さらに「満州事変機密作戦日誌」の19 日の部分には次の記述がある。記 述の内容から20 日に書かれたものと思われるのでここで扱う
(81)。
一四、午後十時三十分朝鮮軍ヨリ満州ニ派遣セントシタル部隊ヲ国境 ニ待機セシメラレタル所以ヲ将来ノ為ニ説明セラレ度キ旨照会シ来 ル 之ニ対シ第二課長トシテハ命令又ハ指示ノ理由ヲ質問スルノ精 神ヲ快シトセサリシモ一応理ヲ尽シテ出先軍憲ノ意思ヲ緩和スルコ トモ現下ノ状況上適当ナリト考ヘ返電ヲ送致ス 本電文案ハ課長自 ラ夜半正子ヲ過テ総長自宅ヲ訪ヒ総長ノ承認ヲ求メタリ
一五、夕食後別ニ第二課内ニ於テハ朝鮮軍カ更ニ当面ノ状況ニ応シ総 長ノ区処セル電報アルニ拘ラス越境出動スルコトアル場合ヲ考慮シ 帷幄上奏ヲ為スノ研究準備ヲ為セリ
○関東軍、朝鮮軍共ニ昨十九日夕以後ノ行動ハ全然軍司令官ノ独 断的処置ヲ以テ終結シ其為セル所往々ニシテ中央当局ノ措置ヲシ テ奔命ニ疲ラシムルカ如キ点アリ 出先軍憲ノ意気ト軍隊ノ勇気 何レモ共ニ毫モ非難スヘキモノアルニアラサルモ其全部カ以テ妥 当ナル処置トノミ見ルコト能ハス
中央当局ニ於テハ今次ノ出先軍憲ノ処置ヲ憤ルモノナシト雖苟モ 大事ヲ起サント欲セハ予メ今少シク中央部トモ連繋ヲ確実ニシ置 クノ要アリト見ルモノモアリキ
これを見ると参謀本部は朝鮮軍の奉勅命令なしに独断越境しようという、
明らかに統帥権侵犯行為にたいして全面的に禁止しようという考えではな かったことを物語っている。むしろそうした朝鮮軍の意図に合わせて事態 収拾を図ろうとしていたと考えられる。これと「対内善後策案」と合わせ
「満州事変」と日本の政軍関係 39
て考えれば、もし閣議決定がなかったならば簡単に越境を認めていたに違 いない。
その日陸軍省軍事課は「時局対策」という文書を作成した
(82)。それは 参謀本部ほどに歯切れはよくないが、政府にたいして陸軍の独自性を維持 しようという意図は明確である。
一、事態ヲ拡大セサルコトニ努ムル廟議ノ決定ニ対シテハ更メテ之ニ 反対スルノ要ナシ
事態ヲ拡大セサルノ趣旨ト軍ノ行動トハ自ラ別箇ノ問題ニシテ軍ハ 皇軍ノ威信ヲ保持シ本然ノ任務達成ノ為情勢ニ応シ機宜ノ措置ヲ採 ラシメ中央ニ於テ其ノ行動ヲ拘束セス
二、事ノ今日ニ至レル根本的禍根ヲ芟除セサル限リ国家国軍ノ威信ヲ 恢興シ能ハサルヲ以テ軍ノ態勢ヲ旧状ニ復スルハ断シテ不可ナリ 蓋シ強テ之ヲ行ハンカ国軍ノ威信ヲ保持シ得サルハ勿論国軍崩壊ノ 災ヲ招クヘク内外嘲笑ノ的トナリ且世界ノ信倚ニ背クコトトナレハ ナリ
三、叙上ノ趣旨ニ鑑ミ這次ノ事態ヲ契機トシ満蒙ニ於ケル現下ノ軍状 ヲ維持シ廟議ヲ導イテ事ノ茲ニ至レル禍源ヲ芟除セシム之カ為陸軍 大臣ハ別紙閣議案ヲ提ケ最後ノ決意ヲ以テ内閣ニ迫ルヲ要ス この文書は事変不拡大という閣議決定を前提にしてはいるが、関東軍の
「満州」における威信失墜は関東軍自体ではなく別な原因があるというこ とで、それを中国の反日運動であることを示唆し、その禍根を根本から排 除しなければ事態は解決しないと主張したものである。
同20 日午前10 時より陸軍の3官衙の首脳部が参謀本部に会合、「陸軍大 臣カ政府ニ対シ提出スヘキ軍部トシテノ善後策ニ関シ」て協議の結果、
「軍部ハ此際満蒙問題ノ一併解決ヲ期ス 若シ万一政府ニシテ此軍部案ニ 同意セサルニ於テハ之ニ原因シテ政府カ倒壊スルモ毫モ意トスル所ニアラ ス」という強行意見をまとめた。このメンバーの氏名は明らかではない。
軍事課作成の「時局対策」を前提にしたものであった。しかし同日午後の
3長官会議はそうした強硬意見だったわけではない。3長官は陸相南次郎、
参謀総長金谷範三、教育総監武藤信義である。その決定事項は次の通りで ある
(83)。やはりそれぞれの部門の最高責任者としての立場に由来するこ とであったろう、関東軍と政府との間にあって妥協的な態度を表現してい る。
関東軍ノ兵力増派ハ閣議ヲ経テ之ヲ行フコトトス 故ニ昨日ノ閣議ニ テ事件ヲ更ニ拡大セサルノ主旨ヲ決定セル際今直ニ
(明二十一日ノ)閣議ニ諮ルハ陸軍大臣トシテ好マサル所ナリ、故ニ先ツ南陸相ハ明日 首相ニ対シ
「情勢ノ変化ナキヲ保シ難キモノアルヲ以テ遑ナキ急変ニ処シテハ閣 議ニ諮ラスシテ機宜処理スルコトアルヘキ」
ヲ了解セシメ爾後機ヲ観テ兵力ノ増派ヲ閣議ニ諮ルコトトス
この決定は、当面は閣議決定にしたがって朝鮮軍の越境を我慢するが、
陸相が首相を説得した上で爾後の戦力増強はフリーハンドを獲得したいと いうことで、いわば政府に対する和戦両様の構えであったと見ることがで きる。一方、「閣議提出案」という文書は中国の排日運動攻撃に満ちてい る
(84)。
閣議提出案
今次ノ事件ハ是レ全ク長年月ニ亘リ培養セラレタル支那ノ排外思想ト 之ニ基ク対日不法行為ニ対シ帝国カ善隣ノ好ニヨリ隠忍之レ努メタル ノ結果不知不識ノ間支那民族ヲシテ帝国軽侮ノ観念ヲ増大セシメ而カ モ満蒙方面ニ於ケル日支間ノ懸案堆積スルノ状態ヲ馴致シ彼此相関連 シテ該方面ニ於ケル日支ノ全面的関係ヲシテ著シク不良ナラシメタル ニ存セスンハアラス是ヲ以テ満蒙ノ事態ヲ正調化シ真ニ日支両民族ノ 共存共栄的楽土ヲ築カントセハ帝国ハ此機ニ於テ是等根本原因ヲ一掃 シ国家国軍ノ威信ヲ完全ニ恢興スルコトヲ要ス之カ為満蒙諸懸案ノ一 併解決ヲ断行シ之ニ依リ該地域ニ於ケル支那人ノ不法ナル排外行為ヲ 根絶シ満蒙ノ一般的治安維持ニ遺憾ナカラシメ延テ全支那ニ於ケル不 法ナル排外行為ヲ弾滅スルコト帝国自存ノ見地ヨリスルモ将又帝国ノ 対世界的使命ヨリスルモ絶対ニ必要ナリ然リ而シテ叙上ノ目的ヲ貫徹
「満州事変」と日本の政軍関係 41
スル間我関東軍ヲシテ現在ノ態勢ヲ保持セシメ一ツハ以テ紊乱セラレ ントスル治安ノ維持ニ努メシムルト共ニ他ハ以テ交渉ノ保障タラシム ルヲ要シ若シ此機会ヲ逸センカ遂ニ再ヒ解決ノ機無カルヘシ
更ニ本事件ハ帝国ト特殊的関係ヲ有スル満蒙問題ノ処置ニ属スルヲ以 テ敢テ第三国ノ容喙干渉ヲ許スヘキモノニアラサルノミナラス帝国ノ 行為ハ延テ文明諸国家ノ福祉ヲ齎ス所以ナルヲ以テ干渉ノ来ルヘキ余 地ヲ認メス然ルヲ若シ夫レ万一ニモ第三国ニシテ実力ヲ以テ之カ干渉 ヲ成スカ如キ場合ニ於テハ其ノ干渉何レノ方面ヨリ来ルモ帝国ハ敢然 之ヲ拒否スルノ決意アルヲ要ス
この文章は事変の原因を全面的に中国における排外主義・排日主義と規 定し、関東軍の挑発行為に起因するという認識は全然ない。「不拡大」と いう閣議決定を無視しようとする意図が脈々と躍動している。しかし反面、
朝鮮軍の越境問題については全く言及してはいない。ここにも閣議決定の
「事件不拡大」と「奉勅命令」なしの国外派兵についての陸軍のためらい
が表れていると見ることができる。
ドキュメント内
敬愛大学国際研究 第3号
(ページ 39-42)