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○阪神 対 巨人●

6‐5

プロ野球セ・リーグ公式戦 阪神 対 巨人 2回戦 1985(昭和60)年4月17日

甲子園球場

○広 ○ 広島 島 対 対 近 近鉄 鉄● ●

44‐‐3 3 プロ野球日本シリーズ 第7戦 1979(昭和54)年11月4日

大阪球場

○阪 ○ 阪神 神 対 対 巨 巨人 人● ●

6‐6‐5 5

プロ野球セ・リーグ公式戦 阪神 対 巨人 2回戦 1985(昭和60)年4月17日

甲子園球場

古葉竹識監督率いる広島と、パシフィック・リーグで初優勝した西本幸雄監督率いる近鉄の 対決。ともにホームでの試合に勝利して3勝3敗で迎えた第7戦は、広島1点リードで迎え た9回裏、のちに「江夏の21球」として球史に残る劇的なドラマが待ち受けていた。

近鉄が無死満塁で迎えた絶好のチャンスに対して、広島の江夏豊投手は、代打佐々木恭介を 三振にとり、続く打者石渡茂のスクイズをスローカーブで外して、三塁走者が本塁手前でタ ッチアウト。そして石渡を空振り三振にとり、広島が初の日本一に輝いた。

近鉄は翌年再度広島との日本シリーズに臨んだが惜敗、1989(平成元)年には、巨人との日 本シリーズで3連勝のあと4連敗を喫して、悲願の日本シリーズ優勝を果たせぬまま、2005

(平成17)年、球界再編の中で球団は解散した。

阪神のクリーンナップ(3番ランディ・バース・4番掛布雅之・5番岡田彰布)が7回裏の 攻撃時に、巨人の槙原寛己投手より、3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を 放った。勢いに乗った阪神は翌日も勝利し、巨人との3連戦を3連勝とした。

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119. デイリースポーツ[大阪] 13078 1985(昭和60)年4月18日 神戸新聞社<Z86-5> バース、掛布、岡田の似顔絵を「3」に絡めたデザイン。

120. デイリースポーツ[大阪] 13256 1985(昭和60)年10月17日 神戸新聞社<Z86-5>

紙面のほぼ全てが阪神のリーグ優勝に関する記事で、広告も「祝優勝」と題したものが並ぶ。阪神ファンの有 名人からのコメントも多数。題字は藤本義一。山口洋子と上岡龍太郎の対談には「巨人ファンも楽しかったは ずや」と記されている。

近鉄の執念とロッテの意地

ロッ ロ ッテ テ 対 対 近鉄 近 鉄

44‐‐4 4 引引きき分分けけ((延延長長1010回)回) プロ野球パ・リーグ公式戦 ロッテ 対 近鉄 26回戦

1988(昭和63)年10月19日 川崎球場

121. 「日刊スポーツ[東京] 15367 1988(昭和63)年10月20日 日刊スポーツ新聞社<Z86-2> 122. 報知新聞 38624 1988(昭和63)年10月20日 報知新聞社<Z86-3>

ベンチで頭をおさえる仰木監督と、放心状態の近鉄ナイン。報知新聞はこの頃、二色刷りの紙面では他社と異なり緑色を使 用して差異化をはかっていた。

ロ ロッ ッテ テ 対 対 近鉄 近 鉄

4‐4‐44 引き引き分分けけ((延延長長1010回回)) プロ野球パ・リーグ公式戦 ロッテ 対 近鉄 26回戦

1988(昭和63)年10月19日 川崎球場

この年、阪神は最終的に対巨人戦13勝12敗1分とするとともに、21年ぶりのリーグ優勝 を決め、西武との日本シリーズも制覇して、初の日本一となった。

近鉄はこの日の対ロッテ戦のダブルヘッダーに連勝すれば、8年ぶりのリーグ優勝が決まる が、1試合でも引き分ければ、西武の4連覇が決まるという、絶対に引けない状況であった。

第1試合は近鉄が4対3で勝ったが、続く第2試合は4対4のまま延長戦へ突入した。試 合時間が4時間を超えたところで新しいイニングには入らないという規定となっており、10 回の表近鉄が無得点で攻撃を終えた瞬間に、西武の優勝が決まった。目前での近鉄の胴上げ をなんとしてでも防ぎたいロッテの意地が、近鉄の希望を打ち砕いた。優勝の望みがついえ たあと10回裏の守備に就く近鉄ナインの姿が印象深い。

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コラム

スポーツ新聞のカラー化

現在のスポーツ新聞といえば、カラー写真に赤・青・黄の派手な題字が踊っている紙面が特徴である。しかし、

このような形になったのは1990年代のことであった。(展示資料124、136)

新聞にカラー写真が登場したのは 1951(昭和 26)年の元旦に、朝日、毎日、日経、中日が出した別刷り特集 だと言われている。東京オリンピックの際にも一般紙、スポーツ紙ともにカラー写真を掲載したことはあった が、日常的ではなかった。この頃はカラーは出稿から印刷開始まで何日もかかり、日々の刊行には取り入れら れなかった。

しかし、その後、1970年代からのコンピューターを導入した版面作り、スキャナの発達、凸版印刷からオフセ ット印刷といった技術革新があり、徐々にカラー化が進んでいく。こうした過程で、70年代半ばから80年代 半ばまでは、モノクロに題字だけ色を用いる二色刷りが行われていた(主に朱色だが報知新聞は緑)。(展示資 料115、122等)

一般紙も含めて、初めて本格的なカラー紙面をスタートさせたのは1986(昭和 61)年 5月のスポーツニッポ ンである。スポーツ紙がカラー化を急いだのは、駅の売店での販売が多いという要因があるだろう。見出しが 目立たなければ売れないからである。

メークドラマの完成

○巨 ○ 巨人 人 対 対 中日 中 日● ●

5‐5‐22

プロ野球セ・リーグ公式戦 中日 対 巨人 25回戦 1996(平成8)年10月6日

ナゴヤ球場

123. 週刊ベースボール 51(48)=2199 1996(平成8)年10月17日増刊号 ベースボール・マガジン社

<Z11-24>

巨人メークドラマを特集した増刊号。松井秀喜はインタビューでメジャー挑戦もほのめかしている。

124. スポーツ報知[東京] 41447 1996(平成8)年10月7日 報知新聞社<Z86-3> 長嶋自身による「メークドラマ完結 ご声援有難う御座居ました」という題字。

○巨 ○ 巨人 人 対 対 中 中日 日● ●

55‐‐2 2

プロ野球セ・リーグ公式戦 中日 対 巨人 25回戦 1996(平成8)年10月6日

ナゴヤ球場

監督復帰4年目の長嶋茂雄監督のもと、首位と最大11.5ゲーム差をつけられていた巨人は、

7月より快進撃を開始。10月6日、ナゴヤ球場での対中日25回戦で勝利し、巨人のリーグ 優勝が決まった。「メークドラマ」は長嶋監督が使った和製英語で、巨人の大逆転を表す言 葉として、同年の新語・流行語大賞に選ばれた。

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高校野球

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