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4.日本陸軍の情報活動の問題点

ドキュメント内 防衛研紀要21-1_06Tani.indd (ページ 33-39)

北支那方面軍が早期から中国共産党の脅威を認識しながらも、その萌芽を摘むことに失

129 北支那特別警備隊司令部「北支那特別警備隊第二期戦闘詳報 自昭和十九年六月十日至昭和二十年一月四日」

(19451月)」(防衛研究所戦史研究センター史料室蔵)。

130 1937(昭和12)年729日、北京郊外の通州(現北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊が日本軍

の通州守備隊、通州特務機関及び日本人居留民を襲撃、殺害した事件(通州事件)。

131 甲集団参謀部「剿共指針 第一巻」。

132 森松俊夫「北支における治安戦」78頁。

133 甲集団参謀部「剿共指針 第一巻」。

敗し、勢力の伸長を許してしまったことには、情報活動と状況判断の教訓となるいくつかの問 題点を指摘し得る。

(1)中国共産党(軍)に対する先入観と研究不足

情報活動において最も重要なことは、先入観を排して常に客観的に物事を俯瞰することで ある。満州事変後、日本軍が満州において実施した匪賊の討伐、民間の武器の回収、治 安悪化地帯における戦略村の形成等は、華北における中国共産党(軍)に対する状況判 断に大きな影響を及ぼしたと思われる。日本軍は

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)年後半には早くも中国共 産党(軍)の存在に着目していたものの、兵員も少なく装備も貧弱であり、後方攪乱をする のみで大規模な軍事行動に出なかったことから、第一線部隊では所詮ゲリラに過ぎないと、

共産党(軍)を軽視していた134

支那事変の初期において方面軍は、「軍後方ノ治安ノ恢復維持ハ之ヲ満州ニ比スレハ 極メテ容易ナルヘシ」135と満州に比べれば治安の回復は容易であると判断し、

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月には「共産党(軍)ノ民衆獲得工作ハ益々進展スルノ傾向アリト雖各兵団ノ 秋季討伐並分散配置及之ニ伴フ治安工作ハ逐次成果ヲ挙ケツツアリテ北支治安粛正ノ曙 光方ニ見ルヘキモノアルヲ覚ユ」136と、共産党(軍)の駆逐に自信を見せていた。

満州において匪賊討伐の経験もある前出の折田貞重大佐によれば、「満州事変において は作戦地における民度極めて低く、しかも中国人民としての民族意識が中国本土に比べて 遥かに低かった。さらに中国共産党の組織も未だ満州においてはほとんど浸透していなかっ たので、当時治安工作については、全く経験も素養もなかった日本軍によって治安確保が可 能であった。中共の実態も中共地区の実相も全くと言ってよい程理解のなかった日本軍であっ たので、対中共作戦と言いながら現実は満州事変当時の匪賊討伐と大同小異であった」137 と回想している。

大きな脅威とは捉えなかったため、党・軍・政・民の四位一体の共産党(軍)の実態や 対遊撃戦に関する研究も進まなかった。前出の三崎良一氏は「共産軍と国民党軍との区別 がつかない者、又は共産軍の兵力及び装備だけを対象に考えて、特有のゲリラ戦の実効、

134 「笠原幸雄の回想」(「北支方面軍関係者回想録 其一」。

135 北支那方面軍司令部「北支那ノ治安維持ニ関スル著眼事項」(陸軍大学校「支那事変初期ニ於ケル北支那作戦 史要」第三巻(自昭1291日〜至昭和13531日 北支那方面軍)、防衛研究所戦史研究センター史料 室蔵)。

136 北支那方面軍「北支那方面軍占拠地域内治安状況(十月分)」(19381125日)(「陸支密大日記(昭和13年)」

64号、防衛研究所戦史研究センター史料室蔵)。

137 折田「対共戦回想」。

並びに戦略等の判断には及びつかず、共産軍に関しては無感想時代であったとみられる」138

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)年頃までの日本軍の対共認識を評し、また第

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軍の参謀であった笹井 寛大佐は、「追えば逃げる、叩けば蠅のように飛ぶと土匪同様に共産軍を軽視したきらいが あった。しかも敵は重慶軍、作戦は進攻撃滅、ねらいは野戦軍という観念で、姿なき共産軍 との戦い、対遊撃戦方策に対して地味な研究が十分でなかった」139と回想している。

前出の横山幸雄中佐は「中共に対する一般認識が極めて低く単なる匪賊的価値しか認 められていなかったことは今にして想えば誠に慙愧に堪えない。この様な対中共観の認識不 足は畢竟情報担当者の啓蒙不足と言はねばならない」140と回想しているが、一部の情報関 係者が先覚者的にその脅威の大なることに気付いたとしても、方面軍司令部内や各部隊を 啓蒙するには難しかったのかもしれない。

(2)戦果第一主義(論功行賞の弊害)

軍隊には戦果が必要である。戦場での論功行賞によって昇任や昇給が左右され、まして や長期国外に駐留している軍隊にとっては、士気の高揚を図るためにもある程度の戦果は必 要になってくる。日本軍では共産党(軍)軽視の念と相俟って、残存する国民党軍を追い 回す風潮があった141。前出の折田貞重大佐も、「ただ単に討伐の為の討伐に明け暮れ、日 本軍の論功行賞は所謂野戦軍撃滅一辺倒、各部隊は依然として戦果第一主義の討伐に 終始した」142と回想している。

共産党(軍)に対しては、「真ノ共匪ニ対シテハ徹底討伐ニ依ルノ外無ク」143、「徹底的 ニ降魔ノ利剣ヲ振ルヒテ之ヲ芟除剿滅スルコトハ其ノ先決要件ナリ是武力ヲ中心トスルノ討伐 粛正カ安定確保具現ノ為ノ第一条件タル」144と、当初から徹底した武力討伐を実施した。第

1

軍参謀であった土田穣大佐は、「共産軍何するものぞ、強引な撃滅主義に偏し、民衆工 作等を重視せず、対共治安戦の本質を理解しなかった」145と、また第

110

師団長であった 飯沼守中将は、「第1軍の武断主義は中央軍の勢力を撃破したが、民心を十分把握せず、

中共勢力を育成したといっても過言ではない」146と回想し、共産党(軍)の適切な実態解明

138 三崎「北支那方面軍の対共調査」。

139 「笹井寛の回想」(「北支方面軍関係者回想録 其一」(防衛研究所戦史研究センター史料室蔵)所収)。

140 横山「特種情報回想記」。

141 森松俊夫「北支における治安戦」71頁。

142 折田「対共戦回想」。

143 北支那方面軍司令部「治安関係事項(方参ニ密第二号)」(1938110日)(「陸支密大日記(昭和13年)」第2号、

戦史研究センター史料室蔵)。

144 北支那方面軍司令部「北支一般ノ状況」(19409月)(戦史研究センター史料室蔵)。

145 「土田穣の回想」(「北支方面軍関係者回想録 其一」所収)。

146 「飯沼守の回想」(「北支方面軍関係者回想録 其一」所収)。

に基づかない強引な武力討伐が、却って日本軍に対する民心の離反を誘うことになり、共産 党勢力の伸長を助長する結果となった。

(3)脆弱な諜報組織

方面軍は、「共産党地下組織ノ活動愈々潜行且雌伏的トナリ其ノ実相ノ諜知倍々困難ナ ラントスル、敵ノ外郭ノミニ配置スル組織ニヨリ外部ヨリ得タル諜報ノミヲ以テシテハ満足ナル 結果ヲ得ルコト能ハス宜シク敵側組織ノ内部ニ諜者ヲ配置シ敵中ニ諜者ヲ植付ケ敵ノ腹中ニ 食ヒ入リテ以テ其ノ実体ヲ把握セサルヘカラス」147のように、共産党(軍)組織内部への諜 報網の構築を指導している。共産党(軍)は防諜、企図の秘匿が徹底していたため、情 報収集は諜者によるところが大きかったわけであるが、地下活動が主体であり、かつ除奸工 作等による人員の調査が厳格なため、組織内部に対する諜報網の構築が困難であったと思 われる。前出の飯沼守中将は、「偵諜が不十分で共産党の巧みな動きにしてやられた。」148 と作戦行動に際しての情報の不足を回想している。

方面軍は各部隊に対しても諜者の増員及び諜報網の拡大を要求しているが、良質な諜者 の確保や養成は急速にできるものではなく、却って不良な現地人諜者に頼ることになる。また 戦線の拡大に伴い、諜者の数も増加し、捕虜の尋問のための通訳も大量に必要となってくる が、その結果、「これ等諜者なるものが支那人、朝鮮人とも中共軍に対する認識を全く欠き、

かつ諜者自身の素質が極めて不良であった」、「通訳の行動はいたずらに所在民心の離反 を招き、従って絶対に正しい情報は得られない」(前掲折田貞重大佐)149、「目標と偵諜成果 を点検した所、約三分の二は架空のものであり、何等の証明証拠なく支那人諜者にあやつ られている」(前掲大森三彦大佐)150というような状況に陥ってしまった。

さらに、華北の物価に比して諜者への報酬があまりにも小さく、いわゆる大物の政治家や 有識者、また共産党(軍)内においても高位の情報提供者を得ることが困難であった151

(4)第一線部隊の情報に対する認識不足

治安戦において、正確な情報とその速達は極めて重要である。日本軍は情報を決して軽 視していたわけではないが、情報関係者以外、特に第一線部隊においては情報そのもの及 び情報活動に対する理解が不足していたように思われる。

147 北支那方面軍司令部参謀部「北支那方面軍情報主任者会同席上ニ於ケル第二課長口演要旨」(1939121日)

(「陸支密大日記(昭和14年)」第75号、防衛研究所戦史研究センター史料室蔵)。

148 「飯沼守の回想」(「北支方面軍関係者回想録 其一」所収)。

149 折田「対共戦回想」。

150 大森三彦「北支特別警備隊に関する問題点 第一部」(19593月)(防衛研究所戦史研究センター史料室蔵)。

151 同上。

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