社会との辿慌を岡
り︑そのニl
ズに応えていくという方向へ転換していく
ことで︑現代の仏教福祉の一つのあり方を提起すること
になったのではないかと思います︒
四 天 王 寺 の 場 合 を み て い き ま す と 平 成
一
O
年(一
九九八)に四天王寺国際仏教大学に人間福祉学科が 開設されます
︒これほどすばらしい福祉事業団をもちな
がら︑福祉人材の養成をこの段附で着手することになり
ました︒
施設の拡充の方向から︑事業問の精神を体現す る人材の育成という課題を持つことで︑新たな福祉の時
代を
迎え
る山
中で
︑
一つの大きな転換をはかつていくとこ
ろに大きな怠味があると思います︒そうした方向の中か
ら︑名も実も含んだ福祉事業団となっていくのではと考
えることができると思います︒
最後になりますが
西教寺が経常母体となっている
﹁真
憾園
﹂
では︑平成
一 一 年 (
九九九)
に創立記念事 業を行い︑特別養護老人ホ
1ムの増築工事を完成させて
おります︒ここでは︑出発から現時点に至
るま
で︑
立 して当地での運営を柱に︑施設の拡充︑充実を阿ってき
宇品 lvh九︒
しかも︑特別養護老人ホームを主体とする高齢 者福祉に限って運営をなさってこられています
︒そこを
起点に︑在宅介護支援センター
等
々の
ι
宅部門での事業展開にもつなげてきました︒
‑ 36‑
こうした.民性を優れた特
色としてみていくことができると思います
︒
以上のようにそれぞれの特色を備えた事業展開をと
おして︑教川の相祉問動のあり庁が浮かんでくるのでは
ないかと思います
︒それぞれの特色を牛かしそれぞれ
の立場からのアプローチというところで︑天台宗系教川 は︑次の課題を担っていくということがいえるのではな
いかと思います︒
O
長谷川ありがとうございました︒それでは村井先生︑お願いします︒
O
村井先ほど︑最後の課題としておりました一九九六
年の基本要綱の改正になったきっかけみたいなものにつ
いて少しお話ししていこうと思います︒
本願
寺
派の社会福祉推進協議会の発足というのは︑
﹁報恩行
﹂と﹁同刷新神﹂というものに立脚していると
いうことをお話ししました
︒
先ほどの説明では﹁報恩
行
﹂の説
明のみでしたが︑実は﹁報思行﹂
という考え方
が後に浄土真宗の基幹運動の中で問題とされます︒すな
わち︑根本の与え方そのものに大きなゆらぎが生じてき
たのが︑改正につながったわけです︒
その
小で
は︑
たとえば﹁どうして
﹃ 報 思行
﹄で社会制
祉惟進協議会の煙念を押さえなければならないのか﹂と
いうことそれから﹁基幹運動の理念と違っているでは
ないか﹂という問題︑あるいは﹁出動そのものの只体性
が欠けている﹂という問題︑それから﹁社推協のいまま
での考え方というのは︑援助対象というぷ現で︑
t
に立ってものを考えるとらえ五が強いのではないか﹂という
題問
それ
から
︑
これは先ほども申しましたが︑社推協
の活動の中にあったビハ
l
ラ活動が別の動きをみて︑非常に活発に独自の動きをしている巾で︑社推協と︑
そ れ
からビハ1ラという関係をどうとらえていくかというさ
まざまな問題が︑二
O
年ぐらいの問にいろいろ出てきたわけです︒
それと同時に︑真宗の全体の問題としても︑次のよう
なことが﹃囚われています︒
﹁念仏者にとって
一番大切なことは
3 7 ‑
どこまでも往
生浄LLの道であり︑社会問題(福社)に関わること
は︑本筋から離れているといった考え方がある﹂
ということです
︒だから︑﹁信心を得て︑住生治定のLし
から制限思行として関わるという考え万がある﹂というこ
とです︒
とこ
ろが
︑ そういう与えカであれば
つは
︑ 非常
に個人の内面的な問題に陥りやすいのではないかという
問題
と︑
それから同時に︑辺動や実践性というのが一人
ひとりのものになりにくくてこの世の矛盾とか不合理