鳥の鳴き声や仕草から予兆を読み取る鳥占卜は、文化史的にみてもかなり普遍的な行為のひ とつであると言える。その中でも特に著名なものは、ローマの鳥卜官(augur アウグル)であろ う。「共和制時代のローマでは、すべての主要な国務の遂行、たとえば民会の開催、軍隊の出 動などにさいして占卜による神の承認を必要とし、この占卜を公式に担当したのが占卜官」74 であり、彼らには、「鳥の観察」を意味するアウスピキウム(auspicium)権が与えられ、国家 行為のために特定数種の大型の鳥の飛翔や鳴き声を特定の位置から観察する権限を託されてい た75。一方、古代メソポタミアでも鳥占卜が行われていた記録がある。アッカド語で記された 占卜文書の中には天体や内蔵の観察による占いと共に、鳥占卜に関する資料があり、猛禽類、
烏、鷺、鴨、鳩、燕などのしぐさや行為を観察して、様々な事象に対する吉凶を占っていたこ とがわかっている76。また、インドのリグ・ヴェーダにも「鳥占の歌」が収録されている77。リ グ・ヴェーダは、インド最古の宗教文献中であるヴェーダの中でも特に古層に属するものであ り、鳥占卜が古い伝統に根ざしていることがわかる。その他、伝統的な中国典籍には烏に関連 した記載が豊富にあり、烏が「孝行の鳥」であると同時に「瑞兆の鳥」でもあったことがわか る。特に、特殊な形状や色を持つ烏が瑞兆の印であったことを記録するものが少なくない78。
74 平田 2001, 288頁。
また、平田によれば、鳥占卜の方法は次のようであった。「先のほうが湾曲した伺をもった占卜官 が、南を向いて北から南への線(カルドー)と東から西への線(デクマーヌス)を引き、天と地を四つ に区分し、そこからこれら二本の線にそれぞれ二本の平行線を引いて四角形を画定した。この場所の中 点に四角い小部屋(タベルナクルム)が建てられた。その入り口は南側にあり、したがって、「前の部 分」が南に、「後の部分」が北になる。この部屋から鳥の飛ぶ方向を観察し、「左の鳥」すなわち東側 の鳥は吉兆とされ、「右の鳥」すなわち西側の鳥は凶兆とみなされた。」(平田 2001, pp.288-289)。
75 鈴木 1978, 100頁。
76 月本 1981, 36-38頁。
77 辻 1970, 381-382頁。
78 例えば、『史記』「周本紀」には、武王が河を渡ったときに赤い烏が現れたといい、これは殷討伐の
瑞兆であったという。三本足烏もまた瑞兆のしるしとされたことが『春秋元命紀』などにみえる(趙 2010, 74-75頁)。
隋書の女国伝や旧唐書の東女国伝には、これらの国では、鳥(雉)の内蔵を割いて中の穀物を 観察することによって作物の収穫を占っていたことが伝えられている79。鳥に関連したこれらの の予兆記述を比較し、そこにまたがる異同を詳らかにしていくことは、鳥占卜の起源を辿るこ とにつながる壮大な研究テーマであり、大変興味深い。他の地域同様、チベットにおいても、
この種の占卜は最古層の文化に属するだろう。しかし、資料の制約上、チベットの文化史的最 古層を解明することは難しいと言える。そこで、本論文では古チベット語で記された烏の声に よる占卜書(以降、鴉鳴占卜書と呼ぶ)の文献的起源を辿ることを目的とし、占い自体の起源 については論じないことにする。
さて、 古チベット語鴉鳴占卜文書は、イギリス大英図書館所蔵スタイン蒐集文書中に2点、
フランス国立図書館所蔵ペリオ蒐集文書中に4点の存在が確認できる80。筆者はこれまでに全 文書について実見調査を行い、校訂テキストを作成している。そこで、まず各文書の文献学的 情報を一覧で示す。構成については、各構成要素を持つ場合は「◯」で示し、文書の欠損によ り有無を確認できない場合は、「不明」と記す。
79 『隋書』巻八十三 列伝第四十八 西域、『旧唐書』巻一百九十七 列伝第一百四十七 南蛮 西南蛮。
80 先行研究では言及されていないP.t.1048文書を追加した。
古チベット語鴉鳴占卜文書リスト
文書番号 形状 サイズ(cm)
構成
背面 文書番号 形状 サイズ(cm)
序文 一覧表 第二部
背面
ITJ 746 巻子 31 83 ○ ○ なし 1行のチベット文
ITJ 747 巻子 29.5 104 ○ ○ ○ チベット語手紙文
P.t.1045 巻子 32 88 ○ ○ なし なし
P.t.1048 断片 30 6.5 不明 ○ 不明 なし
P.t.1049 巻子 27 65 ○ ○
なし
密教に関する27行のチベット文 と
8行のチベット語占卜文
P.c.3896̲verso 巻子 26 62 なし ○ 漢語『五兆占卜文』
以下、第1節では、古チベット語鴉鳴占卜文書の検証を行う。まず、先行研究について概説 し、その問題点を提示した上で全6文書を紹介する。次に、先行研究には収録されていないITJ 747文書の翻字テキストと試訳を提示し、内容を吟味する。また、6点の文書にみえる相違点を 比較検証することを通して、それらの相互関係について考察する。
第2節では、漢語鴉鳴占卜文書の内容と書式を精査し、チベット語文書との比較から得られ た知見をもとに文書の成立背景について論ずる。さらに、チベット大蔵経テンギュル部に収録 されているKākajariti(『鴉鳴観察』)と呼ばれるサンスクリット語からの翻訳典籍についても 翻字テキストと試訳を提示し、古チベット語文書との関係を検証する。そして、古チベット 語、漢語、サンスクリット語(からの翻訳チベット語)の三者の相関関係についてまとめる。
章末には、全ての古チベット語文書と漢語文書を対照させた翻字テキストと、文書図版を掲載 する。
第1節:古チベット語鴉鳴占卜文書読解
1.1. 概観と先行研究
はじめに、チベット語鴉鳴占卜文書について概説する。これらは、29節の韻文で構成された 序文と(以下、序文)、横に10列、縦に11〜13段に区切られた表(以下、一覧表)の二部から 構成されている81。一覧表は鴉鳴を聞いた時間と方位によって予兆を知るものである。表の左端 第一列には鴉鳴を聞いた夜明け前〜黄昏に至る10の時間帯が示され、上段の第二段目には八方 に天頂を加えた9つの方角が記されている。それらの交わる枠には「馬が1頭手に入る」など の予兆卦辞があてられている(章末の図版参照)。また、 上段第一段目には、各方位で凶兆と 出た場合の布施供物gtor maが示されてある。この布施供物は、序文にあるように烏に供される ものである。
ところで、古チベット語鴉鳴占卜文書の研究は、Jaque BacotによってP.t.1045の序文と一覧表 の翻字及び仏訳が紹介されたことに始まる82。氏はこの一覧表を、「稲妻が見えた時間と9つ の方向による前兆を記した占いの一覧表である」と考え83、序文については、烏を題材にした 判じ物の類いと位置づけて紹介した84。しかし、その翌年に発表されたBerthold Lauferの論文に より、これが鴉鳴占卜を記したものであることが判明した85。Lauferは、一覧表の翻訳について は概ねBacotの研究に従い、序文のみ新たな英訳を提示した。その後も、Bacotの仏訳を改訂し た部分訳や86、いくつかの中国語訳が発表された87。また、同文書の部分和訳もある88。以上の
81 後述するように、ITJ 747にはさらに第二部が存在し、P.c.3896_versoには序文が存在しない。
82 Bacot 1913.
83 “C’est une table de divination donnant les présages signifiés par l’éclair aperçu dans chacune des huit directions
et pour chaque moment de la journée.” (同, p.445)。
84 “Un préambule assez obscur est lui-même une série de rébus qui semblent avoir le corbeau pour sujet, et il se termine par la signification des différents cris de l’oiseau sacré.”(同, p.445)。
85 Laufer 1914.
86 Morgan 1987.
87 王・陳 1987や、それを改訂した陳楠 2007、趙貞 2010。
88 山口 1985 534-535頁、 同 1987, 176-177頁。
ように、古チベット語鴉鳴占卜文書に関しては、P.t.1045以外の文書には研究の視野が及んでい ないのが現状である。従って、ここで全文書の概説と比較研究を行う意義は十分にあると言え る。
1.2. 文書概説
【ITJ 746】
右上部が一部欠損している巻子本形式の文書である。現在は、紙の継ぎ目で切り離され、
31×42cmと31cm×41cmの2葉に分かれて保存されている。裏面には紙の欠損により5〜6文字が欠 落しているのに続いて、pha ‘o //というチベット文字2文字がみえ、以下は白紙である。料紙の 左から4〜5cmに焼け跡とおぼしき12の穴が縦並しているため、表面のテキストも一部欠落して いる。上方ほど穴が大きいことから、巻いた状態で外側から火による損傷を受けた様子がうか がえる。紙の上端及び左右端に合わせて薄墨で枠がとられており、上から17cm程までの紙域に は10行の横罫線が、その下には横10列×縦11段の表枠が同じく薄墨で描かれている89。罫線の8 行目までに鴉鳴占卜の序文とされる韻文が記され、残り2行を空白として残し、一覧表が始ま る。
【ITJ 747】
29.5×104cmの巻子本形式文書である90。上端の余白はかなり狭いが、内容からみて完本であ る。背面には、14行のチベット文が異なる書写人により記されている。これは、武内によると 帰義軍期に書かれた手紙文の草稿である91。表面は左右端に沿って朱枠が描かれており、9行
89 この文書では、夜明け前の卦辞を記した第二段目に、方位が書き込まれている。
90 Poussinでは、27cm+35cm+42cmに三分割されているようだが、現在は3葉が接合されている
(Poussin, p.234) 。 また、実見調査の際、同一文書番号に29.5×8.5cmの断片文書が保管されていること に気づいたが、左端にわずかに朱色の縦罫が見える以外、記述は見当たらない。
91 武内 2002, 123頁。文書番号がCh.85.IX.(VP 1077)とされているが、内容及びCh.番号からみてITJ 747、
すなわちVP 747であることに間違いない。司空宛の手紙の草稿であり、Type3と分類されている。