第 3 章 α-(BEDT-TTF) 2 I 3 の電荷秩序 19
3.4 電子密度分布解析による分子軌道直接観測の試み
分子の価数Qは
Q = 6.347−7.463p,
p = (b+c)−(a+b), (3.10)
で与えられる。得られた価数は、表3.6のとおりである。この値は、Raman散乱 などで見積もられている+0.8と+0.2 の電荷不均衡[34]に近い値となっている。
この結合長から見積もられた電荷秩序の配列を重なり積分が大きいところとと もに模式的に,図3.15にまとめた。この電荷秩序パターンは、いわゆる横ストライ プパターンといわれる配列で、電荷配列と重なり積分の関係を含めて、妹尾らによ り理論的に予測されたものと完全に一致する[29]。ホールリッチなサイト間の b2’
で特に重なり積分が大きく、いわゆる二量体となってスピン一重項状態を形成す ると考えられる。このように、低温構造解析によって直接的にα-(BEDT-TTF)2I3
における電荷秩序配列を決定した。
表 3.6: 経験的な方法による価数の見積もり 分子 価数
A 0.82(9) 20K A’ 0.29(9) B 0.73(9) C 0.26(9) A 0.47(3) RT B 0.50(4) C 0.44(4)
b1 b1’
b2’
b2
+0.5+δ +0.5-δ
A B A' C
図 3.15: 低温構 造解析 によ り決定 された 電荷 秩序パ ターン 。理論的 に予 測され
た”horizontal”型の電荷秩序パターンを実験的に直接決定した。図中の実線、点線
は、重なり積分の大きい箇所を示している。
タと情報論を元にしたマキシマムエントロピー法(MEM)により、それらの情報を 精度よく抽出する手法が確立されてきた[44]。この方法は、情報論に基づいて、統 計精度の範囲内で結晶中のもっともらしい電子密度を推定していく手法であるた め、フーリエ打ち切り誤差などの影響がなく低電子密度領域の評価に有利である。
ところで、このMEMによる電子密度分布解析は単結晶の回折データに対する 報告数よりも、粉末回折データに対する報告数のほうがかなり多い。これは、単 結晶では常に問題となる、低角大強度反射の消衰効果、試料外形による吸収補正、
系統誤差などの影響が、粉末回折データではそれほど深刻な問題にならず、より 正確な相対構造因子が得られるためだと考えられている。
一方、金属-絶縁体転移など相転移が起こるときには、構造変位により微弱な超 格子反射が出現する場合が多い。一般に、放射光といえども主反射に対して10−3
〜10−5も小さい超格子反射を粉末回折実験で捉えることはかなり困難である。こ のような事情から、相転移現象を精密構造解析で扱おうとする場合、今後、単結 晶による解析が重要になる。
本研究では、α-(BEDT-TTF)2I3の単結晶回折データに対して、MEMによる電 子密度分布解析を行った。入力構造因子データは、異常分散項の寄与を差し引き、
ソフトウェアEnigma[45]によって解析した。図3.16に、BEDT-TTF分子の等電 子密度面と分子平面でスライスした等高マップ を示した。C-S一重結合部分と比 べて、C=C二重結合部分の電子密度が大きいのが分かる。これをさらに強調する ために、観測データを用いて得られた電子密度分布から、回転楕円体近似での計 算値による電子密度分布を差し引いた。これを示したのが図3.17である。やはり 分子中央にC=C二重結合部の中央で電子密度分布が大きく、σ結合の様子を良く あらわしている。一方で、回転楕円体による異方的熱振動パラメータがπ電子に よる異方的電子密度を反映するため、π軌道成分は差分電子密度分布には顕著に 現れない。
また、本研究の範囲では電子密度分布解析によって、低温相における電荷不均 衡の定量的な抽出は不可能であったが、これは0.5電子以下の成分を決定しなけれ ばならないために非常に困難であり、上述した系統誤差、吸収補正、消衰効果等 の影響を充分排除した測定が今後必要である。
図3.16: 室温におけるα-(BEDT-TTF)2I3の等電子密度面と等高マップ。等電子密 度面は、1.5 e˚A−3で表示してある。
S
C C
C C C
C
S
S
S
S
S S
S S
C C
C C C
C
S
S
S
S
S S S
図 3.17: 観測値を用いた電子密度分布から、回転楕円体近似に基く計算値による
電子密度分布を差し引いたもの。結合電子の情報が見える。図からC=C結合部に 多く電子が存在することが見て取れる