調布付属校用地に隣接する調布飛行場は、
1941
年〜1945
年まで旧日本陸軍によって接収され、おも に迎撃用戦闘機や偵察機の基地として使用されていた。当時、調布飛行場の周辺には、掩体壕・兵站宿舎・貯水槽などの施設が設置されていたことが知られており、調布付属校用地の敷地内にも、何らかの戦争関 連施設の痕跡が残されている可能性が高いものと推測されていた。
こうした予測を裏付けるように、
2003
年度に実施した富士見町遺跡第1
地点の調査では、戦時中に構 築された防空壕・待避壕・機関銃台座と考えられる遺構が検出された。また同じく2003
年度に実施した敷地全域に対する地下レーダー探査でも、敷地内の各所で人為的な地下構造物、埋設物の存在を表わす レーダー反応が捉えられた。これらの調査成果をふまえたうえで、今回の試掘・確認調査の実施にあたっ ては、戦争関連遺構の有無と遺存状況の実態を把握することが課題の一つと判断された。
そこで試掘・確認調査の実施計画作成に先立って、
1948
年当時の調布飛行場周辺地区を米軍が撮影し た航空写真(国土地理院所蔵)を入手し、これに現在の調布付属校用地の敷地測量図を重ねあわせ、本敷 地内に存在したと考えられる飛行場関連施設 の所在位置の照合作業 を行なった(写真
1
)。そ の 結 果、
1948
年当時、敷地内には掩体 壕と考えられる施設
2
基(敷地西側の現正面 ゲート脇、グラウンド 北 側 )、 性 格 不 明 の 建 築 物
1
基( グ ラ ウ ンド 南 側 )、 無 蓋 式 の 貯 水 槽
1
基( 敷 地 南 端 ) が存在していたことが 明らかとなり、ほかに も道状の痕跡などが見 て取れた。このうち敷 地南端に見られる貯水 槽については、写真照 合で判明した推定位置 にコンクリート製の地 下基礎部分が残存して い る こ と を、2004
年3
月〜5
月に実施した合宿所周辺の補足発掘 調査時に確認していた
(
2-1
参照)。試掘・確認調査の実 施にあたっては、写真 照合とレーダー探査の
成果をもとに、地下構
第 18 図 近・現代遺構・遺物分布
A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y 1
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
X=410 X=420 X=430 X=440 X=450 X=460 X=470 X=480 X=490 X=500 X=510 X=520 X=530 X=540 X=550 X=560 X=570 X=580 X=590 X=600 X=610 X=620 X=630 X=640 X=650
SD4210008 SK4210001
SD4210004/14 掩体壕1
搬入路?
掩体壕2
溝1(SD4210002/15)
SD4210006
SD4210001
SX4210005
ピット群(3基)
溝3(SD4210009/16)
畝状遺構?
P4210015 溝4(SD4210011)
SX4210006 ピット群(2基)
SD4210007
(3基)ピット群
SD4210003
SD4210004
SD4210005 SD4210010
SX4210009 SD4210017
P4210008 SX4210007
SD4210013
SD4210021 SD4210020 ピット群(8基)
SX4210012
SZ4210001/02 ピット群(14基)
SX4210010/11 溝2(SD4210018)
ピット群(7基)
SZ4210003 P4210063
ピット群(2基)
ピット群(3基)
(3基)ピット群 SX4210013〜15
ピット群(5基)
SK4210005
T110
T187
?
?
?
?
? ?
? 溝5(SD4210019)
ピット群
掩体壕/搬入路 近・現代遺構 中世〜近世遺構・遺物 古代?遺物
(SG4210001)待避壕?
0 50m
S=1/2,000
(2003年度本調査範囲)
造物・埋設物が所在する可能性の高い地点に試掘坑を配置し、戦争関連遺構の有無と遺存状況の把握に努 めた。
確認された主な近・現代遺構の概要は、以下のとおりである(第
18
図)。掩体壕 1: T125A
・B
・127
・128
に か け て、 掩 体 壕 の 擁 壁 基 礎 と 考 え ら れ る コ ン ク リ ー ト 塊 と、 現 地 表 下1.2
〜1.6m
ま で掘 り 込 ん で砂 利を 敷 き つめ た床 状の 造 作を 確 認。 埋 土中 に は蓋 部 の残骸と考えられるコンクリート解体ガラが含まれており、有蓋半地下式構造の掩体壕と考 えられる。掩体壕 2: T204
で掩体壕の擁壁基礎と考えられるコンクリート塊を検出。待避壕?: T101
で幅1.4m
、深さ1.2m
の箱型の溝を検出。埋土中からはガラス瓶、陶磁器、缶、金 属片等が多量に出土。溝 1・2: T104
・108
・121
・141
で 幅 約30cm
、 現 地 表 面 か ら の 深 さ1.4
〜1.6m
の 溝 を 検 出。 溝 の底部には金属管(直径約1
〜1.5cm
)が埋設されていた。溝 3 〜 5: T122
・124
・134
・135
・146
で 幅1.8
〜2m
、 深 さ0.5
〜0.6m
の 溝 を 検 出。 断 面 形 状 は緩やかなV
字状。土坑・ピット群: T136
〜144
にかけて、長・短軸1m
前後の方形土坑群、ピット群を検出。これらの遺構に関しては、
1940
年代前半を中心とした戦争関連遺構として捉えている。このほか、土坑状の掘り込み(
SK
・SX
)やヒューム管、U
字溝などが各所で検出されており、覆土 や掘り方、造作の状況などからみて、戦時中のものである可能性が考えられる。また、グラウンド北東部の一角では比較的大規模な造成工事の痕跡を確認している。ここでは重機を用 いて現地表面下約
1.5
〜2m
までの掘削造成が行なわれており、戦争関連遺構として捉えた遺構とは造 作の状況が異なっている。覆土(埋め戻し土)中には砕石(バラスト)や解体ガラ、ガラス片などが含ま れていた。この造成が行なわれた時期の詳細は不明であるが、1948
年撮影の航空写真にはその痕跡を確 認できないことから、1948
年以降に行なわれた可能性が高いものと考えられる。 (玉井)注
1)本節は、上杉 陽、上本進二、菊地隆男、近藤 敏、坂上寛一、羽鳥謙三、松田隆夫各氏らのご教示、調査現場における遺跡層序研 究会、古土壌研究会、関東第四紀研究会と合同の検討会の成果、および2005年3月12日に開催したミニシンポジウム「立川ロー ム層下部の層序と石器群」の討論内容にもとづいている。ただし文責は執筆者にあり、内容に誤りがあるとすれば執筆者の誤解によ るものである。また各専門分野からの詳細な見解については本書第Ⅲ章を参照してほしい。
2)調布市遺跡調査会・川辺賢一氏、三鷹市遺跡調査会・沼上省一氏のご教示、および筆者自身の確認による。
3)東京都埋蔵文化財センター・竹尾 進氏のご教示による。
4)調布市教育委員会・生田周治氏、三鷹市教育委員会・高麗 正氏、府中市教育委員会・中山真治氏、府中市生涯学習センター・松田 隆夫氏らのご教示による。
5)石材については、㈲考古石材研究所・柴田 徹氏のご教示を得た。
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