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ドキュメント内 仏教福祉 No.11 (ページ 76-86)

21世紀の社会福祉の動向と 浄土宗社会領批実践に期待するもの

溜徳大学園車森雄介

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藤 森 氏②スライド1

現在、 l旺に社会福 祉 実 践を行在 勺 て い るF

・岬住臓に吋!て、今後 行っ て い く く き こ と

寺院.御住臓が社会福祉実鰻を行ってい〈際に直面L いる闘H.際題専の情報担集{掴祉サービス鑓供者側 のニーズの把掴)

‑宗門からの社会福組関連情報即発信

斬たなサービス提供等の横討、奥行

(宗門向の既存の組.の強化.再術集の必要性)

藤 森 氏②スライド2

こ れ か ら仕会福 祉 事 事実践4妙 計】てL

~flìA; II卸 住 職に対して

• rζれから何か福祉関連の事業や実慢を行なってhたい が、どこに相級すれば良いかわからないJといった寺院 に対する相餓受付窓口の叡置

‑宗門として、社会福祉実慢のモデルとなる教区や個別寺 院を指定Lその地埴田特性に担ざした実蹟的立プログ ラムの隈聞と効県測定由実施

(指定ではなく、自ら「手をよげてらう』ような環噴飯定も 必要)

藤 森 氏②スライド3

浄 上 ; 主 と し て の筒 祉 人 材 養 成して

‑従豊からある研修制度に、社会福位関連領域を組み込む プログラムの横酎

ー 具 体 的 にlま ー

・宗門主催由連続鴫座や、rooフォーラム』等の企画立濃

‑文正式牢、悌敏夫事、淑徳文字曹といった宗門と聞係の 漂い教育梅聞や.日本仏教社会福祉学会専の学術団体 と連動した特別鴫座の開E障や、『仏教福祉陣』等由関連科 目椿の活用

藤 森 氏②スライド4

3.  2000年6月の制度改正のポイント

①社幸福祉サービス供給方法の見直し ー措置制度から興約制度へ

②社会福祉サービス白供給主体の見直し

ー鍵制緩和による畏間企量やNPO法人等の事禽への書入

③費用負担方式の見直し ー応能負担から応益負担へ 唖浦 和l保障陣鐘の見直し

ー興約制度を補完する橋事l憤担制度目轟λ

4.制度改正後の路標題

任酒、自治体 町公的責任が煙小化かっ・畦

② サービス棋酷量における地圃楠墨田発生

③『ニーズ申書棚化に対するサーピス蝿供』という衝け声と 財政的.付がアンバランス

④革本的人権に関する新たな問.の兜生

⑤ 新たな社会的弱者における対応が後手

5浄 土 宗 社 会 循 従 事 業 実 践 に 期 待 す る こ と (1)思想的歴史的背置として

①あらゆる宗教は.それぞれ「教涜』に討する世界aをもっ ており、それは仏敏においても例外ではない.

@滑に仏敏は「鰻起』思想をはじめとた、他者との聞係性 を観〈ものが多く、また日本は歴史的に見ても仏輸審由社 会福祉実践は敏多〈みることができる.

滑に浄土宗においては、近代において、意温海旭、権尾 弁匡、豊笹川良慣といった「浄土京社会派」の人々をはじ め 具体的な実臨のE跡をもっている.

5浄 土 宗 社 会 循 祉 寧 業 実 践 に 期 待 す る こ と

(2)社会福祉白現状を省みて

①制度政正由理意やその方向性l立怖に異を唱えるものではt が、それを裏付ける「ヒト・モノ・カネJといった社会費車が庄間 的に不Eしている.

滞土会福祉の倶jから寺院を担えると.情掌白人々を中心とした絶 細長住民(ヒト}が鍛える可能性畳縛った嶋(ノ)としての憐能を 持った寺院I志、キ土会資源として十分に魅カ的である.

③また.未だ社会福祉の制度が追いついてい怠い 新たな社会 的覇者に対する宜置の渇としても.寺院の陣つ可能性は大き いと考えられる.

藤 森 氏①スライド8

‑ 71 ‑

【浄土宗学】

‑浄土宗学は、阿弥陀仏の本願・法 然 の 念仏の教 えを規 範左する。そし て 、法 然 の念仏の教えが 普遍 的な価 値を有するとし、う立場に立つ。

曽根氏スライド2

【往生行】

‑往生行 は 阿 弥 陀 仏の本 願である念仏である。

首根氏スライド3

【平等救済】

平 等 救済ーみな共に往生するf'I'聞である ((A))

曽根氏スライド 4

‑72 

具体的な提言

①誰が浄土宗が

②誰に対して社会福祉に関心のある寺院間住職に封して

③同時までに今憧3ヵ年を目担として

④帽を行なうために先の1‑3由各プログラムを実行するため 習が必要か浄土需の社会福祉活動を推進する

F

めの行動

画を立車L 、責任を持って実行していく新たt~-t:!:~ションも

品 九 J t q

鵠いかけた準圃曇員会的位置を道理に

藤 森 氏②スライド5

※法然よ人の教えより導きだせるもの

一…aÐItt~

l 一一一…JP~lIn'11

' 一 一 … 一

一一一一一

曽根氏スライド9

‑ 73 

【廃悪修善と念仏】

‑惑を改めて善人となって念仏を修することが大 切である《日》

曽根氏スライド5

【念仏と余善】

往生行=念仏」を踏まえた上での錯蕃恨の肯 ((C))

曽根氏スライド6

【念仏者のあり方】

行ずべき慈悲j 「念仏を励む事」は、仏教 の徒である。一仏教の捷としての慈悲行((D))

曽根氏スライドフ

【より多く念仏が申せるために】

より多く念仏が申せる行いは、念仏の助業であ る。→念仏の助業としての社会活動((E))

曽根氏スライド8

老いと死について

法然浄土教の立場からの一試論

浄土宗総合研究所研究員

が凸1

はじめに

﹁うけがたき人身をうけ︑あいがたき仏法にあえり︒

今回

の︑

﹁法然浄土教の立場から﹁老い﹂について述きたらん事かねてしらず︑生死のちかづく事たれか

74 ‑

無常念々にいたり︑老少きわめて不定なり︑やまい

ベよ﹂との課題を与えられた時︑筆者は正直なところ当おぼえん︒もっともいそぐべし︑はげむべし︒念仏

ていない若輩だからということも勿論あるが︑それ以上 に三心を具すといえるも︑これらのことわりをばい(l)

 

でず

(﹃

念仏

往生

義﹄

)

惑した︒その理由の一

つに

は︑

筆者がまだ初老にも達し

に大きな理由は︑法然上人(以下尊称略)の言葉の中に︑ここで法然は︑﹁無常は時々刻々と迫り︑死期は︑老

四苦︑すなわち﹁生老病死﹂の中から︑特に﹁老苦﹂だ少とは全く無関係で定まりないものある﹂と説いている︒

けを取り上げて詳しく説かれたものを見出すことができすなわち法然は︑﹁必いて死ぬ﹂ことが死の常態である

ないからである︒それはなぜなのか︒その理由は次の言とは︑老いというプロセスを経るのが死の典型であると

葉に示されている︒は見なしていないのである︒このような認識に立つ法然

から︑老いへの言及が少ないのは至極当然と言

えよう

確かに︑法然の説示は︑厳然たる真理を言い表してい

る︒老いも若きも死の可能性に晒されていることには何

ら変わりはないのである︒しかしながら︑老いが

﹁死

の接

近﹂

であ

り︑

であることもまた真したがって

﹁ ザ 古

理にほかならない︒それに

わが

国は

間もなく四人に

一人が六十五歳以上の高齢者で占められるようになると

いう︑人類が未だ経験したことのない︑恐らく法然も想

定し得なかったであろう超高齢化社会を迎え︑長い老年

期を経て死に至るというのが一般的な死のかたちとなり

つつあるのが現実なのである︒

した

がっ

て︑

この未曽有の超高齢化時代をどう生き抜

くのか︒長くなった老年期という︑身心の衰え・社会参

加の機会の減少といった危機に見舞われ︑苦悩と不安に

とらわれやすい時期を如何に乗り越えるのか

﹁老

いと

死﹂を如何に穏やかに受容し︑豊かな老いを過ごし︑安

らかな死を迎えるのか︒ということが︑日本人は勿論︑

それのみならず人類の喫緊の課題として我々に突きつけ られているのであるが︑法然浄土教も︑生老病死からの解放を目指す仏教である以上は︑この課題を避けて通る

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そこで︑筆者なりに考えてみたところ︑法然の教えか

らこの難題の回答を引き出すことは十分可能ではないか

思うに至った︒なぜなら︑法然自身が﹁老いて死ぬ﹂と

いうプロセスを辿り︑八十歳という当時では稀有の長寿

を全うし︑﹁穏やかに︑静かに︑法然は死んでいった︒

( 2)   かくも静誼な死は︑祖師たちの中でも稀である﹂と評

‑ 75‑

される程の安らかな死を迎えたからである︒そして︑こ

の安穏たる﹁老いと死﹂は︑紛れもなく︑法然一代の教

説である称名念仏の実践によって︑

﹁いけらば念仏の功つもり︑しならば浄土へまいり

とてもかくても此身には︑思ひわづらふ事︑ぞ(3なきと思いぬれば︑死生ともにわづらひなし﹂ なん︒

(﹃つねに仰せられける御調﹄)

という確固たる死生観を確立していたことによってもた

らされたものだからである︒

ゆえに︑筆者は︑法然浄土教は﹁老いの叡智﹂そのも

のでないかとの確信に近い考えを抱くに至り︑この考え

が妥当であることを証すべく︑以下︑法然浄土教を導き

とし

て︑

﹁老

いと

死﹂

について考察しようとする次第で

ある

せんちゃく

︑ 老 い の 叡 智 としての称名念仏の﹁選択﹂

(一)生死出離の

方法

としての称名念仏の﹁選択﹂

法然の生老病死に言及した言葉に次のようなものがあ

﹁無常のかなしみは︑めのまえにみてり︑いづれの

月日をかおわりのときと期せん ︒さかえあるもの

ひさ

しか

らず

いのちあるものもまたうれえあり︒

すべていとうべきは六道生死のさかい︑ねごうべき

は浄土菩提なり︒人間にうまれて国王の身を﹀

つけ

一四天下をばしたごうといえども︑生老病死・愛別

離苦・怨憎会苦の

一事

もまぬがるる事なし︒これら(4三悪道にかえるおそれあり﹂の苦なからんすら︑ (﹃

要義

問答﹄)

ここで法然は︑人間として生まれた限り︑たとえ国王の

身となって世界中を統治したとしても免れ得ない生老病

死の四苦から解放されるには︑迷いの生き替り死に替り

を繰り返す六道という境界を出離するほかないことを︑

それには︑極楽浄土に往生して覚りを聞くしかないこと

を示唆している︒

そし

て︑

いかにして六道生死を出離するのかについて

法然は次のように説いている︒

76 

﹁計

れば

︑それ速かに生死を離れんと欲せば︑二種

の勝法の中には︑且く聖道門を聞いて︑選んで浄土

門に入れ︒浄土門に入らんと欲せば︑正雑二行の中

には

E

く諸の雑行を抽って︑選んで正行に帰すべ

し︒正行を修せんと欲せば︑正助二業の中には︑な

お助業を傍にし︑選んで正定を専らにすべし︒正定

の業とはすなわちこれ仏名を称するなり︒名を称す

れば︑必ず生ずることを得︒仏の本願に依るが故な

( 5)  

h

(﹃

選択

本願

念仏

集﹄

)

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