• 検索結果がありません。

︶難波津資料

41﹃能因集﹄︵角川﹃新編国歌大観﹄第三巻︶     嘉言対馬になりて下るとて︑津の国のほどよりかくいひをこせたり   命あらば今帰りこむ津の国の 難波堀江の蘆の裏葉に     返し   難波江の蘆の裏葉も今よりは たゞ住吉の松としらなむ     嘉言対馬にてなくなりにけりと聞ゝて   哀れ人今日の命を知らませば  難波の蘆に契らざらまし   ︶難波・長柄橋の和歌資料

42﹁八代集﹂の難波・長柄橋の歌    恋三君が名も我が名も立てじ難波なる見つともいふな網引ともいはじ     恋二津の国の難波の葦のめもはるに茂き我が恋人知るらめや貫之   序 難波津に咲くやこの花冬ごもりいまは春べと咲くやこの花 ﹃古今和歌集﹄

  読人不知恋四  津の国の難波思はず山城の  鳥羽に逢ひ見むことをのみこそ  同  恋五  逢ふことを長柄の橋のながらへて  恋ひ渡るまに年ぞ経にける  是則雑上 世中にふりぬるものは津の国の 長柄の橋と我となりけり 読人不知雑上 押し照るや難波の水に焼く塩の からくも我は老いにけるかな 同  雑上 難波潟潮満ち来らし蜑衣 田簑の島に鶴鳴き渡る 同  雑上  難波潟おふる玉藻をかり初の  蜑とぞ我はなりぬべらなる  貫之雑下  我をきみ難波の浦にありしかば  憂きめを見つのあ 海人まとなりにき   読人不知雑下  難波潟恨むべき間も思ほえず  いづこをみつの蜑とかはなる  同  雑体  難波なる長柄の橋もつくるなり  今は我が身を何にたとへん  伊勢﹃後撰和歌集﹄恋一 浦分かずみるめ苅るてふ蜑の身は 何か難波の方へしも行く 土佐恋二  難波潟刈り積む葦のあしづゝの  ひとへも君を我や隔つる  兼輔朝臣恋三  津の国の難波立たまく惜しみこそ  すくも焼く火の下に焦がれる

  紀内親王恋四  難波女の見つとはなし葦の根の  よ の短くて明くる侘びしさ  道風恋五  あざりする時ぞ佗びしき人知れず  難波の浦に住まふ我が身は  読人不知恋五 人言の頼みがたさに難波なる 芦の裏葉の怨みつべしな 同  恋五 佗びぬれば今はた同じ難波なる 身を尽くしても逢はんとぞ思ふ

  元良親王恋六  我ならぬ人住の江の岸に出でて  難波の方を怨みつるかな  源整恋六  人並にあらぬ我が身は難波なる  葦のね のみぞ下に流がるゝ  読人不知雑一  難波潟何にもあらず身をつくし  深き心のしるしばかりぞ  大江玉淵女雑一  人渡す事だになきをなにしかも  長柄の橋と身のなりぬらん

 七条后温子雑一 ふるゝ身は涙の中に見ゆればや 長柄の橋に誤たるらん 伊勢雑二  難波潟汀の葦の追ひ風に  う 裏見らみてぞふる人の心を  読人不知雑三  世の中を知らずながらも津の国の  難波立ぬる物にぞありける  同  雑三  難波津を今日こそみつの浦ごとに  是や此の世をう み渡る舟  業平朝臣﹃拾遺和歌集﹄

    難波に祓し侍りて︑まかりかへりける暁に︑森の侍りけ     るに郭公の鳴きけるを聞きて別  郭公ねぐらながらの声聞けば 草の枕ぞ露けかりける 伊勢物名 難波津はくらめにのみぞ舟は着く 朝の風の定めなければ 輔相物名  津の国の難波わたりに作る田は葦が苗かとえこそ見分かね  同雑上  芦間より見ゆる長柄の橋柱  昔の跡のしるべなりけり  藤原清正雑下  難波江の葦の花毛の混じれるは  津の国飼ひの駒にやあるらん

  恵慶法師雑下  難波潟茂りあへるは君か代に  葦 刈るわざをせねばなるべし  忠見     難波に祓しある女まかりたりけるに︑もと親しく侍りけ     る男の葦を刈りてあやしきさまになりて道にあひて侍り     けるに︑さりげなくて年ごろはえあはざりつる事など言     ひ遣はしたりければ︑男の詠み侍りける雑下  君なくてあしかりけりと思ふにも  いとゞ難波の浦ぞ住み憂き返し   読人不知雑下  あしからじよからんとてぞ別れけん  何か難波の浦は住み憂き  同  恋四 津の国の堀江の深く思ふとも 我は難波のなにとだに見ず 同  恋四 津の国の難波渡りに作るなる 小屋といはなん行きて見るべく 同  恋四 限りなく思ひ長柄の橋柱 思ひながらに中や絶えなん 同  恋四  難波人葦火焚く屋はすゝたれど  己が妻こそとこ珍らなれ  柿本人麿恋五  人をとく芥 川てふ津の国の  難 波たがはぬ物にぞありける

  承香殿中納言﹃後拾遺和歌集﹄春上  心あらむ人に見せばや津の国の  難波わたりの春の気色を  能因法師 春上 難波潟浦吹く風に波たてば つのぐむく葦の見えみ見えずみ 読人不知春上 花ならで折らまほしきは難波江の 葦の若葉に降れる白雪 藤原範永冬   難波潟朝みつ潮にたつ千鳥  浦づたひする声聞こゆなり  相模賀   朽ちもせぬ長柄の橋の橋柱  久しきほどの見えもするかな  平兼盛別   命あらば今帰り来ん津の国の  難波堀江の葦の裏葉に  大江嘉言哀傷  古に難波のことも変はらねど涙のかゝる旅はなかりき  源信宗朝臣哀傷  思ひやる哀れ難波の浦さびて  葦のうきねはさぞ泣かれけん  伊勢大輔恋三 恋しきに難波のことも思ほえず 誰れ住吉の松といひけん 大江匡衡雑二 しばしこそ思ひも出でめ津の国の 長柄へゆかば今忘れなん 中宮内侍雑四 橋柱な からましかば流れての 名をこそ聞かめ跡を見ましや 公任雑四  我ばかり長柄の橋は朽ちけり  難波のこともふるゝかなしさ  赤染衛門雑四  古にふり行く身こそ哀れなれ  昔な がらの橋を見るにも  伊勢大輔雑六  津の国の難波のことか法ならぬ  遊び戯れまでとこそ聞け  遊女宮木﹃金葉和歌集﹄秋   古の難波のことを思ひ出でて高津の宮に月の澄むらん  参議師頼雑下 難波江の葦の若ね の茂ければ 心もゆかぬ舟出をぞする 六条右大臣補遺 住吉の松 かひありて今日よりは 難波のことも知らずばかりぞ

  賀茂成助﹃詞花和歌集﹄夏   五月雨に難波堀江の澪標  見えぬや水の増さるなるらん  源忠季恋上  忘るとやな がらへ行けど身に添ひて  恋しきことは後れざりけり  平兼盛雑上  難波江の茂き葦間を漕ぐ舟は  棹の音にぞ行く方を知る  大蔵卿行宗雑上 難波江の葦間に宿る月見れば 我が身一も沈まざりけり 左京大夫顕輔﹃千載和歌集﹄春下 心なき我が身なれども津の国の 難波の春に絶えずもあるかな 季通冬   霜枯れの難波の葦のほの

と  明くる湊に千鳥鳴くなり  賀茂成保冬   難波潟入江をめぐる芦鴨の玉藻の舟に浮き寝すらしも  左京大夫顕輔羇旅  宮木引く梓の杣をかき分て  難渡の浦を遠ざかりぬる  能因法師恋一  難波江の藻に埋もるゝ玉か しは  あらはれてだに人を恋ひばや   源俊頼朝臣

恋一 難波女のすくも焚く火の下焦がれ 上はつれなき我が身なりけり 清輔恋三 難波江の芦のか 仮寝りねの一よ ゆへ 澪 標てや恋わたるべき 皇嘉門院別当恋四  芦の屋のかりそめぶしは津の国の  な がらへ行けど忘れざりけり  為貞雑上  行末を思へばかなし津の国の  長柄の橋も名は残りけり   源俊頼朝臣雑上  難波潟潮路遥かに見渡せば  霞に浮かぶ沖の釣り舟  円玄法師雑上  何事も変はり行くめる世の中に  昔ながらの橋柱かな  道命法師雑上  今日見れば長柄の橋は跡もなし  昔ありきと聞きわたれども  道因法師﹃新古今和歌集﹄雑下 数ならで世に住の江の澪標 いつを待つともなき身なりけり 源俊頼春上 夕月夜潮満ち来らし難波江の 芦の若葉を越ゆる白波 藤原秀能春上  難波潟かすまぬ波も霞みけり  うつるも曇る朧月夜に  源具親秋上  忘れじな難波の秋の夜半の空  こと浦に澄む月は見るとも   宜秋門院丹後秋下  夏草のかりそめにとてこしやども  難波の浦に秋ぞ暮れぬる  能因法師冬   津の国の難波の春は夢なれや  蘆の枯れ葉に風渡るなり  西行法師冬  冬深くなりにけらしな難波江の 青葉まじらぬ葦の村立 大納言成通哀傷 哀れ人今日の命を知らませば 難波の蘆に契らざらまし 能因法師羇旅  難波人葦火焚く屋に宿かりて  すゞろに袖のしほたるゝかな  俊成恋一  難波潟短き葦の節の間も  逢はでこの世を過ぐしてよとや  伊勢恋一  我が恋は言ぬばかりぞ難波なる  蘆のしの屋の下にこそたけ  小弁恋一  難波人いかなる江にか朽ちはてん  逢ふことなみに身をつくしつゝ

  藤原良経雑上 難波潟潮干にあさる葦鶴も 月かたぶけば声の恨むる 俊恵法師雑中 難波女の衣干すとて刈りて焚く 蘆火の煙たゝぬ日ぞなき 貫之雑中 年ふれば朽ちこそまされ橋柱 昔な がらの名だに変はらで 忠岑雑中  春の日の長柄の浜に舟とめて  いづれか橋と問へど答へぬ  恵慶法師雑中  朽ちにける長柄の橋を来て見れば  蘆の枯れ葉に秋風ぞ吹く  藤原実定雑中  沖つ風夜半に吹くらし難波潟  暁かけて波ぞ寄すなる  権中納言定頼雑下  津の国のながらふべくもあらぬかな短き芦のよ にこそありけ  花山院八代集①﹃古今和歌集﹄醍醐天皇勅命︑延喜一四年︵九一四︶頃成立︒     ②﹃後撰和歌集﹄村上天皇勅命︑天暦七年︵九五三︶頃成立︒

    ③﹃拾遺和歌集﹄花園法皇院宣︑寛弘初年︵一〇〇六︶頃成立︒     ④﹃後拾遺和歌集﹄白河天皇勅命︑応徳三年︵一〇八六︶成立︒     ⑤﹃金葉和歌集﹄白河上皇院宣︑大治二年︵一一二七︶成立︒     ⑥﹃詞花和歌集﹄崇徳上皇院宣︑仁平元年︵一一五一︶頃成立︒     ⑦﹃千載和歌集﹄後白河上皇院宣︑文治三年︵一一八七︶成立︒     ⑧﹃新古今和歌集﹄後鳥羽上皇院宣︑元久二年︵一二〇五︶成立︒この後︑勅撰集は︑室町時代︑後花園天皇勅命︑永享一一年︵一四三九︶成立の﹃新続古今和歌集﹄が最後の二一代︒掛詞  難波=名には︑三津・御津=見つ︑長柄=〜ながら・永らふ

    澪標=身を尽くし景物・語彙  難波↓葦・澪標︑長柄橋↓造る本歌取り  すぐれた古歌の語句・発想などを取り入れる詠歌方法︒﹃万葉集﹄巻一一  難波人葦火焚く屋の煤してあれど  己が妻こそ常めづらしき  読人不知  ↓  ﹃新古今和歌集﹄巻一〇  難波人葦火焚く屋に宿かりて すゞろに袖のしほたるゝかな  俊成   ︶物語・謡曲の難波資料

43  ﹃大和物語﹄一四八段芦刈   津の国の難波のわたりに家してすむ人ありけり︒あひ知りて年ごろありけり︒女も男も︑いと下種にはあらざりけれど︑年頃わたらひなどもいとわろくなりて︑家もこぼれ︑使ふ人なども徳ある所にいきつゝ︑たゞ二人すみわたるほどに︑さすがに下種にしあらねば︑人に雇はれ使はれもせず︑いとわびしかりけるまゝに︑思ひわびて︑二人いひけるやう︑﹁なほいとかうわびしうてはえあらじ﹂︑男は﹁かくはかなくてのみいますかめるをみすてては︑いづちも

えいくまじ﹂︑女も﹁男を捨ててはいづちかいかむ﹂とのみいひわたりけるを︑男︑﹁おのれはとてもかくても経なむ︒女のかく若きほどにかくてあるなむ︑いといとほしき︒京にのぼりて宮仕へをもせよ︒宜しきやうにもならば︑われをもとぶらへ︒おのれも人の如もならば︑かならずたづねとぶらはむ﹂など泣く

いひ契りて︑た

関連したドキュメント