分類項目
住居
代官山ヒルサイドテラス
店舗(服飾・飲食・雑貨)
住居+オフィス 住居+店舗 オフィス+店舗 住居+オフィス+店舗
ガソリンスタンド 役所関係
その他 大使館
アパート・マンション
歴史的な物
学校 植生 駐車場
倉庫
オフィス
第三章 調査第三章 調査第三章 調査第三章 調査第三章 調査・・・・分析・分析分析分析分析
2003年
分類項目
住居
代官山ヒルサイドテラス
店舗(服飾・飲食・雑貨)
住居+オフィス 住居+店舗 オフィス+店舗 住居+オフィス+店舗
ガソリンスタンド 役所関係
その他 大使館
アパート・マンション
歴史的な物
学校 植生 駐車場
倉庫 オフィス
3)旧山手通り沿いにおける用途の変遷
1966年から現在までの用途の変遷をみると、住宅地から商業の街へと徐々に 移り変わっていることがわかる。1960 年代当時は、住居専用の指定があり、そ れによりオフィスビルや商業店舗が単体で建つことはできず、職住一体のもの でしかだめだったが、そのため、住民に密着した地域地盤が生まれた。現在は 山手通りに面してところには殆ど住宅はなく、主に被服、インテリア、雑貨と いった店が大半を占めている。
1989 年に用途地域が第 1 種住居専用地域(建蔽率 60%、容積率 150%、住居 の環境を保護するための地域。3000 ㎡までの一定条件の店舗・事務所・ホテル 等が建てられる。)から第 2 種住居専用地域(建蔽率 60%容積率 300%、主に住 居の環境を保護するための地域。店舗・事務所・ホテル・パチンコ屋・カラオ ケボックス等が建てられる。)へとなったことが、代官山ヒルサイドテラス計 画と共に代官山が商業の街に変わる大きなポイントとなった。
年代が進むにつれ、細かく区分けされた住宅地から、それよりも大きな規模 のビルになり、多様なテナントが入り、現在の代官山ができている。
以前からヒルサイドプラザ正面にあったガソリンスタンドが1990年代に入り なくなってからは、そこに新たに建った店舗によってより商業の色が強くなっ た。
また、旧山手通りは樹木の多さが目立つ。1960年代から現在に至るまでその ままの姿で残っているものが多い。現在、区の所有地となっている旧朝倉邸を 含む雑木林、猿楽塚、デンマーク大使館脇のクスノキ、急山手通りの歩道に 建っている樹木、G 棟横にある区の所有地となっている雑木林が大きく目立つ 緑地といえる。旧山手通りの歩道に立っている樹木は古いものではなく、樹齢 30 数年のものである。現在では大きく成長し、通りの顔となっている。旧山手 通りは建築に対して樹木の比率が高い。旧朝倉邸に関しては、以前区は開発し ようとしていたが、区民からの要望によって保存が決まっている。これによっ て、旧山手通り沿いの樹木の多さが確保された。これほどまでに本来のままの 緑地が残り、その土地に定着している地域は少ない。
代官山ヒルサイドテラス A・B 棟完成当時の旧山手通り
第三章 調査第三章 調査第三章 調査第三章 調査第三章 調査・・・・分析・分析分析分析分析 4)まとめ
代官山ヒルサイドテラスA・B棟の建設当時、代官山は住居専用地区というこ ともあり、それによりオフィスビルや商業店舗が単体で建つことはできず、職 住一体のものでしかだめだったそのため、住民に密着した地域地盤が生まれ た。もともと商店がない地域で、渋谷、恵比寿方面まで足を運ばなければなら なかった。だが、代官山ヒルサイドテラス A・B 棟建設により、特例ではあるが その中にテナントが入ることで、街が変わるきっかけとなったといえる。しか し、当初入ったテナントはフランス料理店などだったので、街のための商店と は言いがたい。だが、今後の方向性を示した内容だったといえる。元屋敷町と いう場所柄により、元々人通りがなかったところに建てられた代官山ヒルサイ ドテラスに初めはなかなかテナントが入らず、また、店主はお客が少なく苦労 し長年店主達は頭を抱え続けていたが、1990年代から注目されるにつれて人の 流れができるようになり、現在の集客力を得るようになった。地域性はヒルサ イドテラスによって作り出された。旧山手通りはその象徴である。
代官山ヒルサイドテラス内のテナントは、竣工当初より、朝倉氏の要望に よって槇氏がヒルサイドテラスに入るテナントを選定している。この方法は現 在も続いている。このことから、代官山ヒルサイドテラス内のテナントの変遷 は、設計者である槇氏の選定によって選ばれた内容の良い店だけを入れること によって全体の質を保っているといえる。それにより、周辺の店舗の意識も必 然的に高くなり、質の高い店が出店することで街の統一ができた。
終章
結論
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現在の旧山手通りの統一は、代官山ヒルサイドテラス計画が完成する以前 には見られなかったことから、代官山ヒルサイドテラスによってその影響を直 に受けることとなった。特に、代官山ヒルサイドテラスに囲まれた範囲の影響 は大きかったといえる。代官山ヒルサイドテラスは四半世紀の長期間を使うこ とで、自然に通りに対する意識をいうものが通りをはさんだ反対側のファサー ドにも影響を与え、街の景観をつくってきたのである。
旧山手通り沿いは用途地域の変更によって、法規的には商業的な街に変 わっていったが、代官山ヒルサイドテラス計画が完成するにあたって、周辺の 変化も盛んになり、現在の街並みになった。商業店舗を入れることが難しかっ た地域にヒルサイドテラスの積極的な働きがきっかけとなった。設計者である 槇氏の選定によって選ばれた内容の良い代官山ヒルサイドテラス内の店舗によ り、周辺の店舗の意識も高くなり、旧山手通りの統一が導かれている。
代官山ヒルサイドテラスは、現在の都市建築の流れから見ると明らかに違 う視点で動いている。長期間の工程によって作り上げられてきたスローアーキ テクチャーとなり、一つの時代を作り上げることで旧山手通りに長期間かけて 浸透して行き、街を変える要素になっているといえる。
代官山ヒルサイドテラスと旧山手通りのように街と建築が対話を繰り返し ながら、ひとつの風景をつくりあげてゆけたのは、この開発が、四半世紀とい う長い時間をかけて、それぞれの時代状況に対応する形でゆっくりと進められ ていったことによるところが大きい。開発と呼ぶにはあまりにも自然体で進め られたこの一団地計画は、猛烈な勢いで進行する現代の巨大プロジェクトの対 極にある。ヒルサイドテラスが、箱をつくつて、売って終わり、という開発と 決定的に異なるのは、そこに開発者である朝倉家が住みつづけていることであ り、その長い歳月をかけた開発のバックボーンとなったのは、地域社会のなか で何ができるのか、その責任の所在を問いつづける、代々そこに住みつづける 施主と一人の建築家・槇文彦氏との深い信頼関係に基づく協働であった。街と は、建築ができた時に完成するのではなく、時間の流れの中でそれが環境とし て成長し、成熟することによってつくられていくものである。代官山ヒルサイ ドテラスの開発に使われた時間は、旧山手通りがひとつのコミュニティとして 成長するプロセスに必要な時間であった。
代官山ヒルサイドテラスが成功した要因は、朝倉氏の所有していた一つの 敷地を計画するに当たり、敷地に対して一軒しか建てられないということか ら、一団地申請という手法を取り入れ、マスタープランを作り直しながらつく り上げて行き、一団地申請という手法が都市計画的な要素につながった。そし て、単独の建築から街を変えるのではなく、一建物群によって街を構成し、そ れにより、周辺を巻き込む仕組みを置くことで影響を与えることができたこと である。ファサードからわかるように、先進的なものが一つある状態では何の 変化もなく、それらが街並みとしてある程度完成した状態でなくては街は積極 的に動くことはない。
参考文献
参考文献参考文献参考文献参考文献参考文献
参考論文
□藤慶介(南條設計室)・古市修・小林正美・小池博: 都市の変化要因とその波及効果に関 する研究代官山ヒルサイドテラス周辺地区におけるケーススタディ
□木原良太(アスピ)・上原勝・橋本都子・高橋鷹志: 代官山ヒルサイドテラスにおける居住 環境形成に関する研究
□三島伸雄・山田学:隣接建築物との関係から見たウィーン市の連続壁面タウンスケープの 評価と分析 ‑ 建築史上の著名建築家による建築作品を中心として ‑
□木原良太(アスピ)・上原勝・橋本都子・高橋鷹志: 代官山ヒルサイドテラスにおける居住 環境形成に関する研究
□天明周子: 代官山地区の発展における街路空間の特質
□西山亮介: 代官山から考察する街ブランド形成に関する研究 経験経済に着目して
参考文献
□渋谷区史
□日経アーキテクチュア編: 建築がまちを変える , 日経 B P 社
□前田礼: ヒルサイドテラス物語−朝倉家と代官山のまちづくり . 現代企画室
□岩橋 謹次:「代官山」ステキな街づくり進行中 . 繊研新聞社
□槇文彦:見えがくれする都市 . 鹿島出版会
□槇文彦 / アトリエ・ヒルサイド:ヒルサイドテラス白書 . 住まいの図書館出版局
□:都市の歴史.鹿島出版会
□ケヴィン・リンチ:都市のイメージ
□建築文化 1969.12/1972.10/1973.10/1976.7/1978.4/1980.2/1988.6/1992.6
□ SD:1979.6/1986.1/1993.1
□日経アーキテクチュア:1978.4.3/1988.1.11/1992.5.25
□新建築:1973.10/1976.7/1969.12/1978.4/1992.6
□ JA:1974.1/1979.3
□ GA JAPAN:1993 No.2
□造景 1998.4