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金正恩体制期水産振興政策の考察

ドキュメント内 報告書-朝鮮半島のシナリオ (ページ 51-65)

    ―「新たな並進路線」下の経済運営の一類型―

飯村 友紀

1.はじめに

 プロジェクト「朝鮮半島のシナリオ・プランニング」初年度報告書では、金正恩体制下 の北朝鮮において、前体制からの連続性が恒常的に強調されつつ、そこに次第に独自色が

「重ね塗り」されていくことになるとのイメージ―いうなればグラデーション―を示し、

そこに生じる新旧の政策間の共通点と差異(変化)を剔抉する必要性を指摘した。後継者・

金正恩が「先代首領たち」の路線の墨守を自身の存立基盤とする以上、金正恩体制が政策 転換の必要性を認識していない場合はもとより、状況の変化への対応ないし実質的な政策 転換を志向する場合にも、常に前体制における政策との差異が意識され、前体制からの乖 離(ないしは乖離したとの印象を惹起する可能性)が最小限となるよう「補整」が加えら れると考えられること、したがって修辞上で常に連続性が強調されることによって、新体 制への移行にともなう変化の側面が糊塗・看過される可能性が想起されることが、斯様な 認識の根幹であった。そしてこのような問題意識のもと、初年度報告書においては金正恩 体制下の経済政策の「指針」とされる「経済建設と核武力建設の並進路線」(「新たな並進 路線」:2013年3月発表)に着目し、そのロジックの分析を試みた1

 その結果導かれたのは、金正日体制期の軍需産業優先路線(「先軍時代の経済建設路線」: 以下、便宜上「旧路線」と表記)を特徴づけていた「重点部門への優先投資が全般的な経 済浮揚効果に帰結する」とのフィードバック効果を強調するロジックを明確に受け継ぎつ つ2、優先投資の対象を「核開発」へとより局限し、しかして「旧路線」における優先対 象であった軍需産業(「国防工業」)も依然として優先事項に置き続ける3―正確には軍需 産業の産業連関における位置付けを不明瞭にすることによって韜晦する―との「新たな並 進路線」の特性であった。そして斯様なナラティヴのもと、字義的には軍事費から支弁さ れるべきコスト―例えば大規模工事に動員された軍人建設者に対する物資・資材の供給―

を民間に転嫁する動きが顕著となりつつあること、さらに軍隊による経済分野への参画―

建設工事への労働力提供という「従来型」に加え、より直接的な経営活動(軍人向けの生 産施設のみならず民間向け生産単位の運営)を含む―が報じられるケースが増加している ことに注目し、その後背に(おそらくは核開発へのリソース集中にともなう)軍隊維持の ためのコスト圧力の相対的増大に対処しつつ、民生改善(「人民生活の向上」)の成果を導 出せんとする意図が存している可能性を指摘した。

 さて、しからば斯様な状況はその後、いかに推移し、いかなる展開を見せたのか。本稿 ではこの疑問を充足させるべく、前稿の視角を保ちながら2014年の北朝鮮国内経済の状 況の考察を試みるものである。その過程を通じて、金正恩体制期の経済政策の特徴を浮か び上がらせることを目指した前稿―いわば素描―に検証を加えつつ、そこに「彩色」を施 し、もって2年計画で実施されるプロジェクトの特性に合わせた成果物―合本―を導出す ること、これが筆者の意図となる。

 具体的には、2014年の北朝鮮経済において顕著な動きがあらわれた水産部門に着目し、

その展開過程を記述するとともに、軍部門・民間部門の双方がアクターとして関与してい ることが早期から闡明された同部門の動きより看取される示唆点を抽出することとした い。

2.2014年の北朝鮮経済・概観―「新たな並進路線」の「適用度」の観点から―

 まずは「新たな並進路線」登場後の北朝鮮経済の状況について瞥見しておこう。旧会計 年度の予算収支報告および新年度予算計画の発表が行われる最高人民会議(第13期第1 次会議)において「意義深い昨年、朝鮮労働党が提示した新たな並進路線に沿って経済強 国と人民生活向上のための総攻撃戦が力強く繰り広げられたことにより、主体102(2013) 年の国家予算は正確に執行された」との財政相報告がなされていること、また「最高人民 会議の審議に提出された国家予算報告において、昨年度国家予算執行が正確に総括され、

今年の国家予算も党の提示した新たな並進路線の要求に合わせて正しく編成された(後 略)」との発言が見られることから、2013年から2014年にかけて、経済政策の大枠が同 路線を敷衍してデザインされたことが看取される4。他方、同路線ともっとも直截的に関 連すると考えられる「国防費」については、2013年の16.0%(確定)から2014年の 15.9%(見込)と、ほぼ横ばいで推移していることが公言されており、これらの言説に拠 るかぎり、同路線の登場後も、過大な軍事支出を特徴とする北朝鮮経済の構造に大きな変 化は生じていないということになる。

 ただし、ここで想起すべきは「新たな並進路線」が必ずしも総体としての軍縮を唱えて はいないという点であろう。同路線のロジックが主張するのは軍事費そのものの縮小では なくあくまで「追加の軍事支出をなくす」ことであり、この点は同路線と直接的な軍縮を 連結させる言説が現状においてごく少数にとどまっていることからも示唆される5。すな わち、軍事費の規模を維持しつつ、その中で「核抑制力」の構築に充てる割合を増大せし めるという政策的意図がそこに働いていることが推測されるのである。

 また、同路線のロジックは―先にも一部見た通り―旧路線と同様に重点部門への優先投 資の効果が他部門にも均霑するとの論理構造を持ちながらも、その「効果」に関する説明 は核抑止力の向上による安全確保という間接的なものにとどまっていた6。そして斯様な

「迂遠なフィードバック」を特徴とする以上、同路線による経済的成果に関する言説には ある種の苦衷の痕跡がにじむこととなる。

「核を中枢とする国防力強化に過去の時期よりも少ない資金を回し、軍力を最大に強 化しつつも経済建設に多くの資金を回すようになったことは言うまでもない。並進路 線を採択した過去2年の間に工場・企業所がいっそう現代化・活性化され、農業生産 がぐっと成長し、海では黄金海の新たな歴史が繰り広げられ、また洗浦地区の巨大な 台地には大規模畜産基地が設えられつつあり、みなを驚かせている」7

「並進路線が法化された時から、われわれは確固たる軍事的担保に依拠して経済建設 により多くの人的・物的潜在力を回し力強く前進している。この一年間、わが祖国に 過去数年間に建設したよりも多くの記念碑的創造物がいっそう立派に立ち上がったと いう事実ひとつをとってみても、これを立証することができる」8

 すなわち、特に大規模娯楽・厚生施設の建設を同路線の成果と位置付ける動きが表面化 していたのである9。とりわけ言説上、「社会主義富貴栄華」―金正恩が金日成誕生100年

記念閲兵式(2012年4月)の檀上、肉声演説の形で言及したもの10―の典型としてそれ らの施設が位置付けられることにより、フィードバックの「鈍さ」を糊塗せんとする傾向 はいっそう顕在化していく11。そのような施設の実際の利用者がいかなる階層の人々であ るかは容易に推量されるところであるが12、他方、たとえば外国人投資家向け説明会の場 では「核抑止力の構築による地域情勢の安定(投資環境の安定)」といった国内向けに多 用されるアピールが影を潜めるなど13、「新たな並進路線」の成果を可視的な形で顕現さ せるにあたり、北朝鮮当局が苦慮していたことが強く示唆されるのである。「国の軍事力 はその国の経済力によって物質的に裏打ちされる。経済力が弱ければ軍事力を世界的な発 展趨勢と現代戦の要求に合わせて発展させることはできず、経済力が発展するほど、それ に合わせて軍事力をさらに強化発展させることができる。わが人民が新世紀産業革命の炎 高く建設する社会主義経済強国は最先端科学技術に基づく強大な知識経済の威力を持つこ とにより、国の軍事力を不敗のものへとさらに強化させうる威力ある物質技術的土台とな る」と、経済建設の重要性を―「国防工業」優先路線のロジックを倒置する形で―強調し、

先端科学技術の導入(CNC化)の必要性を説きつつも「社会主義経済強国」実現のため の当面の課題としては「人民生活の改善」(食糧問題解決、軽工業発展、住宅問題)を掲 げた文献記述などからも14、この点はうかがえよう。

 斯様な状況において浮上したのが軍の経済活動への参画であり、同路線の登場とともに 斯様な傾向が顕著となったことは初年度報告書にてすでに触れた通りであるが、その際に 用いた類型化の手法、つまり「軍部隊・軍人への物資供給用生産単位の運営」「軍の保有 するリソース・ノウハウの民間向け活用」「民間向け施設の建設への参与」「民間向け生産 単位の運営」に沿った金正恩現地指導の分類によって2014年の斯様な動きを概括するな らば、それは以下のようなものであった15

① 軍部隊・軍人への物資供給用生産単位の運営:

「人民軍第534軍部隊指揮部」(1月12日付。補給事業の模範単位)、「人民軍11月2日 工場」(2月20日・8月24日付。軍人用糧食を生産)、「平壌弱電機械工場」(3月3日付)、

「カン・テホ同務が事業する機械工場」(3月20日付。記述から軍需工場と推測)、「大 城山総合病院」(5月19日付)、「大館ガラス工場」(5月26日付。他の現地指導記事か ら軍需工場と推測)、「許チョルヨン同務が事業する機械工場」(5月27日付。他の現地 指導記事から軍需工場と推測)、「全ドンニョル同務が事業する機械工場」(8月10日付。

記述から軍需工場と強く推測)、「人民軍第621号育種場」(8月21日付)、「10月8日工 場」(8月31日付。人民軍第593大連合部隊、第101軍部隊、第489軍部隊、第462軍 部隊の軍人建設者が建設。旧称「金イクチョル同務が事業する日用品工場」。民間向け 生産も行っているかは不詳)、「新たに建設した軍人食堂」(10月29日付。人民軍第489 軍部隊が建設)、「人民軍2月20日工場」(11月15日付。軍人用の糧食生産単位)、「人 民軍第534軍部隊管下の総合食料加工工場」(11月17日付。軍人用の糧食生産単位)、「人 民軍第567軍部隊管下の18号水産事業所」(11月19日付。漁獲した水産物を軍部隊に 供給)、「人民軍6月8日農場に新たに建設した野菜温室」(12月26日付。全社会的な 温室農業の模範とするよう指示)

ドキュメント内 報告書-朝鮮半島のシナリオ (ページ 51-65)