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兵庫高校 区役所

神戸市

「7月末に

避難所解消せよ」

教育委員会

「出来るだけ早い 授業正常化」

通告、命令 自立強制

湊川高校

共存

外部団体 応援、支援

トラブル

トラブル

図 5.6 兵庫高校避難所関係図

本章では、兵庫高校の指定外避難所を調査・分析対象とした。兵庫高校は、人防に学校 側が作成した震災資料があり、震災資料室には自治体派遣職員が作成した震災資料が残存 している。表5.2に示したように、兵庫高校ほど膨大な資料を人防に所蔵している学校は 見出すことができなかった。また、学校教職員側の資料と自治体派遣職員側の資料の両方 を保存している学校を他に見出すことも困難であった。兵庫高校には、偶然にも、避難所 の運営で中心的に活動を行った(第3章参照)学校側の作成した資料と自治体派遣職員が

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作成した資料が両方残存していたため、分析が可能になった22

このような指定外避難所の問題については、2016年4月14日に起きた熊本地震でも起 こっている。

大きな揺れが続いたことで、自治体が指定していない施設にも被災者が身を寄せる。

…市役所は指定緊急避難場所ではないが、18日午後2時時点で、約250人が身を寄 せる23

避難所として使われている旧立野小学校付近では土砂崩れの恐れが生じたため、村は 約130人隣の大津町の体育館へ移動するよう呼びかけた24

同市北区の小学校の避難所は隣接する壁が崩れる恐れがあるとして閉鎖され、避難者 約400人は別の公共施設へ移った25

このように、倒壊の危険性がある避難所から別の避難所へ避難者を移動させたり、指定 外避難所も避難所として開設している。このように、近年起きた熊本地震でも、阪神・淡 路大震災時と同様に、事前に設定した指定避難所だけでは避難者を収容できていない。

兵庫高校避難所の事例は、大規模な指定外の避難所の実態として、将来の大規模地震災 害を検討する際に有意義なデータになりうる。

他の指定外避難所の分析も必要であることは充分認識しているが、多くの指定外避難所 に関しては施設側が記録した資料と運営に携わった側が記録した資料の両方が存在する事 例は、ほとんどない。このような資料的な制約もあり、本章では言及することができてい ない。そのため、今後の課題とする。

130 注

(1)内閣府のホームページ「阪神・淡路大震災教訓情報資料集」

URL:http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/hanshin_awaji/data/detail/1-3-2.ht ml(取得日2017年3月24日)

【区分】1.第1期・初動対応(地震発生後初期72時間を中心として)、1-03.被災 者行動、【02】避難所の開設では、以下のようにまとめている。

【教訓情報】

02.震災後数日にわたって、避難者数は増加し続けた。これは、余震不安やライフ ライン途絶などによる避難者増加のほか、当初は把握されていなかった避難所が追 加指定されたことによるものと考えられる。

【教訓情報詳述】

02)指定避難所以外の施設に設けられた避難所への対応は、当初はその存在を行政機 関が把握することは困難だった。所在が把握されると、順次追加指定がなされた。

【参考文献】

◇[参考]県立兵庫高校における地震後1週間の記録によると、18日の記載として「本 校は指定避難場所ではないため、市の対策本部は避難者がいることを把握してい ない模様」とある。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵 庫県教育委員会(1996/1),p.61]

◆[引用](被災地市民グループインタビュー結果)避難場所に指定されていた小学 校に行ったが、既に満員になっていた。別の指定施設も建物が被災していて入れ ないと言われた。そのため、民間の店舗のガレージや市営駐輪場の2階を何とか 借りて、市にも届け出て緊急の避難所に指定してもらった。[(財)阪神・淡路大 震災記念協会『平成11年度 防災関係情報収集・活用調査(阪神・淡路地域)報 告書』(2000/3),p.8]

(2)指定外避難所とは、自治体が平時に設定した災害時の避難施設(指定避難所)以外 に、臨時に避難所になった施設をいう。災害が平時の想定を超えて被害が拡大した 際に使用され、高等学校、公園、福祉施設、文化施設、集会施設などが充当される。

(3)工藤 美和・塩崎 賢明・寺川 政司「阪神・淡路大震災における非公式避難所「テン ト村」の形成過程に関する研究」『日本建築学会大会学術講演梗概集』1995,p.375・

376。寺川 政司・塩崎 賢明・平山 洋介・児玉 善郎・工藤 和美「阪神・淡路大震

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災における非公式避難所<テント村>の形成過程に関する研究(その1):形成経緯と避 難者特性」『学術講演梗概集.F-1,都市計画, 建築経済・住宅問題』1995,p.371・372。

大橋 達也・塩崎 賢明・寺川 政司・工藤 和美「阪神・淡路大震災における非公式 避難所<テント村>の形成過程に関する研究(その2):形成経緯における特徴と変遷」

『学術講演梗概集.F-1,都市計画, 建築経済・住宅問題』1995,p.373・374。などを 参照。

(4)内閣府のホームページ「阪神・淡路大震災教訓情報資料集」

URL:http://www.bousai.go.jp/updates/index.html(取得日2016年10月14日)

(5)仙台市立中学校長会編『ともに、前へ』同会,2012。

東日本大震災では、発災が午後2時46分であったことと、指定避難所に指定され ていた学校には、教職員がほぼ全員勤務中であった。そのため、避難してくる被災 者をある程度整然と武道場や空教室等に誘導できた。

(6)『神戸市教育職員録』1996、『避難所の研究』p.40を基にした。

(7)兵庫県立兵庫高等学校は、昼間の全日制の高校である。この兵庫高校の校舎内に、

定時制の夜間高校湊川高等学校が併設されている。このような2つの高校が、同じ 校舎を使用している状況ではあるが、残存している震災資料の中には、「湊川高校」

や「湊川高校避難所日誌」などの名称を付した資料を確認することができていない。

ほぼ、「兵庫高校」や「兵庫高校避難所日誌」のような形が大体であるので、本章で は、兵庫高校避難所という名称で統一した。

(8)本稿は、震災資料室の許諾を得て、資料調査及び分析を行った成果でもある。調査 の段階では、震災資料室の有益な許諾を得た。記して深甚の謝意を表したい。

(9)兵庫高校と室内小学校の側を流れる新湊川を隔てた南側の地区を指す。番町地区は、

同和地域指定の地区であり、この番町地区は住環境が劣悪な状態であったなどに起 因して、多くの犠牲者と家屋被害が発生した。

(10)上田統雄『災害時の学校経営』近代文芸社,1998,p.15。

(11) 兵 庫 高 校 『 兵 庫 高 校 百 年 の あ ゆ み 』 創 立 100 周 年 記 念 事 業 実 行 委 員 会,2008,pp.223-225。

(12)前掲10,p.20。

(13)兵庫県立湊川高等学校五十年史編纂委員会『音高く流れぬ-湊川高等学校五十年史-』

木下印刷所,1979,p.151・152。

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(14)前掲10,p.27。

(15)阪神大震災被災調査委員会『震災下における被差別民衆の生き抜くことの記録 天 地砕けたれど人として生きる』木下印刷所,1995,p.112。

(16)前掲15,p.112。

(17)学校の避難所日誌が残存していないため、学校側の分析は、主に、前掲 10 と、前 掲15で行った。

(18)学校避難所の震災資料のなかに、写真資料が含まれている学校避難所はいくつか存 在するが、写真の撮影者が分かっている、または、存命している場合は、非常に稀 有な事例である。また、山中のように、当時の様子を膨大に写真資料として残して いることなどほとんどないため、貴重な事例と位置付けることができる。

(19)このように、震災当時の記録を個人で所蔵している場合もある。方や山中には、直 接アプローチすることができたため、資料を残しているということが分かったが、

そうでない場合は、当時の思い出として個人が所蔵している場合が多く、資料を発 見することは非常に困難である。

(20)前掲15,山中 勇「部落・朝鮮と僕の『ボランティア』」,p.159。

僕が一番に思ったのは、パニックにならないかという心配だった。被差別部落に隣 接し、在日朝鮮人の多く住む地域の学校であり、ここで混乱が起れば、差別意識が 払拭されていないであろう一般地区の人たちの差別、偏見がいっきに増幅、噴出す るのではないか、それだけは避けねばならないという気持ちだった。

(21)前掲15,p.13。

(22)震災資料室への資料所蔵の経緯は、避難所閉所のための最後の撤収作業の際に長田 区役所職員が手伝いに行っており、その際に「避難所の資料を震災資料室に寄贈す る」運びとなった。これは、震災当時、「長田区役所職員が兵庫高校に派遣され、

活動を共にしたからだ」と震災資料室の清水は語る。震災資料室 清水誠一への聞 き取り調査は、2016年4月から継続し、2017年3月時点でも継続中である。

(23)朝日新聞2016年4月19日付(朝刊)

(24)朝日新聞2016年4月21日付(夕刊)

(25)朝日新聞2016年4月22日付(朝刊)

133 [付記]

本章において、兵庫高校震災資料を調査・閲覧を許可していただいた震災資料室、なら びに、今回、聞き取り調査や資料提供に協力してくれた元湊川高校教職員山中勇、方政雄 には謝意を表したい。

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第6章 避難所運営におけるペット同伴避難・喫煙問題 はじめに

地震災害・火災・水害等の大規模災害時には、自治体は避難者への対応として避難所を 用意することが義務付けられている。1995 年1月 17 日に発生した兵庫県南部地震では、

避難所が被害地全域で 1,153 ヵ所も開設された(1)。ほとんどの大都市域を襲った直下型 地震は、多数の被災者を生みだし、多数の避難所が近くの指定避難所(溢れた人々は指定 外の施設にも避難した)に集中する事態になった。避難所は一定期間、大混乱に陥り統制 のとれた避難状況にはなかった。この混乱状況の避難所をいかに運営していくかが、施設 管理者(多くが学校施設であったため、学校教職員)や、自治体にとって重要な課題とな った。

図2.2でも示したが、灘区のM小学校の当時の校長が書き込んだ『神戸教育例』の一部 に注目したい。既に、1994年段階において、神戸市は学校施設を指定避難所に設定してい た(2)。これを受けて神戸市教育委員会も1994年度版『神戸教育例』第5類 財務 第1章 財産(Ⅲ災害その他非常の場合の校園管理について)で、防災計画を具体的に発動した場 合の手順等について明文化していた。

M小学校の校長は、既に避難所と化した学校で、この『神戸教育例』の関係箇所を複写 して、避難所開設の連絡先や学校が避難所になった措置などの部分を確認しつつ、下線を 入れたと考えられる。このように、学校が指定避難所になることは、神戸市内(神戸市教 育委員会内)でも規則として明示しながらも、当事者である校長は、自ら管理責任を負う 学校施設が避難所となった後で追認する作業を行っている。つまり、規則上は明文化され ていながら誰も想定していなかった事態(後に、阪神・淡路大震災と称する)が発生し、

現場は混乱しているなかでも、学校長は「防災指令の伝達方法」を法令集のなかから見つ け出し、確認しなければならなかった。

M小学校の校長は、この時点ではじめて、学校施設管理者たる「校園長」が「教職員ま たは現業員に」「避難所開設のための事務従事を」命令する立場にあったことを認識したこ とが分かる。

阪神・淡路大震災の大きな特徴は、100万人以上の人々が集中する大都市圏を含む地域 で発生した大規模な地震災害であった点にある。一方、東日本大震災は、広域な被災地域 が発生した点は同じであるが、津波の被害が大きかった。阪神・淡路大震災は、大都市で 発生した災害のため、東日本大震災時に比べ、被災者間のコミュニティ的紐帯も薄い。対

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