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資源生物科学研究所

ドキュメント内 岡山大学農業生物研究所史 (ページ 94-98)

V. 大麦系統保存施設

Ⅹ. 資源生物科学研究所

1 .改組の背景 とその経緯

( 1 )

昭和

6 0

年以前

当研究所の将来計画について,所内での検討が始 まったのは最近のことではない。すでに 昭和45年 2月,高須所長の時代 に,研究所の移転問題 を契機 として将来計画委月会が設け ら れた。 この委員会 では,移転問題 とともに研究所のあ り方につ いて も検討 され, その集約が 昭和49年 6月 と昭和52年 5月の研究所運営協議会に報告 されている。

その後, 日浦所長の時に 「研究所の将来計画に関す るアンケー ト調査」が実施 された。 そ の結果の集約が昭和58年7月に提示 され, それに関連 して,将来計画に関す るパネル ・ディ スカッシ ョンが行われた。

また,昭和58年7月に, 当時の大藤学長の要請によ り, 岡山大学農学部 と研究所の両農学 分野におけ る教育 と研究に関 して検討す るため,「岡山大学におけ る農学の教育 ・研究のあ り 方検討委月会

が設け られた。 この委員会の構成は,農学部長 を委員長,研究所長 を副委月 長 とし,両部局か らの教授各3名 に岡山大学事務局長 を加 えた ものであった。本妻月会では, 昭和59年1月に中間答 申を,昭和59年5月に最終答 申を学長 に提出 している。

この頃,全国の国立大学附置研究所 を取 りま く情勢は厳 しさを増 し,昭和59年度 に熊本大 学体質医学研究所がその一部 を遺伝 医学研究施設 とし,他 の部分 を関連学部に移す形で改組 したのをは じめ,い くつかの附置研究所が研究施設等‑の改組転換 を実施 した。 岡山大学内 にあって も,昭和60年度に温泉研究所が 「地球 内部研究センター (全国共同利用)」と 「環境 病態研究施設 (医学部附属)

へ改組転換 した。

なお,岡山大学農学部で も組織改革 をはか り,昭和61年度に1学科 (総合農業科学科)・8 大講座への改組 を実施 した。

以上のような学内外 での学部や研究所の組織に関す る検討の機運 もあ り, 中川所長の時代 (昭和59年4月〜昭和61年3月)には,将来計画委月会 で研究所の将来構想に関 して14回の 検討 を重ね, 中川所長私案 として 「資源生命科学研究所」の構想が提示 された。

(2) 昭和61年以降

しか しなが ら,研究所の将来問題が緊迫の度 を加 えたのは昭和61年の比較的早い時期か ら である。

同年3月に文部省研究機関課の課長補佐が来所の折,その時点での当研究所の改革案が"早

に研究所名 を変 えるだけの もの''とい う研究機関課の認識が伝 え られた。

同年4月1日に河崎教授が所長 に就任 し,4月上 〜中旬の間,新所長 と大藤学長 との会談, 並 びに文部省学術 国際局審議官あるいは研究機関課長 との会談が引 き続 き行 われた。 それ ら の会談 を通 しての問題 点 は,"研究所研 究活動 の活性化,新 しい生物学 の展開 を反映 した組 級,流動的な研究体制,学 内他部局 との関係等''に集 中 した。 さらに,6月には,文部省学 術 国際局長が学長 とともに来所,研究所 の新 しい展開に向けての要望 があった。

この ような外部情勢 とともに,所 内では,将来計画委員会 (教授,助教授 で構成) を中心 とし, 同委月会 のワー キング ・グループ,所長 ・助手懇談会, あ るいは教 官会議等々で研究 所 の将来構想について検討 を進め た。

昭和61年度に開催 した会議 は,定例 の教授会や運営協議会 を除 き,将来計画委月食が33回, 同委月会 ワー キング ・グループ会議 は13回,所長 ・助手懇談会 は3回, その他4回に及んだ。

昭和62年度 は,将来計画委月会が20回, 同委員会 ワー キング ・グループ会議 は14回,所長 ・ 助手懇談会 は5回, その他4回であった。

この ような研究所 内の種 々の レベ ルでの検討 を進め るに当 り, 昭和61年2月の学術審議会 による 「大学等におけ るバ イオサ イエ ンス研究の推進につ いて (建議)」が大 きな依 り所 とな った。 これは,バ イオサ イエ ンスの内容,特色か らその推進方策 に及ぶ建議 であって, 当研 究所のその後の文部省担 当官 との協議 において, 当研究所 の改組理念 を説得 力あ るものにす る大 きな力 となった。

なお, この時期 に,九州大学生産科学研究所 の改組が進行 中であ り,昭和62年5月に 「機 能物質科学研究所」 としての改組転換の実現 を見 た。 これは, その当時の数年 間で, 附置研 究所が研究所 の形態の ままで改組 した初めてのケー スであ り, 当研究所 の改組 の進め方に大

きな参考 となった。

昭和61年4月か ら昭和62年3月の間,研究所 内の種 々の レベ ルでの検討の結果か ら,研究 所改組の基本的方向 を"資源生物 のバ イオサ イエ ンスを情報 と反応 とい う立場か らとらえる'I

こととな り,新研究所 の構成につ いて多数 の考 え方が提 出された。大麦系統保 存施設につ い ては,改組後 も附属施設 として存続す る方向 となった。 この間,研究所 での検討 に基づ き, 6回に及ぶ研究機関課 との協議が持 たれ,研究所の基本的構想 を昭和63年度概算要求 とす る こととなった。 この こ とは,昭和62年4月初旬の大藤学長 と学術 国際局長等 との間の協議 で もその方向が確認 された。

昭和62年4月か ら6月 までの間には,新研究所名, 設置 日的等 につ いて検討 し, また,外 国人客月部 門を要求 に盛 り込む方向 となった。 この間,研究機 関課 とは,3回の協議の機会 があ り,新研究所構想に対す る文部省科学官の意見書が紹介 され た。その中には,"学 内にお ける新組織の位置づ け,所 内外 にわたる共 同研究, あるいは教官人事 のあ り方等"に関す る 意見があった。

その間,6月13日に大藤学長が任期満 了 とな り,6月14日に高橋新学長が就任 した。高橋

新学長 と学術 国際局 との協議 において も, 当研究所改組 に関す る従前の方向が確認 された。

これ までの経緯の中で,新研究所の組織 を3大部 門(10研究分野),1外国人客月部 門,1 附属施設 とす るこ とで構想 を進めて きた。 しか し,7月下旬,本組織の実現のために,研究 所本体 の組織 を9分野体制 とす ることが妥当である旨の連絡があ り, 2日間にわたる所 内で の論議の結果,各大部 門 を3研究分野で構成す るとい う結論 とな り, 3大部 門(9研究分野)

として要求す るこ ととなった。

昭和62年8月か ら12月 までの間は,新研究所設置後の運営 に関す る種々の問題 について検 討 を続け, また,研究機関課か らの様々な説明資料等の要求に対応 した。

昭和62年12月28日,事務局長 よ り,本研究所改組の概算要求が昭和63年度予算案 に盛 り込 まれ ることが確定 した旨の通報があった。

この間,本研究所改組 に関 し,学内での調整 をはか るため, 自然科学系の各学部長 と再 々 協議 して きたが, その回数 は18回に及んでいる。

本研究所改組の概算要求が昭和63年度予算案 に盛 り込 まれ ることが確定 したことに ともな い,昭和63年1月の岡山大学評議会 において,「資源生物科学研究所設置準備委月会規程」が 協議,決定 され,設置準備委月会が発足 した。以後,本設置準備委月会 において 「資源生物 科学研究所長候補者選考規程」, 「初代 の資源生物科学研究所長候補者の選考方法」,「資源生 物科学研究所規程」,「資源生物科学研究所教授会議事規程」等々が協議,決定 された。諸規 程 の うち,前 2着は昭和63年 2月の評議会 で, その他 は同年 5月の評議会 に報告 された。 な お,新研究所 におけ る教官人事 も本妻月会の所管事項 であ り,新組織 での教官配置が昭和63 年2月に本妻月会 で協議,承認 されてい る。

先に評議会決定 となった 「初代 の資源生物科学研究所長候補者の選考方法」に基づ き,新 研究所 に配置予定の専任教官 を選挙有資格者 として,昭和63年3月4日に所長選挙が実施 さ れた。 その結果,河崎教授が初代所長候補者に選 出 され,本設置準備委月会 で承認 された。

以上の ように,新研究所設置の準備が進行 す る中で,昭和63年4月7日に昭和63年度予算 案が国会 を通過 し,翌 4月 8日に 「岡山大学資源生物科学研究所」の設置が正式に実現 をみ

るこ ととなった。 その 日的,組織等の概略 を以下 に示す。

設 置 日 的

資源生物 に関す る学理及 びその応用の研 究 組 織

研 究部 門

「十‑・

資源生物科学研 究所

i

遺伝 情報発現部 門

生物機能解析部 門

生物環境 反応部 門 二

I

遺 伝 子 解 析 分 野 形 質 発 現 分 野 遺 伝 制 御 分 野 生物 間情報認識分野 代 謝 調 節 分 野 機 能 物 質 解 析 分 野 病 態 解 析 分 野 生 態 化 学 解 析 分 野 環 境 適 応 解 析 分 野 生活環解析 (外 国人客月)部 門

附属施 設 ‑ 大麦系統保 存施設 事 務 部 i 芸 票 漂 附属 図書館 ⊥ 資源生物科学研究所分館 { 冨

理覧

教 官 定 鼻

教 授 10 (内,外 国人客月 1) 助教授 10

助手 17

昭和61年4月か ら昭和63年4月 までの約2年 間,本研究所 改組 の実現 につ いては,文部省 学術 国際局,特 に研究機 関課 の担 当官の方々, 岡山大学 の大藤前学長並 びに高橋 学長 をは じ め事務局 の担 当の方々, さらには農業生物研究所 の最後 の2年 間に事務 部 に在籍 した職 員の 方々, その他 多 くの関係者 の方々の絶大 な ご支援 とご尽 力 を得 たこ とをここに附記す る。

2 .職員 ( 平成 3 年 1 2 月現在)

所 長 (併)教授 (農博) 河崎 利夫 遺伝情報発現部門

遺伝 子解析分 野 教 授 (農博) 助 教 授 (Ph.D)

助 手

技 官

形質発現分野

教 授

助 教 授

助 手

技 官

遺伝制御分野

教 授

助 手

技 官

技術補佐月

男稔豊雄纏英

吉田倉野本村小字 明子延苗英洋身早

本本西石松山葛力11■■nuL""l■■u一日""lu悼博博農理理J■1.\′し( 三英和子昭和恭和

田石浦宅安力松三

㈲膿

生物機能解析 部門 生物 間情報認識分野

教 授 (農博) 助 教 授 (農博) 助 手 (農博)

〝 (理博)

技 官

代謝調節分野

教 授 (農博) 助 手 (理博) 事 務 官

技 官

機能物質解析分野 教 授 (農博) 助 教 授 (農博) 助 手 (理博)

〝 (農博)

技 官

生物環境反応 部門 病 態解析分野

教 授 (農博)

助 手

〝 (農博)

技 官

技術補佐月 生態化学解析分野

夫雄明哉孝勝和久英

久田木田神兼河積青白 夫夫子子利根檀佳三崎坂神山河柴白秋 雄樹義学子幸良晴愛

木崎野本野鈴山今杉昧 信義憲二瞳成正字輿

上谷田畑藤井麻前光斉

教 授 (工博)青 山 勲 助 教 授 (農博)村本 茂樹 助 手 (理博) 中島 進

技 官 西崎 日佐夫

環境適応解析分野

教 授 (農博)木村 和義 助 教 授 (農博)西 克久

〝 (理博)米谷 俊彦

助 手 榎本 敬

〝 (農博) 田中丸重美

〝 (理博)柏木 良明

技 官 平 岡 直子

技術補佐員 平野 幸子 生活環解析 (外国人事鼻)部門

客 員 教 授 K.W.SHEPHERD 農場

農 場 長 (併 )(農博)安 田 昭三 主 事 (併)(農博 )武 田 和義

技 官 高見 正夫

附属大麦系統保存施設 施 設 長 (併)(農博) 教 授 (農博)

助 手

帆 技能補佐員

//

三義雄広子子昭和英和智泰

田田田藤田安武部佐沖村

事務部

事 務 長 赤木 利和

庶務係

係 長

事 務 官

技 官

事務補佐月

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