――日本語の主名詞を提示する助詞の通時的変遷
第6章では、共時的に、つまり現代日本語において「ハ/ガ」がどのように使い分けられ ているかを見てきた。第7章では、「ハ/ガ」の使い分けがどのような通時的経緯で現在のよ うになっているのかを明らかにし、第5章までで述べたことの傍証としたい。
第4章で、話者の視座に立つ共感的理解を本質とする日本語では、知覚か認識かというこ とが話者と事態の関わりを示す重要な基軸になっていること、それは主名詞に付く「ハ/ガ」
と文末表現で示されることを見た。文末表現は文語においては「イ韻で終わる・ウ韻で終わ る」という形でアリカタとシワザを区別していたが、日本語に起こった様々な変動を通して、
現代では意味的に知覚か認識かという区分になっていると見られる。
実は、文末だけでなく主名詞の提示の方も日本語の歴史の中で大きな変化を見せている。
本章では、主名詞を提示する助詞の変遷を特に「ガ」をめぐる状況を中心に見ていきたい。
また、「ガ」には<解答提示ガ>という認識・判断の文で使われる「ガ」があり、他の二 つの用法(<知覚表明文><非眼前情報伝達文>)が全文焦点の外に知覚されることの叙述 であるのとはかなり異なる性格を示している。なぜ「ガ」が<認識表明文>で使われること となったのか、この点も、通時的経緯をたどる中で明らかにできればと考えた。
現代日本語において「ハ/ガ」は主名詞を提示する助詞として機能しているが、「ガ」が現 在のようにこの機能を果たすこととなったのは、そう古いことではない。「ガ」は、古くは 連体的働きをしていたものが、主格的な働きをするようになったと見られており、それは
300~600年ほど前のことではないかとされている。それより以前、奈良・平安・鎌倉期に
名詞類の提示を担っていたのは、係助詞といわれる「ゾ・ナム・ヤ・カ・コソ」と「ハ・φ」
であったと思われる。
これらの係助詞による係り結びという特徴的構文が、平叙文でいうとナム(平安末~鎌倉 期)、ゾ(鎌倉~室町期)、コソ(室町~江戸期)の順に消えたことが知られている。ここで は特に、「ハ/ガ」の対立の成立に関わると思われるゾ係り結びの消滅を見ていく。
7.1 ゾ係り結びから「~ガ~ゾ形」へ――山田(2010)
山田(2010)は、平安期から鎌倉期にかけて、会話文における強調表現や疑問表現で、
「ゾ・カ係り結び」が「~ガ~ゾ」「~ガ~カ」の形に移行したことを明らかにしている。
この移行は、山田が「有情A」という一・二人称代名詞、人固有名詞85につく「ガ」から始 まり、「有情A以外の有情名詞(山田は有情Bとしている)」、「非情物」へと広がっていっ たという。
85 これらは、『万葉集』以来「ガ」に上接する名詞であった。
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山田が強調表現の「~ガ~ゾ」として挙げた例文(1)~(17)を見てみると、いずれ も「ガ」は主節使用になっている86。但し、文末に連体形接続の終助詞「ゾ・カ」が付いて いるので、「名詞ガ名詞(準体87)」の形にはなっている。(1)「われらのしどけないことだ よ」(3)「自分のあまりに異様なことよ」(4)「自分たちの鬼であることよ」のように連体 として読むことができる。
平安期(有情Aガ)
(1)「われらがしどけなきぞかし」(『宇津保物語』p.940)
(2)「をのが侍るぞとて」(『宇津保物語』p.1520)
(3)「わがあまり異様なるぞや」(『源氏物語』5総角p.292)
(4)「己等ガ鬼ニテ有ルゾ」(『今昔物語』1 p.340)
(5)「惟成が落としたりつるぞ」(『落窪物語』p.83)
鎌倉期(有情Aガ)
(6)「その庭にながいめが候ぞ」(『古今著聞集』p.303)
(7)「左兵衛尉長谷部信連が候ぞ」(『平家物語』上p.287)
(8)「おのがわたくしに里隣わたくしのものどもよびあつめて候ひつる」
(『宇治拾遺』p.274)
鎌倉期(有情Bガ)
(9)「信頼という不覚仁が、あの門やぶられつるぞや」(『平治物語』p.224)
(10)「愚息の小童が書て候」(『古今著聞集』p.318)
(11)「城のうしろの案内をばかうのものがしる候」(『平家物語』下p.197)
鎌倉期(非情ガ)
(12)「ふかくおさめをく期があらんずるぞ」(『平治物語』p.292)
(13)「在るむねがあるぞ」(『平家物語』下p.100)
(14)「一向前がくらうて見えぬぞ」(『平家物語』下p.148)
(15)「鎧が、けふはおもうなたるぞや」(『平家物語』下p.179)
(16)「雪ハ北サマガ目出也」(『十訓抄』p.124)
(17)「御牛の鼻がこはう候」(『平家物語』下p.141) (以上、山田(2010)より)
平安期の「~ガ~ゾ」形式は、「ガ」の上接語が「われら・をの・惟成」のように有情A のみであるが、鎌倉期になると、「(9)不覚仁、(10)小童、(11)かうのもの」と人普 通名詞(山田の有情B)も現れている。山田は事実の変化だけを述べているのであるが、こ
86 それまでの「ガ」は連体句・従属節の内部でのみ使われていた。
87 用言の連体形がそのまま名詞相当として使われる用法。
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れは、鎌倉期になって「ノ」→尊敬、「ガ」→非尊敬、という使い分け88がはっきりしてきた ことによると思われる。(6)~(11)の「人ガ」は、(7)(8)(10)では自分・身内
「ガ」であり卑下、(6)(9)(11)では軽蔑の意が含まれている。つまり、「ノ」に対し て非尊敬の意味で「有情A(一・二人称代名詞、人固有名詞)」だけでなく、普通名詞にも
「ガ」が使われ出しているということである。
「ガ」の使用がこのような人普通名詞に広がったことで、「ガ」が持っていた上接語制約
89が外れると、ゾ係り結び→「~ガ~ゾ」の流れは一気に進み、(12)~(17)のような
「物名詞(非情)ガ」へも広まっていったと考えられる。
7.2 「ゾ」がなぜ「ガ」になったのか
「ゾ・カ係り結び」が「~ガ~ゾ」「~ガ~カ」の形に移行した理由として山田(2010)
は、北原(1984)のいう「係助詞のプロミネンス化90」を挙げている。すなわち、「A ヲゾ
~」は「Aを~」( はプロミネンス)のようにプロミネンス化して強調できるが、「Aφゾ
~」はゾが無くなるとプロミネンスの置き場所が無くなる、そこに「が」が入ったと見るの である。これは、係り結びの方の事情としては、その通りであろう。だが、プロミネンスの 置き所に採用されたのがなぜ「ガ」だったのか、について山田は何も述べていない。そこで、
この点を明らかにするべく、7.2.1で「ゾ」の起源を、7.2.2で「ガ」の起源を見 ていく。
7.2.1 「ゾ」「コソ」の起源と性質
「ゾ」は本来清音の「ソ」であり、ゾが「それ」・コソが「これそれ」であることは、
富士谷成章以来多くの学者が述べているところである91。すなわち、「ゾ」「コソ」は話者 が注目したものを聞き手と共有しようとして「指し示す」言葉であったと見られる。この ようにして話者と聞き手の注意が同じ対象に向くことを共同注意という。
大野(1993)は、「ゾ」は本来述部にあって相手への態度表明を役目とし、それが後に 倒置によって文中に位置するようになった、としている。本来文末にあって新情報を示し ていた「ゾ」が倒置されることによって、聞き手に「これはどんな問いに対する答えなの か」という戸惑いを感じさせ、強調表現となる、としている。倒置によって題目語(名 詞)が後ろに来るので当然それは連体形(準体)となる、という指摘は、係り結びの成立
88 『宇治拾遺物語』巻七の二「播磨守為家の侍佐多が事」、『古今集註』巻四・秋上224、
はその証左として有名。尚、ノ→尊敬、ガ→非尊敬、の対立が16世紀末まで続いたこと は、安田(2003)が『日本大文典』の記述などから明らかにしている。
89 『万葉集』以来「ガ」は主として一・二人称代名詞、人固有名詞(山田2010の有情 A)に付くとされている。(その他植物などに付く例も多少ある。)
90 話し言葉で、「文中のある語を強調した発音などできわだたせること(講談社『日本語 大辞典』)」をプロミネンスという。
91 富士谷成章『あゆひ抄』、松下(1930:603)、大野(1993:120―121)など。
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の経緯として説得力があるが、なぜ倒置が起こったのかについては、ただ強調という修辞 的要求から倒置したというのは、どうであろうか。「ゾ」が措定や判断表明という機能だ けでなく、<共同注意要請>の機能を併せ持っていたとすると、「ゾ」のつく句が頻繁に 前に出て倒置になることも、容易に理解できる。というのは、現代の話し言葉でも「田中 さんだよ、ほら、あそこを歩いてる」のように共同注意を促したい言葉は文頭に出やす く、それが認知の順序に適っているからである。
「ゾ」「コソ」の起源がこのように共同注意要請であったとして、二語の違いは何であ ろうか。時代は少し下るが、「ゾ係り結び」と「コソ係り結び」の違いを示す好例が『枕 草子』にある。
(18)いとつややかなる板の端ちかう、あざやかなる疊一ひらうち敷きて、三尺の 几帳、おくのかたにおしやりたるぞあぢきなき。端にこそたつべけれ。おくの うしろめたからんよ。(枕草子 36段)
(18)では几帳が「おくのかたにおしや」ってあるのは「あじきなき」と言ってお り、これは眼前の状態である。それに対して「(几帳は)端にこそたつべけれ」すなわち
「たてるべきなのだ」と言っている。これは書き手の主張であって書き手の頭の中にある ことである。この「眼前のものを指し示す」か「自分が主張対象として頭の中から取り出 す」かが「ゾ」と「コソ」の違いではないか。
そこで本稿筆者は島(2013)で、「ゾ・コソが成立した時点においては、ゾは叙述的共 同注意要請を、コソは指令的共同注意要請を表した」92という仮説をたて、『万葉集』にお ける「ゾ・コソ」の使用を検討した。
本多(2011)や守屋(2009)は、現代日本語において「聞き手の注意をある事柄に誘導 しようとしていることを明示」するには「ヨ」を使うと述べている。つまり、現代語では
<共同注意要請>には「ヨ」が使われる。また、此島(1966)、竹内(1987)、大野
(1993)は「ゾ」は措定判断を表わすcopulaのようなものであるとしているが、現代日 本語ではその機能は「ダ」という判断辞が担っている。そこで、『万葉集』の「ゾ」が現
92 大藪(2004)は、共同注意には、事物自体を求める指令的共同注意と、他者とのつなが り(共感)を求める叙述的共同注意があるとしている。また尾上(2006)は、名詞一語文 は特別な文脈がない限り<存在承認>か<希求>かいずれかの機能をもつ、としており、
これは大藪(2004)の言う叙述的共同注意と指令的共同注意に当たると見られる。
すなわち、ヒトが「水!」という名詞一語文を発する時、これが叙述であるか指令であ るかを区別したいという欲求が起こる事は当然考えられる。そこに使われたのが「ゾ・コ ソ」ではなかったか、というのが本稿筆者の仮説である。「水ゾ」と言えば「水が有る」
ということ、「水コソ」と言えば「水がほしい」ということである。